ひなたで過ごす
「まあまあ、集まりましたかね」
格闘技の祭典。卒業と進学の確定した長野県は古坂町にある私立樫宮学園三年生、宗方薫が企画した有志参加による格闘技トーナメントには、学年性別を問わず十二名の参加登録がされました。あくまでもスポーツ的な競技、とするために幾つかの厳しいルールを定め、学校側への認可やら申請やらはもちろんしていませんでしたが卒業前のおちゃめとして何とか切り抜けてしまおうと薫は思っていました。元来騒動屋としては、自分のマッチポンプとしての能力には絶対の自身を持っていましたから。
十二名を三人ずつ四組に分けて、その三人のうち一人をシードとしたトーナメント。その組み合わせはもちろん薫が作為的に作ったもので、観客の臨む対決を実現させるということも主催者としての当然の義務でした。
「…何で北城が出てるんだ!?」
会場に設けられた即席の掲示板に張り出されたそのトーナメントの組み合わせを見て、驚きの声をあげたのは桜庭一樹。野球部甲子園投手として、小さい頃から続けてきた空手を休もうかというその区切りのつもりで参加する試合に、友人以上恋人未満?な幼い容姿の少女の名が入っているとは一樹にもさすがに予想外だったでしょう。もちろん、自分の一回戦の対戦相手にその娘の名前があがっていることも。
『Aブロック 桜庭一樹 vs 北城瞳
勝者 vs 天都美冴
Bブロック 日崎克己 vs 雨宮蒼司朗
勝者 vs 不来方青葉
Cブロック 緋走霞澄 vs 西川竜一郎
勝者 vs 中野等
Dブロック 星野瑞季 vs 木佐茂
勝者 vs 松本ひなた』
一本勝ちありのポイント制ルールなら、確かに軽量級の瞳でも一樹相手にポイント勝ちすることは不可能ではありません。問題は一樹の方がまちがっても瓦数枚を一撃で割れるような重い突きや蹴りを使えないということで、瞳に対して上手くポイント勝ちできるような攻撃を打てる技術があるかということでした。
(天都先輩の言うように寸止めや演舞もやっておくべきだったか)
あくまで実戦派にこだわりがちだった一樹としては、相手を倒すことではなく相手を制することを目的とした技術重視の格闘技の評価を今更ながらに見直さずにはいられなかったでしょう。相手を傷つけずに倒す、ためには実戦空手は実に向いていない格闘技でした。考えごとに没頭していた一樹の背中をぽんとたたいて、陽気な挨拶の声が聞こえてきました。
「あ、桜庭くーん♪一回戦よろしくねー」
「北城、本当に出るつもり…らしいな」
振り返った目の前に、全身をがっちり防具につつんでやる気まんまんの北城瞳が立っていました。一見女の子女の子して見える少女が実はとんでもないおてんばで、しかも走り高跳び県代表になれる程度の運動能力をもっていることを一樹はよく心得ていました。
(これも修練のうちか…他の連中と当たるよりは遥かにマシだろうしな)
止めても無駄なことは一樹自身よくこころえており、あきらめ気味に自分をそう納得させました。相手を倒す技術が武道の『武』であり、相手を制する技術が武道の『道』である。習いはじめた時期に空手の師匠が語っていたありがちな説教のことばを、これから数十分後に一樹は実践しなければいけません。
実戦でなくて実践。
第一試合 桜庭一樹(流派:空手)vs北城瞳(流派:おふざけ)
会場は学園内を堂々と借りた体育館。安全のために体操部と柔道部から借りてきたマットと畳で作った即席のリングはなかなかのもので、これなら多少転ぼうが投げられようが大怪我をする心配はなさそうでした。万全のアフターケアは騒動主である薫のモットーでもありましたから、その他にも審判団やら救護班やら考えつく限りのサポート体制を敷いてはいました。
「さあさそれでは第一試合、桜庭選手と北城選手の対戦だあー」
主催者兼レフェリー兼リングアナの前口上にも気合いが入り、両選手の入場。東から勇ましく空手着と防具に身を包んだ一樹と、西から身体よりあきらかに大きく見える防具で身を固めた瞳。二人の付き合いを知っている場内には不安な空気はそれほどなくて、寝技は禁止だぞーとか野次と声援が飛んでいましたが流石にほとんどが瞳を応援する声援でした。まさか本気で戦うわけにはいかないだろうと思っていても、観客の誰もが桜庭の勝利を疑ってはいないようでしたが、当人同士には油断のゆの字もなかったにちがいありません。
「それではー、始め!」
レフェリー役の薫のかけ声と同時、中間距離から左脚を軸に回転した一樹がいきなりの後ろ回し蹴り!瞳の防具の上に足裏を打ち込み、思いきりはじきとばすようにして派手に転がしました。
「ダウーン!」
ざわめく場内。容赦のないように見える桜庭の蹴りに非難の声があがりますが、倒れたはずの瞳はぴょこんと起きあがるとすぐに構え。まるでダメージのあるようには見えません。蹴りの衝撃を相手の体内に伝えずに、蹴り足に乗せたままで相手を押し出す。派手にふっとんでいるということはそれだけダメージが相手をふっとばす力として使われているということですし、走り高跳びの選手である瞳なら受け身の心配もあるとは思えません。武道の『道』がどうやら成功しそうな事に、一瞬安堵の表情を浮かべる一樹。
