「かくの如くこの世は物騒なものであるのデス」
京都洛中、汝鳥の町。昨今は救世衆やらなんたら教団やらいう終末思想がごく一部ではびこり、はびこりとはいってもそれは所詮は良識派の人々や普通の人々にとっては眉をひそめたり或いは関心ごとにもならない程度の存在ではありましたが、だからこそ深い問題にもなりうる出来事ではありました。地下深く深くもぐった根というものは概して掘り起こすのが困難なものではありますし、目に見えない地下にあるということ自体、それが毒の花を咲かせるまでは抜かれずに放置されておくということでしたから。
そして京都洛中汝鳥の街角で、毒の花ならぬ話題の花を咲かせていたのは金髪碧眼のウイリアム・G・ラインバーグと大柄な身体にぼさぼさ髪の龍波勇太朗。その町は幕府が外国人に港を開放したことにともなって外来の文化が流れ込んできた場所のひとつではありましたが、たいてい冒険心豊かな商人がおとずれる港の数々は交易の中心地である筈で、京都洛中汝鳥のような古い文化を残した「普通の町」に異人があふれているという光景は、やや珍しいものではありました。
話題の中心になっていたのは最近巷に溢れている異人怪人魑魅魍魎の類。勇太郎はそういった話題を取り扱っては記事にする読売の青年ではありましたし、異邦人たるラインバーグであればそういった奇態な話題も得られようかというものだったでしょう。
「異人怪人物の怪の類、ライ吉の国じゃあそんなのはなかったんかい?」
史書を見ても幕末期になって尚、物の怪やら妖、アヤカシが現れるというのは案外と珍しいものではありません。どの国どの時代でも、文化が発展していない迷信的な世界よりも寧ろ、文化が発展しかけている混沌の中でこそ恐ろしげな妖はより大きな力を伴い、より身近な存在となって人々の口の端に現れるのです。
「ですがこの国の妖は実におもしろいデス。ワタシ等外国人が来て妖が増えたなんて言う輩もいらっしゃいマスが、ワタシの国では妖はもっともっと恐ろしいもんデスから」
おどけた調子でラインバーグ。精霊や聖霊に近い日本の妖に比べると、古来より西洋の妖は狂暴な獣であり、更には狂暴な人そのものでさえありました。人を襲い殺めるジャバオーキが山村を跋扈し、或いは不遜な人そのものが毛皮を被った獣と化し、満月の夜に鋭い鈎爪をもって女性を襲うのです。それに比べれば日本の妖は草や木そのものであり、或いは小川のせせらぎであったり豆腐にカビが生えることそのものでさえありました。ラインバーグの話を興味深く聞きながら、ふと思い出したように勇太郎が呟きます。
「そういや、豆腐と言えばさっき変なもんを見たなあ」
両の肩にずしりと重い豆腐塊を重ねて乗せた大柄な青年が汝鳥の大通りを歩いていました。厚手の浴衣の袖を肩口までまくりあげ、太い棍棒のような二の腕を日にさらしている高槻巌は近くの相撲部屋に住んでいる新米の力士でしたが、長く拳法の鍛錬を積んでいた青年は頑丈ではあっても土俵に立つにはまだまだ足腰が弱いと言われていました。朝からの稽古では存分に地べたに叩きつけられ、或いは叩きつけ続け、その強面の顔に残っている擦り傷やら痣やらは彼の鍛錬の量と倒れて尚かばい手をつかずにいたことの証明でもありました。
ずんっ
汗の玉を落とし、一歩足を踏み出すごとに地面が沈むのではと思われる重量感。それは両肩にある岩石のような豆腐塊の重さもさることながら、意図的に重心を低く置いている巌の歩き方そのものにもあったでしょう。ずんっ、と一足歩くごとに足元には小さな砂塵が舞い、肩に乗せた豆腐ががたんと揺れる音がします。
「…何してるん?」
奇態な青年を目にして、興味の声をかけたのは九重かがりでした。少女然とした小柄な外見に手にした十手がやや違和感を感じさせなくもありませんでしたが、これでも汝鳥の治安を守る立派な岡っ引きです。ただ、何もないところで転ぶと評判の通称十転小町。立派な、と称するにはやや誇張があるかもしれません。
