ひなたで過ごす−幕間−


 オカルト研究会。進学校にして倶楽部活動も盛んな私立樫宮学園には多少似つかわしくないその集団は、一部でオカルトかぶれの派手な騒動集団として、いささか悪い評判を有してはいました。悪霊憑きだなんだと騒ぎ立てるうちはまだいいんですが、家庭科にイモリの黒焼きを持ってきたとかお香を焚いたら煙と異臭が騒ぎになったとか、果てはあやしげな実験?のあげく部室長屋で爆発騒ぎだとかなってくるとカルト教団も真っ青の学園右派集団ではないかという噂まで立ってしまいかねないのです。

 乙姫夢見、二年生。超常現象研究会ことオカルト研究会こと通称オカ研で、数少ない良識派と評されている彼女には自分達に立てられた噂が当然気になってはいましたが、では失地回復しようとしたときにどうしようかと、それよりどうして今のような状態になっているのかと思ったときに、はたと立ち止まってしまいます。

(そういえばオカ研って何やる所だっけ?)

 それはけっこう深刻な疑問の筈でしたが、部昇格以外にオカ研がなにを目的にしている団体だったかというと、一向に思い出すことができませんでした。もしかしてオカ研が部に昇格したとして、その後やることがなくなってしまうんではないか。夏休みの一日、その日は一日学園の図書室に篭ることに決めた夢見の行動は、彼女が感じた些細だけれど深刻な恐怖心に由来してのものでしたが、即断即決即実行は彼女の売りでもありました。

 そんな人が他にもいたかもしれません。


 平成13年8月13日。長野県は古坂町、私立樫宮学園では夏休みの真っ最中で、県外出身の生徒も多くお盆中くらいは帰省のために部活動も休みになって、野球部甲子園出場の余波も彼等にとっての夏の終わりとともに落ち着いて、たいていの学生は長い夏休みの中の短い夏休みを過ごしていました。
 その日、五島小夜は寮で当てのない一日を過ごす理由もなく、趣味の天文の本でも読もうかと学園の図書室に足を向けていました。この時期は学園側も図書室を解放して、趣味に興味にあるいは夏休みの宿題の資料にと、本を読みあさる生徒がまばらにとはいえ訪れていました。宿題に関しては予定の通り、順調にこなしていた小夜には自分の趣味の天体に関する本を存分に読む時間がありましたので、選んだ本を机に運び、山と積んだ数冊の一つを取り出すと文字と挿し絵の世界にすぐに没頭しました。短髪小柄な女子生徒が声をかけてくるまで、数時間がたっていたことにはその時まで気がつきませんでした。

「小夜ちゃん?今日は一人なんだ」
「あ、こんにちは…乙姫先輩」

 同じ寮住まいであり、夢見が本人には不本意ながら有名人であることもあって多少の面識はありましたが、やや腰が退けている小夜の反応はオカ研のメンバーに対する一般人の対応としてはわりと普通に属するものだったでしょう。特に、夢見の持っている本の一冊の表紙に「錬金術」の文字が記されているのを目にしたりすると、そういった先入観は一層増幅されたりするものですが、もう一冊手にした本には更に「哲学」とかいう文字が踊っていたりすると、自分の頭の中で組み上がった先入観に無理に理屈を付けようとしていらぬ苦労を強いられることになったりもするのです。


 長い夏休みの中の短い夏休み。長野県から東京都まで、新幹線で二時間半。亀宮氷雨の実家に向かう列車の中で、松本ひなたと星野瑞季は網棚に置かれた荷物の下、氷雨の話に耳を傾けていました。

「家の料亭は今は兄が継いでいますけど、父も現役で厨房に立ってるんですよ」
「すごいね、それってもう認められてるってことなんでしょ?」
「どうなんでしょうね、兄はまだまだだって言ってますけど」

 他愛のない話ではありますが、他愛のない話を普通にできるということがあるいはとても大切なことなのです。地元通いのひなたは実家に帰ろうと思えばいつでも走っていけましたし、瑞季に到ってはその実家から学園に通っているのでしたから、夏休みだお盆だといってどこへ行く必要もありませんでした。古い町中の店々はお盆時には閉まるところも多く、氷雨の実家のある東京なら帰省ラッシュも反対方向になってぶつからない上にお盆でも閉まらず営業しているお店だって多いですから、それじゃあせっかくだからと友人の家への小旅行が決定したのです。オンナノコの帰省に瑞季が入っているのは問題ではあったかもしれませんでしたけど、

「まあ瑞季なら大丈夫でしょ」

 からかうように言うひなたのことばに、瑞季は繊細な顔を不機嫌そうに曇らせていました。いちおう、氷雨の実家は古い料亭の広い家であって泊まらせる部屋がたくさんあるからとOKが出ていたりはします。


「氷雨さんはひなたさんと瑞季さんと一緒に東京の実家に帰ってます。茂さんは生研の何とかがあるって言ってたし、瞳さんも和歌山の実家に帰っていてナーサティアさんが一緒に行ったって聞いたんですけど…」
「小夜ちゃんは帰らなかったの?東京でしょ」
「実は来週帰るんです。今週は家の都合がつかなくて」
「なるほど」

 場所がら小声にはなっていましたが、夢見と小夜の話はごく普通にはずんでいました。しつこいようですが、ごく普通に話ができるということはあるいはとても大切なことなのです。東京にはプラネタリウムはたくさんあっても、よく見える星空はこの古坂町の方が圧倒的に多かったので、小夜にしてみればここに残る理由はいくらでもありました。せっかく多少の夜更かしがきく時期であるのですから、存分に夜空の星を見上げなければそれこそ損というものだったでしょう。

