ヒーロー誕生・3


 硬質の鎧と雷をまとう異形の鬼の力、それを持つ彼の願いは彼が憧れるヒーローとして人を守ることである。異形や妖は決して無から湧き出す荒唐無稽なものではない。異形はそれが存在する意味を得ることによって生まれ、人は信仰によって世界に意味を与えている。雷に象徴される力への畏怖が半人半鬼の皇牙を生み出したように。
 人の世界に異形が生まれる、人と異形を峻別する境界は常に曖昧なものだが彼はそれでいいと思っていた。昼と夜との間に逢魔が存在するように、彼が望むことは曖昧な境界を曖昧なままで保ち互いが一方を侵さないようにすることである。昼は生命に溢れ夜は安らぎを与え、人も妖も互いに夢を見ることができる、それで良い筈だ。

「えんらえんら?」

 おうむ返しの言葉に、娘がうなずくと眼鏡の縁がわずかに光を返す。煙羅煙羅と呼ばれる、古くからかまどや焚き火に湧き出てただよう異形の存在はそれなりに有名なものであったろうか。立ち上る煙が人の姿に見えた、それを人が信じればそこには意味が生まれる。
 娘が曰く、町外れにある古い祠で放火未遂事件があったらしい。その話は彼も聞いていたが、取るに足りぬ噂として人の顔をした煙の話も伝えられていた。火の手がある筈もない場所に火が上がり、そこに異形の噂があれば捨て置くわけにもいかないだろう。

 祠は町を外れた丘の近くにある。考え事をしながら歩いていると、どすんと人にぶつかり思わず頭を下げるが気の弱そうな男が返事もせずに行き過ぎてしまった。呆けていたのは自分であり、同行する娘にも気を付けるようにと注意された。彼女が曰く、祠はさほど古いものではないが、ささやかな学問の神様が祀られていて付近の学生には人気があるそうだ。ヒーローへの憧れはあれど学業は得意と言えない彼にすれば、いささか縁の薄い場所であろう。
 昔は石切り場であったらしく、半分ほど削れた丘の下には小さな祠がある。切り立ったむき出しの土壁に、特撮ヒーロー番組の撮影に向いているなと考える彼であれば少しはお参りをした方が良いかもしれない。そんな莫迦なことを思う目の前で娘の足が止まると、後ろからぶつかりそうになる。慌てて足を止めると小さな祠のそばに中学生であろうか、黒髪を二つに束ねた少女が立っていた。凛とした表情が印象的な、真面目そうな少女だ。

 まさか妖怪の噂を調べに来たなどど言えるものではないが、世間話ともつかない会話をしながら、それとなく事件について尋ねてみる。もっとも、尋ねるのはもっぱら同行する眼鏡の娘であり、彼はといえば彼女の後ろででかい図体を持て余すのが主な仕事だった。少女の言動は丁寧で礼儀正しく、よほどいい家の娘だろうかと思わせる。
 暗くならないうちに帰るんだぜと、それらしい言葉で別れるとその後も周辺を調べてまわるが大した手がかりを得ることはできなかった。祠の傍らには確かに何かを燃したような跡が残っており、すぐに消されたらしいがわずかな煤が見える。事件があったことは間違いないが煙羅煙羅についてはお手上げに近い。火のないところに煙は立たぬ、煙がないなら火も消えたかと、ふざけてみせたら同行者に睨まれた。

「真面目に考えろ。それより気付いたか?あの祠、何度か放火を試みた跡があったぞ」

 娘の口調はあまり女性らしくない、友人のために彼が惜しむところだ。放火の件は役所でも聞くことができたが都合三度もあったらしく、すべて小火以前で消されていたそうである。その後、警察が付近を巡回するようになってから事件は起きていないらしい。それは結構なことではあるが、それで事件そのものが解決したとは言いがたいだろう。

「おや、また会ったな」
「こんにちは」

 二つお下げの少女と出会う。放火の事件と異形の噂に、奇妙な話がもう一つあって三度あった通報はすべて同じ少女からのものであったという。まさかと思い尋ねてみると、少女も自分が通報していたことを素直に認める。何度もあったので、気になってたびたび来てしまうと言っていたがあまり感心できる話ではない。少女に妙な疑いがかけられるかもしれないし、何より危ない目に会ったらどうするつもりだと説教してしまう。

「そうですね。本当にありがとうございます」

 素直に頭を下げられると彼も恐縮してしまう。危ないという理由が放火事件の犯人と異形妖双方のことを指していることまで説明する必要はないだろう。

 煙羅煙羅は古くは煙煙羅と言われ、江戸時代の浮世絵師が残した画に伝えられる妖だ。その仔細は語られておらず、立ち上る煙が怪しきかたちをなして人の姿をとるとしか書かれていない。であれば煙が生まれたからこそ煙羅煙羅が見かけられた、放火事件があってそこに異形が現れたと考えるのが自然であろう。事件が起こらなくなれば異形も最早現れはすまいと考えていいかもしれない。煙羅煙羅は恐ろしい火を人に警告する存在なのだ。

