風と鳥と空 第七回


 樫森羅紗さんと藤木夕くんの仲が良いらしい。とても良いことだと思う。あの夕くんが他人を好きになるなんて、一年前からは信じられないことだもの。らさりんは普段は無口で表情もすくないけど、誰よりもやさしくて、あったかい人だってことをわたしは知っている。いや、たぶんみんな知っている。

 でも、この気もちはなんだろう。

☆清濁流静の中で

 時はまだ平成11年。暦は四月、春の日差しはあたたかく。私立清条学園は都市伝説研究会。学校の図書館を利用して、一般に開放している市民講座があります。異生を隠すために識が主催している研究会は、一般の人の怪奇現象への興味を誘うとともに「常識」を語ることで興味を興味で満足させてしまうことが目的とされています。不思議なものの存在が好きな人と、不思議なものの存在を信じる人とは違いますから。

 そして、識とは不思議なものの存在を知る人たちの組織です。

 私立清条学園。一年ほど前、風見とりはひとりの少女と知り合いました。同年代の彼女の名前は鵜川知美と言います。それほど親密な友人というわけではありませんでしたが、都市伝説研究会に関わる、いえ、それ以上の出来事の中でふたりは親友とは呼べないくらいの知り合いになりました。風見とりさんが、風見とりさんの知っている鵜川知美さんが今はもういない人であることを知ったのは、ずっと後のことです。

 いまはもういない彼女のために。

☆たいくつな午後

 平成12年2月27日日曜日。学園の授業もおちついて、一年間、識の人々を賑わせたいろいろな事件もおちついて、とてもひさしぶりにたいくつな午後。たいくつな平和が誰にもあたたかく歓迎される時間。きっといずれまた、たいくつなんてしてられない日々がくることを、誰もがみんなわかっていたと思います。だからこそ、たいくつな今のうちに誰もがその平和な時間を満喫しようとしていたのでしょう。

「…とりちゃん、とりちゃん?」
「…え?あああ、ごめんあかねさん、何?」

 日当たりのいい窓際で。あいかわらず反応のにぶい風見とりに、ややあきれた感じの表情になって赤坂あかね。考えてみれば、こうしてあかねの呼びかけで事が始まる例がとても多い気がします。その多くはとりが自身持ち込んだ悩み事ややっかい事であるんですが、あかねにそれを気にする風はありませんでした。識の中でも落ちこぼれに類するとりですけど、たいせつな仲間がいてくれるのならそんなことはどうでもいいことなのかもしれません。

「まぁた心配事があるんでしょ。とりちゃんが静かな時って悩んでる時か考え事してる時かなんだから」
「…ごめん」

 それが謝るに値することなのかどうかわかりませんでしたが、とりあえずとりは謝ってしまいました。その性格自体、彼女の考え事あるいは悩み事の多さを物語っているのかもしれません。同じ静かにしているだけでも、それがただ考え事をしているだけなのか、悩み事があるのかくらいはあかねにはきっとすぐに分かることでしょう。仲間とはそういうものなんじゃないかなと思います。

☆清濁流静の中で

 冬蟲。とうこ、という異生。識の一派である吉野鵜川の里、蟲毒の秘術によってつくられたそれは、吉野鵜川の里を滅ぼし、吉野鵜川の一人の人間によって救われました。まだ幼かった少女の名前は鵜川朱美、知美の姉でした。

「人も異生も…同じ命なのに…」

 冬蟲はその朱美にとりつき、朱美は冬蟲に操られるままに妹である知美に手をかけました。そのことを知った後で、それでも朱美は言いました。

「異生を、斬らないで」

 冬蟲は夏草という異生を産み出し、夏草は草月という異生を産み出し、草月は草憑きとして人にとりつき、その数を増やします。草月はとりついた人を殺しはしませんが、草憑きは夏草の、そして冬蟲のことばに従います。冬蟲は夏草の、草憑きの苦しむ心を糧にして、笑みを浮かべてきました。

 騰黄。とうこう。冬蟲が吉野鵜川の里を滅ぼしたその頃、渡海文殊という異界からつれてこられた生物がいました。騰黄は感情を持たず、人の感情に弱く、人の精にとけこまなくては生きることができない生き物でした。騰黄は「死んだ」鵜川知美にとりつき、知美として生きてきました。騰黄は完全なる生命体でした。なにしろ自分が騰黄であることさえも知らず、ずっと知美として生きてきたのですから。


 異生がなぜ異生なのか、
 それは我々が識らないからだ。
 識ってしまえば、
 それは異生にあらず、ただの生にすぎない。

 識ることだ。

 全ての異生を知れば
 その時異生はただの生となり、

 識は無敵となるのだから。


 最後に騰黄が語っていたことばを思い出す。風見とりの知っている知美は騰黄でもあり、でもそんなことはどうでも良くて、とりの知っている知美はとりの友人の鵜川知美さんでした。友人の命を助ける。この一年ほどの間、とりが考えていたのはただそれだけのことでした。そして、ただそれだけのために多くの犠牲が出て、でも、風見とりは友人をたった一人だけ、助けることができました。

