汝発つ鳥の如く 後一


 幕末の折り、船に乗って最初の異人がこの地を訪れてより早幾年が過ぎていました。鴨川沿いにある京都洛中汝鳥の町は、内陸にあるにも関わらず河上を通した船を乗り入れた異人に開放されたある種特異な地域であり、そこは洛中の文化と民衆の日常、商人の活況と異人の生活とが交じり合った空間となっています。そして交じり合った日の本の文化が変質する様を嘆くものもいれば、それを歓迎するものも時には利用するものさえもいたでしょう。

「しかし、所詮文化は古くより交じり変質してきたものです」

 汝鳥で私学校を開いている松倉景明は、後ろに流した黒髪を風に揺らしながら港を見ていました。港、といってもそれは鴨川の河口近くに設けられている漁港ではなく、そこに停泊する異国の船から小船に乗り、鴨川づたいやってくるその小さな上陸地点のことでした。この小さな港が汝鳥の町の玄関口であり、常に混み合い人や荷や船の往来するその場所は河の水も濁り、釣り客はもっと上流へ行くのが常となっていたほどです。それでも、学問を志す者として景明は文化が交じり合い活況を呈するこの濁った様を嫌うことはできませんでした。例え濁った水が混沌を生み出すのだとしても。

「でもこの国の文化は大好きデス。なんたって食いもんうまいデスから」

 ウイリアム・G・ラインバーグは英国から来て、その異国の文化を提供している商人の一人でした。ぼさぼさの金髪に飄々とした様子で、抜け目がないというよりも逞しくあちこちに顔を出す類の人間と思われてりそれは本人も否定するところではありません。異国の商人の中でも日本びいきとして知られる彼は主に日本の文化を本国に流すことに忙しく見えますが、こと食材に関しては思う通りにいかないようでした。

「せいぜい醤油と干物くらいデスかねー」
「この国の保存食は冬を凌ぐためのものですからね」
「あとお酒うまいデス」

 船を駆り、南洋を巡って大海を渡るその期間は数ヶ月にも達し、幾度かの渡航は容赦なく歴史に時間を与えます。開放され交じり合った文化がもたらす変質は常に急激なものであり、水夫が国々を往来してふたたび訪れるその国は、おそらく以前の国ではないだろうという程でした。塩気のない港の風で髪をなぶらせながら、ラインバーグは隣りに立っている景明と出会ってさてどのくらい経ったであろうと思っていました。彼の商会の船は既に幾度かの長い本国との渡航を行き来しており、その回数は彼がこの地で過ごしてきた長さをも示しているのです。ごくわずかな感慨にふけらないでもない、私学校の師と異国の商人の耳には威勢のいい聞きなれた声が飛び交っていました。

「さあ号外号外、西は米国開拓地で珍しい石が見付かったとさー」

 読売の声も勇ましく、集まった人々に新聞が配られる様を見ている二人。変質し続ける汝鳥の町で、唯一変わらないものがあるのだとすればそれは汝鳥らしさそのものであったでしょう。汝鳥が開放されてより人々が交わり始めて早三年、それは町の人間と異人とを含めた汝鳥の者たちが作り上げてきた短い歴史であり、そこには好むものとそうでないものとがただ雑多に入り混じっていました。

「またビーフとポテトばっか食ってる田舎もんの広告デスね」

 多少、眉をしかめてラインバーグは呟きます。未だ本国で開拓の続く米国の文化は力強く逞しく、しかし大雑把でラインバーグにとっては泥臭いものでした。その様子に苦笑しつつリファール商会、の記が入った号外のビラを一枚買うと、景明は書かれている記事に目を通します。西の果て、未だ開拓と開発の続く米国は冒険と希望が埋まった未知の世界として伝えられており、その資金援助の一環となるように商人が来ては開拓で見付かった珍しい品々を提供していきます。その中身は考えられないような大きさをした鹿や牛の角、珍しい毛皮のような狩猟品とやはり珍しい鉱石や金属の類が大半であり、記事に書かれた石もそういったもののようでした。

