雲外鏡は語る


 お前たちには見えるだろう。もしも布に包まれている神具の鏡に明確な意思があれば、そう言って笑みすら浮かべていたかもしれません。真実を映し出すといわれる雲外の鏡はどれほどおぞましい、人の姿でさえも露にする道具と言われていましたがそれは決して人に禍をもたらすだけの存在ではないでしょう。それが物事をわきまえた大人であれば笑い飛ばしてしまうであろう真実、信じる心や立ち向かう勇気といった陳腐なものであったとしても、真実であれば雲外鏡はそれを覗き込んだ者の瞳に揺るがぬ勇気を見せつけることができる筈です。少年も少女も容易に信じることができる、勇気ある皇牙の姿を。

 古く、こんな言い伝えがあります。

 それが何であるのか、どこから現れたのかを知っている者は誰もいません。光輝くそれは呆然とする人々に対して何ら導きも意思も示すことはなく、唐突に現れたかと思えばそこにただ存在しているだけでした。ですが、それは大いなる力を持っていて人々の助けになることができました。人はその大いなる力を恩恵とか功徳とか、御利益と称して彼らの暮らしはそれまでよりも少しずつ、やがては大いに平穏で豊かなものへと変わっていきます。人々は光輝くそれを崇めて「神」と呼ぶことに決めました。
 人は大いに栄えました。神の恩恵は人々に安寧をもたらして富める者も貧しき者も、多くの者に今日生きる安心を超えて明日生きる楽しみまでをも与えます。それは決して例外なくすべての人に与えられた訳ではありませんが、もとよりすべての人々が救われることが現実としてありえないことを人は心のどこかで知っており、より多くの人が救われるならばそれは彼らの正義にかなう筈でした。

 ですが、そんな世界に疑問を持つ人が現れます。彼らは貧しき者ではなく、むしろ富める者たちの中に生まれました。何不自由なく生まれて暮らし楽しみを得ることができた人は思索に耽る時を得ると唐突に気が付きます。このままでは人はいつしか、神がいなければ生きていくことができない存在になってしまうのではないか。それは大いなる恐怖となって彼らの心にくさびを打ち込みます。
 神の力は誰もが用いることができた訳ではありません。かつてはそうではなかったのかもしれませんが、いずれにせよ神を扱うことが上手い者は人の中にもいてそれは神主とか巫女と呼ばれています。そして、やがてごく当然の成り行きとして神を扱う者を人は神と並び崇めるようになりました。それは神主や巫女が自分たちを崇めることを人に求めたからではなく、神の恩恵を感謝する人がそれを伝えようとする相手は神を扱う人でしかありえなかったからです。神は人々に対して何を示すことはなく、何を求めることもなく、相変わらずそこに存在し続けているだけでしたが気が付けば神を扱う者に人が支配されるようになり、更に神を扱う者が人を支配するように変わっていくまでに長い時間を必要とはしなかったでしょう。

 神の代理者を称する人々によって支配される、神が失われれば生きていくことができぬ世界に疑問を持つ者たちは神に抗う力を欲して求めます。そして神が人の外から唐突に現れた力であるならば、その神に抗う力は人の内から生み出されるものでなければなりません。揺るがぬ山から、黄金のキツネや古い神木から異形が生まれ出るように、人の力となるべく人の内から探し出された力。人の内にある最も強き力、それは欲望と呼ばれていて欲望を増殖させてついに生み出されたそれを彼らは「鬼」と呼びました。
 神に抗う鬼は人が生み出した力ではありましたが、哀しむべきことに人はまだ人の欲望を支配できるほどに成熟した存在ではありません。ですが、であればこそ人は神とは異なり鬼の代理者を称する人によって支配される恐れもなかったでしょう。その言い訳がおそるべき矛盾と事実から目を逸らしている、それを指摘する者は人の中にいませんでした。

