雲外鏡は語る・前
風が心地よく吹き抜ける汝鳥の外れ、音無の丘の裏手に一棟の建物がありました。一見して何の特徴もない、いかにも公共の施設じみたそれはやはりごくありきたりな塀や門で囲われていて、近くを歩く人がいたところで気に止めることもほとんどないでしょう。高槻春菜が時折まわり道をして、この前を通りがかっていることを少年が知ったのはごく最近のことでした。とはいえ、彼女が愛している汝鳥の方々に足を向けることはさして珍しいことではなく、旧家が連なっている彼女の家からこの場所がそれほど離れている訳でもありません。
◇
冬は過ぎ去ると春の手を取って汝鳥に暖かさを導いています。それは季節が通じ合う喜びを伴う一方で、移り変わる時が世界を変えて行く一抹の寂しさを伴う流れでもありました。剣術研究会とオカルト・ミステリー倶楽部が合同で開催した送別会、慰労会は剣術研の部室で行われていましたが、両顧問が彼ら曰くの景気付けを持ち込もうとしたことが問題になったとはあくまで噂の話です。学年度も終わりを前にして活動が後輩たちに引き渡される、それを名目とした集まりですが新しい季節への期待よりもむしろ過ぎ去ろうとしている時間への寂寥が強いのは仕方のないことでしょうか。
「汝発つ、その時まで壮健なれ」
祖父がよく使っていた言葉です、と送りの言葉を締めた高槻春菜の頭に、龍波輝充郎はごく自然な仕草で彼の大きな手を載せました。それは決して後輩への礼節にかなった態度では無いのでしょうが、輝充郎の不思議な鷹揚さはそれを当然のものに見せています。年齢ではなく人としての存在が、旅立つ大人が子供らに後を託す、その思いを彼らに抱かせているのでしょう。自分もいつかあのような存在になれるだろうかと、冬真吹雪はいささか消沈しながら思います。敬愛する先輩が去ろうとしている、その事実に落胆している程度の自分では道は長く険しいかもしれません。
彼らの隣りではやはりオカミスの引き継ぎとして、鷲塚智巳が柚木塔子に同じように小さな花束と送辞の言葉を贈っています。こちらは次期部長と前部長の間柄であり、託される者は大きな責任に彼らしく浮き足立っているように見えましたがそれでも生真面目な少年なら何とかするのでしょう。立場が人を作る、陳腐でも世の中には多々実例があることです。
「先輩、あの、帰ってきたら顔を見せに来てくださいね。部員たちに」
「・・・考えておこう」
わざわざ部員たちにとつけ加える、後輩の言葉に苦笑している塔子は倶楽部の活動を引き継ぐだけではなくしばらく休学して静養することになっていました。ここ数日で急激にやつれた姿を見れば、彼女が最後の責任を果たすためにぎりぎりまで無理をしていたのだろう様子が皆にも分かります。誰もそれを止めることができなかったのは、塔子の責任感を尊重したい思いがあったことと同時に彼女であればそれでも決して倒れることはなく責任を万全に果たしてくれることを知っていたからでした。だからこそ、本当に限界に来た彼女が学園を離れることに異を唱える者は誰もいません。
卒業する三年生は当然として、今年は二年生のほとんども早々に活動から引退する者が多く両倶楽部の一年生、翌年度の新二年生が中心となることになっていました。汝鳥を賑わせた大厄の騒動が彼らの進路に大きな影響を与えたことは疑いようもなく、遅れた学業を取り戻して進学に専念する者や逆に本格的な妖怪バスターに参加すべく市井の活動に加わる者、塔子のように一線を退いて身を休める者など理由は様々です。
その中で、輝充郎は塔子のように戻る予定もなく学園の籍を完全に抜いて汝鳥から去ることになっていました。高校生としての単位や学歴にも未練はないらしく、姿を消した魅呪姫や地蜘蛛衆を追って旅に出る決意を固めています。物語が終わればヒーローは新しい戦いへと旅立つものさ、とは冗談に紛らせた言葉ですが輝充郎の本心ではあるのでしょう。ごく短い時間で愛着を感じさせるようになった、部室や後輩たちの存在も発つ者を引き留める役には立ちません。
