ぱられるわーるど.十(前)


 東に東京都汝鳥市があり、西には京都府汝鳥市がある。それは古くから存在する、妖や精霊が姿を現わす、人ならぬものが集う地です。汝鳥には妖に対峙することを生業とする者たちがいて、彼らは総して退魔士やら妖怪バスターと呼ばれていました。

「京都汝鳥からの招待デス。こっちの東汝鳥で鍛錬が不充分な状況をアチラさんが危惧してくれて、冬休みを活かして京都で合宿をさせてくださるという訳デスね。もちろん鍛錬だけでなく、個人的にはアチラさんにしか残っていない文献や情報を探すというのも魅力的デス」

 ずれた眼鏡を指先で直すと、オカミスことオカルト・ミステリー倶楽部顧問のウォレス・G・ラインバーグはやや大仰な身ぶりを交えて言いました。世間から異形の妖が姿を隠し、それに合わせて妖怪バスターへの批判が急速に強まるようになると、元来が特異な存在である彼らの立場はどうしても悪くならざるをえません。危険を買って騒乱を治めることを生業とする者たちは、騒乱がなければ作為があると無いとに関わらず肩身が狭くなって然るべき、という風潮は決して理不尽なものではありませんし、力ある者が平穏の中で規制されることは正しいことではあるのです。問題は、その平穏が物事の一時的な先送りにしか過ぎないことであって。
 そうした中で、京都汝鳥の退魔組織から招待の誘いがあった最大の理由は、その先送りにされている東汝鳥の「大厄」の存在によるものでした。古来より東汝鳥に封じられているという禍いの種、しかもそれについての知識が東にも西にも充分に伝わっていないという現実は、灯火もなく暗夜に道を探すが如く人に不安しか抱かせることができません。いわば本家にもあたる京都汝鳥としては、とても放置しておける状況では無かったのでしょう。

「なに京都だと?妾は反対だ!」

 ラインバーグの言葉に剣術研究会顧問であるネイ・リファールが反意を表明するのは、殆ど脊髄で行う反射のようなものです。確かに剣術研究会はラインバーグのオカミスと対抗する組織ではありましたけれど、実際にはともに妖怪バスター予備軍として退魔の業を行うに交流することも協力することも珍しくはありません。ただし、それがネイとラインバーグの両顧問同士の間柄であれば、彼らは交流することも協力することも競争することも罵り合うこともままありました。そうしたネイの性格はネイ以外の誰もが、ことにラインバーグは充分に承知しているつもりです。

「南部の田舎娘としてはあんな雪中のクソ寒いところでやってられるかってことデスか?」
「よくわかっとるでは・・・田舎娘とは誰のことだブリ公!」

「いやいやせっかく温泉やゲレンデもあってアイスランドのようなリゾートホリディが過ごせるというのに、寒いのが苦手というなら残念デスが仕方ありまセン。それではこの話はなかったコトに」
「誰が行かぬと言ったか!可愛い部員のために行くぞ京都ォ!」

 こうしてオカミスと剣術研双方の合意による京都汝鳥での冬合宿が決定しました。ただ、公的には汝鳥学園では現在、妖怪バスター予備軍としての両倶楽部の活動は禁止されており、もちろん合宿など認められることではありません。汝鳥に封じられた大厄の不安が増大しているこの時期に、妖怪バスターへの批判がことの他高まっていることについては反対勢力による宣伝の結果であろうと言われていますし、実際にそうらしくもありました。
 ですが、彼ら反対派の批判に何の根拠がない訳ではなく、ことに学園生活に専念すべき妖怪バスター「予備軍」としての彼らが特例的に学園の枠を超えて活動を行っている現状に対しては、それを快く思わぬ者がいても無理からぬことだったでしょう。汝鳥学園より両倶楽部に活動停止の指示が出た理由も裏の事情はともかくとして、公的には活動が学生としての枠を踏み外さぬようにとの凍結措置でしたから、特に教師としての両顧問としてはそれを全く無視することはできませんでした。それが必ずしも平穏に治まっていない理由は二つ、倶楽部側から見れば先の大厄の不安が何も解消されていないこと、学園側から見れば一部の教師と生徒がそんな両倶楽部への活動停止を強行しようとしている向きに反発が生じた故にあります。

