「でねでねトモちゃんったらずるいのよずるいのよ」
「あーもう梓、食べるのと話すのを一緒にすんなっ」
駅前の甘味処。ボブカットにヘアバンドを留めた梓はあんみつの味を堪能する暇も惜しいとばかりに話を続けていました。ことの起こりは転入生、長野県は古坂町にある私立樫宮学園高等学校に二学期からの転入が決まっている島田朋子という女の子のお話で、夏休みの今の時期、偶然?知り合った梓の紹介で編入前に陸上部に顔を出した朋子は誰もがおどろく程度の実力をもっていたのです。
「いちおう中学の地区代表だったし」
ややくせっ毛のはねた頭を傾けながら、ぶっきらぼうな口調でそう言う朋子は距離種目競技問わず万能型の将来有望株で、陸上部のかっこいい先輩にあこがれて入部しただけの運動音痴な梓とはそのスタートラインに雲泥の差がありました。ただ朋子が編入前に陸上部に入った動機もその陸上部のかっこいい先輩、が原因ではあったのですけれど。
「でも樫宮は上級生のレベル高いよね」
「小林先輩とか帆掛先輩とかも格好良いもんね」
「結局見てるのはそういうとこなわけ?」
「うん」
朋子と梓の会話。空気調和設備の整った甘味処の畳の上で、お茶を囲んでいる三人。格好良い先輩、を中心とした軽い話題はすぐに誰だかが持参した占いの本の恋愛コーナーの話題に移り変わってしまいましたけれど、陸上部でない彩夏がちょっとだけ蚊帳の外のような気分を感じていたということに、他の二人は気付くことができませんでした。
ほんのちょっとだけ蚊帳の外。
平成14年8月10日土曜日の夜、長野県は古坂町にある猪野神社では夏祭りが行われていました。規模の大小は問わず神社での夏祭りというのは定番でしたから、屋台に盆踊り、そして時には花火が夕涼みの空を音と光で彩り来場者を楽しませてくれています。
「よー、仁科に長峰じゃないか」
「あら。しゃお君も来てたの?」
手を振る梓たちと同年の、中国からの留学生である李小龍は進学校でもある樫宮学園で国語が大の苦手であったりはしましたけれど、女の子と話すために身につけた、と言われる日本語での会話はやたらと流暢でした。友人たちには入学早々から知れわたったという軽薄さで有名になっている一方で、それなりには正義感もあるらしくまじめなところだってきっとあるかもしれないに違いありません。
数日前、新人の女の子が来るということで陸上部の練習にきちんと顔を出す程度にはまじめな小龍はもちろん朋子ともそこで会ってはいたのですが、会っていたということと印象に残ったということは別のことなのです。まして一方の視線がずっと別の方角を向いていたとあっては。
「島田さんだったよね、こんちは」
「えーと…星野先輩の後ろにいた人でしたっけ?」
「あ、ああ…りーしゃおろん、です」
あまりといえばあまりの返答に、肩を落としながら自己紹介をする小龍。願望の装飾が凝らされた『星野先輩』に比べると、軽薄と聞いている同級生というのはどうしたって女の子の目にはお子様として映ってしまうものだったでしょう。その分だけ警戒されずにお近づきになれる、というのは小龍自身の不純な負け惜しみではありましたけれど、それはあながち間違いという訳でもありません。やっぱりファンとか親衛隊とかいうものは、遠くのなんとかと近くのなんとかはきちんと区別する類のものだったでしょうから。
ただ進学校であると同時にスポーツも盛んで県大会レベルの選手が多くいるということは、私立樫宮学園高等学校の女生徒たちにとっては身近なアイドル予備軍があちこちにいるということでもあるのです。軽薄、で通っている少年に将来の幸があるかどうかはいささか不安でなくもありませんでした。
「お。仁科さん浴衣が似合ってるじゃないか」
ですが話題を変えるようにそう言ったのは小龍ではなく、その後ろから焼きイカをほおばりながら現れた横江尚昌でした。気のきいたような、でなければ軽薄なようにも聞こえるその発言は当人にとってはどうやら自然に出ただけのものであるらしく、中肉中背の身体に浴衣を着て袖をまくりあげた格好で、下駄履きも様になった尚昌の性格はその風体に違わず古風なものだったようです。
「やっぱり日本人なら浴衣だな」
「俺は中国人だぞ」
尚昌の感慨に茶々を入れる小龍。実際その中で浴衣を着ていたのは尚昌と梓だけで、周りを見ても和服を着ている女性の姿は数少なく、和服を着ている男性の姿となると更に数少なくはありました。それでも女の子の心理として、二人のやりとりを聞いていた彩夏や朋子にしてみれば自分も梓のように浴衣を着てくれば良かった、と思っていたかもしれません。なにしろそれが似合うとほめてくれる人がいるというのは女の子冥利に尽きるでしょうから。
