雲外鏡は語る


 気がつけば、どころの話ではありません。多賀野瑠璃は生まれたその時からその細い身中に、妖でも魔でも容易に収めうる大いなる器を持っている少女でした。それは彼女の望みでもなければ真意でもありませんでしたが、それを持て余して扱うことができずにいたことは誰のせいでもない、彼女の責任です。大きかろうが小さかろうが己の身は己のものであり、手に負えないからと放り出すことが許されるものではありません。彼女がそれを知らずにいたことは何の罪でなかろうとも、それが引き起こした禍が存在するのであればそれは疑いなく彼女の咎でした。

 冬空は暗く身を切る風が赤みのある頬を冷たく切っています。二本下げた三つ編みを垂らし、背筋を伸ばしている瑠璃は身震いもせずに寒気に身を晒していましたが、少女が感じている氷雪は移り変わる季節の流れではなく己の心中にある己自身の姿でした。
 社の家に生まれ、神に仕える巫女として育ちながら、彼女が出会った神を祀ることを怠り祟り神と為すことしかできなかった自分の過ちを瑠璃は今でも恥じています。異形妖の徘徊するこの世の中で、彼女が見出した祠にうずくまっていたそれは金色のキツネにも幼い少女にも見える姿をしていて、七月宮と名乗るそれを瑠璃は何の疑いもためらいもなく友人として扱おうとしました。それは彼女の優しさ故だと思われていましたし、愚かさ故に気がつくことができなかったとも思われています。せめて神を敬うことを忘れていなければ。せめて神を祀ることを忘れていなければ。

 それは致命的な誤りであり、祭祀を失った七月宮が存在を消さぬために人に祟るしかなくなったことは瑠璃一人の責でなくとも彼女の咎には違いありません。自らを苛む彼女は人に責められもしましたし、呆れられも蔑まれもしましたが、より重要な事実に気がついた者は誰もいませんでした。雲外の鏡、容赦なく真実を映し出す不作法な水面だけがそこに存在する、もう一つの意味を人に知らしめることができたのです。

「誰かが、気がつくべきだったのよ」
「無理な話さ。如何わしい鏡を持つ者ならまだしも、人の視線はそこまで遠くない」

 少年と少女が漏らす、その述懐にはささやかな後悔と諦念、そして大いなる哀れみが込められています。白銀に覆われた梢にも花は咲きやがて雪が割れて芽が出ずることがありますが、瑠璃色に凍てついた氷原を割る火は彼らの目に届きません。多賀野瑠璃が七月宮の友人になろうとした、ですが、人が神に平然と対等に付き合おうとすることができたその事実に気がついた者は誰もいませんでした。ひれ伏すでも畏れおののくでもない、それは、それを許す器が彼女には存在していたということでもあるのです。

 祟り神が生まれたとき、皆は一様に思いました。古来より荒ぶる神を、祟りを鎮めるに生け贄を捧げるという野蛮な風習が多く用いられていたことは多くの人に指摘されるまでもない事実です。ですが、それが実際に効果を及ぼして神が鎮められたこともあればまったく意味を為さなかったことも決して少なくはありません。祟りとは怒りであり、怒りを鎮めるに正しい方法は存在せずそこには結果だけが残されるしかないのです。愚かしい振る舞いと結末を思い返した人は憮然として首を振るでしょう。まったく、怒りを鎮めるにはどうしたらいいですかなどと問うことは愚の骨頂でしかなく、荒れ狂うものが人であれ神であれ誠心誠意為すべきことを為して対するしかありません。それらを承知した上で、どれほどの人が愚かさと野蛮さの犠牲になったことでしょうか。
 それでも古来からの野蛮な風習を思い返す人は多くいましたし、当の七月宮自身が生け贄の血をすすれば神格が蘇ると信じていました。それで神の力が戻る保証もまたどこにもありませんでしたが、神ですらそれに気がつくことはできません。神はそこまで全知でも全能でもなく、まして人であれば神を祟らせた咎を背負う少女を神の生け贄に捧げる、本気でそう考えはせずともその可能性を心に思い浮かべた者は幾人もいたのです。

「私だってそうだったわ。もちろん、そんなことを認めるなら神でも魔でも斬るべきとは思うけどね」
「恐ろしい話だが、神と生け贄と両方とも斬ってしまえという俺が非難できる言葉じゃないさ」

 戯ける言葉にやるせない笑みが浮かびます。その責任を、その恐ろしくもおぞましい可能性を誰よりも強く考えたのは瑠璃自身であり、自ら掘り抜いた深い穴に落ち込んだ彼女はより単純で愚かしい手管に辿り着きます。それは七月宮の小さな祠などではなく、より大きな社に住まう、より大いなる力を借りること。幸いにして、或いは不幸なことに彼女の生家には力ある三柱の神が祀られていました。彼女は御すことができなかった神を鎮めるべく神を卸してその力を得ることを望みます。
 冷たい風が吹き抜けて少年と少女の髪を流します。失われた風は音の無い時を運び去ってしまい、見上げる視線の先には白刃のように夜を照らす月が彼らの姿を見下ろしていました。後悔のない選択も決断も世界には存在しない、それは神器の鏡を用いずとも理解できる真実ですが、映し出されている哀れみの姿は少年と少女の心に人の弱さと愚かさを感じさせずにはいられません。にもかかわらず、人の所業から決して彼ら自身が逃れることができないということも。

