未来はいつも僕らがヒーロー 第2話


 長野県は古坂町にある私立樫宮学園高等学校。時は高地の遅い桜の季節を過ぎて、新しい世界へのとまどいがまだ消えてはいない新入生たちが自分の居場所を作ろうとやっきになっているに違いない、そんな時節の頃でした。
 校舎の屋上、まだ少しく冷ややかさの残る乾いた風に、頭上に一本縛った髪の毛を揺らしているのは田中恵太という少年でした。二時限目が終わった短い休み時間の折り、呑気にそのような場所にいられる道理は本来ない筈でしたが、空を見ることが好きな少年はこの新しい世界でも、時間をもうけてここを訪れてはただ空を見上げるためにそこを訪れているのです。空を見ることと、空の向こうにあるに違いないものを見ることとが少年は大好きでしたから。

「何してんの…って聞くまでもないわね」

 背後からかけられた声に振り向いた少年の目の前には、小柄な恵太と同じくらいの背格好をした色白の少女が立っていました。ウェーブのかかった長髪を風に揺らしながら、水木遥はいつものことねといった表情で少年に視線を向けています。この小さな古坂の町で、ひとつしかない中学校に通っていた彼等が知り合いであるということには何の不思議もありませんでした。

「UFOの一つも見つかった?」
「飛行機や人工衛星ならたくさん見るけどね。凧は最近少ないかなあ」

 この年になって、恵太が半ば本気でUFO、異文明の産物たる空飛ぶ円盤を探していることを遥は知っています。それが一般にはどれほど莫迦げたこととして捕らえられているかということも、或いはどれほど無理無体なこととして捕らえられているかということも、無論彼女は承知していました。彼女だけでなく、たぶん恵太自身も。

「空はこんなに広いのに、そのくらいしか見つからないのも淋しい話だよね」
「宇宙からの電波だとか無限のエネルギーとかいうのは見えないの?」

 意図してか否か、ちょっと皮肉っぽい問いかけ。その思いが本気であるならば遥にとやかく言う理由は本来ありませんでしたが、その問いかけに恵太が少しく居心地の悪さを感じたのだとすれば、世間の一般論とやらが少年の思いに乾いた冷ややかな視線を送っているということを、少年も少女もお互いが承知していたからだったでしょう。

「…見えなきゃないのと同じだよ」

 恵太のその言葉に少し不満そうに眉を上げると、そろそろ休み時間が終わるわよ、とだけ言って遥は踵を返しました。少女の後ろ姿を見て恵太は、彼女がどうしてこんな時間に屋上に上がってきたのかを聞きそびれたことに気づきます。ただ、後を追うほど急ぐ必要もなくひとつ伸びをして大きな息を吐き出すと、一本縛りの髪の毛を揺らして校舎に戻っていきました。
 まだ少しく冷ややかさの残る、乾いた風を浴びながら。

 5月の球技大会を前にして体育の時間。1年3組と4組のうち、バスケットボールとバレーボールを選んだ生徒たちは合同で体育館に集まっていました。体操服に1−4と書かれたゼッケンを縫いつけている恵太は頭上にバスケットゴールのリングを見上げて、重くて固いボールを追い掛け回しています。元来運動神経に優れるとは言いがたいながら恵太はスポーツそのものは好きでしたし、頭上高くにあるゴールを目指すというのも地面を離れた領域が好きな少年らしくはあったでしょう。

「ほらほら、ぼーっとしてんなよ」

 龍波炎火、長い前髪と長身に引き締まった容姿が印象的な彼女は、女性らしからぬその名に相応しいしなやかで激しい力強さを持っている少女でした。実際彼女は中学時代、地元栃木ではさんざんアウトローな方向に暴れ回っていたらしいのですが、スポーツ特待生として郷里から遠く離れた樫宮の門を潜ってからは水泳部とこの体育の時間こそが日々の楽しみだったでしょう。
 球技大会自体は新入生同士の親交を深めるためのお祭りであり、体育館の二種目にソフトボールを加えた競技数も生徒数に比して多く、そのためチームも男女混成となっています。もっとも、元気なばかりが取り得で実力は不分明な恵太に比べれば、むしろチームの役に立っているのは炎火のようでしたが。
 練習も兼ねてのミニゲーム。少年少女がボールに群がり、時折恵太が転がるボールを捕まえると炎火にパス。誰も止められない勢いで突撃してシュート、運良く入れば得点になるような、その程度のレベルでも混成チームであれば上出来かもしれません。何しろ彼等はその年代に相応しく、元気だけは充分にありあまっているようでしたから。

 ただ、元気だけはありあまっているはずの恵太が炎火に怒られるほどぼーっとしていたとすれば、それはむしろ隣りのコートの方に原因があったのかもしれません。
 ぴんとネットが張り渡されたバレーボールのコート、やはり練習を兼ねての3組と4組対抗のミニゲーム。その中で彼女らしく、淡々としながらも怪気炎をあげている遥の姿を見て、恵太が先ほどの屋上での会話を思い出していたことは確かです。ですが、それ以上に他の皆の興味をひいていたのは、競技上大いにハンディキャップになりそうな両チームの身長差でした。