「確かに、端から見れば優遇されているようにしか見えないものね」
「でも教師はまだしも生徒からも圧力があるのは正直、煩わしいけど」

 多賀野瑠璃と高槻春菜は京汝鳥の招待に応じて、荷物を担いで駅へと歩いている最中でした。些かわざとらしくはありますが、彼らの名目は合宿ではなく個人の旅行とする必要がありましたから、集合も現地で日時も自由、行き先だけが同じという奇妙な旅行となっています。瑠璃の鞄は旅行にしては些か大きく、春菜のそれは旅行にしては些か身軽で小さいのは確かに合宿の都合ではなく、彼女たち自身の性格によるものだったでしょう。
 オカミス所属の瑠璃に対して春菜は元来剣術研の所属でしたが、瑠璃の護衛役として一時移籍をして以降はともに行動することが多くなりました。ただ、神降ろしと称される力に良い意味で慣れてきた昨今の瑠璃の実力には、今ではどこまで護衛が必要であるか不分明となりかけていたかもしれません。ですが、彼女たちが護衛云々を抜きにしても二人で歩いていることにも充分な理由がありました。春菜が述懐するとおりに、煩わしさを避けるには一人では不便になることもあるのです。

「おい!お前達どこへ行くつもりだ!」

 背後から不躾で強圧的な言葉をかけられて、少女たちは足を止めました。面倒くさげな表情をおくびにも出さず、春菜が首を巡らせた視線の先には威圧的に腕を組んだ学園の生活指導の教師と、その後ろには取り巻きにしか見えない生徒たちが立っています。言わずとしれた妖怪バスター批判派であり、しかも自分たちの主張の正当性を公的発言の代弁者という位置付けによって確保しようとする者たちでした。その強硬な態度には学園内でもたしなめる声が上がるほどでしたが、概してそうした声は上がるだけであって実際に制止をする例は滅多にありません。そして世の中には声の大きさが武器であることを知りもせずに利用する者がいるのです。
 春菜は煩わしげに首をひとふりすると、思わず身を縮めていた瑠璃を守るように前に立ちました。わざとらしいほどに丁寧な礼儀と態度、にもかかわらずいかにも挑発的な仕草で上着のポケットに手を入れると、よく見えるように小さな録音機を取り出します。

「これは先生。休日の折り御疲れ様で御座います」

 よく通る声が、相手と録音機の双方に聞かせるためのものであることは勿論です。汝鳥市内の旧家の生まれであり、学園内でも優等生で通っている春菜は、ですが一般に思われているおとなしやかなお嬢様ではなく従順どころか攻撃的な面すらありました。理非を問うのであれば相手が誰であれ遠慮はなく、当人は理をもって説くのですから反対派、批判派としては扱い難いことこの上ありません。更に学園の外ともなれば、気の強い汝鳥旧家の娘が学園教師の立場をどこまで尊重するかも怪しいものでした。例え春菜が気にしていなかったとしても、公的立場を頼る者は自分の立場を気にせずにはいられない性質があるのです。

「そんな事はどうでもいい、お前たちは・・・」
「これから冬休みを利用して友人の多賀野さんと旅行に行くんですよ。でもどうしてそんな事を聞かれるのですか?」

 どうして、という理由を相手が持っていないことを知っている春菜は、それだけ言うと相手の返答を待とうともせずに瑠璃を促して踵を返しました。短い言葉の中で春菜自身は嘘もつかず形を外れたことも言っていませんし、相手が春菜の家柄と手にした録音機に遠慮しているのも明らかです。我ながら嫌な対応だ、と思いながらも春菜としてはいっそ煩わしきを避けるに如くはありません。それが自分の神経にささくれを作らないといえばそれは嘘になりますが、結果が同じであればことは早く済ませた方がまだしも楽というものです。
 瑠璃も春菜の対応は気になったようで、結局悪態をつくだけで何も言わずに引き下がった教師たちの姿が見えなくなったところで、遠慮がちに声をかけました。