 彼らは神に戦いを挑みます。その結末がどのようなものであったのか、伝説はそこで途切れていて今はどこにも残されてはいません。神が鬼を返り討ちにしたのか、鬼が神を討ち果たしたのか、あるいは共に倒れて呆然とした人だけが世界には残されたのか。確かなことは今は神も鬼も存在せずこの世界は人の世界とされているという現実です。いや、そう思われているだけで世界からは神も鬼も失われてはいないのかもしれませんが、少なくともこの世界は人の世界のままでした。
 時を経ても人は相変わらず人であり、古い伝説の時代から進歩してもおらず神を利用せんとする者や鬼を支配できぬ者ばかりが世界には跳梁して跋扈しています。これに抗う者は自らが修羅となり自らが菩薩となることしかできず、血を流しながら自らの罪深き業を嘆くことしかできません。彼は、そんな皆を守りたいと心から思っていました。つまらない理屈を難しく考える必要はない、彼はただ目の前で流されている血と涙を放っておくことはできない、それだけが彼に分かっているたった一つの真実です。


「しくった・・・!」

 膝をつき、全身に傷を受けた自分の身体が傾いで床に崩れ落ちる様を龍波輝充郎は自覚しますが、次の瞬間には古い映写機のフィルムが切れたかのようにぷつりと途絶えると暗転して意識が失われました。消え去ろうとしている視界の隅に飛び込んできた小さな光、その正体が何であったのかは知る由もありません。重要なことは今、自分に何が起きてこの後、彼らには何が起きたかということです。
 京都汝鳥、烏丸神社の敷地に設けられた一室。襲いかかる襲撃者の一群に立ち向かうべく、勇気ある鬼は彼の仲間や後輩たちを背に拳を握ると暴漢どもを打ち倒して戦います。戸口に切り取られた光が漏れて、唐突に現れた姿は京都の有力者である壮年の男、葦矢萬斎を名乗る人物でしたが言葉だけは丁寧な襲撃者の頭目の言を信じた者は誰もいません。訝る皆の前で得々と披瀝された、男の目的は狂気というしかなく封印された供馬尊、古い神の復活を図るという言に人は呆れましたが輝充郎の中に住まう鬼にはまた別の思いがあったでしょう。人は変わらない、人はまたも神を利用して同じ過ちを繰り返すというのであろうか。

 道場にも使われる板張りの広い部屋に流れている空気は冷ややかで、多勢の人間が立ち回りをしてもなお冬の室温が肌寒い、その中で輝充郎は背に流れる汗のしたたりを認めています。男の理想に従わぬからといって、それを受け入れて退くようであればそもそも正気を疑う襲撃など行う筈もありません。大厄を解き放つために鍵となる双子を引き渡せ、と言われて当然の如く反発する皆の言葉を聞く風もなく、男が傍らの車椅子に座す婦人に声をかけるとぎこちない人形のような動きが複雑な呪詛の印を結びます。彼女が盲目に打ち込まれたキーに反応して、プログラムを実行するだけの道具であることは明らかでした。
 出遅れた、何故相手の余裕に付き合って戦いを止めてしまったのか。一瞬で恐怖と後悔を覚え、間に合うとは思えない、それでも飛び出さずにはいられなかった輝充郎の肉体は解き放たれた呪詛の一撃を正面から浴びると彼の怒りも勇気もあざ笑うかのように甲冑のような鬼の肉体を引き裂き、背後に立つ仲間もろともに床に打ち付け壁に叩きつけてしまいます。そして世界が暗転した、その後のことがどうなったかは定かではありませんが、せめて彼の仲間たちが無事であったろうことを願うしかありません。何しろ指の一つ、瞼の一枚さえも動かすことができない、下手をすればこれが死んだということかもしれないとさえ思いますが異形の鬼の力はそう簡単に死んだりはしないものです。それを信じて、輝充郎の意識は暗闇の深淵に落ち込んでいきました。

(目覚めよ、オーガ。それがお前の名だ)