「よっし悠美ちゃん行くぜえっ」
「は、はぃぃぃぃ」

 恵太と同じ4組所属、葛西克巳と三剣悠美は少年の以前からの知り合いでもある同級生であり、誰もが見てすぐに印象に残るのは、190cmに届こうとするその身長だったでしょう。
 ただ身長だけで頭の中身は小学生並み、と一部女子には酷評されている克巳と違い、年頃の少女である悠美の方は自分の長身を気にしない訳にはいかないようで、おそらく大きいからという理由だけで選ばれたのであろうバレーボールのコートの中で、気弱そうに背をかがめています。それでもネットに楽に手が届く、その壁を前にして女子中心、然程身長の高い生徒がそろわなかった3組は傍目にどうしても不利に見えてしまいます。

「無理よー、こんなの勝てる訳ないじゃない」
「あきらめるんならやめたら?」
「遥さん、またそういうこと言うー」

 泣き言を冷たくあしらわれて抗議するのは鰈伽レイ。体力と運動神経は平均以下、箸より重いものは持てないし階段より高い段差は越えられないというレイにしてみれば、球技大会という行事そのものが小さな憎悪の対象ですらあったでしょうに、その上目の前には高く聳える二枚の壁があるのです。彼女が世の不条理を嘆くのはもっともかもしれませんが、遥に言わせれば世の中なんて不条理なもののようでした。
 そんな世の無情にもチームメイトの無情にも構うものかとばかりに無情な試合のホイッスル、そして案の定というべきか克巳のサービスに早々振り回されているレイを尻目に、遥は懸命にこれを拾うとかろうじてボールを相手に返します。これを悠美が拾うと克巳がアタック、遥はこれもブロックして一人奮闘しますが、あたしもとトスを返そうとしたレイのボールはやはり無情にもふわりとした軌跡を描いて相手コートへ。もちろん、容赦をする理由もない克巳が思い切りスパイクをして一点を先取しました。

「ごめん遥ちゃあん…あたしやっぱ駄目だよお」
「無駄口叩いてないで構える」

 とりつくしまもなく、続く悠美のサービスを返すと遥は自らアタックして同点に。その勢いで点を取られてもあきらめず、序盤戦4対4と点差を離されずに食らいついていきます。
 こうなるとレイとしても申し訳なさに気合を入れざるを得ないようで、身長差のある克巳のスパイクを頑なに拾う遥のボールを受けて、その隙をつくかのように不恰好なアタックを返すとこれがかえってフェイントになったのか、拾いそこねたボールがコートに弾みます。これで試合は5対4。3組が始めてリードに成功しました。

「やったあー!ぎゃくてーん」

 と喜ぶレイでしたが、流石に相手も甘くはなくすぐに反撃に移ります。ことに悠美のスパイクはたいていは外れてうまく当たらないのですが、ひとたびきれいに入るとその威力は高さと力強さとが相まってとてもまともに受けれたものではありません。レイも遥も懸命に、コートの中を飛び回りますが少しずつ点差は開いて行き、悠美の強烈なスパイクで遂に10対14のマッチポイントを迎えてしまいます。
 明らかに不利な状況。それでも戦意を失っていない遥の様子を見て、らしいなあ、と恵太が思ったのは中学生時代からの知り合い故でありましたが、それだけにこっそりとどちらも頑張れという気分になっていました。

「負けたら負け。勝つわよ」

 という分かるような分からないような叱咤の声が、少年の耳にも聞こえてきます。

 ここで終わらせてなるものか。悠美のサービスをしっかりと拾い、レイのアタックはそのジャンプがネットにすら届きませんが、それでも悠美のブロックを辛うじて避けて逆サイドへ、性格柄か時おり集中力の欠ける克巳のスパイクをチャンスと見るや遥が反撃の2アタック。追い込まれてからの一点をものにします。これで試合は11対14。

「あたー、こいつはやばいな」

 相手の勢いに克巳もまずいと思ったか、気合いを入れ直すと試合再開、悠美のトスを受けて大きく飛び上がりながら振りかぶりました。

「葛西克巳必殺っ!
 ブレーキの壊れたダンプカー落としーっ!」

 莫迦な技名のせいか、それ以上に気合いの乗った豪快に決まったスパイクが遂に遥とレイの手を抜けてコートに突き刺さります。克巳にした所で相手が頑張っているから負けてやる理由なんてどこを探してもありませんでしたし、負けて悔しいからこそ勝って嬉しくもなるのですから。
 球技大会の本番前、練習を兼ねてのミニゲームは11対15で4組の勝利。その表情は多様でも本気で喜んでいる克巳や悠美の顔と、本気で悔しがっている遥やレイの顔を見て、恵太はなにかとても満足なのを感じていました。

「いーかげんにしろ!」

 と怒る炎火にこづかれながら。

 見えなきゃないのと同じだよ、それは科学を志す者にとっては当然の考え方かもしれませんが、空の向こうを想う心にとっては夢も希望もない言い方だったかもしれません。
 長野県は古坂町にある私立樫宮学園高等学校、その日の帰り道となる学校前の長い下りの坂道。寮までの道をとぼとぼと歩いている遥の後ろ姿に駆け寄って声をかけた恵太は少女をつかまえると、何か用?という愛想のない言葉に息を弾ませながらにこやかな笑みを返しました。

「信じなきゃないのと同じだね」
「…言い直しに来たのね?」

 少女の質問に対する返答は、夕日に映える少年の満面の笑みでした。
 呆れたような見直したような、微妙な表情になる遥。傾いた夕日が少年と少女に長い影を投げかけていました。

おしまい


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