 米国人のネイ・リファールは必ずしもビーフとポテトばかりを食べている女性ではありませんでしたが、それだけを普通に食べるように言われたとしても恐らく違和感を覚えはしなかったでしょう。彼女が汝鳥の裏通りにリファール商会の建物を建てたのは町中の地理をまるで知らずかつその提供地価が安かった、それだけの理由だったでしょうが、地味な場所に商店を建てたその分の苦労は後々になっても大きいものでした。
 もともと異国の見分が目的であったらしいリファール家のお転婆な令嬢はその境遇自体を然程気にしていはいなかったのですが、商人として来て投資の対象も利益の源泉も見つけられませんでした、では本来が未開の地に挑む開拓民である米国人としての誇りに関わります。多少は本国からの助けも借りつつ、商会の経営を少しでも軌道に乗せようとそれなりに奮闘はしていましたが、そのネイが目を付けたのが読売と共同しての広告の展開でした。

「本国で船しか持たぬ商人の窓口になってやるのだ」

 きっかけは、その本国からの助けとして領事館から提供された仕事でした。汝鳥に滞在する米国人達に本国からの輸入品を販売する、その紙面を渡すので配って欲しい。そして配りまわる労力を面倒くさがったネイが考えたのは、読売が配る号外の紙にその裏面を使ってしまおうというなんともせこい方法だったのです。

「お代がもらえるなら別にいいぜ」

 紙代が浮いた上で、尚仕事として金がもらえるのならそれを敢えて断る理由も少なかったでしょう。冬真吹雪は読売としてはまだ若く、その分だけ柔軟に動けましたし何より商売人としては手元の資金も大切に違いありません。
 ちなみにこの仕事自体は紙面が汝鳥の町人にばかり行き渡って肝心の滞在米国人相手にほとんど配られなかった、という大失敗をすることになるのですが、これをきっかけにリファール商会は読売に宣伝費を払うことで本国や時には町内から頼まれた広告を紙面に入れて配ってもらう、そういった商売を始めることとなるのです。そして読売にも協力する理由を持ってもらうために、報酬とは別に米国本国から仕入れてきた話題や噂話を提供する取り決めを交わすことにしました。

「しかし『熱い石』か…我がステイツには未だ神秘も多いということか」

 細々と続いているその商売、ネイにとって最大のメリットは読売の刷った号外をいち早く読める、その立場にこそありました。人より先に噂話を知る、小市民的でささやかな優越感はですが意外にくせになるものです。素晴らしき本国の話題が汝鳥でも読めて、しかもそれを人々に振る舞える。彼女の中では商売として以上に行為そのものが崇高なものに思えていました。

 そう思う、その性格自体はけっして商人向きではないかもしれません。

 時とともに交じり合い、変わって行く世界。それは新しい汝鳥の歴史を編み上げて行く一方で、伝統として変わらぬものもまた幾つもありました。逞しい体躯に違わぬしっかりとした足取りで、浴衣を着て鴨川沿いの通りを歩いていた大男は鉢巻きを絞めた頭を巡らせながら、号外の紙面を手に賑やかな喧騒に目を向けています。

「最近は異国の話も届くようになったのか」

 まくりあげた肩口から伸びている腕は人の胴体ほどもありそうなほどに太く、頑健な肉体は大木か岩のようにも見えました。その姿は異人の多いこの地でも見分けやすくあるのでしょう、居合わせた景明とラインバーグが大男に声を掛けました。

「おや、巌山関。朝稽古の帰りですか?」
「そんなビラ読んでると田舎臭くなるデスよ」

 汝鳥に来てより高槻巌は変わっていません。ただ、より逞しくより頑健になりより力強くなっていました。巌山という四股名も町に定着しているようでしたが、本来拳法家として諸国を旅してきた無頼の者である巌は今でも力士であると同時に用心棒まがいの生業を引き受ける、そんな生活を続けています。彼は無敵ではありませんでしたが、強さへの渇望は絶えることがなくそれは力士としてのみの強さではなかったのです。時に修行や出稽古のために平気でいなくなる、時に他武道の道場の師範や力自慢の異人の水夫と力比べを行う。これでは名こそ売れようが力士として上位に行けずともやむなしだったでしょう。

