風と鳥と空 第一回


 日曜日の昼下がり。町の図書館でのたいくつな午後。

 平成11年5月23日。最近は図書館に来て本を読む人なんてすっかり減ってしまったのか、館内に人影はまばらです。静かな空間。ショートヘアですらりとした印象を受ける少女が一人、机の上に何冊かの本を積み上げて、読書にふけっています。本の世界に没頭する表情は透き通った純粋さを感じさせ、年頃の男の子が見ればきっと淡い想いを抱かせることでしょう。でも、近づいてきたのはツリ目が気の強そうな印象を与える、同年代の一人の少女。図書館の中という事もあり、周囲をはばかって小さな声。

「ねえ、とりちゃん」
「…」
「とりちゃん?」
「…とりって呼ばないでね」

 たいへん不満そうな顔でショートヘアの少女。彼女の名前は風見とり。ツリ目の少女は名前を赤坂あかねといいます。あかねは心得たような顔で、話をつづけます。

「ごめん、と…風見ちゃん。それより何か分かった?」
「…とにかく外にでよ。わたしもちょっと一休みしたいし」

 図書館を出る二人の少女。広場のベンチに腰掛けると、サンドウィッチを取り出してちょっと遅い昼食の時間。

 識、shiki。暗鬼と呼ばれる異形の魔物を倒す為に、いにしえより伝わる使命をおびた人々。ある者は武器を使い、ある者は術を使って使命をはたします。風見とりもそんな識の一人。識なる者の存在を教わり、自分がその識であると教えられたのはごく最近のことですが、幼い頃から槍術を教わり、その腕前は人並みくらいには達しています。というよりそのくらいの腕前に達してようやく識となるべく認められたという事なのでしょう。もし、彼女に槍を扱う才能がカケラもなかったら、きっとこんな事は知らずに一生を過ごせたのかもしれません。
 識として育てられた風見とり。彼女は三つの物を手にいれました。

 ひとつは八流一眼流と呼ばれる槍術の技。
 ひとつは古くからの歴史と文化への興味。
 そしてもうひとつは新しい友人。

 赤坂あかねも識として最近知り合った友人の一人です。


 日曜日の昼下がり。天井下がりは天井からぶら下がって人を驚かす妖怪。

 図書館前の広場でベンチに腰掛ける二人の少女。風見とりと赤坂あかね。あかねは近くのコンビニの袋からサンドイッチとジュースの紙パックを取り出すと、風見に渡します。

「風見ちゃん。チキンカツサンドとチキンエッグサンドとチキンサラダサンドとどれがいい?」
「…何でチキンサンドばっかりなの」
「あ。気にいらなかった?あとチキンハムサンドくらいしか…」
「…どれでもいい」

 もぐもぐもぐ。サンドイッチをほおばる二人。

 風見はさほど人見知りするタイプではないのですが、その名前のせいか初対面の人に奇異な反応を受ける事が多々あります。もともと楠門に生まれた彼女。本来なら名字に「風」の字がつくのは塔門の人間で、風見家はその分家が楠門と交わった際に引き継がれた名字らしいのですが、彼女の両親はその事を意識してか、娘が生まれた時に楠門の象徴である「鳥」の名前をつけたそうです。

(それにしてももうちょっとひねってくれてもいいのに…)

 もぐもぐもぐ。チキンサンドをほおばりながら、あいかわらず不機嫌そうに風見。初対面の人間にまず笑われるかからかわれるかしてきた彼女ですが、いつになっても気分のいいものではありません。ことに最近、識の人たちと新しく知り合った時も「とり」の名前であちこちからかわれたとあって、いっそう機嫌の悪いままになっています。

「ねえ、と…風見ちゃん」
「なーに」
「フライドチキンもあるけど食べる?」
「…あんがと」

 ちょっと言葉使いの悪くなる風見。あかねは最近識として知り合った友人で、わりと気があっている人なのですが、二人でいる時は奇妙にこの手の話題が多くなります。他の人がいる時はあえて「とり」の話題を振らないあたり、何か考えているのかもしれませんが。

 RRRRR…
 RRRRR…

 二人の手元でなる携帯電話のベル。メロディー設定をしていない愛嬌の無い音に呼び出されて、あかねが電話を受けます。二言三言会話を交わして、風見に顔を向けて。

「とりちゃん見つかったって。裏山のゴミ捨て場」
「わかった…でもとりって言うのやめてってば」
「…おっけー」

 ちょっと不服そうな顔をしてあかね。その表情に奇妙な違和感を覚えて、あかねと風見の二人は裏山へ向います。なんだか機嫌の悪いまま。


 町の裏山のゴミ捨て場。正式にゴミ捨て場になっている訳ではなくて、道路際に明らかに不法投棄された廃材の山が積まれている場所です。タンスや机、はては廃棄された車まで…よくまあ平気でこんな事をするものねと、さらに不機嫌になる風見。
 既に何人かの同業者が訪れて、ゴミの山を前に身構えています。その中の一人、水無瀬歩に話しかけたのはあかねでした。

「歩さん、見っけた?」
「ええ、あの廃材の山の下に追いつめました。今追い込んでいるんで出てきます!」
「了解。怪我したら後で治療お願いね!」

 あかねのかけ声と同時に、机の天板を破って姿を現す暗鬼。翼長2mを越えそうな、巨大な烏。

(また、トリ…!)

 風見の不機嫌に油を注ぐような巨大なトリ。持っていた槍先に不機嫌を全て乗せて、烏の姿をした暗鬼に跳びかかります。それを見て慌てるあかね。

「莫迦っ!!右にもいるんだよ!」
「えっ…!?」

 風見の右、壊れたタンスの残骸を越えて踊りかかる暗鬼。
 その後の記憶は…。


「…ぶ?だいじょーぶ?とりちゃん」
「…え?」

 目を覚ますと、視界いっぱいに安堵しているあかねの顔。隣りでやや疲労している歩。おそらく懸命に回復術を使ってくれたのでしょう。何があったかを理解すると、自分の未熟さに恥ずかしさだけが残ります。申し訳なさそうな顔で、風見がつぶやきます。

「ごめん…なさい、あかねさん。歩さんも…」
「まーたっく助かったからいいけど、とりちゃんもちっと考えてから行動してよね」
「まあ二人とも。とにかく無事終わったんだからいいじゃないですか」

 にこやかに言う歩。日も落ちかかって、あたりは暗くなりはじめています。他の識の人たちはもう帰ったようで、誰も残っていません。あかねが風見に言います。

「それじゃあ…とりちゃん」
「え?…何」
「そろそろあたしが『とり』って呼んでも気にならなくなってきた?」
「え?ああ…そうね、そう言われると」

 おそらく急にいろいろ起こったせいでしょうが、言われると先程からあかねは風見のことを「とりちゃん」と呼びつづけています。

「良かったー。やっと慣れてくれたのね」
「え?」
「あたし風見ちゃんって呼びにくくてさー。せっかくのトモダチなんだから名前で呼びたいじゃない。だから二人でいる時とかいろいろためしてたんだけど、とりちゃんすぐ怒るんだもん」
「あはは…よっぽど今までからかわれてきたのかな」
「それじゃ、そろそろ行こーか。日が暮れちゃうよ」

 手を差し出すあかね。それを握り返して、立ち上がる風見とり。この日以来赤坂あかねは風見とりの事をとりちゃんと呼ぶようになって、とりの方も冗談以上には怒らなくなりました。

 1999年5月23日。風見とりに初めて識の友人ができた日です。

おしまい

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