「よーし、いくぞ!」
「やったなー」
さわやかに構えなおす両者。続けて始めの声で両者接近、すばしこい瞳は恐怖心も見せずに一樹の懐に飛び込んできます。大柄な分だけ接近戦での不利をまぬがれない相手の横からまわりこむようにして足をひっかけ、転ばそうとします。思わずよろめく一樹、相手が軽量でも転ばされたら武道経験者としては負けたも同然、とばかりに懸命にこらえます。続けて足をはらおうとする瞳の攻撃をよけると、もう一度離れて足裏を突き出すように蹴り、これは正面から当たりますが今度は瞳もこらえます。どうやら勝負は互いの技術を駆使しあっての転ばせ合い、という様相に。
もちろん傍目にはじゃれあっているように見えながらも当人には競技者としての意地がありますから、いたっておおまじめに攻防は続きます。つづけての蹴りをかわす瞳、踏み込んで足ばらいをかわそうとする一樹。ですがなにしろすばしこい瞳を捕まえられずに、たびたび足をかけられてはよろけます。
(…もしかしてかなり苦戦してないか?俺)
まとわりついてくる少女からなんとか離れて、後ろ回し蹴り(後ろ回し押し?)がようやく命中、当たりさえすれば体格差はいかんともしがたく瞳は二度目のダウン。あと一回で負けになる瞳は立ち上がり、しきりなおすとまだまだあきらめていない表情で向かってきます。というより、まだまだ飽きずに楽しんでいる顔のように一樹には見えましたけれど。
「えーい♪」
としがみついてくるかのようなタックル。思わず受けとめたくなった一樹でしたが、勝負は勝負。自分の意思を懸命におさえこんでよけると場内からはブーイング。食らってやれーという無責任な声に心奪われそうになりながらも、精神的に凶悪な瞳の抱きつき、もといタックルをもう一度よけた一樹は三度目の蹴りで三度目のダウンを奪い、なんとか勝利をものにしました。
「ひどーい、桜庭クン」
という瞳の抗議は、足蹴にしてうんぬんでなくて抱きつきを受けてくれなかったことへの不満のようでした。
○桜庭一樹(7分30秒TKO)北城瞳×
第二試合 日崎克己(流派:自由格闘)vs雨宮蒼司朗(流派:古流柔術)
「もしもし生徒会長」
「ん?何だい?」
「お気持ちは分かりますがその握り込んだサンガリアとDr.ペッパーの缶は思いっきり反則です」
「へ?」
開始前、宗方薫審議委員から指摘を受けた日崎克己は両手に握り込んだジュース缶を没収させられました。安全面を考慮し飛び道具、及び大会側で用意されている以外の武器の使用は禁止。生徒会長としてはこういった決まり事には従う模範を見せなければなりませんから、MJ缶の代わりにしぶしぶと着けさせられた右手のグローブには大きくマジックで「サンガリア」、左手のグローブには「Dr.ペッパー」の文字を書き込み、双方の缶ジュースの中身を一息に飲み干すと、炭酸系のげっぷをひとつしてから準備万端、とばかりに開始線に向かいます。
「あいかわらずだなあ、日崎」
「雨宮先輩じゃないですか。なんだか久しぶりに見ますね」
べつだん嫌みでも皮肉でもなんでもなく、学園で見かけるよりも町中でバイトをしている姿を見かけられる方が多い雨宮蒼司朗がこういったイベントに現れていたとは日崎も想像していませんでした。もっともバイト三昧で出席日数不足による留年を繰り返していた雨宮もとうとう卒業となり、最後のお祭り騒ぎに荷担したくなったとしてもそれは不思議ではなかったでしょう。まして彼自身も元は騒動屋であり、数年前の生徒会長経験者とあっては。
新旧生徒会長対決。互いに何かを隠し持っているのか、あるいは何も考えていないだけなのかはその表情から読みとることはできません。学園の舵取りとしての意思を後の世代に伝えんとする厳かな儀式は、
「始め!」
のかけ声とともに雨宮の頬に深々と打ち込まれた「サンガリア」のグローブによって粉々にくだけちりました。更に返しの1・2サンガリアは回避、容赦なく現生徒会長は旧生徒会長の端正な顔面にグローブを打ち込んできます。
「この野郎!」
いつもの落ちついたイメージはどこへ行ったのか、雨宮も日崎に組み付くと柔道の教科書のお手本に乗るようなきれいな背負い投げ、の筈が腰上まで相手を跳ね上げたところで腕をひき、日崎を顔面からマットに落とします。聖闘士☆矢のようにどしゃあとたたきつけられた日崎はそのままの姿で数秒痙攣してから崩れるようにダウン。明らかに両者本気の構えです。
「やだなあ、先輩を気持ちよく送り出そうとしてるんじゃないですか」
にこやかに宣言しながら放たれる日崎のジャブが雨宮の顔面を捕らえます。更に組み付こうとする相手を華麗なステップでかわしてジャブ、更にジャブから1・2サンガリア。顎をはねあげるようなパンチにたまらず雨宮もダウンします。
「頼もしい後輩を持ったもんだ。俺も心置きなく卒業できるな」
