ひなたで過ごす


 平成13年12月24日月曜日。長野県は古坂町にある私立樫宮学園では二学期の終業式の当日でしたが、その日はもちろんクリスマスイブの当日でもありました。日本全国あるいは他の国でも、家でお店でパーティが行われるという例は決してめずらしくはなかったでしょう。

「それじゃ、悪いけどお先に」
「オーケー瑞季。後で手伝いに行くからね」

 実家がベーカリーでケーキも販売してるとなれば、世間様並みにクリスマスを祝う余裕などあるはずもありません。星野瑞季が幼いころから12月24日というのはその数日前から家の手伝いをする日であり、大抵は翌々日くらいまでは喧噪のまっただなかでした。可愛らしい男の子が繊細な容貌の少年に成長したところでその風習は変わることなく、そして瑞季と幼なじみの松本ひなたはといえば、いつからかそれに付き合ってベーカリーの手伝いをするのが定番になっていました。確か、最初のきっかけは店番が終わったあとにもらえる残り物のケーキの存在だったはずです。

「えーっ!ケーキもらえるなら瞳も手伝い行く行くー」

 短く髪を切り下ろした幼げな顔を紅潮させて、北城瞳が宣言した理由は当時のひなたと全く同じものでした。世の中には現金収入よりも現品収入のほうが喜ばれるアルバイトというのも稀にはあるのです。もちろん、忙しい最中の人手がありがたいものであることにも間違いはなく、瞳の申し出を断る理由は瑞季にはありませんでした。
 クリスマスイブの日、4月に入学して互いに知り合った一年生たちにとってはもう9ヶ月、一年の四分の三が過ぎ去ってしまいました。時の流れが一億の宝石よりも貴重であるということは人が後々になってから気付くことですが、それに気付かないでいる者は今もっとも幸福な人でもあるのです。


 時がたち、人は確かに変わるとともに、確かに変わらないものもありました。もちろん変わることは善でもなければ悪でもなく、それはただ単に価値が変わるというだけのことでしかありません。かつて神話の時代、時の神クロナーダが粉々になって世界にふりそそぎ、それは世界とそこに住まう者たちに変化し続けることを強制づけました。そして、時の降り注いだ世界で変わらずにいるものたちは、常に変わらぬ価値を持ち続けている星空だけだったのです。

「…それ、どこの神話ですか?」
「イギリスのマイナーなお話です。なんとなく好きで覚えてたんで」

 寮の一室、問いかける亀宮氷雨に答える五島小夜。二人とも、同室のルームメイトは星野ベーカリーでアルバイト中でしたから、中途半端に持て余した時間をお茶を囲んですごしていました。温厚でおっとりした氷雨と控えめで天文と読書が好きな小夜の会話の内容であれば、あまり年頃の女の子らしい話にはならずともしかたのないことではあったでしょう。もっとも、天文や神話の話のほうがあるいは遥かに女の子らしい話と言えるのかもしれませんが。

「あ。もしかして旧世界の神話ですか?」
「え!?よく知ってますね、氷雨さん」

 その日は帰りの遅いひなたと瞳を待って、女子寮でささやかなクリスマスパーティが行われることになっていました。人数を集めてのパーティはまた翌々日、ケーキの値段が下がってから行われる予定になっていましたので、女の子だけの内輪のお祝い。ひなたと瞳は星野家でお礼代わりの夕飯をごちそうになってから帰る予定になっていましたから、その日のパーティの開始は遅くなりますが終業日の当日に夜更かしをしても多少は大目に見てもらえるでしょう。


 ベーカリーの店番と後かたづけも終わり、瑞季の家族に招待されて夕食がわりのささやかなパーティ。例年はひなたが招待されていましたが、今年は一緒に手伝いに来てくれた瞳も同伴させてもらっていました。ベーカリーの息子として、瑞季は毎年徹夜で仕込みを手伝わされていましたが、それでもクリスマスイブの当日にささやかな宴をひらいてもらえるのはせめてもの親心だったのでしょう。聖夜を忙しい中で祝わなければいけなかったことは不思議と少年には気にならなかったのですけれど、それはたぶん大切な幼なじみや友人がいつも一緒にいてくれたおかげだと思います。

