ひなたで過ごす
ことの発端は瞳のおせっかい焼きとひなたのやきもち焼きにあったのだと思います。
「じゃあ、ひとみが瑞季クン借りても怒らない?」
「え?」
松本ひなたと星野瑞季の朴念仁二人をくっつけようと、北城瞳があてつけるかのように瑞季に接近しだしたのはつい最近のことでした。男の子と女の子の幼なじみで親友で、でも周囲にはそれがやきもきして見えてしまうのか。友情込みのおせっかいが半分、県大会に向けて減量中だった瞳が気を紛らわせるための暇つぶしが半分という感じでの挑発は端で見ているぶんにも波風がたって見えたくらいでしたから、当事者たちには更に気が気でなかったことでしょう。たしか以前にもメアリ・コリンズ相手に似たようなことがありましたけれど、少なくともひなた個人にとっては同じことを瞳がやるというのは堪えかたがぜんぜんことなってはくるのです。
ひなたにはひなたなりのコンプレックスを刺激される相手というのがいる訳で、瞳なりメアリなりがどこまで冗談でからかっているのだとしても、それが与える影響というのは人によって全然違うわけで。一緒に陸上部で練習している格別身近な存在でありながら、あれだけ変わらずにお人形のような外見でいられる瞳に対してひなたにはどうしても複雑な思いが浮かんでしまいます。もちろん瞳は瞳で自分にないものをいっぱい持っているように思えるひなたはコンプレックスを刺激する存在ではあったのですが、そんな事はお互いに関係がなくて。
女の子らしい、というのはひなたにとってかなり劣等感を刺激されることばでした。
「瑞季の奴…」
という感じでひなたの不機嫌の水量がどんどん増していって、そして瑞季はといえば瞳に過剰な「ともだち付き合い」をされるようになってから、棘の入った周囲の視線に冷や汗を流す毎日が続いて。
しばらくはそんな日々が続いていました。
しばらくだったんですが。
「え?ああっ、しまった!あれ乗り損ねたらっ!」
「だいたい、瑞季がグズグズしてて…!」
…。
…。
……。
「じゃ、じゃ、今からひなたチャンと2人でデートなワケね♪がんばってっ!♪」
待ち合わせでのトラブルが原因ではあったんですが、ひなたと瞳、それに瑞季の三人で映画を見にいく約束が急遽変更になって、幼なじみ二人でデート?に行ったというような事件があって。多少以上のごたごたはありましたが朴念仁二人の仲が進展した「らしい」こともあり、最近はどうやら波風のたてていた飛沫も落ち着きを取り戻しつつあるようでした。県大会も終わり、惜しくも優勝を逃したひなたが瑞季にトレーニングのパートナーを頼むようになったのも瞳にとっては満足なできごとだったのかもしれません。それをもって進展云々というかは微妙なところではあるんですが、最近二人が朝練を一緒に行うようになったというのは確かな事実でした。
と、いうところまでが長い幕間狂言になります。
◇
ここからが今回のお話。平成13年10月13日土曜日、長野県は古坂町にある私立樫宮学園高等学校を覆う晴天の空の下。どん、どんとお腹の底まで響きわたるかのような、勇ましい応援合戦の太鼓の音。その日は樫宮学園体育祭の当日でした。
各学年1組から7組までがわかれて計7つのチーム編成による対抗戦。2年と3年に肉体派の揃っている5組が本命で、1年生に陸上部のタレント二人がいる3組と、同じく陸上と野球での県代表がいる4組が対抗馬、2年に核弾頭のいる2組が大穴というのが戦前の下馬評でした。
そして、戦うからには負けたくない、というのは負けず嫌いな松本ひなたならずとも充分に健全な発想でしたから、個人の能力以外にも参加する競技の選択だとか作戦だとかいったものもとても重要になってきます。
「という訳で、スパイを命じます」