 声が聞こえます。輝充郎の脳裏に響くその声が誰のものであるか、判然とはしませんがそれはどこかで確実に聞いた覚えのある声でした。動かぬ身体を自覚すると輝充郎は辛うじて存在する意識だけを声が感じられた方角に向けながら、不覚をとった己自身に自嘲の呟きを漏らします。光も音も風も感じることができぬ深い暗闇。恰好をつけて飛び出したまではいいが、この状況を見れば無茶が過ぎたとしか言いようがありません。
 だがお前が鎧となり盾となったおかげで少なくとも仲間たちは死なずに済んだ。そうであれば誉められずとも感謝くらいはしておいてやろうかと、尊大に告げる声を聞いて輝充郎は心で安堵します。どうやら、声の主は輝充郎が倒れた後のことを知っているらしく彼が飢えている事実を掘り起こすように聞き出すことができました。呪詛に倒れながらも皆が無事であったこと、だが結局大厄の鍵を為す双子の兄が連れ行かれたこと、彼の太刀と妹は辛うじて残されたこと。そして供馬尊の半身が解き放たれると少女の身を依り代としていずこかへ姿を消したこと、残る封印が眠る東の汝鳥は封鎖されて人々が煽動されるままに狂乱の渦に駆り立てられていること。黒幕を名乗った男は残る大厄の解放を企てて東に向かっているであろうこと。

 聞こえる筈のない舌打ちの音が響きます。散々な状況と言うしかありませんが皆が無事であったことは朗報であり、そうであればまだ手遅れではないと輝充郎は思います。ならば戦わねばなるまい。強く決意を抱く輝充郎ですがそれを笑うかのように脳裏に声が響きました。指の一つ、瞼の一枚さえも動かすことができぬお前が戦うというのか。その言葉に抗うように、輝充郎は語気を強めます。

「だからといって何時までも寝ていられるかよ!俺は・・・」
「ほう、お前は何だ?自分が人ではないから、人にはできぬ無茶ができるというのかね」

 痛烈な言葉に輝充郎は口をつぐみます。人と鬼の半妖であるからこそ、輝充郎は人に勝る力で危難に立ち向かうことができましたが人ならぬ力が戦うことに疑念が存在しない訳ではありません。別に彼がそう望んで生まれた訳ではないとしても、それを羨む者がいる境遇であることは目を逸らすことのできぬ事実でした。何より、古くから欲望を支配することのできぬ人がいたように輝充郎もまた自らの内にある鬼を支配することが未だできずにいます。轟雷鬼神・皇牙と称する鬼の力に長く頼ればいずれ皇牙は輝充郎の意思を押しのけてただ怒りのままにすべてを破壊しようとする、そのような力に頼り戦うことにどれほどの意味があるというのでしょうか。

「随分と都合のいい力じゃないか」

 自分の生まれに悩みも逡巡もない訳ではない。それを知らぬかのように侮蔑する声に向かい何が都合がいいものかと、輝充郎は反論しますがあざ笑う声の主は意に介した様子もありません。たとえ短い間だけであろうと、鬼の力を好きに使えるというのであればそれはどんな人間も持たぬ、生まれながらに備わった幸運な授かりものではないのか。それを支配できぬのはただの未熟でしかなく輝充郎以外の者の責任ではありえない。鬼の力を妬む者がいることを、まさか知らぬ訳ではなかろう。
 輝充郎は言葉を失いますが、それは反論に窮したからではなく侮蔑に聞こえるその声が、もっと切実な問いを彼に訴えようとしていることに唐突に気が付いたからでした。鬼の血族である自らの生まれに悩み、鬼が人の世界を守るために妖と戦う事実に悩む、輝充郎の傍らでは非力な人に生まれて力を求め続ける者や、人と妖の境界を守るために厳然と戦う者がいます。力弱い彼らが血を流し涙を流しながら、しかもそれを人に見せまいとしてぬかるみの道を歩んでいることを彼は知っていました。自分こそ彼らのような者たちを守りたいと思い、彼らを助けたいと願っているというのに、現実を顧みれば皇牙は倒れて情けない輝充郎の肉体はわずかに動くことすらできません。情けない鬼の身体に、情けない皇牙に輝充郎は怒り呼び掛けます。どうした、お前はそれでも皇牙なのか。鬼の力はその程度のものなのか、と。

