豆と鳩
−もし、ひとつだけ願い事がなかうなら・・?−
もしも願いがひとつだけ叶うなら。女の子が願う、たったひとつの願い。
時は1869年、明示25年7月8日のこと。西洋から流入した科学は当初、まるで魔法のように人々の願いを叶えていきました。空を飛ぶ事も、水に潜る事も、世界と生き物の設計図を見つけだす事も、やがて科学と科学を持った人々は可能にしていく事になります。人間が人間としての意識を持つようになった、とてもとても昔からの願い。いろいろな願いを科学は叶えてくれましたけれど、未だに叶わない願いもまた、存在するのです。科学が認識される前から、あるいは認識された後もずっと叶わないでいる願い。
舞台は、今日も学園から始まります。
「永久機関が科学の追求する永遠のテーマになっている事は間違いない。だけど、科学的な思考そのものが永久機関の存在を否定したがっている。無論それには理由があるんだけど、簡単にいえばエネルギー保存の法則が成り立つ事、そして摩擦の無い現象が成り立たない事のたった二点に集約されるんだ」
教壇で熱弁を振るう、今日も今日とて勢野国崇。この先生の授業は脱線がとても多くて、予め与えられた教材を用いての授業というものは苦手な感じがします。もしも130年ほど後の世界に生まれていたら、彼は教師としてはとても苦労したかもしれません。その頃の世界では授業といえば学問を教える事ではなく、知識を与える事ですらなく、教材をこなす事だけが目的となっていましたから。学問を修めたい者は授業に頼らず、独習する事がよりましであるというのは、あるいは昔から変わらない事なのかもしれませんけれど、社会生活を学ぶ役にも学問を修める役にも立たない学園の存在を。
「せんせーい、でも物も力も何にもない所で物を動かしたらそれって永遠に動き続けるんじゃないですか?」
既に一部の学生の間で有名になりつつある、杜崎みよよと勢野国崇の問答の時間。男性の多くが軍人になるか家を継いでいるこの時代、こういった学園にいるのは女生徒が圧倒的に多いか、でなくても男女が分けられて授業を受けている場合が殆どでしょう。そんな環境でみよよと國崇の関係が無責任な噂を呼ぶ事だって充分にあり得るでしょうが、特にみよよの性格を知っている殆どの人間からはそういった話は出ていませんでした。いくつかの奇妙なあだ名なら付けられていたかもしれません。
みよよと國崇の科学問答。不思議とこれが終わる頃に昼食の時間が訪れる事もあって、授業の最後の息抜きとしてその地位を確立しつつありました。本人たちにその意図が無い事は明白だったでしょうけど。
「うん?でもそれだと引力や重力、もちろん空気すら無い状態というのが前提になるな」
「だからそういう所に設備を設ければいいんじゃないでしょうか」「確かにそれで設備は出来るだろうね。でもそこから力を取り出す事は出来ないだろう?」「え?」「設備を作るのに有した力はこのさい無視する。でも設備を稼働させる為にまず力が必要になるのは分かるね」「はいっ」「それで設備が動き続けたとして、新しい力を加えないのならそれはそこにあるだけの存在だ。存在そのものはエネルギーになるけど、そこから増える訳じゃない」「ですね」「そしてそこから何らかのエネルギーを取り出そうとすれば…」「全体のエネルギー量は一定な訳だから設備のエネルギーは減ってしまうんですね」「そう。そしてエネルギーを取り出す時に摩擦の存在が更に余計なエネルギーを消費、使ってしまう」「なるほど」「だから摩擦の存在をより少なくする事で使用されるエネルギー効率を向上させよう、という考えが出てくる訳だ。この考え方自体がいろいろな産業で科学が重宝されている理由でもあるんだけどね」
正午を告げる鐘の音が、室内にざわめきを取り戻します。
◇
「という訳で私も永久機関に挑戦してみる事にしたの」
「うん、何でも挑戦するのは良い事でござる」
やはり定番の、近代的な異文化の匂いが漂う一軒の茶屋。放課後のいつもの時間、杜崎みよよと肥後美月と神代琥宮の三人が、白玉あずきを囲んで話の花を咲かせていました。この年代のオンナノコが、たいていいつも同じ所で同じ事をしているのは珍しい事ではないでしょう。もちろん、その心の中はいつだって新しいものを求めていたでしょうけれど。
「あんまり無責任にみよよを焚付けないの。で、それは何を持ってきたの?」
たしなめるように美月が言うと、テーブルの上に置かれた不気味な丸い物体を指し示します。それは鉛色をした、スイカくらいの大きさの金属の塊でした。中が中空になっているのか、見た目よりは軽そうな音を立ててテーブルの上を転がっています。
「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれました。この玉は中が全面鏡貼りになっててね、ここんとこに一ヶ所だけ蓋があるんだけど…」
「そういえば、うっすら切れ目があるわね」
「ここを開けて外の光をため込んでね。そんで夜になったら開けると夜でも太陽の光であたりを照らす事ができるんだ」
「ほ、ほんとにそんな事できるの?」
「もっちろん。まだまだ永久機関にはほど遠いけど、これが実用化したら魚の油を使わなくても夜が明るくなるんだから」
得意げに話すみよよ。どちらかというと何かを作るのが楽しくて仕方がないといった感じです。趣味の話だし、たいくつしないからいつも真面目に聞いているのですが…。
「でもそれほんとにちゃんと出来てるの?だとしたら凄いと思うけど」
「あー。疑うの?ちゃんと昨日のお昼からずっと光をため込んであるんだから。今だってすっごい明かりがたまってる…はずよ」
「じゃあ試しに蓋を開けてみるでござるか?外の光ならまたいくらでも溜められるでござるから」
琥宮にも薦められて、じつは自信がないのかちょっと不安な顔を浮かべながら、実験結果の発表をする為に、小さな取っ手のついた小さな蓋に手を伸ばすみよよ。集約された光が中の鏡で反射を繰り返しながら保たれてて、上手くいけばさぞおもしろい情景があたりに描かれるでしょうけれど。
みーっ。
小さな穴から見事な光条がほとばしりました。
ええ、それはもう見事なほどに。何しろ琥宮の上着の裾を貫通して、茶屋の壁に焦げ目を付ける事になったんですから。
◇
さすがに茶屋の主人にも怒られて、申し訳なさそうに家路につく三人。まあ実験自体はうまくいったんだからと陽気に笑っている美月。「びーむ」の効果に驚きながらもすぐに消えてしまった光を見て改良の余地ありと思うみよよ。服の裾に空いた穴を見て、あらためて恐怖心を呼び起こしている琥宮。
ですが、三人が三人とも気が付いていない事がありました。
この時代、中空の鉛の玉の内側に鏡を貼り付けるような技術はまだありません。
おしまい
>他のお話を聞く