どこまで本気かわかりませんが、おだやかな口調で木佐茂に指示を出す亀宮氷雨。はっきり言ってしまえば氷雨は運動場の上に出たらまったく役に立たない類の人間の代表格ではあったのですが、彼女がいくらとろくても運動場に上がる前に勝つための条件をそろえることができたなら、それは立派な戦い方ではあるのです。力のない人間が力以外のもので戦うのは卑怯でもなんでもありませんし、古来より戦略の価値が戦術に勝ることは兵法の常識でもあるのでした。
「主力層と捨て駒の配置の確認か…4組は月村が見張ってるから難しいんだけどなあ」
頭をかいて文句を言いながらも要点はきちんと把握して、しかもそれなりに成果を上げてしまうのは茂の才能だったかもしれません。作戦参謀亀宮氷雨の人選も、だからこそのものであったのでしょう。
例えば1から10の強さのカードが2組対決するとして、こちらの3から10のカードを相手の1から8のカードに当てて、1と2のカードを相手の9と10のカードにぶつける。二割のカードは敗れる代わりに、八割は相手より2強い条件で戦える訳だから、普通に対決するよりも勝率は高くなる。比率において勝る平均層の勝率を如何にして上げるかが、作戦参謀殿のつとめでした。どんな方法を使ったのかはついにわかりませんでしたけど、気がつくと茂は他クラスの主力勢の参加種目のほとんどを脳裏にインプットして戻ってきました。ただ、1年4組の教室にスパイに行くときにふかふかの小鳥のぬいぐるみを贈賄に持っていったことだけは、翌日のナーサティア・月村の様子を見れば明らかでした。
ですが、そういう思惑や作戦とは別な次元で莫迦正直に行動する人間も当然存在するわけです。
「今度の体育祭、瞳は何の競技に出るの?」
真正面から問うひなたのそれは言うまでもなく瞳への挑戦の宣言でした。戦略的には本来彼女たちのような得点源同士が潰し合うことは好ましくはなかったのですけれど、それとひなたが瞳に持っているコンプレックスやら先日来のおせっかいへのお礼やらは別のことであって。
「え、うーんとね。たぶん100mと高跳びと混合リレー…負けないよ♪」
視線に光りを宿らせて、最後のひとことは、ひなたの意思を瞳がすぐに理解したということでしょう。陸上部県代表の瞳が複数の競技をかけもちしているのは不思議ではありませんが、体育祭として出場可能枠にはどうしても制限があるのも当然のことです。全員参加、は学校行事の基本でしたから。
ひなたの参加種目は1500m走とリレーの二つまでは参謀氷雨の指令によって既に確定していたのですが、この時点でもう一種目、100m走での瞳との直接対決がどうやら決定したようでした。先日来の瞳のひなたへのあてつけに対する返答は、結局いかにもひなたらしいものになりましたけれどそれは確かに瞳のやる気に県大会以来の火を付ける結果ともなったのです。
アスリート同士の対決には本来ストーリーは不要な筈でした。
◇
男女混成の学ラン姿、足下まで届きそうな黄色い長ハチマキ。低音で響く大太鼓の音と鋭く鳴り渡るホイッスル。反響のない天蓋に吸い込まれていく応援合戦の声。
スラァァァァァァァァァァァァァッ
体育祭らしくいわゆる正統派?スタイルの3組の応援団に、最前列に居並ぶひなたと氷雨、五島小夜の学ラン娘三人が勇壮な華を添えていました。黄色い歓声ではない、女性がお腹の底から上げる声というのは音幅の広い男声の響きとは異なる力強さを持っているのです。そして味方の力一杯の応援に触発されて、自分の全力を出し切るのが体育祭での選手たちのつとめでした。
「1年女子走り高跳び。優勝4組北城選手、記録165cm…」
おお、という歓声。走り高跳び長野県大会を完勝した瞳の実力はもちろん保証付きでしたが、男子相手でも通用しそうな自己ベストタイを跳んだ事実が彼女の今日の好調ぶりを更に証明していました。それはコンディション調整が万全だったということか、或いはメンタル面が万全だということか。