それを充分に理解しようと自分に言い聞かせながらも、戦士としては無論、それ以上に勇気と決意の強さにおいて比類ない輝充郎が去るという事実は吹雪にとって快いことではありませんでした。いつまでも世界は同じ姿ではありえず、季節は巡り時は過ぎて人は育ちやがて発っていく。残された世界は繋がれた手から手へと伝えられて、後を継ぐ者たちは貴重な灯火を絶やさずに掲げ続けます。残される者たちの思いを幾重にも積み重ねて。
「汝発つ、ならば我の手は君を送る灯火を握ろう、か」
「でも、どんな理屈よりも去る人への敬意と愛情はごまかせないものね」
歓談する空気の中で、人の輪を離れて呟いた吹雪はいつの間にか傍らに立っていた少女の声に顔を向けました。独り言を聞かれた気恥ずかしさはありましたが、相手が春菜であれば少年には本心を隠す必要はありません。真実を覗き見る水面の鏡に頼らずとも、時として唐突に思える少女の言葉は吹雪の思いを見越してその先に呼び掛けてくることがありました。発つ者がいる中で汝鳥に愛するものがあれば留まることを選ぶ者もいる、その彼らには確かに託される不安と寂寥があるかもしれない。ですがそうした感傷を抜きにしても敬愛する者が去ることへの疑いのない哀しみを隠すことはできず、それは吹雪だけではなく春菜にとっても同じことでした。
それを哀しくないといえば嘘になる、でもだからこそ顔を前に向けて見送ろうよ。その言葉は春菜の唇からではなく、視線から伝えられて吹雪は胸につかえていた塊を深い息とともに無理矢理吐き出します。理性ではなく、弱い心が慰めを欲していることは決して恥ずべきことではありません。それは深い敬愛の証明であり、むしろ人が人に抱くことができる思いとして誇りとすべきだったでしょう。ありがとう、と短く言うとごく小さな笑みだけを交わして少年と少女は皆の輪の中へと戻ります。見透かされた思いが少年には不快でなく、その相手が少女であったことに心から感謝をしていました。
◇
感応の才、といつだったか忌々しい豊穣神に言われた言葉を少年は思い返しています。それは超自然的な力でなければ異能でもなく、人に本来備わっているだけの能力です。幼い頃から礼節を重んじる生活を繰り返し、神木に詣でてこれと接する機会が多かった少女は人に比べて異形や妖、自然や神様といった類に対する感性が鋭い。それを指して感応と称しているだけのことでした。たいていは感受性とだけ呼んで片付けられる程度のものですが、それだけに感応に優れる者は異形だけではなく人の心情にも鋭敏であり、それは八百万神の国で祭祀を執り行うには得難い才能なのでしょう。
だからとっても感じやすいのよと余計な言葉を続けられて、そのときは怒りながらも吹雪の頭をとんでもない妄想がよぎったことは否定できそうにありませんが武器を手に異形を討つのではなく、神々を前に祀りを捧げる姿こそ春菜にはふさわしいと少年は思います。流れる風の音や鳥の声、異形妖の気配から人の深淵まで彼女は驚くほど感じやすい、いや、感受性が高すぎるのを彼女らしい理性で抑え込んでいる。だからこそ時として春菜はどうしようもなく無防備であり、理性をつなぐ細い糸が切れれば溢れだした心の前に成す術を知りません。
「だから、吹雪さまが守ってあげなさいね」
「へいへい。言われずとも彼女を守るのは俺です」
堂々と言ってのける、少年の言葉には韜晦する響きがありながら、それでいて本心を隠そうともごまかそうともしていませんでした。誰に言われずとも彼女を守るのは自分である、それは少年が自らに課した誓いであり、神にそれを告げることが宣誓の意味であることを告げる人も受ける神も知っています。七月宮よ、お前も神であれば俺の誓いを照覧せよ、八百万神の一柱であれば人を助けずとも人の行いを見守ることはできるだろう。吹雪は彼が守りたいと願う貴重な火を掲げると、それを小さな祠に捧げました。
◇