「めりーくりすまーす。瑞季クンひなたチャンプレゼントー♪」

 はしゃいで包みを差し出す瞳。彼女が星野ベーカリーのアルバイトに来た理由は余りもののケーキのお相伴にあずかるためももちろんありましたけれど、イブの当日にこれを二人に渡すためでもありました。ペアになった手編みのマフラーと手袋と帽子。

「あさっては二人でこれ着てきてねぇ♪」
「ちょ、ちょっと瞳ぃ…」

 ありがたい友人の贈り物に照れながら頬を染めるひなた。もちろん友人の好意を拒絶するなんてことがひなたにできるはずもないことを承知した上で、瞳は二人に真心といたずら心を込めたプレゼントを贈りました。ひなたが瞳と瑞季に贈ったのは、自分の分を合わせたふかふかのスリッパ三組で、いま三人で履いていたりするのが瞳には嬉しいけれど彼女のたくらみとしては「そうはいかないよ」というのが本音だったでしょう。

「…ありがと、瞳」

 多少複雑そうなお礼のことば。明後日のパーティに二人がきっとお揃いの格好をしてきてくれることが、瞳には楽しみでしかたありませんでした。


 明けて明けて26日。貧乏学生にも買える値段になったケーキを用意して、女子若葉寮の食堂を借りて二日遅れのクリスマスパーティ。時間厳守、もちろん他の部屋への立ち入り厳禁との約束でなんとか男子の入寮を認めてもらっての開催でした。

「ケーキ持ってくるんだから瑞季クンの出迎えは必要だよー。ひなたんお願いね」
「こちらの準備は任せて下さい。ゆっくり戻ってきて構いませんわ」
「あおぴー…氷雨まで」

 友人たちが何を期待しているかは明らかで、なさけない顔になるひなた。不来方青葉や氷雨に送り出されると、ケーキを迎えに行くために寮を出ました。星野家のほうでは値の下がったケーキだし無料でくれるとは言っていましたが、やっぱり自分たちで買って祝いたいという気持ちがあるのも事実です。他にも料理やら飾り付けやらが必要で、残った女の子たちはてきぱきとパーティの準備を始めました。手分けして、当日の用意を行うメンバーとアルバイトで資金を稼ぐメンバーと。
 長身にファミリーレストランの可愛らしい制服を着てアルバイト中のナーサティア・月村。電車で一駅の温泉宿で、仕入れの荷運びをしている桜庭一樹。氷雨や木佐茂は料理の仕込みに忙しくて、青葉やメアリ・コリンズは思い思いに飾り付けの真っ最中。

「メアリー。クリスマスの飾りに竹はいらないよー」
「日本は松と竹で飾るんじゃないんですの?」

 いまだに日本文化に勘違いの入っているメアリでしたが、本来は祭り事が無秩序なのはどこの国でもたいして変わりはありません。オーストラリアの夏場のクリスマスではポ○モンのバルーンが上がっていたりするんですから、日本のクリスマスに松や竹があったところでたいした問題ではないのです。
 夕刻、早めにアルバイトを上がってきたナーサティアや一樹も迎えにいった瞳と一緒に現れ、青葉がどこからか持ってきたシャンパンをテーブルに置いたところで準備は完了しました。

「あれー?ひなたチャンたちまだなの?」
「さっき連絡があったわよ。あと一時間くらいで戻るんで先に始めててって」

 瞳の声に答える小夜。でも瞳ちゃんが先で良かったんじゃない?とつけ加えたのは、もちろん瞳の贈り物を着て帰ってくる二人を期待していたからで、

「寒いからきっと暖かい格好をして帰ってくるわね」
「熱い格好かもよ」

 などと言って瞳と二人、企みのある顔で笑う小夜もおとなしげな印象に似合わず立派にいたずらな女の子でした。アルコールが入っていないはずのシャンパンが抜かれ、小皿やグラスがテーブルを囲むように配られました。

「そうだ北城、オレンジの方が好きだったろ?ジュース交換してやるよ」
「ありがとー桜庭クン」

 一足先に軽く乾杯。一部に知られている話によると、最近瞳と付き合いはじめたらしい一樹はその隣りに座っていましたけれど、テーブルを挟んで正面にいるナーサティアの視線をちくちくと感じていました。彼女が瞳と親しいのはわりと知られていることですし、それを嫉妬心と呼ぶべきかどうかはともかくとして、なんとなく目の前の視線に居心地の悪さを感じているのはですが一樹の方だけでした。少なくとも瞳はいつもどおりですしナーサティアもいつもどおりに瞳に話しかけては微笑んでいました。