「いいの?あそこまでやっちゃって」
「いいのよ。聞かれたことは答えたし録音機もデジタルだと証拠にならないって、冬真君がテープ貸してくれたから」

「そういう意味じゃなくて・・・え?冬真君が?」
「ええ、こないだ相談した時にね。試験前にノート貸したお礼だって」

 剣術研の中でも親妖怪派である冬真吹雪と、対妖怪強硬派である春菜の対立は公然のこととなっていましたが、瑠璃が見ても彼らは奇妙なまでに協力や連携をすることがままありました。瑠璃自身も親妖怪派であり春菜とは意見を異にしていましたが、春菜はそれによって友人関係までを崩そうとはしませんでしたし、吹雪の方もこと春菜と対するときは感情を理性に優先させることは多くありませんでした。
 ですが、そんな割り切った関係は余程哀しいものではないのでしょうか。瑠璃にはそこまでは分かりませんが、友人関係が割り切って営まれるくらいであるなら、憎まれて罵倒された方がまだしも良いかもしれない、と思うことも否定はできないのです。

「それより急ぎましょう。まだ時間はあるけど、余裕はあった方がいいから」

 お互いに話を変えた方が良いと思ったのでしょう。春菜の言葉に瑠璃も頷くと、大きな鞄を担ぎなおして歩き出しました。こんな場所で思想を語り合っていれば、いずれ列車に乗り遅れないとも言えなくなりますから。

 一方で、一足早く京都汝鳥の市内を歩きながら、周囲に散策の目を配っているトウカ・イーオス・ラインバーグはしごく上機嫌な様子を見せていました。

「いっそ神戸まで行ってもいいかと思いましたが、京都も素敵ですわねえ」
「お嬢。いちおう俺達の目的はここに来ることなんだが、まあ聞いてないよな」

 外見は金髪碧眼の、西洋人形然とした小柄な美少女でありながら、常軌を逸した力と人ならぬものにまるで偏見のない心は、妖を相手にすら無害な小動物相手のように振る舞うことを彼女に許しています。
 彼女の気に入りの場所である妖たちの集う場所、マンション・メイヤの「穴」は今は閉じられていました。それは春菜のような対妖怪強硬派に言われた故ではなく、東汝鳥の者が多く京都に向かう、この時に開けたままで放置しておく訳にもいかないからではありましたけれど。

「あの、そろそろ離して頂けると・・・って無理ですよね」

 トウカに抱きかかえられていたジョシュア・クロイスが情けなさそうに声を上げます。小人の一族である彼と狼妖の大顎、知り合いの妖を二人連れていることにトウカは満足の笑みを浮かべています。現金なものだな、とやや苦笑気味に呆れながらも冬真吹雪はそのことに悪意も邪気も抱くことはできません。何より少女の満足は純粋で打算がなく、人にして妖を自然に愛する心は吹雪にしてみれば聖域のようにすら見えました。自分が汚れた人間であるならば、少女が無邪気であるのは遥かに立派なことだ、と少年らしい皮肉を込めながら。
 西洋人形然とした少女が小柄なジョシュアを抱えて、大顎を連れている姿は知らない者の目にはよほど奇異に映っていることでしょう。狼妖である大顎は一見すると年老いた猟犬くらいにしか見えず、実物の狼を見たことがある日本人など殆どいませんし、この国には様々な国の犬が連れ来られていましたから不思議に思われるというほどではないかもしれません。人の腰ほどまでの背丈しかないジョシュアの姿は人目を引くでしょうが、身体的特徴を指して注目することは先進した文化を持つ国では不躾とされていますし、両のとがり耳さえ帽子ででも隠せば良いでしょう。そして外見、というのであれば神秘的な人形めいたトウカの方が余程男女を問わずに視線を集めているに違いないだろう、と吹雪は思います。とりわけ、彼らが一同に揃った状態とあってはなおのことでしょう。