「お前は俺をお前と呼ぶ、ではそのお前はいったい何だ」

 暗闇の底に声が聞こえる、輝充郎は聞き覚えのあるその声が誰のものか分かったように思えます。今や割れ鐘のように頭骨の内側に鳴り響いているその声、彼が求める切実な問い掛けは一層激しくなり声は消え去ろうとしません。守りたい彼らを守るために戦うと言う、龍波輝充郎とは、轟雷鬼神・皇牙とはいったい何者であるのか。人を守るために鬼が戦うことに矛盾を感じないのか。人はまたも神を利用して同じ過ちを繰り返そうとしているというのに。
 欲望のままに力振るう鬼、それが皇牙であるならば輝充郎は欲望に抗う人であるのか。ではどちらが俺の本当の姿だ。愚かしい人の世界を守る鬼の正体とは。言ってみろ。龍波輝充郎とは、轟雷鬼神・皇牙とはいったい何なのだ。

「答えてくれ!『俺』はいったい何者なのだ!」
「うるっせえ!ごちゃごちゃツマンネエこと言ってんじゃねーよ!」

 拳を固く握る、純粋な怒りのままに輝充郎は叫び返します。スフィンクスの答えを求め続ける声は容赦のない輝充郎の叫びにも諦めることはなく、救いを問う呼び掛けを止めようとはしませんがそれは今や恫喝ではなく懇願であり暗闇を抜ける出口を求める願いでしかありません。輝充郎は強き力を装っていた自らの弱さの正面に立つと、これを一喝して背を向けようともはぐらかして逃げようともせず堂々と答えます。

「俺が何者かなんてどうでもいい、だが俺がなりたい者ははっきりしている。俺は皆を守るヒーローだ!」

 その瞬間、弾け飛んだ声が笑ったように感じました。そうだ、俺は矛盾を忘れた訳でも悩みを捨てた訳でもない。俺は龍波輝充郎であり轟雷鬼神・皇牙でもある、その事実から逃れることはできない。だが境遇にいじけて背を丸めるのは俺の性に合わない。
 心の深淵に映る、水鏡に落とされた石が小さな波紋を広げます。人であり鬼でもある、葛藤する二つの声はどちらも紛れもない自らの言葉ですが今、それよりも重要なことは輝充郎が守りたいと願い、皇牙が助けたいと思う者たちのために彼が戦うことができるかどうかという事実でした。皇牙が倒れて動けぬ身で、散々な状況に皆は抗い戦おうとしているでしょう。彼らを守るために全身に傷を受けて倒れたことは責められることがないとしても、犠牲により助かることを皆が望み喜ぶ筈もありません。自分ならば立ち上がることができると信じたからこそ、輝充郎は戦いに赴くのであり皇牙の力はその彼と一つなのです。

 自らが人と鬼の双方の血を引く輝充郎は、人のためや妖のために世界を変えるよりも必然のバランスを保つべきであろうと考えます。妖とは人の心と自然への畏敬から生まれた存在であり、人が自然を省みないように自然も人を慮ることはありません。であれば神仏妖魔とは人と自然の橋渡しをするべき存在であって、互いに世界を住み分けながら時に手を携える助けを為すこともできる筈です。
 高槻春菜のように世界の住み分けを主張する者がいて、冬真吹雪のように手を携える心を示す者がいる。ごくまれには、トウカのように人が自ら自然や妖に手を差し伸ばすこともある。一様ではない彼らの存在こそが、真実が一様ではない証明ではないか。であれば彼が守るべきものは人ではなく人の世界でもなく、悩み逡巡する、時に純粋な彼らの思いそのものであるべきでした。皆を守りたい、皆の涙を止めてやりたい。人の欲望から生み出されたものが鬼であるというならば、輝充郎が求める純粋な望み、皇牙が求める強い願いは守りたいものを守るべく戦う勇気と力でした。