「付き合う付き合わないなんてのは所詮言葉の定義だけの話だろ」

 ふと、一樹はそんな声を聞いたような気がしました。それは茂の声のような気もしましたが、丸みのある小柄な少年は何も言わずに黙々とモッツアレラチーズを乗せたトマトをかじっていました。そして気がつくと歓談がはじまっていて、楽しそうにナーサティアと話している瞳を見て一樹の感じていた居心地の悪さと違和感が消えていました。

 ああ、そうか。

 隣りに瞳がいることよりも、視界で自由に動き回り、楽しそうに笑っている彼女を見ているほうが自分は落ちつくんだということ。もしかしたら一樹の瞳への想いはまだまだ恋愛感情云々には遠いのかもしれませんが、そのぶんだけより以上に彼女のことをたいせつに想っているのかもしれません。その想いに間違いがないのなら、言葉の定義なんてそれこそどうでもいいことでした。ただ今度は青葉に話している瞳の様子は、元気であっても多少邪悪だったかもしれませんけれど。

「あおぴー、もーすぐペアルックが見れるよー」
「ふっふっふ。北城の、お主も分かってきたではないか」
「いえいえこれもお代官様のおかげで」

「…そのネタはいい加減やめた方がいいよ」

 思わず割ってはいる小夜。瞳をたしなめはしつつ、冬至の夕刻になって早すぎる日が沈みかけている窓の外を見て、でも今日は星がとてもきれいに見えるんだろうなと思っていました。ふりそそいだ時の神のかけらによって変わり、めぐり続ける窓外の景色。


 むかしベツレヘムの うまやどに
 生まれしイエス様は 奇跡の鐘を 鳴らしたもうた

 なんてね。

 べつに信心深いわけでなくとも、クリスマスを祝うときだけ無節操にキリスト教徒になったとしてもそれは一向に構わないでしょう。思ったより量の多くなったケーキ詰めと、その前の多少の店の手伝いとで遅くなった二人はお揃いのマフラーを首に巻いて寮への道を急いでいました。瑞季は恥ずかしがったかもしれませんし、ひなたは照れくさがったかもしれませんが、友人の好意を受けないようなまねは二人ともするはずがありませんでしたから。

「もお、遅くなっちゃったじゃない。急ぐよ瑞季」
「無茶言うな、ケーキ抱えてそんなに急げるかよ」

 そう言いながら早足になるのは、パーティに遅れている以上になんとなく周囲の目が気になるからだったのでしょうか。雪も降っていないいつもの古坂町、公園通りにある一本のもみの木は商店街の木のようにクリスマスツリーとして飾り付けがされているわけではありませんでしたが、昔からこの町で暮らしてきた子供たちを見おろす木は他のどれよりも親しみのある大木でした。

「そういえば…昔ひながこの木に登って派手に落ちたことがあったなあ」
「ひっどいなあ。いまそんなこと思い出すことないでしょ」
「でもあの時はけっこう心配したんだぜ」

 ひなたに新しくできたのは、自分が帰るもう一つの場所でした。白い息を吐きお土産を手にして、待っているみんなのもとへ。自分の前を歩いている幼なじみの背を優しげに見つめている瑞季。少年はいつも自由に動き回っている幼なじみの背中を見て、その後ろからついていくことを十年以上もつづけてきました。ときどきは追い越してしまうこともありましたけれど、負けず嫌いな幼なじみの少女はかならず少年に追いついて、それを追い越していこうとするのです。それが少年には嬉しくて、たまらなく愛しかったのかもしれません。

「変わってないなあ」
「…そうだね、変わってないね」

 あえて主語をはぶいた呼びかけに、あえて主語をはぶいて答えるひなた。多くのものが変わっていくなかで、大切なものが変わらないということがどれだけ大変でどれだけ大切なことか。それを知るほどに二人はまだ長くは生きていませんでしたが、二人して見上げた星空は幼いころから変わらぬ長野の空でした。

『おかえりなさい』

 出迎えることばに、白い息を吐きながら笑顔を返すと暖かい寮の中に入る二人の背中。寮の天蓋を覆う、すきとおった空気のずっと上に星空。

 昔から変わらない、とてもきれいな星空でした。

おしまい


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