こめかみに青筋を浮かべつつ雨宮も日崎に組み付くと左右にバランスを崩し、ふわりと身体を浮かせて見事な合気投げ、ただし落とす時にきっちり相手が受け身を取れないようにするテクニックは素人のものではありません。不自然な角度で落下した現生徒会長はこれで二度目のダウンとなりますが、立ち上がって組み付こうとする相手をかわしてからカウンター気味にサンガリアパンチ、互いのダウン数をイーブンとする事に成功します。
次に倒れた方が負け。組み付いた雨宮が肘を軸にしてひねりあげるように(明らかに実戦目的にしか見えない)投げを狙いますが、さすがに難度の高い投げ技を失敗、隙をついて確実に旧生徒会長の顔面にすいこまれた現生徒会長のグローブに書かれた「サンガリア」の文字が勝敗を決しました。
「…最後にミスをするとは、俺もヤキがまわったかな」
「いえ、あれが決まっていれば負けていたのは俺ですよ。先輩のスピリットは流石です」
という会話をその後両者がかわしたかどうかは、ついにわかりませんでした。
○日崎克己(12分TKO)雨宮蒼司朗×
第三試合 緋走霞澄(流派:砕牙流格闘術)vs西川竜一郎(流派:ケンカ)
喧嘩番長西川竜一郎と女性ながらに学ランが似合う学園きっての武戦派、緋走霞澄。前評判では本命同士のつぶしあい、とまで言われる注目の一戦です。
「ちょっと待てーっ。どっちが勝っても僕の次の相手になるのか?」
組み合わせに不満の叫びをあげたのは、この試合の勝者の対戦相手としてシードされている中野等でした。だいたいシードというのは実力がある選手がなる筈のもんで、たしかに参加登録をしたのは自分だし自分の実力を試したいという気持ちにも嘘偽りはありませんでしたが。興奮する中野をなだめるようにジャッジ姿の薫が言います。
「当然でしょう。トーナメントなんですから強い人と当たる事だって充分にありえます」
「しかしこの組み合わせは作為が見えるぞ」
「当然でしょう。作為的に組み合わせたんですから」
ああもうこの人には何を言っても無駄だ、と思わせる強引さも時に主催者に求められる技量です。それよりもこの試合自体を楽しみにしている観客も多く、先程の第二試合で盛り上がっている場内の雰囲気を白けさせる前に迅速に大会を運営する技量も主催者には求められていました。
「それでは両者仕切り線へ…始めぇ!」
防具などという甘っちょろいものを着ける必要を両者ともに認めないようでしたが、ルールはルールとして説得するのに実は一番苦労した、というのは後に薫自身が語ったところでした。
「必殺…疾手!」
「西川キーック!」
両者必殺技の名を叫びながら、開始早々の派手な飛び蹴りとそれを迎撃する肘当て身が交錯します。本来、大会は大会として手加減するつもりで参加していた霞澄でしたがどうやらこの相手にそういった心配はなさそうで、もちろん西川も全力手加減無しの攻撃。もっとも相手が女子供だろうが容赦をしないのが西川の流儀でしたが、もろに相打ちになった両者の全力攻撃はいきなり双方からダウンを奪います。
「やるな…女にしておくのは惜しい」
「アンタこそ男にしてはいいキックだ」
ゆらりと立ち上がり、構え直す両者。最初の攻防を見て次の対戦者となる中野の口からは魂が抜け出ていましたが、構わずに戦いは続けられます。ヘビー級ボクサー同士の試合のように、強力すぎる両者の試合がすぐに決着を見るであろうことは観客にも想像がつきました。
「西川パァァァンチ!」
続けての西川の攻撃、当て身を狙って踏み込んだ間合いを捕らえられた霞澄は不覚のダウン、続いて読み合いから両者決死の一撃、
「…疾手…!」
「西川…キィィィィィック!」
一見相打ち、霞澄の肘当て身をぎりぎりでガードした西川の蹴り足が命中してどうと倒れる相手。緊迫した戦いは三分に満たない短時間で決着しました。
「勝者、西川竜一郎!」
敗者の実力を認め、手を差し伸べて立たせてから誇り高く突き上げた拳は確かに番長の名に相応しいものだったでしょう。中野以外の誰もが素晴らしい勝負に拍手を惜しみませんでした。
○西川竜一郎(2分30秒TKO)緋走霞澄×
第四試合 星野瑞季(流派:我流格闘)vs木佐茂(流派:狩猟)
「確かに作為的な組み合わせだな」
「俺は相手が弱っちい奴でラッキーだけどな」
「なにぃー!」
「まあまあ、二人ともせいぜいがんばってね」
星野瑞季を挑発するのは因縁の対決となる木佐茂。その勝者がシードされた松本ひなたの対戦相手、というのもいっそあっぱれなほどに露骨な組み合わせのようにも見えます。普段の喧嘩とかわらない印象のある組み合わせ、格闘技素人同士の対戦がどういうものになるかは想像もつきません。トレーニングウェアの上に防具を着けた瑞季はたしかにそれっぽく見えなくもありませんし、むしろ一方で制服に防具姿の茂の方が不気味な雰囲気をもっていました。
「それでは、始め!」
「がんばってねー」
無責任に応援するひなたの声を背に受けて、開始早々小柄な茂から打ち出されるかのように伸びる間合いの長い突きが連続して瑞季に命中、いきなりのダウンを奪います。素手で水中の魚を捕らえるという伝説のサンビスト、アレクサンデル・ヒョードロフのような茂の突きは野山での趣味の狩猟用に鍛え上げたものでした。
