豆と鳩


−もし、明日地球が滅亡するとしたら?−

 時は1869年、明示25年4月9日のこと。学校帰り、下町の路地を歩く一人の少女の姿。彼女の名前は杜崎みよよ。
 当時、外国の異文化が入ってからまだまだ年月を経てはおらず、古くからある日本の文化と新しく流入してきた外国の文化とがいりまじって、文化史的にはとてもとても興味深い時代ではありました。もちろん今がどういう時代かなんてことは、それこそ後代の人間でなければわからないことではあったのですが。
 杜崎みよよは下町のごく普通の家、いわゆる中流家庭に生をうけました。他の家庭とちがう所があったとすれば、まあ多少兄弟姉妹が大人数であったことと、あとは彼女自身の性格が他の人とちょっとちがうことくらいでしょうか。ちょっと、あるいは、だいぶ。

(もし、明日地球が滅亡するとしたら?)

 みよよはわりと幼いころから、他の家に奉公に出されていました。なにしろ兄弟姉妹が多かったものですから、食いぶちを減らそうという意味もあったんだと思いますが、奉公先が彼女の両親がいろいろお世話になっている人で金銭にも生活にも余裕があって学問と文化が好きででも子供がいなくて…と申し合わせたかのような好条件があり、杜崎みよよは半分養女のような形で奉公に出されることになります。ですので彼女は奉公人であったにも関わらず、今もけっこうな学園に通わせてもらったりしています。そこで、彼女は学問と科学に出会うのでした。

 通りに面した一軒の茶屋。異文化の匂いがする、わりと近代的なお店はいつの時代にだってオンナノコに好まれるものです。まして甘いお菓子とおいしいお茶がついてくるとあれば。そしてこういうお店の半常連にもなれば、そこで知り合う友人なんてものもいる訳で。半常連になっているオンナノコ同士の会話。

「それ、こないだ読んだっていう小説のお話?」
「そ。星から船が降りてくるって奴」

 お茶とお汁粉を前に語る肥後美月に、相槌をうつみよよ。磨かれた木のテーブルの上、小皿に置かれた角砂糖。たかが茶飲み話ですが、されどすべてがここから始まることだってきっとあるのです。きっとあるんですから。

「面白いなあ。あたいだったら全財産持って賭場に直行するかな?」
「ほんと好きねえ」
「ったり前じゃない。勝っても負けても終わりなんだから、どうせならどこまで勝てるか一辺試してみたいもん」

 ともに15歳という年齢ながら、いまだ学生のみよよに比べて賭博師をしている美月はより積極的な、より投機的な性格をしているのかもしれません。この時代、この年代の女性の境遇は本当に多岐にわたっているでしょうが、その中でも賭博師兼人形使いの美月は特異なものであったでしょう。もっとも、単なる学生であるみよよにとっては美月の住んでいる裏世界のことなど想像の外にあるものであったに違いありません。しょせん人間の想像力など経験の範囲の外に出るものではないのですから、賭け事好きな同い年の知り合いである肥後美月さん、という以上の認識は杜崎みよよにはなかったでしょう。

「で、みよよちゃんは?」
「私はあ…」

 何やら期待する顔で問いかける美月。彼女の知っているみよよであれば、彼女の期待に応えるだけの答えを彼女が持っているという期待を彼女は持っていました。

「だから彼女は彼女の期待に応えるだけの答えを彼女が持っているという応えを彼女に答える為に…」
「…どうしたの?美月さん」

 しばし脱線。時は春の一日、場所は通りに面した一軒の茶屋。


 科学。奉公先で学問と文化に接する機会まで与えてもらった少女。杜崎みよよはごく自然に学問と文化、そして科学への興味を深めていきました。ものが錆びるのも燃えるのもおんなじ現象だなんてことは後代の人にとっては常識以前のあたりまえですが、それがあたりまえだと見つけることができたのも科学の功績で、特に工業を中心とした産業の発展にともなって、社会における科学の存在は以降も重要度を増してくることになるのです。ですがこの頃の科学はまだ経験を証明する理論でしかありませんでしたから、ごく一部の天才を除けば科学というのはあたりまえを解明する手段として用いられていました。ごく一部の天才を除いて。

「で、この角砂糖なんだけど」
「うん?」

 さっきの話の続き。小皿に盛った角砂糖の一つをつまみあげて、みよよが話をしています。

「もしさあ、この角砂糖にもう一個角砂糖を重ねたらどうなるのかな」
「???」
「重なった角砂糖はたぶんもの凄い力ではじけると思うのよね」
「まあ…そうかもね」
「だからその方法さえ分かれば物質の存在100%をはじける力に変換できるってことだから」

 ここまで来て、みよよの意図に気付く美月。

「みよよちゃん、もしかしてあんたの言いたい事って明日地球が滅びる前に今日のうちに滅ぼすとかそんなの?」
「あっれー?何でわかったの」
「…わかるわよ、そんなの」

 ごく一部の天才の紙一重。脱力する美月の顔を不思議そうに眺めるみよよ。これが核融合反応の基礎中の基礎の発想であることを知っているのはおそらく後代の人間くらいだったと思います。

 杜崎みよよ:才能・科学&狂科学

おしまい

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