真摯な決意の有無に関わらず、よるべない日常が安穏としていることは珍しいものではなく平穏が千金の価値を持つことを認めながらもそれが些細な不本意につながることも珍しいものではありません。少年や少女の身辺だけではなく、騒乱の沼に投げ込まれていた汝鳥の市中もようやく迷妄から抜け出して日々の生活を営めるようになっていました。吹雪が春菜について立ち並ぶ商店の軒先を歩き回っている姿は、考えてみればこれまでもほとんど記憶がなく記念すべき出来事のように思えます。二人きりという訳ではなく友人である鴉取真琴や多賀野瑠璃が同行して娘三人かしましい、その様子に苦笑する向きもあるかもしれませんが、吹雪の本心であれば男女ではなく友人として流れる時間も決して悪いものではありません。とはいえ、真琴と瑠璃がかしましく春菜が劣勢にあるように見えるのは吹雪のひいき目とばかりはいえないでしょう。
「ごめんなさいね。本当は二人でデートしたかったんでしょ」
挑発的な真琴の言葉に、後で存分にデートするから気にしないでくれとでも言えればいいのでしょうが吹雪もそこまで自信あるいは過信を持つことはできません。そこに気恥ずかしさがあることは間違いないでしょうが、今この時間も満足すべきものであるならば敢えて今を否定する理由はない、それも少年の正直な思いです。少女たちに振り回されての買い物はたいていがウインドウ・ショッピングというべきもので、延々と選んだり迷ったりを繰り返した挙げ句に結局は棚に戻してしまう、そんな無意味に思える時間が貴重なことを吹雪は知っています。真面目に悩むことは何も悪くないが、気軽に笑っている姿はやはり貴重に思える。トウカに付き合って両手で足りない荷物を持たされるよりも、いっそ肉体的には楽というものだったでしょう。
若い娘たちに浪費癖がないのはけっこうなことだと些か時代錯誤的に思いながら、吹雪はつかず離れずといった場所で少女たちの買い物に神妙に従っています。女性用の服飾品棚に近付くに抵抗も照れもないといえばそれは嘘になりますが、女性の買い物にただ離れて待っているだけではそれは失礼に当たるでしょう。時折、男性の意見を求められることもありましたからその時には正直に返答することにしています。もともと世辞や気の利いたことを言えるような性格ではなく、彼女たちの期待に応えられるとは限りませんが幸い、お嬢様とその友人たちは今時流行の半裸に近い衣類には手を伸ばそうとはせず吹雪としては失礼な言葉を使わずに済みそうでした。自分でも旧いと思わなくはありませんが、やはり女性には女性らしく清楚な姿をしていて欲しいものだと思います。約一名、お嬢様二人に比べて子供服しか似合いそうにない少女が混じっているのはやはり哀れだと、こればかりは本音を言うことを吹雪は賢明にも避けていました。
「あー!冬真君、何か失礼なこと考えてたでしょ」
「いや滅相もない。お嬢様には何か心にかかることでもありますかね」
ややわざとらしく言い逃れながら、憤然としている三つ編みお下げの少女に韜晦してみせます。自分の底が浅いことは少年も自覚していましたが、誰に限らず少女というものは感応の才に長けているということなのでしょう。とはいえことこうした事柄であれば、瑠璃は未だ人に哀れまれることを自覚しているという事情もあったでしょうが。
人がどう思うかは吹雪の知ったことではありませんが、少年は彼なりに誠実に少女たちに対しているつもりでいます。春菜の友人に対して礼を失することはあるまいと、無理な理屈付けをする必要もなく控え目な同行者の役割を果たし問われれば真面目に答え、言われずとも道を譲り荷物を持ち扉を開いてやるくらいのことは意識して行う必要もありません。女性に対してはそれが当然だと、男女差別を是認する少年は心からそう信じています。非のうちどころがないエスコートぶり、というには皮肉や韜晦する言葉が多いのはこれはもう性格というしかないでしょう。
「でもあんまり誰にでも優しい人もどうかと思うよね」
「優しくするのはお前にだけだって、言って欲しくなることはありますね」