「でも、だからこそ、ね」
「人は哀しい連中かもしれない。だが、その人にすらなれないものは哀れな連中でしかない」

 人に分不相応な力を求めたこと。瑠璃が神々の大いなる力を借りようとした、そこまでは莫迦げた話でしかありません。ですが彼女がそれに成功してしまったことは、冗談の範疇に収めることも笑い飛ばして済ませることも許されぬ事態を引き起こします。安易な道を選んだ者が最も大きな力を得ることができるのであれば、力とはいったい何であるのか。そう感じて憤った少年もいましたし、如何な力があろうとも人の道は人が拓かねばならぬと考える少女がいました。ですが愚かに見えるその所業の先に、もう一つの意味があったことを真実の水鏡は遠慮も容赦もなく映し出しています。
 人の器は神を宿すには小さすぎるものです。古来から大いなる助けを得る祈りや儀式は洋の東西を問わず存在していましたが、捧げられた供物は贄となって滅びるしかありません。器は割れて二度と取り戻されることはなく、人は大いなる助けを安易に借りる愚かさに気づき割れた器を前にして自らを顧みる道に戻る、そうして語り部は口を閉ざしますがごく稀に、人の子の中に大いなる器を持つ者が現れることがありました。

 誰かが気がつくべきだった、それが無理な願いであると承知の上で少年と少女はゆっくりと首を振ります。二本に下げられた黒髪と、一本に束ねられた黒髪が揺れて諦念と後悔、そして彼らの哀れみの心情を描き出していました。神ですら宿すことのできる器は人の常識を超えたものであり、瑠璃が安易な方法に手を出しても彼女の器が砕けなかったことは別に喜ぶべきことではなく、常識を超えた存在に驚愕を感じるべき対象でしかありません。ですが神に捧げられて、それにも関わらず平然としていられる生け贄だからこそ多賀野瑠璃は七月宮に平然として対峙することができていたのです。人であれば根元的に大いなる存在に対峙して畏怖を感じてしまう、彼女の器にはその必要がないからこそ、彼女は神に平然として顔を向けることができました。
 人の世界の中で、人が妖と争う世界の中で貧相な胸板をした小娘が、本当は人と神をすら繋ぐことができるトウカになることができたことに彼らは気がついています。それが失われた理由が瑠璃自身の無邪気な咎によるものであったとしても、それに気がつくことができなかった我が身を顧みずにはいられません。彼らもまた異形妖に交わって生きる、人ならぬ世界を知っていて大いなる存在に畏敬を感じる者であった筈ですから。

 どこかで、ほんの少しだけ間違えてしまった。冬に対峙する少年と春を待つ少女は、夜の水面に映し出されている真実そのものに対してやるせない哀れみを感じています。


 瑠璃はその場所にはいませんでしたし、真実を映す神器の鏡を覗き見る少年の儀式に立ち会うこともありませんでした。無理に行を共にしてもわざとらしいだけでしょうし、騒乱の中で東へ向かう道はただ一本きりではありません。安易な力を得たように見える自分の姿がそれを知らぬ人の目にどのように映し出されるか、その程度のことは瑠璃にも分かっています。ですが三柱の神に対峙して自分の深淵にある荒れ狂う氷雪、己の姿を見せつけられたときに瑠璃はようやく自らの器と、それが持つより深刻な意味を知ることができました。それを知ることができたのはごく最近のことであり、それを割り切ることができたのもごく最近のことです。
 木々の枝葉に降り積もった白雪と身を刺す風になぶられながら、瑠璃は投げつけられた悪罵と軽蔑の視線を思い返しています。黒髪に青い目の少年に、彼女が嘲られて罵られたことも無理はないでしょう。彼は誰よりも自分が弱き人であることを知っていて、自ら血を流して泣くことも許されぬ人の姿に心を苛まれていたのですから。少年には瑠璃の存在が人をあざ笑うものにすら見えたに違いありません。

「でも神様は、しょせんは神様でしかないのよ」

 細い首を振ると、三つ編みのお下げが左右に振れています。瑠璃はそれを後悔と諦念の二つであると思っていましたが、それは人のものであり彼女にはそれを持つ資格がなく、自分が哀れみを向けられるべき存在であることに気がついていました。神に対峙して彼女には神様の正体が知れてしまった。神は確かに大いなる存在に違いありませんが、逆にいえば神が大いなる存在以上のものになることは決してありえません。人は弱いからこそ多くのものをその汚れた小さな手に掴み力を紡ぐことができますが、神は手を差し伸べても皆はひれ伏すだけでそれを握り返してくれる者はいないのです。ごく稀に、自分のようにそれを受け入れる器がある者を除けば。