「また相手をしてくれと頼まれてな」

 軽く苦笑しながら言う頼まれて、というのが誰からであるのかは不分明でしたが、巌が異人の商人や町の名士に囲まれた場所でそういった力比べを披露するという機会があるのは事実でした。公には黙認されているだろうとしか思えない、そんな『見世物』が行われているのも交じり合う文化が活況と濁った混沌とを生み出す、汝鳥の一面ではあったに違いありません。
 本来拳法に馴染んでいた巌は歩法により零距離から瞬間の重心移動だけで破壊力を生み出す術を心得ており、更に力士としての巌山はそれを必殺の域にまで高める力を持っています。力士であるというだけで異国人の多い汝鳥で存在意義がある巌山の、その間合いに一度入れば神速の一撃必殺を避け得る、それが出来る者は極僅かしかいませんでした。そしてそれは巌の生業ではありませんでしたが、それだけで名を売り後援の者が大きな利益を得るには充分過ぎるものだったでしょう。

 ごつ。

 という重く速い一撃は熊を殺したとか猪を倒したとか豆腐を割ったとまで言われており、それはただ地味な日々の鍛練によって鍛えられていました。相撲部屋での朝稽古だけでなく昼時以降も日が暮れるまでただひたすら練習を続けており、その間の短い時間だけが休息に当てられています。その日、巌は読売の紙面を片手に景明らのもとを離れると、馴染みの場所へと向いました。

「度々ご馳走になり申し訳ない」
「いえ、こちらこそいつもすみませんわあ」

 数日に一度、両替商である天満屋を訪れた巌はそこで飯を馳走になるのが習慣になっています。店を切り盛りするお孝は未だ幼いか歳若い女子でありながら、自ら両替商を営み弟のような年齢の少年を養うやり手の人物でしたが、丼に飯をつぐその姿はごく普通の小柄な町人の娘のようにしか見えません。つがれた飯は炊かれた白米の飯のみでしたが、この時代高価であった白米を食することの出来る立場も機会も数少ないものだったでしょう。

「今日もぼんと稽古ですの?」
「ああ。だいぶ鍛えられたようだ」

 世話になっている礼であるのか実は元来子供が好きであるのか、巌は天満屋に居候をしている少年の稽古に度々付き合っては汗を流しています。子供の頃から出来る地味で基礎的な鍛練をひたすら続けること、その実につまらない行為はその効果が見えない限りは長く続くものではありませんが、意地になって競い合う為の相手が鏡の向こうにいるのであれば話は別だったでしょう。巌は天満屋に住む少年と別に同年の友人にも平等に稽古を付け、お互いがお互いを意識することで鍛練を続けさせていました。

 それは、既に三年近くになろうとしていました。

 京都洛中、汝鳥の町。内陸にある町で港と呼ばれる、鴨川沿いの船着き場に立って景明は交じり合った文化が生み出す活況と混沌とを眺めていました。その初めに衝突しあった文化がやがて交じり合うには時間が必要であり、時を経るに到って交じり合った汝鳥の文化が新しい文化となって歴史を刻む、その世界に今立っていることに私学の師である景明は満足を覚えていたのでしょう。

「汝鳥も変わったものですねえ」

 嬉しそうな表情で呟く、その真意は大抵の人間には読み取ることはできませんでした。読売の誌面に載っている、真偽すら不明の他愛ない噂話。それにどこまでの真実が隠されているかを知るには、より多くの知識とそれを引き出す知恵とが必要になるでしょう。教育と学問が発達し出したこの時代、歴史を学ぶことは誰にでも出来ましたが、歴史を読み自らがそこに立つにはその時そこにいなければなりませんでした。

 偶々変化に立つものは機会を与えられた。
 変化を知り変化に関わるには能力が必要だ。

 大洋を越えて、異国の波は嫌が応もなく汝鳥の町に訪れるようになっていました。

おしまい


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