それが当てつけであることは分かっているので、知らぬ風をして聞き流します。瑠璃や真琴にしてみれば遠すぎるくらい遠回しに春菜との仲を取り持とうとしているのかもしれませんが、追求しても穴を掘るだけになることは明白でした。決して多くはない筈の荷物も三人分ともなればいつの間にか抱える程度の量にはなっていましたが、外見ほど非力ではない少年はそれらを引き受けて不平を言う様子もありません。
こんな呑気な時間ならば幾らあっても構わない。俺が守りたい奴が血を流している姿を見る、そんな時間よりも余程いいに決まっているさ。ぼんやりとそんなことを考えていた吹雪は気が付けばやや少女たちから離れていたことに気付き、慌てて追いかけようとしますが何気ない様子で春菜が迎えると並ぶように傍らに立ちました。彼女にすれば少年に感謝と申し訳のなさを感じつつ、先程の瑠璃と真琴の言葉を覚えていたのでしょう。
「でも、私は吹雪くんが紳士でいてくれる方が好きだから」
今日はありがとう、とつけ加えるといつの間に買っていた小さな包みを友人たちに見つからないように手渡します。中に入っていた一枚のハンカチーフ、こんな報酬が得られるのであれば少年に何の不平を言う必要があるというのでしょうか。
◇
流れる風は時を運び、日々に暖かさは増して世界の方々は萌え出ずる息吹に満たされています。それは日を透かして見る葉の美しさが最も快い季節であり木々の美しさは春を冠する少女の姿にふさわしい。そう思いながら、その日の少年は両手に余る荷を抱えて春ならぬ灯火に従って汝鳥を引き回されています。トウカ・E・ラインバーグの気まぐれな純粋さはいつものことであり、吹雪はそれに従うのが当然であるように使われてもやはり不平も言わず大人しく少女の膨大な荷物を運ぶ従者と化しています。女性と会っているときに他の女性のことを思うのはマナーに反するだろうかと、そこまで考えてしまうのは吹雪の潔癖さの悪い点かもしれません。
真琴や瑠璃に付き合う平穏を受け入れることと、トウカに従うことは確かに少年の中で異なる意味を持っていました。西洋の人形じみた端麗な容貌に、小柄ながら女性らしい肢体を思わせる少女の姿に不純な思いを抱かないといえばそれは嘘になりますが、それ以上に吹雪がトウカを崇拝しているのは彼女の純粋さそのものに他なりません。人であろうが異形であろうが、ごく当然に手を握る純粋さこそが彼女を内面から輝かせる灯火でした。人が異形と手を握る、その貴重さに比べれば外面は装飾でしかなく使役させられる労苦などは物の数ではありません。
「それじゃあ、メイヤに行きませんこと?」
「え、ああ。お嬢のお好きなように」
結局この程度の口しか聞くことができないのは吹雪の性格かと思っていましたが、むしろ返答が遅れた理由はメイヤの名を耳にした少年が彼の敬愛する先輩の姿を思い出したからだったのでしょうか。大厄の騒動を終えて以来、人の世界と異形の世界を繋ぐマンション・メイヤの存在は取り戻された平穏の中で控え目に認められていましたし、万事に強硬派である春菜からも強く言われたことはありませんでした。その彼女にメイヤに近付いて欲しくないとまで言った、その時の彼女の表情を吹雪はいくばくかの痛ましさと共に思い返しています。以来、メイヤは閉じられていましたが少年が敢えて足を遠ざけていた理由は他でもなく、輝充郎が去った迷い家に立ち寄る意味が見出せずにいたからでしょう。
やや上の空のままに馴染みのある古ぼけた門を潜り、きしむ扉を開くとよどんだ空気のにおいが鼻をつきます。不気味な静けさに響く音も冷ややかな空気の流れも懐かしい、だがそこに彼はいないのだと思う少年の鼻孔をありふれた香辛料の風味がくすぐります。住人のほとんどが異形妖ばかりのメイヤで、まさかと思い階段を駆け上がった吹雪が勝手知ったる扉を開けるとそこには平然とした顔で、見覚えのある輝充郎の姿がカレーライスをかき込んでいる様子が目に入りました。汝鳥を離れた筈の皇牙、呆然とした吹雪が言葉を発するまで数秒以上の時が必要でした。