 それでも、目立つから控えようなどと言うことは吹雪は考えていません。トウカは何の打算もなく妖を抱えてその手を握ることができる、そんな当たり前のことができる数少ない人間であり、その価値は少年の小さな打算などより遥かに重いものでなければいけない筈です。人ならぬものに対する偏見が一切存在しない、純粋な少女の悩みは当人ではなく周囲にこそ伝播してしまいますが、周囲の者がそれを忌避することはありませんでした。それはあるいは信仰にも近しいのでしょうか。
 吹雪としては多くを考えずにはいられません。少年は混乱する東汝鳥でも無闇に力を頼る挙げ句にそれに振り回される、幾人かの姿を嫌悪や侮蔑、そして羨望をまじえながら見ていました。多賀野瑠璃の行き過ぎに見える神降ろしの力や、吹雪が技を教える鷲塚智巳が手にする霊刀備前長船、そして戦いに仮借のなさすぎる春菜の精神。だからといって力を頼らずにいられるほど人は聖者でいられる訳ではない、ただ、目の前にはそんな世界でも妖の手を握っている少女がいる。

(ならば、それを護るために身を張ってもいいじゃないか)

 だができればその為に人であることまで捨てたくはないものだ。そう思う吹雪はその躊躇いこそが人の心であるということにまでは気が付いてはいません。枯れた自己分析をするほど少年は大人ではなく、妖の手を握る少女の姿に覚える感銘は純粋なものでした。

「どうかなさいましたか?」
「ん?ああ、いや・・・」

 何でもないといいたげに頬を掻いて余所を向く吹雪を見て、トウカに抱えられているジョシュアもさてこのままで良いのだろうかと自問を繰り返しています。彼は人形でもなければぬいぐるみでもなく、歴とした意思がありますし「探求者」と称する彼自身の心も捕まえられているかのような状況は決して快いものではない筈でした。
 では何故自分がここにいるか、自分の赴きに従うのであれば、解放を得るに戦うこともまた自然なことである筈です。探求者である彼が探しているのは滅びの兆しの一節、とだけ呼ばれている伝承でした。それが何であるのか、何を滅ぼすというのか、ジョシュアは知りませんしそれを用いてどうするというつもりもありません。ただ、滅びとは即ち存在を定義することであり、知らないパズルを解体できぬようにその言葉に秘められている意味を知ることで、到達できるものに彼は興味がありました。彼が小人の里を出る前に彼の村の長老は最初に出会った人間に、助力を請えと言っていました。そのジョシュアが最初に出会った人間がトウカであるのならば、彼女に捕まえられていることは或いは正しいのかもしれません。以来、ジョシュアはトウカの腕の中で足をぶら下げながら思索に耽っています。トウカが滅びを知る者であるとはとても思えない、では彼女が出会う者にそれがいるということなのだろうか。

 ジョシュアには知ることができません。今暫くはきっかけを待つつもりでいましたが、同時に彼はトウカが自分や大顎を抱いて平然としている、その意味に気がついてはいませんでした。


「おお、来たね」
「先輩!お早いですね」

 古いが立派な宿場のような日本家屋の土間で、蓮葉朱陽は春菜や瑠璃の姿を見て軽く手を振りました。その隣には彼女たちを招待した京都汝鳥の者である烏丸香奈が笑顔を見せています。型どおりに挨拶を終えると、少女たちは部屋に案内されて荷物を下ろしました。細い肩をさすり、首を回して荷の重さに不平を言う身体をほぐします。

「それで、播磨の爺さんは何か言ってたかい?」
「流石にまだ・・・でも、白河塗りのことは随分分かりましたよ」

 朱陽のいう爺さんとは、東汝鳥の金物屋の主人で神木の枝を削り法具の刀を作ることを頼んでいる老人のことでした。その手法である白河塗りと呼ばれる技術は、豆腐をして巌石の如く頑健にする伝来の技とされています。座卓に湯呑みを並べると少女たちは座布団に腰を下ろし、朱陽は蜜柑の皮をむきはじめました。
 剣士として朱陽が考えるに、如何な刀であれ武器であれ幾度も何かを斬ればやがて斬れ味は鈍り、刃は欠けていずれ用いることができなくなります。それを防ぐために術者は刃ではなくそれを覆う力や技によって斬るのですが、それにも限界はありました。白河の法具の力は正しく折れぬ、砕けぬというその一点にこそあるのです。