もちろん誰にほめてほしいのかはまた別の問題として。
神社の境内で夏祭り。格別大きいというわけではないけど充分ににぎやかな喧騒の中、片手に握っていた焼きイカを焼きそばの皿に持ち変えていた尚昌を先頭に、彩夏たちは屋台や出し物の間を流されるかのように歩き回っていました。左右に屋台の並ぶ通りのいちばん奥には、その日はほとんど使われないであろう賽銭箱をどんと構えた社が建っていて、神社であるからにはその脇にはおみくじなんかも据えられてはいるのです。
「うー、あたしだけ恋愛運末吉ぃ?」
「また中途半端に悪い内容ね」
ついでのように引いてみたおみくじの結果は彩夏にとってはどうにも煮え切らないものでした。運と偶然の中立神ロガーンが目をつむってばらまいた結果に一喜一憂するというのも莫迦らしい気はするのですが、一緒におみくじを引いた友人たちの恋愛運が一様に恵まれていたとあっては、女の子としてはたとえ莫迦らしいことでも気にかけずにはいられないものだったでしょう。
考えてみれば目の前にいる梓や朋子は陸上部に入ったというだけで彩夏にはない付き合いを手に入れているわけで、彩夏にしてみればスタートラインで既に差をつけられているも同然でした。しかも二人とも格好良い先輩がいるから、という不埒な目的のおかげでそのスタートラインに恵まれているのだとあっては、まじめに部活動をしたくてバスケットボール部に入った筈の彩夏がおもしろくなくてもそれは当然とまでは言わなくてもごく自然なことだと言ってもいいくらいだったでしょう。
「あーちゃんどうしたの、具合悪いの?」
「…だからあーちゃんって言わないでよ」
「う、うん…わかった」
「あ、その…」
なにやら不機嫌な様子でいたのを心配して顔を覗き込んできた梓に、つい乱暴な口調で返答をしてしまった彩夏。さいわい元来があっけらかんとしているらしい梓はたいして気にも留めなかったようですが、だからいいやというのは少なくとも彩夏にとっては友人への態度ではありませんでした。
誰の責任でもない、どうしようもない状況に不満を感じている自分が嫌。好きで入った筈のバスケットボール部員が陸上部員をうらやましく思うというのは、どう考えても健全なことではありません。その上その陸上部の友人に当たってしまうというのはただの嫌な奴以外の何者でもなくて、ちょっと深い穴の開いていそうな自己嫌悪の沼に足をつっこんで、彩夏は呆然と立ちつくしていました。そしてそんな様子を見ていた朋子がぽつりと言ったのも、もしかしたら意図的にだったのかもしれません。
「…でもいいなあ彩夏。昔からここのお祭り来てるんだよね」
何気なく言ったようにも聞こえる言葉は彩夏をはっとさせました。地元出身、長野県は古坂町蔵沢の町で生まれ育った彼女に比べ、梓も朋子も小龍も尚昌も自分の生まれ育った故郷からこちらに引っ越してきて暮らしています。県内出身の梓や朋子はまだしも、尚昌は他県の出身でしたし小龍にいたっては他国の出身でしたから、それこそ昔馴染みなんてものが近くにいる筈もありません。まして引っ越して一月にも満たない朋子にしてみれば『馴染みの風景』すら持っていない訳で、地元出身の彩夏がうらやましくてしかたがなかったことでしょう。それこそ誰の責任でもない、自分ではどうしようもない状況に対して。
あ。そうか。
自分も人からうらやましがられる立場にいるということ。それはほんの少しく卑しい優越感といっしょに、誰もが自分だけの不満や不安を持っているんだという友人への心づかいを彩夏に思い出させてくれました。誰だって感じているどうしようもないこと、それを忘れることなんてできないだろうけど気にしないことはできるんじゃないか。それよりももっとたいせつなことがあるならば。
もしかして自分はけっこうわがままな楽天家かもしれない。再び彩夏が入りこんだ自己嫌悪の沼は、今度はでも底に穴も開いてはいないし、さして深くもないように思えました。あっさりと機嫌を直した女の子はポニーテールをなびかせてくるりと振り返ると、静かに数歩後ろを歩いていた梓に明るい声を投げかけます。
「ごめんね」
「え、何?」
訳もわからずきょとんとする梓。もちろんこの際は彩夏にだけ訳がわかっていれば充分だったのです。
「何でもない何でもない。ね?りんご飴でも買いに行こっ」
「あ、待ってよあーちゃん」
先に行くよと早足で歩き出す彩夏と、後を追いかける梓。なんとなくいい雰囲気の二人を追いかける友人たち。
境内に結び付けられたおみくじ。
みんな友人運だけはすごく良かったりして。
おしまい