「な、なんでいるんすか先輩。汝鳥を離れたんじゃ?」
「何いってんだ。迷い家には場所の概念はねーからな、俺がどこに住んでいても帰る家はここさ」
その時の自分はどんな顔をしていただろうかと、思い出すだけで吹雪の顔には今でも苦笑が浮かびます。おそらくわざと言わなかったのであろう、少年の成長を促しながらもやや意地の悪い悪戯に吹雪としては笑うしかありません。当人が言っていた通り、輝充郎が地蜘蛛を追って旅に出ていることは間違いないらしく最近は神戸だなと指し示した先には確かに神戸カレーと書かれたレトルトパックの袋が放られています。もっとも、こんなものは神戸でなくとも幾らでも買うことができるでしょう。
姿を消した地蜘蛛の頭領は人の世界に潜み、しばらくは人として暮らすつもりでいるらしい。どうせならそのまま人として居着いてくれればいいがと思いますが、彼らの理想を思えばそうもいかないだろうことは分かります。いつか地蜘蛛が動き出すときに備えて、皇牙は行き過ぎた妖が人の世界を破壊しようとする所業を止めなければなりません。それを自らの使命とする輝充郎が汝鳥に帰ることはおそらくもうないのでしょうが、それでも敬愛する先輩に教えを乞うことができる安堵は吹雪にとって何よりの助けになるでしょう。鬼の力ではなく、人の勇気でもなく、未熟を自覚する吹雪にはまだまだ学ぶべきことが多くありました。少年が自分に向けている敬愛に寛大な顔を見せながら、それでも輝充郎は言い諭すように深い息をつきます。
「だがな。学ぶ方法は一つじゃないんだぜ、そいつを忘れるなよ」
やはり自分は見透かされている、そう思いながらも少年はそれを不快に感じることはありません。以前の彼であれば人に心を知られることを恐れたのかもしれませんが、そんなものは人の深淵を覗く畏れに比べれば取るに足りないことでした。そしてそれが遅々たる成長であることを輝充郎は知っています。
一年前に比べてこいつは、いや、こいつらは心を隠さなくなった。すべてとは言えずとも、心を隠さず、己を偽らず、それを勇気という力にすることができる。後は心から思うことを為すことができる、揺るがぬ意志があればそれこそが人の強さとなるでしょう。自らに勇気と真実があるのならば心が思うままに生きること、それが神ならぬ鬼としての皇牙の教えでした。
元来が隠れ里であるメイヤは人の世界と妖の世界の中間にあり、騒動の中でそれを閉じていたことは屋敷であれば門を閉めて鎧戸を下ろしているようなものです。それだけを聞けば繋がりを断ち切って異界は分かたれたように思える、ですが実際には決してそうではありません。古来より異形妖の類は謎かけを好むものですが、閉ざされていても誰も錠を下ろしたとは言っておらず扉を開けば出入りすることはできました。錠が下りたと思い込んでいる多くの人々はメイヤへの道を断たれますが、トウカには異界を閉ざすという概念そのものが存在せずだからこそ彼女はごく当然に閉ざされたメイヤに出入りをして妖の手を握ることができました。誰も彼女の純粋さを侵すことはできない、吹雪が貴重に思う灯火は弱き者でも儚き者でもないのです。
人が無意識に作り出してしまう境目が彼女には存在しない、そのことに気が付いた吹雪は彼女を崇拝しながらも何とはなく首を傾げます。であればメイヤが閉じていたところで彼女には関係がないということであり、彼女の出入りを妨げるものは何ものもないということでしょう。すでにそこらを無邪気に歩き回っては小柄で丸っこい妖を中心に抱き上げて遊んでいる彼女は周囲にも目が向いていない様子でしたが、その日はたまたま彼女の興味がそこに向いているというだけでトウカにとって妖の大小も種類も関係がないことは周知の事実です。人から可愛らしいと呼ばれそうな外見も、気味が悪いと遠ざけられそうな外見も彼女には意味がなくそれこそ吹雪が驚嘆する彼女の純粋さでもありました。ですが、それでもどこかに何か小さな角の存在を感じずにはいられません。