「さあ来な、み・ず・き」
「こんの野郎っ」
闘牛を挑発するマタドールのように華麗に瑞季の攻撃をかわし、更に独特の角度で飛んでくる茂の止め打ちがいい音を立てて命中します。もちろん瑞季もやられてばかりではなく、俊速で飛び込むとボディブロー、陸上部らしい瞬発力を活かした一撃でダウンを奪い返します。
その後展開は互角、互いによけあいながら隙を狙って茂の止め打ちが再び瑞季に命中、ダウンを奪いますが瑞季も負けずに接近して足払い、素人な分だけ命中しやすい接近戦で、という作戦が効を奏したかこれがきれいに決まって背中から落ちた茂もダウンを取られ、両者ロストポイントが並びます。更に立ち上がって茂の止め打ちに合わせて瑞季も踏み込んでボディブロー、互いに命中して両者同時にダウン。
「ストップ!両者ダウン、ドロー!」
大会初の引き分け決着。もちろんトーナメントですからどちらかに勝敗を着けねばならず、最初にダウンした方を負けとするルールで一分の休憩後に再試合を行うこととなりました。ライバルらしく実力拮抗の両者、仕切り線前に下がって呼吸を整えます。どちらが勝ち残ってひなたの相手になるか、奇妙な期待感で場内がざわめいていました。
「それでは両者用意、構え…再試合、始め!」
合図と同時に両者撃ち合い、茂の止め打ちとカウンターで合わせた瑞季のボディブローがまたも相打ち!ですが僅かに深く当てられた瑞季がバランスを崩し、尻餅ちをつくようにダウン。茂が勝ち残りとなりました。まことに惜しくもひなたとの対決を逃した瑞季の悔しがりようは相当なものでしたが、それはここでは別の話となります。
−木佐茂(5分30秒ドロー)星野瑞季−
○木佐茂( 30秒TKO)星野瑞季×
第五試合 桜庭一樹(流派:空手)vs天都美冴(流派:実戦空手+云々)
二回戦ともなると本格的にシードされていた格闘技経験者も現れる筈で、桜庭と待望の対決となるのは天都美冴。女性ながら子供の頃から続けている実戦空手だけでなく足技主体の演舞も得意とし、派手なだけにフェイントや誘いも多く、むしろ正統派の一樹にとっては相当やりにくい相手だったでしょう。
「へっへー、ようやくイッちゃんと試合ができるね」
「先輩…手加減はしませんよ」
「したらそっちの負けだよ。こっちは専門だってコト忘れないでね」
野球に専念を決めて空手部を辞めた一樹に対して、美冴は堂々と現役の空手部員でした。演舞が得意なのも女子大会では演舞種目が多いからであって、フルコンタクトでも寸止めでも戦える技の多彩さは彼女の売りになっていました。勝った方がベスト4、準決勝進出となる一戦。
「始め!」
開始の声と同時に踏み込む一樹。もと空手部後輩として相手の実力は心得ており、遠間での戦いでは牽制の変則蹴りを駆使される分だけ自分が不利でした。あくまで正統派を自認する一樹としては正面攻撃ができるだけの距離には間合いを詰める必要があり、あと半歩を前に踏み出さなければなりません。もちろん、大技やフェイント技を使えないわけではありませんが、その専門家の前で隙のある技を使う危険をおかすわけにはいかないでしょう。
「甘いよっ」
振り上げられる右上段蹴り、普通なら隙だらけとなるその攻撃は一樹に軽くかわされましたが、旋風脚気味に放たれる美冴の二発目の左後ろ回し蹴りは見事に命中、いきなりの先制攻撃を成功させます。
高い代償を払ったものの、半歩を踏み込んだ一樹は先程の一回戦で使用した後ろ回し蹴りを今度は打ち込み、接近戦でも構わず打ってくる美冴の連蹴りと相打ちになります。間合いを離さないように距離を詰めながら、僅かに離れた瞬間を狙って更に蹴り合い、ですが距離を問わずに飛んでくる美冴の蹴り足を防ぎきれず遠間の連蹴りはかわしたものの踏み込んだ瞬間を狙われての軸足蹴りで一樹は一回目のダウンを奪われました。
「…相変わらず足癖悪いっスね先輩」
「ありがとー♪褒め言葉と受け取っとくよ」
立ち上がり、起死回生を図った一樹は蹴り間合いの更に内側まで接近しますが、もとより合気道も習っている美冴に組まれると横投げでバランスを崩され、きれいに投げられると二度目のダウン。ですが、投げた筈の美冴もなぜかうずくまるようにして膝をつき、ダウンを宣告されます。
「や…ったなあ、まさかここで来るとは…」
一樹の裏技でもあるワンインチパンチ。零距離からの短打は当ててから発動させなければならないという欠点こそありましたが、防具越しの重すぎる打撃を体内で炸裂させられた美冴は相当なダメージを受けます。鍛えている人間でなければ一撃で戦闘不能になっていたことは間違いなく、先程の瞳相手ではまちがいなく使えないだろう技でした。
再度、立ち上がりますが美冴は足に力が入らず、容易に一樹の懐への飛び込みを許します。追いつめられた相手が続けて必殺の一撃を狙っていることは間違いがなく、それを逃げ切る自信はありませんでした。美冴の目の前でスローモーションのように伸びてくる右拳が防具の表面に触れ、次に一樹が腰を落として衝撃がくる前に、これを迎撃することができるか。
(その前にこっちから…踏み込む!)