「夢見先輩の読んでる本って変わってますよね。それも倶楽部で使うんですか?」
「うーん、そうと言えばそうだけどそうでないと言えばそうでないんだよね」
「?」

 オカ研こと超常現象研究会の設立をたどってみようと、古い在校生名簿を見るのが夢見の本来の目的だった筈でした。それが流れて行き着いた二冊の本に記されたタイトルが、即ち「錬金術」と「哲学」の二つでした。


 渋谷での一日。涼しげな薄着に長い黒髪を揺らした氷雨と、動きやすそうに肌を晒した軽装のひなたに挟まれて、果報者の荷物運びは両腕と視界とを買い物袋でふさがれていました。臨海学校用の水着を買うだとか、地元では手に入りにくいインディーズ系のCDを探すだとか、もちろんお土産を買うだとか。瑞季の要望はたまたま開催されていた小さな美術展に行くことだけでしたが、まあそれでもいいかなという気分には少年はなっていました。

「ちょっと付き合ってもらいたい場所があるんです」
「うん。どこ行くの?」

 一旦荷物をロッカーに預けて、氷雨がひなたと瑞季を連れていったのは東京の古本屋街でした。小夜にとってのプラネタリウムもそうでしたけれど、いろんな物がある長野県古坂町ですが、大きな本屋と古本屋だけはなかったのが氷雨には不満といえば不満だったのです。もちろん小夜のように本物の星空が代わりにある訳でもなく、無造作に陳べられた文字と挿し絵の宝箱にひなたも瑞季も圧倒されていました。全て見てまわっていたら何週間かかるか分かりませんが、足繁く通っていた者には店によって品揃えの得手不得手の傾向があることくらいはとうに承知されているものです。
 氷雨はもちろん、瑞季も美術関連の古書が見られるのは嬉しかったし、ひなたも意外だったかもしれませんが読書は好きでした。どこの場所でもいつの時代でも、好奇心を満たす物は少年や少女にとっては最高の宝物だったのですから。ただ、氷雨が後で読むのを手伝ってもらいたいと取り出した本の表紙に「錬金術」の文字が記されているのを見て瑞季もひなたも多少腰が退けていたかもしれません。そしてもう一冊手にした本には更に「哲学」の文字が記されているのを見ると、おだやかな笑顔の少女が何を考えているのか推し量るのにいらぬ苦労を強いられることになるのです。


 オカ研ことオカルト研究会こと超常現象研究会の前身が西洋哲学研究会であったことを知らされたときの小夜の反応は、夢見が想像していたとおりのものでした。もともとオカルトの起源はイタリア語のoccultareの過去分詞occulto、「隠された」という意味から来ているもので科学の明晰さでは見えない部分に焦点を当てる意味が本来は含まれていた筈でした。
 錬金術の成立はエジプト・バビロニアの技術に始まってギリシア哲学とそれに対抗するヘルメス主義が加わり、それが十二世紀のルネサンスで体系化されました。それは治金術と哲学の二本の柱から成り、赤い石と呼ばれる純粋な金属への変成によって真理を追求するというものでした。金属を黄金に変えることが錬金術である、という説明は普通錬金術という言葉に与えるイメージをあまりよくないものにしていましたが、実際は金属を当時の完全な金属であった黄金に変質させる作業によって、精神や物体や人間を至高の存在に高めるための真理を追求するのが錬金術の本来の姿だったのです。それは歴史的に見ても学問であり芸術であり医術でもあり宗教でさえある全体的な思想でした。
 錬金術が近代科学によって専門化されて切り取られ、明確に証明されうる部分のみが確立したとき、残ったあいまいな部分はオカルトとして定義されないものになったのです。

「で、特に占星術とか自然魔術とか、あとは化学に属さない治金術がオカルトとして残ったんだ。占いとかまじないとか怪しい実験、って事だね」
「そうなんですか…」
「西洋哲学研究会はそういった文化史の流れを調べてたんだけど、そのうち授業では説明されない部分を追求するようになって、今のオカ研の前身ができたらしいんだ」

 であれば一部で悪名高いオカ研は、本来はれっきとした学問系文化部が逸脱した結果である筈です。それを知った時、夢見はオカ研が忘れている哲学を自分は担当してみようかという気になりました。ぜんぶあわせて西洋文化部に戻るのなら、その時こそ彼女たちの活動が立派に認められることになるかもしれません。


「それで、私が東京に行くというんで乙姫先輩に頼まれたんです。幾つか古本屋を見てきてくれないかって」
「そうなんだ…でも、そうやって聞くとオカルトってのもおもしろそうだね」

 ひなたも瑞季もオカ研には先入観にもとづく偏見が多少はありましたけれど、純粋な文化部としての西洋哲学研究会にはそれぞれの好奇心を刺激する充分な材料がありました。一度でも西洋史をひもといたことのある者なら、その価値観があまりに多彩に変容する独特の歴史観に興味を奪われずにはいられないでしょうし、学校の授業というものは本来そういった興味を刺激するためのきっかけである筈でした。
 帰りの新幹線、網棚の上に積まれた荷物の下で彼等は哲学やら西洋文化史の本を読みふけることになるんですが、

「じゃあ瑞季さん、これとこれとこれとこれとこれとこれとこれ、荷物持ちお願いしますね」

 笑顔で言う氷雨の言葉と目の前に山と積まれた本、それにロッカーに詰め込んである荷物の量を思い出して、瑞季は遠のく意識を必死にこらえていました。

おしまい


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