「足腰の鍛錬に白河の姉御に貸してもらった。ついでに路上販売でもしてこいとさ」
「ふーん。でも売れたん?」
「ああ。漬物樽に載せるのでひとつ売れた」
それは豆腐として売れたのではないのではないかと思いつつ、今更のようなことを口にするのをかがりはやめておきました。角が当たると死ぬほど硬い、と評判の白河屋の豆腐は暑い夏場には摩り下ろしてポン酢をかけて食べるのが旨いとされています。昨今は鴨川の灌漑工事のために、資材として利用されているとの噂も立ってはいましたが、さすがにそれは噂の域を出てはいません。
早朝から相撲部屋で稽古、食事を挟んで昼過ぎまで休んで午後からは自由。巌が新入りであるにも関わらずそれなりの自由があるのは部屋そのものが小さいからでしたが、その分自分での鍛錬というものも相応に行わなければならないことには変わりありません。重そうな豆腐を担いだままで、汝鳥の大通りを越えて神社の境内に歩いていく大柄な青年の後をかがりが付いていったのは、たんに珍しい物を追い掛けていく子供のような好奇心にあったのでしょう。
山村で人を襲うジャバオーキに人を川に沈めるペグパウラー。西洋では認知できない存在はたいてい力が強く恐ろしい怪物として描かれ、勇太郎がラインバーグから聞き出した恐ろしげな妖の数々とそれが巻き起こした事件とは彼の帳面を興味深い記載で埋めてくれました。日本の河童も人を川に沈めて尻子玉を抜き取ると言われていますが、ですがそんなものにさえ愛嬌や愛着を覚え、或いは奉る地方があるというのは西洋との違いに思えてきます。
「ワタシの国では妖を奉ったりはしません。この国で不思議に思ったのもたぶんそこなんデス」
ラインバーグの解釈を聞きつつ、二人が何の気なきに訪れた神社には注連縄の張られている一本の巨木がありました。妖と聖霊とがいっしょくたにされているのが恐らくは日本という国の物の怪の特徴で、聖霊であるならば文化と環境とを脅かす混沌の時代にあって人の敵として現れるのは当然であるかもしれません。それが混沌の時代にあって太古から変わらぬ容姿を持っている古木とあれば尚のことでした。
掃き清められている神社の境内に、飾られ奉られている巨木。金髪碧眼の異邦人と大柄でぼさぼさな頭髪をした青年の目に入ったのは、そこでゆっくりと四股を踏んでいる頑健な青年と、組み上げた豆腐の椅子に腰掛けてその様子を見物している岡っ引きの少女、そして境内を掃き続けている少女とその足下にいる黒猫でした。
「アレも昔は妖を鎮め奉る儀式だったに違いありませン」
ラインバーグのその声が、果たして何れに対してかけられたものだったのか。ただ相撲が古来より神仏に奉納されるための儀式であったということは勇太郎も聞いたことがありました。浴衣姿の青年が高く足を揚げ、地面に踏み下ろすときに上がる砂塵と固い筈の地面を僅かにえぐる足跡。それは見る者に周囲の木々と等しい厳かな力強さを感じさせ、大通りの喧噪を外れた神社の一角で、場違いに見えてもおかしくない力士を奇妙な程に風景に溶け込ませていました。
成る程これだけ力強く、厳かな存在の前では人を襲う妖もその毛深い尻尾を丸めてしまうに違いない。或いは日本の妖は古来よりこうして鎮められていることこそが、西洋に比べて特異である原因だったのかもしれません。
見る者をも厳かな気持ちにさせる儀式。四股を踏む巌の様子を退屈そうに見ていたのはその場ではただ一匹、穏やかな眠りを邪魔されて不機嫌になった黒猫だけでした。欠伸と伸びを一つずつすると、黙々と鍛錬を続けている力士の足下まで歩み寄り、四股を踏んだ素足に爪を立てた前足で一撃。
神仏を奉る社と古来よりある儀式、京都洛中汝鳥の町で、掃き清められた境内と力強い四股の踏み跡、素足に深々と猫の爪痕とうずくまる青年。
妖と聖霊とを奉る儀式を執り行う頑健な祭司。
果たして、恐るべきは何処にあり也。
おしまい