「祖父も白河の事を存じていましたので、うかがってきました」

 そう言った春菜が聞いた話では、元来白河の一連の技は豆腐を保存食にする製法のこととされていました。細かく砕いた大豆の粉から紙を梳くようにして繊維を取り出し、編み込んだ繊維を幾重にも重ねてから叩いて鍛え上げる。当時有名だった豆腐の銘柄としては玄武、石英、金剛と呼ばれるものがあり、中でも黒曜と称される逸品は表面が黒々と光り、重さでも固さでも比類ないとされていました。話に一息をつくと、春菜は湯呑みを下ろします。

「黒曜は割れず、砕けず、斬れずの三不とも呼ばれていたそうですよ」
「どっちにしろ豆腐の呼び名じゃないね」

 苦笑しながら朱陽は続きを促します。白河の豆腐が如何に固くとも、食物であればそれを加工する方法も当然ある筈でした。岩のように固いと言われる、白河豆腐の繊維を読んで削り出す方法を白河削りといい、削りだした豆腐繊維の煮汁から取り出した粉で丹念に磨く手法を指して本来の白河塗り、そしてこの削りから塗りまでを総して白河塗りの手法と呼ばれています。
 朱陽が頼んでいる神木の枝を鍛えるには、保存のために仮塗りがされている枝木に大豆の煮汁を塗って触媒とし、枝の表面の目を読めるようにする必要がありました。そこから根気よく削り、木刀の形にしたところでもう一度塗りの技法を施せば良いのです。神木の枝木を鋼の如く鍛え上げる、春菜の持つ錫杖もそうして作られたものであり、技巧をもって鍛えられた品は奉納されるに相応しい技となります。

「それから、これは烏丸さんに伺いたかったのですが」
「はい?何でしょうか」

 春菜の声に同席していた香奈が首を向けました。春菜が祖父に聞いた話では、京都汝鳥にはその白河塗りで鍛えられた六尺棍があるとのことでした。彼女の祖父が白河塗りを知っていたのもそれ故であり、其は木木にして生有るが如くしなやかで鋼が如く重く、極めた技に尚折る事も曲げる事もあたわず、と称されています。

「白河塗りの初代が友人の息子のために作った逸品だとか。その所在をご存知ではないでしょうか」
「恐らく探せるかと思います。京都汝鳥には大火以降の記録はほぼ残っておりますから」
「なるほどこれで刀と、杖と、棍の三つができる訳かい」

 朱陽は面白くなってきたとばかりに腕を組んで頷きました。彼女の刀は仕上がりを待ち、春菜の錫杖は東汝鳥に預けてあり、京都汝鳥の棍があればまず三人は折れぬ業物を持つことができる訳です。さて吹雪の坊っちゃんはどう思うだろうかと、朱陽は些か意地悪く考えていました。持たぬ者の嫉妬、そんなものは当人が何とかしない限りは、どうにもならないことでしたがもちろん朱陽は吹雪が手にしている神器の鏡の存在を知っています。
 話を終えると、朱陽と香奈は春菜や瑠璃を連れて、広い中庭へと移りました。敷地には良く手入れがされた庭園や大きな石蔵があるだけではなく、合宿を呼び掛けるだけあって広場や道場なども用意されています。鴨川を登った内陸にありながら、川を利用した港で栄えていた京都汝鳥。その合宿場は町を見晴るかす山中にあり、雪冠を帯びた稜線はなだらかで確かに隠れリゾートとしてはもってこいの場所にも見えました。彼女たちはここで東汝鳥では得ることの出来ぬものを探すか、或いは単に鋭気を養うことで東の厄災に備えなければなりません。すでに、朱陽のように先入りしている幾人かは自分たちの鍛錬を始めているとのことでした。