(…流石ですね。でも何cm跳んでも一着は一着です)
そう呟く氷雨がどうやら3組の司令官のようでした。もっともこの黒髪の司令官は運動場に出ても全く役に立ちませんから、参加予定の玉入れ以外は隣りに座っている小夜と一緒に応援専門のタレントになっていました。走り高跳びから二人三脚、障害物競争と一時を置いてプログラムは100m走へと移ります。
各クラスが男女3名ずつの代表を出しての対決、学年ごとにA組B組C組と走ることになるんですが、体育の授業での記録をもとにして参加順が決められていましたので、陸上部所属で高タイムを持っている瞳とひなたは1年女子C組の最終組、必然的に直接対決が決まっていました。
走り高跳びがメインの瞳と中距離専門のひなた。二人とも短距離は必ずしも専門種目ではありませんが、もちろんそれなりの練習をしていない訳でもありません。能力的にもベストタイムでも全くの互角、隣りのコースに並んだのも3組と4組所属であることを考えれば不思議でも何でもありません。互いに集中しているのか、周囲にまで広がる静寂の中。
『位置について…よーい…』
ぱぁん、と鳴る号令と共に全員一斉にスタート。そこから当然のように飛び出す瞳とひなたの二人、ごくわずかにひなたが前、ペースを合わせるように併走する瞳の様子を見て、その仕掛けに真っ先に気がついたのはしばらく後のレースに出走を控えていた瑞季でした。
(あ。あの莫迦…)
それはほんのわずかのペースの違い。前半の50m、気づかれないくらい微妙にスピードを抑えてひなたに併走する瞳。それは1秒にも満たないペース配分の調整ですが、これでペースを落としてしまったひなたに対して瞳は力を温存しての後半勝負となります。競り合いに弱いというひなたの弱点を最大限に利用したのも陸上部で一緒に練習をしている瞳ならではの作戦で、それにすぐに気づいた瑞季ももちろんその弱点を充分に知悉していました。
それでも、まさか瞳がそういった作戦に出てくると思っていなかったのは瑞季なりひなたなりの甘さだったでしょう。その結果はあえて言うまでもなく、ゴールと同時に右腕で小さくガッツポーズを作った瞳はこれで二種目連続の一位を獲得しました。
◇
それまで観戦していた氷雨と小夜が出番で呼び出されて、玉入れとの同時開始になる次の種目は1500m走。競技時間が長いこともあって、といっても速い人は3分台をたたき出せる種目ですから玉入れとの観客の奪い合いにはなるのです。ただ他のトラック競技との違いがあるとすれば、全学年にまたがっての組分けがされていたことでしょう。
「松本さんと走るのは久しぶりだな」
「あ、先輩…一緒のレースだったんですか?」
ストレートの黒髪を揺らしながら、2年生の麻生史緒がひなたに話しかけます。テニス部所属の彼女が中長距離ランナーとして高い資質を持っていることをひなたは昔から知っていました。むしろ史緒がテニス部に所属しているのも、細身の体型に無尽蔵のスタミナが詰め込まれているからこそだったでしょう。玉入れの一ラウンド目と同時スタートとなる女子1500m走、トラック内に設置された玉入れの篭のまわりに集まっていた氷雨と小夜を見つけたひなたが軽く手を振って。号砲とともに二つの競技が一斉にスタートしました。
一気に先頭に立つと、最初から最高速度で飛ばして最後までスピードを落とさずに逃げ切るのがひなたのパターン。それを知っている者はあくまでこの快速娘についていかなければ、ただ距離を離されるばかりとなります。出走メンバーの中でそれについていけるのは史緒くらいだと思われていたのですが、もうひとり思わぬ伏兵がいました。追走者の気配を背中に感じるひなた。
(ナージャが…来た?)