 全身に激痛を覚えます。あまりの痛みに身じろぎをすると、包帯とギプスで覆われた身体がベッドに寝かされていることに輝充郎は気が付きました。わずかに開いた窓の隙間からはためく、カーテン越しにそよいでくる風は冬空の冷たい寒気のままであり、傷に心地よいとはとても言えませんが輝充郎の目を覚まして上半身を無理矢理起こすだけの効果がありました。その動きが次の激痛を呼び、情けないと思いながらも涙が出るほどの痛みを動かなかった肉体に思い出させています。有り難くない痛みと共にようやく、指どころか瞼どころか、輝充郎は彼の身体を取り戻すことができました。脳裏に響く鏡の声も今はもう聞こえませんが、彼がどこにいるかを輝充郎の心は知っています。
 消灯された暗く狭い部屋は彼の長身を横たえるベッドが中央に一つあるきりで、差し込む月明かりだけが曖昧な時を告げています。見慣れない天井や周囲を囲う壁はここがどこかの病室であることを輝充郎に教えていましたが、いずれにしても彼の状態が気軽に動かせるものでなかったことを思えば烏丸神社の敷地、自分が倒れた場所からさほど離れているとも思えません。そして、動かぬ筈であった皇牙の肉体が皇牙であればこそ、まだまだ動くことができることを輝充郎は分かっていました。泣きたくなる全身の痛みだけはたまったものではないと思いながら。

 辛気くさいベッドに彼の身体を縛りつけている包帯やギプス、繋がれている点滴のチューブを見れば自分が人に耐えられぬ傷を負っていることは分かりますし、その彼が抜け出して姿を消せば皆に心配をかけるだろうことも疑いありません。だがたまには俺もワガママを通させてもらおうと、起きあがる輝充郎の脳裏に幾人かの顔が浮かびます。自分は彼らに頼られるほどに大人ではない、だがまあいいかと苦笑すると皇牙は床に足を下ろして力強く立ち上がりました。勇ましく戦うべく力を振るう、その姿を信じて待っている者たちがいる限りヒーローは決して期待に応えぬことがありません。拳を強く握り締めながら、輝充郎は深淵の水鏡に語りかけます。さあ俺の中の鬼よ、皇牙よ、お前の出番だ。

「寝ている場合じゃない、俺はまだ戦える筈だ。なんたって俺は轟雷鬼神・皇牙なんだからな!」

 彼の中のヒーローが輝充郎の呼び掛けに応えると、忘れていた力が、高揚を伴う力が全身を駆けめぐります。包帯とギプスが床に落ちて、点滴のチューブが乱暴に引き抜かれるとその先をくわえた輝充郎は袋に詰められていた液体を一気に飲み干してしまいました。まだ足りない、もっと食えるだけ食わなければならない。それにはまずここを逃げ出さなければならないだろう。
 身軽になった輝充郎ですが当然、全身の痛みが消えた訳ではありません。ですがそれでも、ヒーローならば立ち上がって戦うことができるでしょう。それは彼の内にある生まれながらの力、鬼の功徳であるかもしれませんが守るべきものを守りたいと願う、彼の心に偽りはなくたとえ輝充郎が鬼の血を引いていなかったとしても彼は皇牙となり立ち上がって戦うことができるに違いありません。そこに彼を見る観客がいるつもりで、輝充郎は腰だめに拳を構えるポーズを取ると小さく叫びました。

「待ってろよみんな、俺も行くぜ!」

 勇ましく、ですが医者や看護婦に気付かれないように忍び足でそっと窓から抜け出すと輝充郎は病室から姿を消しました。彼が向かう先は彼を知る者であればすぐに知ることができたかもしれません。ですが、病院にはヒーローの行動を掴むことなどできはしないのです。
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