「そして、人と手をつなぐことができない手は、自分一人の力しか振るうことができない。神様は私の器を借りて神様の力を存分に振るうことができるかもしれないけれど、その私は誰の手も取ることができないもの。でも人は人と手を繋ぐことができる、皆であれば私よりももっと多くのものを掴むことができる」

 三柱の力は七月宮にも大厄にすらも勝るでしょう。ですが人と人が繋ぐ手に果てはなく紡がれる力は人から人へと伝えられて、人は世界をつくり神にも妖にも名を与えて意味を生み出すことができました。大いなる力を持つ神はこの世界の主ではなく盛り上がった土くれでしかない山や金色の獣でしかないキツネと同様に、人に意味を与えられた名前でしかありません。人の信仰がなければ失われてしまう、それが大いなる神の正体であり多賀野瑠璃が頼ることのできる力です。

 瑠璃が到達した自分の深淵にある己自身の姿は風すさび宝玉の色に凍りつく世界でした。それは何ものにも侵されぬ強さを持っている一方で、何ものをも拒む孤高の碧空で閉ざされた世界をも意味しています。大いなる力をも受け入れることができる瑠璃の器は人が崇め、畏怖するに足るものですが、それ故に彼女は自分が心から人を受け入れることができないことも知ってしまいました。所詮、いくら季節が巡り時が経とうとも瑠璃色の凍土に春は訪れず萌え出ずる菜の姿はありません。
 息をつく、凍てついた少女の心に未だ逡巡が残されているとすればそれは力への畏れではありませんでした。人の手を取ることができぬ、彼女の力に彼女自身が大いなる価値を感じることができないこと。自らの鬼を認めてなお人のために戦う者の姿を瑠璃は眩しく思い、自らが人でしかないことを知りながら修羅にしか歩めぬ道に足を踏み入れる者を瑠璃は心から敬い、そして菩薩の心で人の哀しさを知りながら、片手に太刀を握り片手で人の手を握る者を瑠璃は羨望の目で眺めます。

「人は知らない。祈りは人でないものも捧げている、鳥や木や石は彼らにしか聞こえない言葉で神を敬っているけれど、神は自分にはとてもできないことを平然と為す人を崇拝して羨望の目を向けているということを」

 教理問答、神は自らが持ち上げることのできぬほど重い石をつくりあげることができるのか。神は神であることから決して自由になることができませんが、人であれば神に不可能な石をごく当然につくることができるでしょう。神は神自身よりも強い力を持つものを決して超えることはできませんが、力弱い人は自分よりも強いものに抗いこれに打ち克つことができるのです。古来より怒れる神や荒ぶる神の力をすら鎮めてきたのは、誰でもない弱き人の力でした。
 その人が今や戦いに赴こうとしているのであれば、大厄など人と人が紡ぐ力に及ぶものではありません。人の手を取るのではなく、神を受け入れる器を選んでしまった少女は自分が大いなる力で人に助けをもたらすことができる一方で、小さな手を握ることができる温かい手を差し伸ばすことができぬことを知っていました。人が持つ最後の一枚の石板、いま一人の切り札は瑠璃の手にはありませんが彼女の器は人のために舞台を描き、それを人に指し示すことができるでしょう。あとは人の仕事です。

「すべてが終われば、私が器を持っている意味は失われる。そのとき初めて、私は多賀野瑠璃になることができるだろう。まだ拙いけれど、今度こそ人として人の手を握ることができるようになれるかもしれない」

 東への道を向かいながら彼女は思います。大厄など取るに足りない、それに魅せられた愚かしい人の所業など論じるに足りぬ。そんなものよりも遥かに貴重で尊いもののために、彼女の器が役に立つのであれば、瑠璃は彼女が助けたいと心から願う幾人かの人たちのためにほんの少しでも存在する意味を信じることができるでしょう。

「神様、神様。私は敬虔ではない自分を反省していますけれど、それは神様だって悪いんですよ。だって私にとって、神様はあまりに威厳がなさすぎますもの」

 今度こそ社に戻り、神に仕える巫女としてやり直すことができれば彼女は神を敬い人と手を握るすべを知ることができる筈です。凍てついた宝玉の世界に命が芽生えることはありませんが、そのときになれば小さな瑠璃色の鳥が枝に止まってくれるかもしれません。ぬかるみの地に敷かれていくレンガの道に彼女の名は刻まれずとも、冬が過ぎて沿道に小さな春の花が開く頃、小さな鳥のさえずりが人の耳に届くのであればそれは何にも増して美しい意味で道を彩ることができるでしょう。
 そのときを信じて瑠璃はゆっくりと目を閉じます。自らの深淵に立ち向かい、凍てついた心の底にある小さな瑠璃色のひとかけら、それを割った中に何が入っているかを彼女は見ることができました。それが小さな小さな鳥の卵になることを願って。

 まだ手遅れではなく、皆が歩む道を遅れて追いかけるのも自分らしいかもしれない。そう思って口元を小さくほころばせた少女は取るに足りぬ大厄が待つ、彼女の道に顔を向けました。
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