既に雪景色となっている長野県古坂の町。神社の境内前、雪の積もる側道を自動二輪を押しながら歩いているのは陵祁双馬でした。もとは軽井沢の出身であり、同じ信越地方であるとはいえ大きな県道の多い郷里に比べると古坂町は遥かに小さく除雪の済んでいる道も決して多くはありません。
「駄目だ…流石に町中を外れるとバイクは使えん」
今年の7月に16歳になってから、堂々を免許を取ってバイクに乗れるようになったと公言する双馬は中学時代から地元で自動二輪を乗り回しているような、そんな少年でした。今年の夏休みは県内を相当走り回っていたのですが、冬休みはどうにも不本意な生活を強いられることになりそうです。もっとも、それまで走り回ってばかりで同級生と交流の少なかった彼がだんだんと名前を覚えられるようになったのも、この雪に足を止められるようになったおかげだったかもしれませんが。
中性的な容貌で、大型の自動二輪を押して歩いている少年に頭上から声がかけられます。それは境内前、鳥居へと続く短い石段の上からのものでした。
「何やってんだ?」
「司?そーいやここお前の家か」
司がこの神社に居候をしている身であることを双馬は知っていましたが、ここがお前の居候先か、などとわざわざ説明的な言葉を使うには押している自動二輪は少しく重かったようです。両者は格別仲が悪いわけではありませんでしたが、愛想を良くする理由もまたありませんでした。
「県道に出た方がいいぞ」
「出るまでが一苦労なんだよ」
双馬の言葉にさもありなん、という顔で納得した様子を見せる司。古坂町では駅前の大通りくらいは除雪がされていましたが、そんなところを自動二輪で疾走するわけにもいきません。この道を押して県道に出て、帰りもここを通る必要があるかと思うと車体以上に気が重くなりました。
「そーだ、冬の間だけでも境内の裏に停めさせてもらえないか?」
「聞いとくよ」
根本的にはお人好しである司としては、目の前で苦労している様を見せられては敢えて断る理由もありません。もともと神社や寺院といったものは相応の土地を持っていましたし、自動車ならともかくバイクの一台であればさほどの問題もないように思えます。
男同士の他愛のない話であれば、続いてもそれは双馬が目の前を通り過ぎるまでの短い間だけだったでしょう。喫茶店帰りの散歩の時間を意味もなく知り合いのいる境内で過ごそう、という女性陣がやってくるようなことでもなければ、双馬と司の会話もそれで必要なことは全て話し終えた筈でした。
「あら?ソーマとトージじゃないの」
彩夏の声に顔を向ける二人。梓と朋子も加えて三人、双馬も司も本来姦しい雰囲気はあまり得意ではありませんでしたが、逃げる為のバイクは雪と泥とで今は使えないことこの上ありません。あえなくその日は捕まってしまうことになりました。
二人の様子を見て年末年始はどうするの?と言った彩夏の呼びかけは時節柄の社交辞令以外のものではなかったのでしょう。神社の手伝いでそれどころじゃないという司の予定も、どのみち一斉清掃で寮を追い出されるので早いうちに地元に戻ってバイクに乗っている、という双馬の予定もだいたい予想ができていたことでした。
「じゃあおみやげお願いね」
にこやかに図々しい要求をする梓。双馬の実家が地元に古くからある相応以上の大きな家で、ありていに言えば老舗の地回りだったりもするのですがそれだけに時として立派な差し入れが彼のもとに届くということを友人たちは知っていました。暫く前にも捌ききれないほど大量の松茸が届いたということがあり、それを友人たちにふるまった双馬がそのことを後悔しなかったという保証はまるでありません。
一方で司の方は居候している身分として、この時期どんどん参拝客が増えてくる神社を手伝わないわけには行きませんでした。年末年始はもちろんですし、今の時期でも正月飾りを手に入れるために既に参拝客が来はじめていました。梓なども以前から時に神社を手伝うことはありましたが、どうやら高くもない時給ではなく現品支給されるお餅が目的らしいところなどは
「小学生だな」
「ひどーい」
などと司あたりには言われてしまうのです。とりあえず、今日からクリスマスまでアルバイト先の手伝いが忙しくなる司は仕込みの為に早めに店に行く必要がありましたから、朋子に明日から頼むぞと言うと出かける準備をするために境内に戻っていきました。
果たして朋子が司に好意を抱いているのかと言えばもちろんいるんでしょうけれど、好意の程度にはやっぱり大きな幅がある筈でした。なにしろ彼女に陸上部の格好良い先輩と身近にいる格好良い同級生と、どちらが良いかと問えば本気で悩んだに違いないのですから。
むろん世の中はそれほど甘いものではありません。ですが甘くはないのを承知の上で、甘い夢を見る権利くらいは年頃の女の子にはある筈で、今日も今日とて女の子たちは奇妙な自信と確信を持って自分の勝利を疑ってはいないのです。
「どこかに背が高くてハンサムで優しくてでも頼りになって気前も良い人っていないかなあ」
「仕事するぞ」
BARホンキィトゥンク。繁華街を外れた静かで小さな店は常と比べれば盛況の中にありました。忘年会に使われるよりも常連と僅かなカップルが占める程度の客層であれば、使える三人がいれば人手が足りなくなるということもありません。自称不憫なシンデレラは適当にあしらわれ、その日時給一割増しとなっている仕事はてきぱきとこなされていきました。
12月23日月曜日の夜。祭日でありクリスマスぎりぎり前の連休の最終日。その日の古坂町はイルミネーション一色でそれはアルバイト先の店内も例外ではありませんでした。植木には小さな飾り付けがほどこされ、これが片づけられる頃には今年ももう終わりとなるのです。
夜遅くまでのアルバイトを終えて、二人で一緒に帰る雪景色の町。まだ高校生の女の子のアルバイトという事もあり、いつも店長なり同僚なりに明るい場所まで送ってもらっていた朋子はしばらくぶりに司と古坂町の夜道を歩く日を送っていました。
「飯食ってから帰るか?」
何気ない一言でしたが、それまで司からこういう誘いがあった記憶は朋子にはありませんでした。どういう意図か、というとおそらくこんな日まで働いている同僚をねぎらう気持ち以上のものはないようにしか見えません。それでもそれはそれで絶好の機会ではある筈でした。
「ごめん、ちょっと約束があるんだ」
誘ってもらうのが始めてある以上、朋子が司の誘いを断るのももちろんこれが始めてでした。学園の授業はもう終わりであり、その日は女子若菜寮に立ち寄って梓や彩夏たちと一日早い、女の子だけのクリスマスパーティを行う予定。司と食事くらいをつきあってもたいした遅刻にはならない筈でしたが、何故だかその日は朋子は遅刻をしてもいいやとは思わなかったのです。
約束の内容は教えてあげない。両親には伝えてあるし、きっと朝まで続いて騒々しいと寮母さんに怒られてしまうのだろうと思われるクリスマス。そんな騒々しさがその時の朋子には恋しくて仕方ありませんでした。手元にある、交換用のプレゼント。
友人と過ごすクリスマスと、
友人未満恋人以下の同級生と過ごすクリスマス。
どちらが良いかと問えばその答えは朋子にははっきりしています。
結局はそういうことかもしれませんでした。
おしまい