ワンインチを受ける覚悟で踏み込み、小外刈りの要領で身体を預けるように倒れ込みます。瞬間、美冴の腹部を強烈極まる打撃が突き抜けましたが、そのまま一樹に覆い被さるようにして相手の背中をマットにたたきつけました。
「ダウン一本…それまで!」
ポイント優勢を利用して狙った攻撃、失敗していれば立ち上がる力が残ってはいなかったであろう事は、美冴自身がいちばんよく知っていました。腹部を抱え込みながらなんとか立ち上がった勝者は、敗者に手を差し出しました。
「最後…ルールで勝たせてもらっちゃった、ゴメンね。イッちゃんやっぱり強いよ」
「自分こそ、勉強になりました。ありがとうございます」
健闘をたたえる両者の様子は、空手部の先輩後輩にふさわしいものでした。
○桜庭一樹(5分TKO)天都美冴×
第六試合 日崎克己(流派:自由格闘)vs不来方青葉(流派:剣道)
続けてこちらも本命、不来方青葉の登場。剣道部の薄き天才は体力的な不安という弱点こそありましたが、MJ使いごときに遅れを取るとはとても思えません。ですが、
「う、せんぱーい。またMJ飲んでるんですかー?」
「ああ。武器として使えないからせめて景気づけにね」
ぐびぐびと数缶をたてつづけにあおる日崎。飲んだ当人にはパワーと闘志がみなぎり、相手には不可解な精神的ダメージを与えるかもしれないMJの力を侮ることは決してできませんでした。もしかして負けたらあのジュースを飲まされるのだろうか、あるいは変な口臭攻撃とかしてこないだろうか。失礼な想像を振り払い、青葉は開始線に立ちます。
「それでは、始め!」
すぱーん。いきなり打ち込んだ小手打ちがきれいに命中、考えてみれば素人相手であるという事実は変わらず、懸命に反撃する日崎のサンガリアグローブもわずかにかすりますが、しっかりと間合いを取って流れるような三段踏み込みからの突き、上手く顔面の防具の正面中央に当て、見事すぎるダウンを奪います。
「な、なにも素人相手に本気に」
「戦場では素人も何も関係ないのですー。かの新撰組副長もそんな事を言ったに違いありませんー」
発言の真偽はともかく、これで優勢に立った青葉ですが日崎ももちろんただやられるために参加している訳ではありません。なんとか近づいて小手打ちをよけつつ、右のサンガリアで青葉をひと突き、ですがきれいなカウンターの胴打ちを受けて二度目のダウン。立ち上がり、こりずに放った右のサンガリアも命中させましたが、小手からの二段打ちをみごとにくらって小さな火花が散った後、気が付くと青葉の手が上げられている姿が視界に入りました。
(ああ、Dr.ペッパーを命中させることができなかったよ、氷雨くん…)
などということを彼が考えたかどうかは、誰にも知られることがありませんでした。
これでは一回戦の引きと同じかも。
○不来方青葉(3分TKO)日崎克己×
第七試合 中野等(流派:実戦剣術)vs西川竜一郎(流派:ケンカ)
(そうだ、自分で参加したからにはうだうだ言ってても仕方ない。僕はやるぞ、僕みたいな奴だってやればできるってことを証明するんだ!)
勇ましく自分自身に決意表明する中野。試合も順調にこなされ、ベスト4への枠も残り二つ。一見したところでは、いじめられっこ代表の中野といじめっこ代表の西川という組み合わせですが、素人上がりとはいえ剣道を始めた中野が以前他流試合であの桜庭一樹を倒した経験があること、剣道三倍段と呼ばれるほどに武器格闘の優位性がうたわれていることは忘れる訳にはいかないでしょう。西川が手加減したり気を抜いたりすれば充分に番狂わせもありましたが、もちろん誰が相手でも全力で戦うというのが西川の流儀でした。
「西川パーンチ!」
中野の足払いと相打ちにこそなったものの、生半可な武器よりもよほど強力な西川のパンチが防具ごしに中野の顔面にめりこみ、試合開始早々にダウンを奪います。世の中そう甘くはありません。
「西川パンチツー!」
更に西川の大振りパンチが命中、踏ん張ってダウンこそしなかったものの、ダウンをしなかったということは相手が更に殴りかかってくるということとイークォルでもあります。あっという間にピンチの中野。
「西川パンチスリー!」
「…何度も食らうか!」
振りの大きい攻撃をよけるのは本来、剣道経験者にとっては必須の技術です。パンチをかわして足払いを決めた中野は距離をとって竹刀の間合いへ。じりじりと隙をうかがう両者の姿に、場内に期待が浮かび上がります。
「…突きィ!」
「西川…キィィィック!」
リーチの長い西川の蹴りと中野の竹刀が相打ち!竹刀よりも攻撃力の高い蹴りは中野からダウンを奪いますが、西川も突きの直撃を食らってダウン。予想を覆す中野の健闘に場内から歓声が上がります。
しかし流石に反撃もここまで。ふらふらになって立ち上がった中野の足払いをかわした西川が情け容赦のない西川パンチ。のび太の顔面にめりこむジャイアンの拳のようにパンチが命中すると、ぷつりと糸の切れたように意識を失った中野は倒れ伏しました。
勝ち名乗りを受けた後、勇敢に戦った敗者を担いで保健室に放りこんだ西川。それは彼らしい不器用な優しさであり、素人以上の中野の実力が認められたことでもありましたが、しかし彼が今大会唯一の病院直行になってもおかしくないだけのダメージを被ったという事実もつけ加えておきましょう。