「嬢ちゃんなら閉じたメイヤにも出入りしていたぜ。というより、メイヤは今も閉じている」
「ええ?」
尋ねられた輝充郎の言葉は一方が吹雪の予想通りでありもう一方は想像の外のものでした。妖ですら越えることができなくなる、メイヤと世界の境目はそれを意識しない者には越えることが可能であり、輝充郎やトウカはメイヤに出入りをすることができました。隠れ里とはそういうものであり、吹雪がメイヤに入ることができたのもごく当然にトウカに従っていたからに他なりません。もともとメイヤが開かれていた理由は異形妖が跳梁するこの汝鳥で隠れ里を閉じる意味自体が少なく、むしろ人の世界を追われた彼らが逃げ込む場所として利用できるからでした。無論、その門は皇牙に守られていて人であれ妖であれ邪なものが彼の目を逃れることはできません。
それにしても、騒動の一時期を除けばごく頻繁にメイヤに出入りをしていたというトウカは輝充郎がここに暮らし続けていたことも知っていた筈ですが、それを吹雪に伝えようともしなかったことが少年には残念に思えます。我侭な言い分であることは自身、承知していますしトウカがそのようなことに気を使う理由などないことも当然でしょう。わざと言わなかったということであればトウカがそのような思惑を抱くという発想が吹雪にはそもそもありませんが、一見して無垢で無邪気に見える、彼女のことを少年が心から理解している訳でもありません。たとえ雲外の鏡が何を見せようとも女性のことを推し量ることは未熟な少年にとって容易なことではないのですから。
それにしても春菜が知ったら何と言うだろうかと吹雪は思います。閉じられた筈のメイヤにトウカがごく当然に出入りしている姿を見ればちゃんと管理をしろと言ってくるかもしれません。それを知らなかったのは確かに吹雪の落ち度であり、その時は素直に頭を下げるしかないでしょう。人の世界を守るには曖昧なメイヤの境を厳然と保つこと、そうすれば春菜も心配してメイヤに足を向ける必要はなくなります。韜晦と冗談に紛らわせながらもそう話す、吹雪の言葉にですが輝充郎は眉を微妙な角度に上げていました。
「お前、気が付いていないのかよ?」
「え?」
「まあいい、こればっかりは自分で考えるんだな」
それきり話題を変えてしまった、輝充郎の真意をこの時の吹雪は窺い知ることができませんでした。いずれ答えに至ることができればそれを尋ねることもできるでしょうし、汝鳥から去った先輩は迷い家であればこれからも彼の勇気を仰ぎその決意に学ぶことができるでしょう。そして、いつか自分も頼られる思いに本当に応えることができる者になれればいいと思います。
◇
伸びてきた日が傾いて、赤く染められた汝鳥を踏む帰り道に少年は見知った少女の姿を目にします。吹雪の下宿先は旧家が並んでいる春菜の家からそう離れておらず、珍しいことではありませんが常の道からは外れた音無の祠が祀られている、その方角から少女が現れたことに少年は気が付いていました。
「珍しいな」
「ううん、何となく、ね」
曖昧に返事をする春菜の縛られた髪が、わずかな動作に合わせて小さく揺れています。近所のことでもあり、丘道の途中にある建物の幾つかが何であるかを吹雪はもちろん知っていました。公共の印刷施設に水道局、それに保健所の処分施設。そこは毎月、汝鳥だけで数頭以上の犬や猫や鳥が処理されている場所でした。自然霊が徘徊する汝鳥では妖に対する活動の中で、こうした施設に接することも珍しくはありませんが剣術研でもオカミスでも、近付いてあまり気分の良い場所であるとは思われていません。新人の頃より自然霊の調査や保護にも多く関わっていた春菜や真琴のような部員はもちろん、吹雪も一度施設の中に足を踏み入れたことがありました。