小柄なひなたや史緒に比べて、頭一つ以上身長の高いナーサティアのストライドの長さからくるスピードは相当なもので、しかも息を乱す様子すら見せていないのは普段いきもの飼育同好会で活動しているとは思えない程のスタミナでした。
先行するひなたをマークするナーサティアと後ろに続いて史緒。構わずスピードを上げるひなたに安定したペースで追走する史緒とやや走りに波のあるナーサティア、周囲には三人の勝負といった雰囲気が早くも漂いはじめます。ただ100m走のときと違ってひなたに幸いだったのは、史緒とナーサティアが互いに競り合ってくれたことと、瞳の作戦で学んだひなたが自分のペースをきちんと意識することで堅持できたということでしょう。ゴール前、スパートを見せたナーサティアがあわやというところまで追いつきかけましたが、この距離ならひなたは負けるわけにはいきませんでした。そのまま先頭で逃げ切ると玉入れの一ラウンド目が終わるその前にゴールイン、貴重な得点を獲得しました。
「いやったぁーっ!」
派手なガッツポーズ。喜ぶのも全力で行うのがこの娘の流儀でしたが、振り返ると弾む息を抑えながら、二着に入着したナーサティアに話しかけました。一着との差は僅かで、正直なところこれでナーサティアの走りにムラがなかったら順位は逆だったかもしれません。
「ナージャ、速いんだね。練習したら、もっと行けるんじゃない?」
「私も驚いたな。何ならテニス部でも歓迎するぞ」
「…飼育小屋の世話がある。それに負けは負けだ」
無愛想にこたえたナーサティアでしたが、悔しいという思いさえあればそれは向上心につながる筈です。いきもの飼育同好会員でしかも足が速い人間がいても、それはいっこうに差し支えないことだろうとその時ナーサティアは思いました。
◇
午前の部も終わり、楽しい昼休み。こういった学園行事で食べるお弁当というのは普段教室で食べるお弁当とはまた味がちがうもので、環境も味のひとつだという説はやっぱり本当のことなんだと思えてきます。
「すごーい。これ全部氷雨さんが作ったんですか?」
「材料だけ実家から送ってもらいました。これも応援の一環ということで」
1年3組の陣営、応援席に広げられたシートの上にはいくつもの重箱に入った豪華なお弁当が所狭しと並べられていました。実家が老舗の料亭で本人も料理部所属の氷雨、その実力はきっとこういった機会に使うためにこそ鍛えられているのでしょう。感嘆の声を上げる小夜に向かっていつもの穏やかな笑顔を向けると、手際よく箸や小皿を並べていきます。隣りに並んだシートには、瑞季が実家のベーカリーで焼いてきたパンが香ばしい臭いをあげていて、和洋折衷並んで動きまわった後の食欲を刺激していました。そして臭いにつられてふらふらとつられるように、隣りのクラスからやってきたのはナーサティアと不来方青葉を連れた瞳。
「あー、みんないいなぁお弁当」
「あ、敵が来ましたよ」
冗談めかして言う氷雨に悲しげな顔になる瞳。隣りにいるナーサティアの手にしているバスケットには、性格なのか固パンと野菜だけが詰められていてとても女の子のお弁当、というイメージではありませんでした。結局、降参した瞳はナーサティアたちと一緒に3組の昼食に合流するとその軍門に下りました。瞳と氷雨の対決はどうやら氷雨の圧勝だったようです。広げられたごちそうを囲んで談笑しながら、ひなたが話しています。
「そーいえば青葉、来月剣道部の大会じゃなかった?」
「よくぞ聞いてくれました。団体戦だけ出場だけど大将で出るんだよ、ボク」
ひなたの質問に薄い胸をはって答える青葉。女子団体戦の部門、持病のある青葉が団体戦のしかも大将に選ばれたのは、長丁場を押し切る体力がないためにというのが第一でしたが彼女にそれだけの実力があるのもまた確かでした。中学時代は東京都大会個人戦で準優勝まで行った実績があり、自分の体力のなさを補うために身につけていた予測力と反応速度は樫宮学園剣道部でも随一とさえ言われていました。