○西川竜一郎(4分30秒TKO)中野等×
第八試合 木佐茂(流派:狩猟)vs松本ひなた(流派:自由格闘)
松本ひなた対木佐茂。
考えてみれば実にめずらしい対決で、いつもはひなた対瑞季か、瑞季対茂でしたからこの二人の対決というのは意外に新鮮に思えてきます。愛用の金属バット型のスティックを構えたひなたとそれに対峙する茂を見て、多少、かやの外のような気分の瑞季は今回ひなたの応援にまわることに決めたようでした。
「ひなー、茂が相手なら思いっきり殴っていいぞー」
「…あんな事言われなくても思いきり殴るつもりだろ」
「もちろん♪」
にっ、と笑うひなたの笑顔はたしかに名前にふさわしく、陽光のあたるひなたの印象をもたせるものでした。それを見ているのが好きな茂でしたが、たまにはそれに対峙してみるのも悪くはなかったかもしれません。ですがそれは危険きわまる金属バットの射程圏内でもあるのです。
「それでは、始めぇ!」
かけ声とともに振り回されるバットの軌跡。ですがそれをかわすのは瑞季ほどではありませんが、茂も充分に慣れたものでした。このへんはいつものパターンが見える分だけ、茂にはやりやすいところだったでしょう。そしていつものパターンでないところがあるとすれば、この日は反撃が許されるというところ。踏み込んで狙った茂の捻り打ちが命中しますが、合わせるようにひなたの上履きも顔面に命中します。
「へっへーん。こっちもいつものパターンだと思ったら大まちがいだよ」
「お前な…スカートの中見えるぞ」
「失礼ね。スパッツくらいちゃんと履いてるわよ」
ほんの少し赤くなったひなたはいつもの制服姿に防具着用、どうやら武器を振り回すにはこの格好の方が慣れている、というのがその理由だそうです。いずれにしても試合は続行、ひなたのバットがわずかにかすり、茂が得意の止め打ちを命中。瑞季戦でもそうでしたが展開は全くの互角。
続けての攻撃は互いによけあいましたが、ようやくひなたがバットの連続攻撃を命中。しかし茂の変則突きがうまくひなたの脇腹に当たり、逆にダウンを奪いました。
「悪ぃ、大丈夫かひなた?」
「…大丈夫よ。さあつづきつづき」
一瞬の沈黙がひなたの心中を雄弁に物語っていました。多少痛かったことよりも先にダウンを奪われたことにものすごく怒っているに違いない、こいつはそういう奴だ。茂の読みは瑞季と並ぶ長年のつきあいならではで、そしてそれをいなす能力もその長年のつきあいから得られたものです。起きあがったひなたの蹴り足を受けたものの、二発目の蹴りと相打ち気味に捻り打ち。上手くバランスを崩してきれいに相手をひっくりかえします。
「ダウン!」
ひなたまさかの二度目のダウン。疲れの具合は両者同等に見えますが、一方の茂はまだ一度もポイントを奪われていません。だからといって茂も余裕がある訳ではむろんなくて、
(さあ来るぞ、こっからだ)
と思った矢先にひなたの振り回したバットのフェイントにもろにひっかかり、棒立ちになったところを狙われて上履き蹴り。いきなりダウンを奪い返されます。一見熱くなりやすく、扱いやすいように思わせておいてひとたび集中力のスイッチが入ると、この幼なじみはとんでもない能力を発揮するのです。
何故だか瑞季を恨めしく思った茂は構え直し、松本ひなた100%に立ち向かいますが神速とも思えるフェイントからのバットの直撃を受けて二度目のダウン。あっという間にポイントで並ばれてしまいました。
このままでは次で確実にやられる。立ち上がった茂は踏み込んで、捨て身の止め打ち。これがひなたのバットと見事に相打ちになって、両者ともにダウン。
(くそっ、また相打ちか…)
相打ち両者スリーダウンで引き分けと思った矢先、勢いあまったひなたのバットが倒れた茂の後頭部にすぱーんと命中します。
「痛てっ」
自分も倒れながらの連続攻撃が倒れている相手に命中するというのも相当な離れ業ですが、これ自体はルールに明記されている「ダウンした相手への攻撃を禁ず」との安全項目に見事に違反。なんと反則負けが宣告されてしまいました。双方悔しい結果ながら、茂が準々決勝進出を果たします。
「うそー、そんなのってありー!?」
負けず嫌いがその負けず嫌いの故に敗北、という珍しい事例です。
○木佐茂(6分30秒反則)松本ひなた×
第九試合 天都美冴(流派:実戦空手+云々)vs不来方青葉(流派:剣道)
いよいよ準決勝。気合い充分の美冴と体力的に不安があるかもしれない青葉との、実力者同士の対戦。先日の桜庭一樹対中野等を思わせる、空手対剣道の異種格闘技戦。勝った方が決勝進出となるだけあって、応援にも熱がこもります。
「始めっ!」
礼儀正しく両者一礼から構え、武道家らしい始まりですが、いざ試合ともなれば激しさは増すばかりとなります。いきなり美冴得意の連続蹴りと、青葉の連続小手打ちが交錯、双方かするていどで防いでしまう実力はさすが本命同士の一戦となりました。続けて双方の連続攻撃もそれぞれ回避、実力伯仲の状態から更に打ち合い、青葉の胴打ちがやはりかすりますがここまでは完全に互角。