「そういやあんたの錫杖、サクヤ様に預けてきたんだよね。大丈夫なのかい?」
「鍛錬に不都合はありませんから大丈夫です。むしろ東汝鳥を離れるので祭祀を欠かさないようにしないといけませんけど」
「祭祀・・・ってそうか、八神に教わってサクヤ様を祀ってるんだっけね」

 東汝鳥を離れて京都に行くにあたって、春菜は暫く続けていた浅間神社への日参が滞ることを心配していました。コノハナの祭祀が滞ることがないかと、巫女職にある八神麗や祀られる当の神体であるコノハナノサクヤヒメノミコトに相談をしましたが、少女の誠実な頑なさに彼女たちは笑みを浮かべていました。

「まさか。神様はそこまで口煩くはありませんよ?」
「神社でなくとも神棚はあるしそれを組むこともできるわ。やり方は教えるから安心してね」
「それに桜のお参りは花見の季節でないと賑わいませんから」

 冗談を言う神様も珍しいものだったでしょうが、それこそがこの国で桜の神が人に慕われていることの現れなのかもしれません。もちろん、だからといって麗や春菜が祭祀を怠る理由にはなりませんでしたから、そちらは京都でも続けるつもりです。
 そして錫杖が無くても鍛錬はできる、という点については朱陽も同感でした。元来鍛錬とは呼吸の一つ、姿勢の一つから始めるものであって、場所を選ばず普段の生活であってもそれを鍛錬と為すことはできるのです。ただし、集中するには邪魔や妨害が入らないことが重要であって、東汝鳥の問題はその邪魔が入って鍛錬が途絶えることにありました。

「そろそろ瑠璃さんにも教えようと思っていたんだけど」
「え?わたしに?」

 春菜の言葉に、瑠璃は不思議そうな顔をします。例えば廊下を静かに、姿勢を正し呼吸を整えて歩くだけでもそれは肉体と精神を制御するに大きな意味があります。不注意な少女が勢い余ってあちこちに身体をぶつけながら歩く、という状況はその制御ができていないということですが、であればどこにも身体をぶつけず、余計な音も気配もさせずにいるには相応の力を使うということではないか。無論それは単純化した説明ですが、特訓の時にだけ鍛えるよりも常日頃から鍛え続けていた方が、より気負わずに普段の力が出せるであろうことは当然の理屈でありました。

「耳が痛いなあ」

 情けない顔になる瑠璃でしたが、春菜にしてみれば特訓のみで得られる力などというものに信を置いてはいません。一夜漬けの成績が本来の力ではないことと同様に、普段から学んでいれば抜き打ちの試験を恐れる必要がないことと同様に。ですが、普段から鍛え上げた力であればそれはその者の能力が底上げされたということに他なりません。飛んでくる球を構えて捕ることはできても、いきなり放り投げられた蜜柑をふつうに捕ることができるとは限らないのです。人間は集中すれば相応の力を出すことができますが、普段から出せる力が優れているのであれば、集中する力をいざというときのために取っておくことができる筈です。
 春菜が見るまでもなく、昨今の瑠璃は少なくとも自分の持っている力に慣れてきているようでした。生まれつき神降ろしに適した大きな器、瑠璃がそれを持つことの是非を問うことにはこの際は意味がありません。重要なことは彼女がそれを持っているという事実と、それを扱うことができるかどうかという事実だけでした。振り回されるのであればナイフ一本に振り回される者もいるし、大きな力を扱うにはより大きな労苦が必要であることは今更ですが、それができなければ衝動のままに刃物を振り回す狂人と変わりはないのです。

「座を組む場所を使わせて頂けますか?少し瑠璃さんとも対してみたいですし、できれば野外に面した場所が良いのですが」
「構いませんよ。型と精神の修練ですね」
「もしかしてあたしもかい?まあここなら座も面白そうだからいいけどさ」