ただ、その体力のなさのせいで体育祭ではいまひとつ活躍の場に欠けるのは惜しいところです。本人はフォークダンスで活躍するんだー、といきまいていましたが、黙っていれば美少女と呼ばれている時点でその野望が叶う可能性は薄いと言わざるを得ないでしょう。
「薄い薄いって言うなー」
薄き幸あれ。
◇
競技性の強い種目が多い午前の部にくらべて、午後の部はゲーム性の強い種目が多くなります。その第一弾はいまだ伝統の守られている棒倒し、男子による血で血を洗う戦いが…となるんですけど、激しい競技ではありますが競技は競技であって喧嘩ではないので決して危険すぎるとか云々いうことはありません。ちなみに棒を倒す側よりも棒を守る側により注力が必要になるのはあまり知られていないことです。
「よーし、棒離すなよアフロー!速攻で向こう倒してくるから待ってろ」
「よっしゃ頼んだでー。こっちは任せとけー」
ゼッケンの下に頑なに「原宿」Tシャツを着込んでいる小林ミイケは2組の核弾頭、怪力アフロこと庄司成龍に棒の守備を任せると陸上部兼ラーメン屋の息子らしい快速を活かして敵陣に飛び込んでいきます。もちろんラーメン屋はこの際関係がないんですが、ミイケが相手方の棒に身軽によじのぼって一気に倒してしまう間、力強く棒を抱えるアフロを囲むように背中を外に向けた円陣が鉄壁の守りでときどきとんでくる蹴り足や拳でさえも弾き返してしまいます。
「やってもーたーっ!ごめん大丈夫かー」
アフロの声が思わず蹴りとばしてしまった相手への心配の声だったということが、核弾頭の実力を証明していたのかもしれません。結局棒倒しは2組の圧勝に終わり、大満足の体でミイケはいったん自陣に戻るとすぐに陸上部の集まりに合流しました。次ぎのプログラムは各クラスにとってはインターバルに、各倶楽部にとっては戦場になる、部費争奪倶楽部対抗リレーとなります。
「いやー勝った勝った。みんな準備はできてるかー?」
「せんぱーい。どうして俺達が仮装リレーの方への登録なんですか」
倶楽部対抗リレーは通常のリレーと仮装リレーの二種目。通常のリレーの出場メンバーは既に出走準備に向かっており、ミイケの前にいるのは仮装リレーの選抜メンバーでした。
「理由を聞きたいのか瑞季?」
「はい」
「その方がおもしろいからだ」
明解な回答で反論を封じておいて、ミイケも自分の仮装にとりかかりました。この着替える時間があるために、棒倒し参加組はどうしても通常の対抗リレーには間に合わなくなります。
ちなみに陸上部の仮装のテーマはベルサイユのばら。昼休みから時間をかけていた仮装は第一走者から順に瞳がアントワネット、2年の帆掛夏歩がフェルゼン、ひなたがアンドレ、そして瑞季のオスカルがアンカーとなります。ひなたと瑞季の役柄については「似合うから」という理由で当人たち以外は全員賛成。ただ一番たいへんだったのはコルセットにドレス姿の瞳だった筈で、それこそ人形のようなドレス姿は周囲の人気にはなっていましたが、昼食のあとに思いっきりお腹を締め付けられている当人にとってはたまったものではありません。選抜メンバーを満足げな顔で見ながらうなづくミイケ。
「みんななかなかよく似合ってるぞ」
自分の出走はないのですが、応援用にと禿げヅラに丸眼鏡、腹巻きにステテコという加トちゃんスタイルに身を包んだミイケ。その姿がベルサイユのばらとどう関係があるのかは誰にもわかりませんでしたが、しょせんお祭りというのはそういうものです。前哨戦となる通常の倶楽部対抗リレーが終わり、いよいよ仮装リレーのスタート。
「おすかぁぁぁぁぁぁぁぁぁるっ!」
やけになったのか開き直ったのか、始める前はさんざ文句を言っていたアンドレも、バトンタッチの時にはオスカルの名前をノリノリで呼んでいました。特殊な人気をさらったアンドレとオスカルに比べて第一走者、正統派で一番人気のアントワネットは裾を持ち上げながら走るだけでも相当つらそうで、青年貴族フェルゼンになんとかバトンを渡したときには既に虫の息となっていました。ただそれ以上に異様な人気を博したのは、応援のためにトラックの外側を猛スピードで疾走するヒゲダンス走りの謎の生命体加トちゃんでした。
普通に走るより速かったかも?