「っしゃ!」
踏み込んで打ってくる青葉の突きに合わせて、避けながら飛び込んだ美冴が顎下から突き上げるような掌打ちできれいにダウンを奪います。
最初の打ち合いで明らかに体力を消耗したらしい青葉は辛うじておきあがりますが、はっきりと失速している様子が目に見えます。続けての突きにもカウンターを合わせられてしまい、あっさりと二度続けてダウン。
(うー、身体が重いー…)
強い相手、に対しての体力的精神的な消耗というのは相当なもので、自分のスタミナ不足を呪いながらも構え直す青葉。つい先程の試合に出ていた、ひなたあたりが持っている無尽蔵の体力が欲しいというのは深刻なないものねだりだったかもしれません。ただ、無意味な悩みに無駄な労力を費やすような後ろ向きさは、剣道部に復帰した時点で青葉は捨て去っている筈でしたから、
「やるだけのことはやりますー」
「遠慮はしないからね。どっからでも来いっ」
遠間で構えなおし、呼吸を止めて数秒。正確極まるカウンターを狙ってくる相手に対してもっとも有効な戦法は二つ、カウンターを狙う暇を与えない連続攻撃か、カウンターを狙う隙を与えない予備動作のない攻撃か。
(…必殺ぅ、技名なし)
自分の喉元に青葉の剣先が突き込まれた、ということに美冴が気づいたのはダウンした次の瞬間でした。青葉の型は読めない所が一番恐ろしい、と評される一撃はごく普通の三段踏み込みからの突きの筈でしたが、美冴には時間が吹き飛ばされたかのような錯覚をすら与えていました。
(な、に?今の…)
と言おうとした美冴の喉からは声が出ず、その事実があらためて青葉の突きの強力さを物語っています。何度かせきをして、呼吸を整えてから立ち上がった美冴はですが自分以上に目の前の青葉が肩で息をしている様子を見てとりました。
既に打ち合うだけの力が残っていない青葉に美冴がきれいな上段前蹴りを打ち込み、試合に決着をつけたのはそれからすぐのことでした。ただ、倒れた敗者に駆け寄ってくる友人たちの姿を見ながら、自分の打ち込んだ前蹴りに合わせて青葉がほとんど動かない身体で踏み込みをしていた事に美冴が気づくことはありませんでした。
その動きでさえもまた、読まれることは決してなかったから。
○天都美冴(4分30秒TKO)不来方青葉×
第十試合 西川竜一郎(流派:ケンカ)vs木佐茂(流派:狩猟)
保健室に直行した青葉が目を覚ました、という連絡が入るまでしばし中断。奇しくも剣道部員二人が保健室送りになったわけですが、一方の加害者である西川の準決勝の相手は樫宮学園のヒョードロフ先生こと木佐茂。ある意味非常に異種格闘技戦と言えるかもしれない組み合わせです。
「両者開始線へ…それでは、始め!」
というかけ声の次の瞬間、
「西川パーンチ!」
どすっ、と響く鈍い音。漢の先制攻撃が拳の形をとって茂の腹部にめりこみましたが、一拍置いて膝をついたのは西川の方でした。
「ダウン!」
おお、という声。西川の突きに合わせた止め打ちが見事に鳩尾を捕らえ、先制のダウンを奪った茂。いくら根性があっても身体の芯に受けたダメージというのはすぐに消えるわけではなく、足どりの鈍った西川を追撃するかのように茂が捻り打ちを打ち込みます。
野生の獣とマタギの戦いを思わせる展開、すぐに復活した獣は猟師の攻撃をかわし、鋭い牙で深々と噛みつくべく二度目の西川パンチを狙います。しかしこれをかわした茂はまたも正確な止め打ち、西川から二度目のダウンを奪うことに成功。
「や、やるな一年!」
そして今までの西川が野生の獣であるとすれば、今の西川は手負いの獣と言えたでしょう。まさしく格闘技の技術も戦いの作法も無視し、西川キックの飛び蹴りで近づいてからポイント差もまるで気にしない全力の西川パンチ。漢らしい正面攻撃で茂からこの試合初のダウンを奪い返します。
立ち上がる茂に西川はまさしく獣のような動き、何故そんな体力が続くのかと誰もが目を疑うように走り回っては大降りの蹴りやパンチで連続攻撃、茂もその全てをかわしつつ反撃の一撃を狙います。襲い掛かる獣をさばき続ける展開が5分近くも続きましたが、
「捕まえた…っ!」
野獣の裏側に回り込んだ茂が首筋に狙いすました一撃、これでダウンを奪ってまさかの決勝進出を決めました。
「す、凄いね茂」
「何者なんだあいつは…」
という幼なじみたちの声は意外な伏兵の勝利にざわめく観客たちの声にかき消されていました。
○木佐茂(7分TKO)西川竜一郎×
メインイベント 天都美冴(流派:実戦空手+云々)vs木佐茂(流派:狩猟)
選手休憩のためのインターバルとして特別試合、荒木・サンダー=カレリンとゲーリー・オブラ伊藤の試合があった後で決勝戦は本命の一角であった天都美冴と出場すら意外だった木佐茂。美冴は重戦車桜庭を撃破、茂は喧嘩番長西川を倒しての堂々の決勝進出とあって場内にも期待と興奮があふれかえっています。休んでいた保健室組も復活し、敗者と観客と主催者とに囲まれて、両者ともに開始線の前、準備は万全でした。
「東ぃ、167cm49kg、流派実戦空手、あまみやーみさえーっ」
二年生の応援を中心に、自身ありげにポーズをとる美冴。
