とはいっても、仮に汝鳥の町に数万の人々がいたとして、異国を含めた広い世界には数億の人々がいるのだとすれば、小さな国の小さな町の人々には思いもつかないような奇人怪人がいたところで何ら不思議はないのかもしれません。そのようなとき、人は奇人怪人が身近な中にも存在するという事実を都合よく棚上げしておくものです。
「大陸奥地のセンドーの技、ハモンの力をとくとご覧あれ」
などと言って座ったままの姿勢から数メートルの跳躍をしたり、上に乗せた蛙ごしに岩を叩き割ったりするような芸を見せているサー・ジョージ・ヘルベーカリーが英国伝統の味と製法に拘るパン屋を経営しているという事実は、異人を知らない人々に胡散臭さを印象づけるには充分だったでしょう。舶来のパン屋というふれこみながら、そこらの雑貨屋よりも雑多で抱負な品揃えの店先もまた、胡散臭さにふりかけられる香料としては充分にスパイスが効いていました。
そして、胡散臭い商人が本当に胡散臭い商人であるという場合も、交易が混沌としている時代では決して珍しいものではありません。先程のへすちばるとやらで見られる珍獣奇獣はもとより、出自不明の品々やら正体不明の動物の話は大航海時代以来後を絶ちませんし、そして恐らく彼等が日本で見つけた日本の動物やらの中にも、異国では奇態な存在に映るものも多くあるに違いないのです。
「青い蝶…かね?」
「ええ。おとぎ話にある、満月の夜に現れるという青い蝶デス。この近くで見たという噂を聞いたのデスが…」
時として噂は千金の価値を秘めていることがありますが、もともと西欧のおとぎ話でのみ聞かれるその青い蝶がもしもこの汝鳥に本当にいるのであれば、それが生きてであろうと標本であろうと幾万の値がつくものか知れたものではありません。異国の地で見つけたおとぎ話の生き物、というだけで無知な大衆は幾らでも緩い財布の紐を広げてくれるでしょう。
そしてこの話をヘルベーカリー卿にもちかけたのはウィリアム・G・ラインバーグというやはり英国の商人でした。紳士然とした服装に口髭をととのえたヘルベーカリー卿に比べれば、ぼさぼさの金髪にフランクというよりむしろおおざっぱな服装をしたラインバーグは若々しくも見えましたが、実際には人生経験も商人としての経験も、何よりトラブルメイカーとしての経験も彼等よりは多少長いくらいのものでした。
「もし見つかれば大層な儲け話になりそうだね」
「こっそり探し始めている連中もいるようデスよ。もちろん表のある話には裏があるものデスが、どうせ商うなら表も裏も扱いたいものデスね」
そう言うラインバーグの口から語られた追加の噂では、幻想的な青い蝶には似つかわしいとは思えない黒装束の男達が祇園の奥の山に分け入っていったというものもありました。追加の噂というものはえてして想像力溢れる尾ひれとして真実の後ろに長すぎる装飾をつけ足すものでしたけれど、更にその尾ひれにはまた、近くに住んでいる小さな子供が蝶を見かけたというような話も伝わっており、金の為にしろ好奇心の為にしろ人の興味を惹く程度の価値は持っているようでした。無責任だが関心をそそられる話を聞いて、ヘルベーカリー卿は口元の笑みを絶やさぬままにラインバーグに問いかけます。
「で、君は探しに行かないのかね?」
「誰かが探した情報をもらってから動く方が楽デスから。アタシはタイミングを測ってから追い掛けまス」
悪びれずに言うラインバーグに、それを当然のものとして受けとめているように見えるヘルベーカリー卿。彼等自身充分に奇人に見える出で立ちをしていながらも、年月と経験からくるしたたかさは異郷で糧を得ている商人のもっているべき逞しさでした。