事実に対して言葉を飾っても仕方がなく、かといって過剰に思い入れをして事実を蔑ろにしても意味はありません。処理や処分といってもそれは殺す以外の何ものでもなく痛みや苦しみを感じないようにする無意味な配慮もありません。どうせ人の傲慢で殺すというのに、費用をかけてまで何の苦痛を排除する理由があるというのでしょうか。苦しまずに殺すことができれば殺されたものが納得するとでもいうのでしょうか。形式的に供養の儀を行っているだけ、よほど誠実というもので時に神職が呼ばれては祀りを捧げていましたが、その管轄が音無の祠にあるということまでは人の知るところではありませんでした。
偽善や欺瞞を承知でそれでも手を下さざるを得ない悪行がある、それを春菜も吹雪も知っています。異形に対する活動に従事する中で彼らがこうした施設の存在を知った時期は必ずしも一様ではありませんが、春菜であれば自然霊を保護し還す活動にも取り組んでいましたし吹雪はジャーナリストを志す生来の思いからも人が写真や記録に残した事実を厳然と受け入れていました。それをあまねく公表していないのはむしろ少年がジャーナリストである故であり、報道は煽動ではなく客観的な事実が人々の疑問に繋がるものでなければならないという思いがあったからでしょう。しばらく取り留めのない会話を交わしていたつもりが、素直な心情の吐露になったとしても吹雪も春菜もそれを残念に思う気持ちはありませんでした。
「私達の活動がそれと違うとは思えない。結局、批判されるべきは人なのよ。それは分かっているの」
「泥土に汚れた道、か。何から手をつけたらいいか分からないが、何もやらなければ人はいつまでも自分を変えることはできないさ」
感応の才といったか、春菜には殺されるものたちの声が聞こえているのでしょう。時には救い、助けようとしているものたちを容赦なく手にかけてもいる、その欺瞞に満ちた手でどうして人以外のものの手を握ることができるというのでしょうか。それでも手を繋ぐことが理想であることを少年も少女も知っていますが、理性を乗り越えるには感情の亀裂は深く大きいものでした。吹雪も春菜も純粋なトウカを貴重に思いながら、彼らは決してトウカになることができないことを知っています。
「憧れてるんだけどなー」
暮れゆく空に沈んでいく日を仰ぎながらこぼしていたその言葉を、その本心を吹雪はずっと以前から知っていた筈です。お嬢様になりたいと心から思っていた、春菜の思いの根底にあるものは生まれでも育ちでもない、本当に純粋な存在への憧れであったのかもしれません。そしてそれは吹雪がトウカに抱く思いとまったく異なるものではない筈です。赤く沈む日は安らぎの世界へ向かう灯火であり、人はその姿に魅入られながらも決してたどり着くことはできず闇が訪れればそこに取り残されざるを得ません。過ぎていく灯火を見送るしかない少女の背に、少年にできることは伝えられることを正直に伝えることくらいだったでしょう。
「春菜。今度、デートしような」
「え?」
「約束しただろ、お前の写真を撮りたいって」
本当にそれが心に残る姿であったとき、ファインダー越しに覗くこともシャッターを下ろすことも忘れてしまう。自分がジャーナリストとしては致命的な欠点を持っていることを吹雪は知っていましたが、だからこそ見ることができたその時の春菜の表情を少年は長く忘れることはないでしょう。少女の穏やかな顔はどこか照れくさそうにしながらも、内面から沸き上がる思いがあふれそうになるのを懸命に堪えているように見えました。
「じゃあ、精一杯お洒落をしてくるわね」
日は伸びて世界を赤く染め上げる時間がもう少しだけ長く続いて欲しい。ですが時が過ぎ去ったとしても残された闇の中で、見上げる空に光る星を仰ぐよだかはただ一人で飛んでいる訳ではありません。醜き姿で罪を犯し続けているものは、蔑まれてもただ祈りを捧げながら空を高く高く目指します。星になったからこそよだかは尊いのではなく、星は尊く、飛び続けるよだかもまた尊いことを彼らは知っていました。互いの傍らを飛ぶ、もう一つの醜く尊い姿を彼らは見ることができましたから。
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