「西ぃ、160cm59kg、流派狩猟、きーさーしげーるーっ」
こちらは一年生の応援中心、ロシアのコマンドサンビストのようなオーラを感じさせる風格はこれまでの試合内容で得られたものに違いありません。大会の締めらしく、薫の声も浪々と響きわたります。
「決勝戦、両者構え。それでは…始めぇ!」
試合開始。いきなり踏み込んでの両者の攻撃は美冴の連蹴りと茂の止め打ちが交錯、相打ちとなりますが直撃に腰から崩れたのは美冴の方。
「ダウン!」
更に立ち上がり、正面から組み付いた美冴が合気道よりも柔道に近い派手な大外刈りで茂を一回転させますが、これでダウンと取られた茂もすぐに反撃、組み合いを狙った美冴に捻り打ちを打ち込んで二度目のダウン。
「このっ…」
余裕のなくなった美冴はタックルのように組み付いて捨て身の双手刈り、これでポイントを奪って両者五分。起きあがって茂の止め打ちに重ねるように、鎌のように振り下ろされる美冴の踵蹴りが相打ち、両者ダウン。
「ストップ!両者ダウン、ドロー!」
またも相打ちによる両者引き分け、激しい攻防によりわずか2分での決着に場内大歓声。誰もが予想しなかったであろう試合は一分間のインターバルの後、先にダウンを奪った方が勝ちになるというルールで再開される事となりました。
「しげるーどうせ最後の試合なんだからがんばれー」
「テントちゃーん、勝てる勝てるー」
という無責任ですがあたたかみのある声援がどれだけ届いていたか、一分間という時間の短さを両者体感したところで再び開始線、再試合始めのかけ声。ですが実質今日三回目となる引き分け試合を考えれば、茂の疲労なりダメージなりも相当なものだったでしょう。或いは、短時間で決着をつけられなかった時点で勝敗はもう決まっていたのかもしれません。
「悪いけど…決めるよっ!」
右のフェイント蹴り、戻して右の裏蹴りを当てて茂のバランスを崩し、左腕一本に組み付いて逆袖吊り込み投げ。再試合はあっけないほどに美冴の勝利で決着がつきました。
「それまでぇ!」
決着の声とともに場内にあふれた歓声は、勝者と敗者のどちらに送られたものかは分かりませんでした。
−天都美冴(2分ドロー)木佐茂−
○天都美冴(1分TKO)木佐茂×
◇
戦いすんで。大活躍に祝福を受けながら、幼なじみたちと寄り道をする為に帰り支度をしている茂や、身体が弱いから疲れたというふりをして男の子に手を貸させようとしている青葉、頼もしいかもしれない後輩を思い校門前で夕焼けを仰ぎポーズを決めている番長に、それを相手に健闘した剣道初心者。
一部の有志がてきぱきと会場の後かたづけを行っているのを見ながら、優勝者である美冴はどこかしら不満げな様子でたたずんでいました。
「どうしました?先輩」
「ああ、イッちゃん」
美冴の様子を見とがめた一樹が、多少遠慮がちにしながらも不思議そうに声をかけます。曖昧な笑みを浮かべながら優勝者は複雑な心中を語りました。
「いや、悔しいなと思ってさ」
「優勝したのにですか?」
「…優勝したのがいちばん悔しい。だって、みんな頑張ってるじゃない」
野球に専念するために空手部をやめた一樹、身体が弱いながら前向きに戦った青葉。そしてあきらかに素人にもかかわらず、あぶなっかしい試合を勝ち進んで最後には破れてしまった茂…。
「なんかボク、空手やってるってだけの理由で優勝したような気がしてさ」
「いいんじゃないスか?」
「え?」
きょとんとする美冴。何を今更、という口調と表情で一樹が言いました。
「目標がないとやる気も起きないスから。今日だって先輩や自分や西川先輩みたいな人が出るから参加したって人が多いんスよ」
そう言われた美冴自身が、桜庭一樹と試合をするためにわざわざこのお祭りのような大会に参加していました。弱い相手を倒すために戦う必要なんてものはなく、強い相手と戦うために、そして自分に本気で挑んでくる相手を堂々と迎えうつために競技は存在する筈です。
「あ、じゃあ自分は北城とか木佐達と帰りますんで、これで」
不器用そうに言って離れる一樹もまた、二回戦で自分と当たる前にその北城瞳と試合をしていました。傍目からみると遊んでいるようにしか見えなかったあの試合も、当人同士にとっては立派に本気の『競技』ではなかったか?
競技。競い合うこと。
「イッちゃーん」
「ん?なんスか」
なにか適当な感謝のことばを伝えようと頭の中の辞書をひっくりかえしてみた美冴ですが、彼女の語彙にはどうも気の利いた単語は入っていないようでした。
「うーんとね…負けないからねっ」
「…ははは。それじゃ、失礼します」
苦笑しつつ挨拶を返す一樹。美冴のことばはあきらかに会話のつながりとしてはおかしいもので、そのおかしさが彼女の心情をはっきりと伝えていたという事と、そしてここにも負けず嫌いの種が存在していた事。その二つがあるかぎり、誰もが競い合いながら成長していくのでしょう。
(やべぇ、早く行かないと北城たち帰っちゃうぞ)
そう思った一樹は駆け足になると、校門の方へと走っていきました。
おしまい
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