「人から生まれる異形が多いのは難儀なことだがな」

 相変わらずの口調で娘が言う。先に出会った少女ではないが、しばらくは祠の付近を巡回するのが一番の妖怪退治になるかと歩いていると、目当ての方角から黒く細い煙が上っているのが見えた。続いて聞こえた悲鳴に駆け出すと現れた男に正面からぶつかる。以前にも似たようなことがあったと気の弱そうな男の手首を掴むと俺じゃない、俺は知らないと要領の得ない言葉を繰り返す。問い詰めると案の定、男が放火を繰り返していたことを白状した。受験に失敗して神様に仕返しをしたかった。火をつけたが何度も消されたので意地になって続けていた。だけどまさかあんなことになるなんて。
 祠に走る。倒れている少女の姿に、慌てて助け起こすと少し煙を吸っただけのようですぐに目を覚ました。その向こうにはどす黒い煙羅煙羅の姿がある。異形が警告する火は少女によって何度も何度も消されていたが、男は今度こそ黒々とした煙が上がるようにと燃料のかたまりを持ち込んだ。執拗に意味を与えられた煙羅煙羅はもはや火を警告するものではなく、火から立ち上る黒い煙そのものになる。遅れて駆けてきた娘に少女を連れて逃がしてもらう。さあここからは皇牙の出番だ。

「変・神・・・轟雷鬼神、皇牙!」

 拳を握り、ポーズを決める。全身が硬質の鎧に覆われた、雷の鬼が姿を現すが相手は煙の異形、拳を振り回してどれほど当たるか知れたものではない。浮世絵師の伝えによればそれは煙そのものであり、煙を消すには風で散らすか火元を消すしかないだろう。何より火が燃え移る前に異形を追い払わねばならない、少女が何度も守ろうとした祠である。
 皇牙はまとわりつく黒い煙に咳き込みそうになりながら、大きな燃料のかたまりを抱えると祠に背を向ける。生身であれば火傷を負うだろう火に耐えながら、むき出しの土壁に囲われた空き地に駆け込んだ。理由は二つ、火が燃え移る木々が周囲にないことと、ヒーローの戦いは石切り場で行うべきであるからだ。

「粉砕、降雷把!」

 技名は即興で考えた。両手に抱えたかたまりに雷を落とすと力一杯握りつぶす。火元を断てば煙羅煙羅は消えるしかないだろう。だが皇牙は知らなかった。男が用意した燃料は尋常ではなく、執拗に与えられた意味は強い力を得ていたことを。
 雷に消し飛ばされたかたまりは幾度も遮られた憎悪に燃え移ると、異形の煙を焼き尽くして燃え盛る炎炎羅と化す。それはもはや警告する煙ではなく、すべてを燃やす火そのものだ。炎の怪魔は手近な鬼の全身に火をつけると硬質の鎧もろとも焼こうとする。皇牙は苦悶の声を上げながら自分に雷を落とした。雷が炎を吹き飛ばしてかろうじて身体の火が消える。目の前にはそれ自体が禍々しい存在と化した、薄絹のように揺らめく炎が燃えている。こんな危険な妖が世に出たらどうなるかと背筋を悪寒がよぎる。

 皇牙を呼ぶ声が聞こえた。少女を逃がした娘が様子を見るべく戻ってきたのだ。新たな獲物を狙うべく炎が揺らめき、長い舌を伸ばす。憎悪の火に生身の人が触れればたちまち炭と化す、そんなことをさせる訳にはいかない。守るべき人を皇牙は守らなければならない。
 立ちはだかる皇牙の胸板が炎を遮る。二度目の炎は鬼の肉体にも苦しいが策がない訳ではない。皇牙は全身を盾にして炎の怪魔に突進すると抱きかかえるように覆いかぶさり、もう一度雷を落とした。今度は自分にではなく、目の前に立つ切り立った土壁にである。崩れかかる土砂が頭上から鬼と炎を包み、すべてを地の下に埋めてしまった。火が燃えるためには空気がなければならず、古くより火災を止めるに水だけではなく砂をかけてもいたのだ。憎悪の炎は土砂の下で瞬く間に勢いを弱めると細い煙となってやがて消えてしまった。埋もれた鬼と異形の行方を息を呑んで見守っていた娘の前で、ぼこりと土を分ける音がして力強い拳が空に突き出される。雷の鬼、皇牙が立つと安堵する娘に向き直った。

「奥義・・・崩落撃!」

 技の名前を忘れてはいけない。それはヒーローである彼にとって何にも変えられない意味である。

 火傷は彼が考えていたよりもはるかに浅かったとも言えるし酷かったとも言える。全身を薬と痛みとかゆみに包まれる有様でも入院すらしていないのは鬼の力ならではだろう。だが人に注意しておいて、自分が危ない目に会っては意味がないと娘にさんざん諭された。ヒーローは危険に身をさらすかもしれないが、危険から無事に帰還する者こそ本当のヒーローであるのだと。
 二つお下げの少女は彼女が親しんできた町の祠が無事だったことに、心からの感謝を伝えている。包帯だらけの彼に頭を下げながら、是非、祠の神様に願い彼が通う学園に進むつもりだと宣言していった。守るべきものを守ることのできる人になりたい、そう宣言する少女の瞳は色恋ではなく勇気への憧れに満ちている。守るべきものを守る勇気、それはヒーローの独占物ではなく一人の少女が抱くことができる。だからこそ、それを伝えるべく皇牙は拳を握り戦うのだ。
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