 香奈の返答に、朱陽は髪をかきあげます。春菜の言う座を組むとは座禅と同じく単に座って姿勢を正し、瞑想するだけの鍛錬を指して言いますが、座はその者が如何に組むかによって大きく効果が異なる鍛練だとも言われています。それこそ全身の神経を研ぎすまし精神を世界と一つに為せば、目を閉じてなお降りしきる雪の音を聞き、枝木に止まる鳥の数を知り、肌に触れる空気の流れを読むことさえできると言われていました。俗な表現ではそれを指して「心眼」と称すこともあります。

「他の方もあちこちで修行を始められています。何か分からないことがあったらいつでも聞いてくださいね」
「そうでした。そういえば烏丸さんは結界の法にも詳しいと伺っていたのですが」

 香奈の言葉に、思い出したように春菜が尋ねたのは結界を長く、しかも容易に制御する幾つかの方法でした。本来武術を嗜んでいた春菜はそうした術に疎く、一方向のみに及ぶ力や大きさの制御、その組み方についての知識を殆ど持っていません。春菜の頼みに香奈は術を為す者の力さえ借りればそれほど難しいことではないので、後ほどお教えしますと伝えると表情を和らげて言いました。

「貴女は、優しい人ですね」

 脈絡の無い言葉に一瞬、春菜は返答に詰まった様子を見せます。彼女がそのようなことを言われることは久しくありませんでしたし、春菜の頼みの理由も香奈の言葉の真意も、その時は誰も理解できませんでした。

 庭園に面している板の間で、少女たちは姿勢正しく座したまま微動だにしていません。彼女たちは目を閉じて精神を研ぎ澄まし、風の音を聞き空気の流れを感じています。元来、人の五感の中でも聴覚や触覚は視覚に優れて精密な感覚を持つ器官であるとされていました。それは目を閉じて敵を斬る、などという些か漫画じみた誇張ではなく、目で見るのみならず全ての感覚で世界を捉えるための鍛錬となります。例えば背後に誰かが立っていれば、人は目で見ずともそこに誰かがいることに気付くことができますし、人の往来が足下を揺らす振動や床の軋む音を聞くこともできるのですから。
 目を閉じた春菜の耳は静寂の中の喧噪を捉え、庭園にある水の流れる音や風が葉を揺らし雪を舞い上がらせる音を見付け出していました。傍らでは瑠璃が同じ姿勢でやはり微動だにせず、自らの呼吸から血の流れまでを感じとろうとしています。大いなる器こそあれ、それをまるで扱うことのできずにいた瑠璃の成長は春菜にもはっきりと見えており、じきに彼女の護衛をする必要など無くなるかもしれません。

 神仏や異形の妖を畏敬し共存を望む瑠璃と、それらを畏敬し峻別することを望む春菜の思いはやはり相容れないことが多く、吹雪と春菜の間柄ほどではありませんがその違いは厳然としていました。ですが、多くの人に受け入れられないものが春菜の思想であるのならば、結局は春菜の思想が人に特異ということなのでしょうか。

(真実でも事実でもなく、数で正誤が決まるのであれば事は単純だけど)

 少なくとも、春菜はそうではないと思っています。それに、たとえ春菜が特異であったのだとしてもそれを理由に彼女の言動が変わることはないでしょう。そしてそれによって彼女から友人の手を拒むこともありませんが、人の手がすべからく妖の手を握ることができるとは春菜は考えてはいません。もちろん、それができる者は幾人もいるのでしょうが、ではそれをどうやって区別しようというのか。人の中で異形の妖と手を握ることができる、例えばトウカのような者とそれができない人を区別したり、妖の中でも人と手を握ることができるものとそうでないものを区別するのだったら、人と妖の間に線を引いた方が余程いいのではないか、と彼女は考えています。
 春菜はしばし意識が外れたことを自覚すると、改めて座を組み直して心を周囲に戻しました。春菜の周囲からは急速に光と音が姿を消して、一切の暗闇の中で彼女の意識だけが明晰な姿を保っています。春菜がこの感覚を覚えるようになったのはごく最近のことであり、この世界の内であれば彼女はそれこそ空気の流れを知り、触れずして相手を肌に感じることもできる自信がありました。

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