◇
プログラムはそのままリレー種目につながり、女子600mリレー、男子1200mリレーと続いた後で騎馬戦、変則距離制のスウェーデンリレーと高得点種目が続いて、いよいよ最終種目の男女混合リレーに繋がります。学年別で男女男女という順番でのレースでしたから、アンカーの瞳とひなたのもう一度の直接対決は当然避けられないところでした。
「お、桜庭生傷が多いなあ」
「棒倒しと騎馬戦だったからなあ。おかげで午前中は暇だったぜ」
4組は第三走者が桜庭一樹でアンカーが瞳、3組は第三走者が瑞季でアンカーがひなた。ごつい体型のせいでかえって忘れられがちだったのですが、一樹も相当足が速く本人もスプリントにもスタミナにも自信をもっていました。相手が本職の瑞季とはいえ、第一第二走者の展開次第で充分に対抗できる筈です。
得点の入る最終種目ということで応援に熱が入るのも無論のことで、応援席にいる小夜の方がむしろ緊張した面もちで隣りにいる氷雨に話しかけていました。
「だ、大丈夫かなひなたさん達」
「きっと大丈夫です。とにかく私達は応援しましょう」
小夜とは対照的に氷雨は変わらず落ちついた雰囲気で、ふと視線を動かすとやはり観客に徹している茂の姿が目に入りました。そういえばこの人も瑞季やひなたとは昔からの付き合いの…ということを氷雨が考えたとき、混合リレーの出走メンバーがトラックに向かいました。
明日喉が枯れるのを覚悟した、最後の応援の歓声が響きわたる中。一樹と瑞季は並んで待機しながらトラックの向こうに同じく待機している瞳とひなたに視線をやり、そして互いに視線を向けると目で挑戦の意思を確認してから自身の集中にうつりました。スタートの号砲が鳴って第一走者が走り、第二走者がまわってくるまでのわずか数十秒の間、その待つ時間がアスリートの集中力が最高に高まっていく瞬間でした。4組の第二走者はナーサティア。長いストライドで走るスピードは他の走者を圧倒し、コーナーをまわってくると先頭で一樹にバトンを渡します。遅れてバトンを手に追走する瑞季のプレッシャーを背に感じて走る一樹でしたが、プレッシャーなら甲子園で充分に慣れていた筈でした。
(流石に…本職は速いぜ畜生!)
殆ど呼吸を止めた状態で、筋肉に残っている酸素をフルに使い果たすだけで200mを持たせるつもりで走る一樹。アンカーの瞳とひなたの実力が互角なら、先に自分がバトンを渡せばこちらの勝利はほぼ確定する筈でした。そしてその事情は相手も同じで、先にアンカーにバトンを渡した方が相手に大きなプレッシャーをかけることができると思うと第三走者の役割は特に重要なものでした。
先頭を走る一樹の後ろに続く瑞季、少しずつその差が縮まっているとはいえその順位が変わるまでには到らず、あとはすぐ先に待っている瞳に自分のバトンを手渡すだけ。
(行ける!北城、タッチ…)
勝利を確信した筈のその瞬間、信じられないことに瑞季のスピードが突然上がると一樹を抜き去り、そのままひなたにバトンが手渡されました。それがバトンタッチのときに瑞季とひなたのスピードがほとんど落ちなかったためにそう感じただけだ、ということに一樹が気づいたのは一瞬後のことでした。
(やられたっ…)
タッチワークの差での逆転。そしてそれをまったく意識していないということが、瑞季とひなたが幼なじみ云々を抜きにしてコンビになっている理由だったのかもしれません。客席で声を張り上げている小夜たちの隣りで会心の笑みを浮かべる氷雨に茂。その日の最後の全力を使い果たすために走るひなたを追いかけて、瞳もその後は無心になってただゴールを目指して走りました。そして男女混合リレーの結果は…
◇
夕日を背負っての帰り道。体育祭も終わり、身体だけは疲れていながら心はまだ落ち着きをとりもどせていない奇妙で独特な感覚の中で、学生たちは帰りの途についていました。
「やっぱり瑞季クンとひなたチャン仲いいなあ。でもあのリレーは反則だよー」
「そんなにバトン速かった?あんまり覚えてないんだけど」
瞳にとっては瑞季とひなたの呼吸を見せられたのはなんだかとても嬉しい一方で、多少妬けてもくるのでした。言葉上の定義とは関係ない付き合いの深さというのはまちがいなく存在して、少なくともこの二人が息のあったパートナーであるということだけは確かなことのようでしたから。
照れながら笑うひなたを見て、自分にもそういう人は見つかるのかなあ、と思いつつ瞳が思い浮かべた幾人かの顔が誰であったかは、その時にはまだ瞳以外の誰にもわかりませんでした。話しながら遅れて歩いていた瞳とひなたの二人を呼ぶように、前を歩いていた幾人かの中から瑞季が声をかけてきます。
「おーい、何やってんだ置いてくぞー」
「ちょっと瑞季、女の子置いて先行くなんてひどいぞーっ」
先の方で瑞季は立ち止まって待っていて、ひなたが追いつこうと駆け出しました。その様子を見て、なんだか瞳はとても満足すると自分も駆け出してその後を追いました。
誰かの背に自分も追いつけるように。
おしまい
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