時間による慣れがあるにせよ性格による向き不向きがあるにせよ、異郷の地で長く暮らそうとする者には大なり小なりの苦労が存在して然るべきです。特にそこが閉鎖的な、或いはかつては閉鎖的であった地であるのならばなおさらそれがトラブルに発展する例すらあったでしょう。
例えばラインバーグとの会話を打ちきって、彼にとって至上の価値を持つパン食の昼食をとろうとしているヘルベーカリー卿の些細な食生活における嗜好でさえも、旧来の稲作農家にとっては自分達の稼ぎを脅かそうとする侵略者の思考でしかあり得ません。外来の変化を敵ととらえる思想はヒトというよりも人間という閉鎖的な社会的動物ならではの欠点と言えました。
「…辻斬りだと?」
ラフなカッターシャツを着こなした外見が美貌の青年のように見えなくもないネイ・リファールは無論立派な女性でしたが、服装といい言動といい男性的な面が多いのは事実でした。それが米国人特有の独立心から来ているのか、或いは生来の性格なのかは容易に測りがたいところではあったでしょう。
「あー、辻斬りというか辻切りというべきか。難儀な事件には違いないなあ」
答えつつ号外を撒いているのは龍波勇太郎、若々しい顔に肉体労働者を思わせるがっしりした体躯を持つ青年は、ある意味では肉体労働者と言えるかもしれない読売として生活を営んでいる青年でした。汝鳥の町中を走り回り、一枚の紙片に書かれた情報を売り歩く仕事ともなれば、相手が異人であろうと誰であろうと客は平等に客だったでしょう。
昨今、起こっている謎の連続辻切り事件。龍波によれば被害者は男女を問わず全て金銀赤毛の異人に限定されており、夜道一人で歩いている所を覆面姿の怪人に襲撃され、殴り倒されると鋭い刃物でばっさりと髪の毛を刈られてしまう、というものでした。
「余程の異人嫌いか単なる変人の犯行か。姉ちゃんもきれいな金髪してるから気をつけな」
「ちゃん着けで呼ばれるのは不本意だが…忠告には感謝しよう」
と、答えた彼女は確かにネイちゃんではありました。語学の素養があり流暢な日本語を話すとはいっても、自然な会話に必要なものは言語よりも寧ろ文化にあります。ただそれを学ぶ為に町中をうろついていると公言してはばからないネイが、どの程度本職たる商人としての市場開拓の方に励んでいのるかは甚だ疑問とされるところでした。
この時代、急速に文化の開明が行われて単純な武勇が廃れていく中にあって、怪人やら物の怪やら無頼漢やらは未だ世にはびこり、それを鎮める為の力も未だ重宝はされていました。それでも古来よりの侍はその居場所を失いつつあり、武道家なり師範代なり力士なり、力より道徳を重んじる事でその力を伝える事を認められていたのです。そして、やがてそれは治を安んじる為の正当な力として認められるようになっていきました。
(だが、所詮力は力だ)
胸中に呟くネイの手元には無愛想な短筒が握られていました。護身用である筈のその銃は、彼女さえ望めばいつでも人を傷つけ得る力を秘めているにも関わらず扱いの簡単な道具です。それを見るたびに正当なるは力にではなくその力の所有者に対してつけられるべき評価である筈だ、と思う彼女にとって、力がどうやら正当に使われていないらしい事件の噂を耳にして、辻切りとやらに好意的な印象は持ちようがありません。
もちろん、異邦の商人であるにすぎないネイが事件解明に乗り出す必要は全くありませんでしたが、叶うことならその結末くらいは耳に流れてきて欲しいものだと思いました。好奇心が人をどの程度動かすものかは、その時その人その内容によるものではあります。その点では日本人であろうと異人であろうと変わることはありませんでした。
「それでは、失礼する」
「あーっ。姉ちゃん姉ちゃん、ちゃんと金払っていってくれよ」
未だ文化に慣れていないネイちゃんを追う龍波。
京都洛中汝鳥の町。事件の結末を知る者は未だ何処にもいませんでした。
おしまい