 病院のベッドで、既に去っていなくなった騰黄の代わりに、鵜川知美が寝ていました。長い長い沈黙を破って自分を呼んだ彼女のことばに、涙を拭おうともせずにとりは言いました。

「だから、とりって言うな…」

☆たいくつな午後

 平成12年2月27日日曜日。草憑き騒動もいちおう落ちついて、世は全て事もなしという程でもなくて、既に草憑きとなってしまった人々にとってはこれからも草憑きとして生きるのか、浄術で草月を落とすのかと様々な選択を迫られたことでしょう。中には死に到る傷病を草憑きの力で癒した者もいるのですから、何が良くて何が悪いかなんてことは決めようがありません。それぞれの人々が、それぞれの場合において何とかすべきことなのだと思います。草月という異生を人に寄生するものとして殺すのか、人と異なる生き物として生かすのか。異生を殺すことを生業とする識にとって、いずれの選択を取った者も責めることはできないでしょう。大切なのは、自分の意思で決めることだから。

「風見さん、無事だったんですか!?」
「夕くん…ごめん、心配かけたかな」

 風見とりの巻き込まれた、風見とりが好き好んで巻き込まれた事件は、未熟すぎるほど未熟な彼女の実力にはとても合わないものだった筈です。下格の上、一般人より鍛えられた程度の腕で、上格以上の人間すら相手にしないといけないのだから…止めないといけない。大切な友人を守るために。

「他人を心配させるのは未熟な証拠ですよ。羅紗さんも心配してましたし」
「あは…本当に、ごめん」

 考えてみれば、この一年間とりはみんなにあやまりつづけていたような気がします。未熟で落ちこぼれの彼女を、みんながどれだけ心配したことか。
 草憑きの事件が佳境に入るにつれて、風見とりはいつもの仲間に会うこともできなくなってきました。年が明ける頃から、彼女が帰ってくるまで二ヶ月ほどの時間が必要だったのですが、その間も楠門の本家からは、一介の下級剣者の情報など届いてはきません。ただ、彼女が関わっている事件のことを知った時、彼女を知る多くの人は心配せずにはいられませんでした。

(この人は、異生ですらきっと助けようとしてしまうだろう)

 穏やかな見た目とは裏腹に直情的な女性。この人は、識に背いてでも人であろうとするだろう。藤木夕の感じていた不安は、風見とりの考え方それ自体が識のそれとは悲しい程に相いれないものであることを知っていたからこそのものでした。異生ですら助けようとする彼女の考えはある意味とても危険なもので、

(風見さんが斬られるとしたら)

 異生によってではなく、識の手によって彼女は斬られるだろう。だから、彼女が識の中でも落ちこぼれであったことは夕にとっては喜ばしいことでした。下級剣者の処遇など、識の本家が真剣に考えるものではないから。彼女の未熟さが彼女を危険から遠ざけてくれるだろう。そう思って安心していました。自分を理解しようとしてくれる、数少ない人を失いたくはないから。


「よお坊主、まだ生きてたのか」
「ご老人の方が余命は短いですからね」

 藤木夕に話しかけた相手は迂南獅良。相性の悪さ、あるいは相性の良さがあるにしても、夕のことを理解しようとしてくれる数少ない人の一人だと思います。どうしようもない相性の悪さ、あるいは相性の良さはあるんですけど。

「何だ今日は樫森の嬢ちゃんとは一緒じゃないのか?珍しいな」
「…どういう意味ですか」

 わずかに顔を赤くして、不機嫌そうに反応する夕。年齢と経験の差か、いまだ補いようのない余裕を持っている獅良は夕にとっては最も苦手な人間だったでしょう。人間関係の苦手な藤木夕が、樫森羅紗に好意かそれ以上のものを持っているのは幾人かにとっては周知の事実でした。夕にはそれを隠せるだけの経験はまだまだ不足していましたし、それは知性とか理性で補える類のものではありませんから。

「悪ぃな。ちょっと嬢ちゃんに用があってよ」
「?どうしたんですか」

 獅良が羅紗に用事があるというのは珍しい例に思えます。

「いや、とり嬢ちゃんの件なんだけどよ、確か仲良かった筈だと思ったんでな」
「???」

 更に訳の分からないという顔で夕。とりと獅良の関わりというと、同じ楠門の所属ということくらいしか思いつきません。夕の疑問に答えるように獅良が説明します。

「うーん。お前には言っちまっても構わないかな。とり嬢ちゃんが楠門から謹慎処分を食らっちまったんで、他門の人間に口添えを頼むようにあかね嬢ちゃんに頼まれたんだけどよ。本当は俺様が口出しするような問題でもないんだが、嬢ちゃんのこと知らない訳でもないしな」
「風見さんが謹慎ですか!?」

 驚く夕。獅良の話では、風見とりは楠門の本家で謹慎処分を受けている最中ということでした。上格の識に刃向かい、異生を助け、異生を斬ることを拒む者…謹慎を受ける理由としては充分なものだったでしょう。


 楠門本家にある、別棟の一室。呼び出しを受けたとりは、今回の事件について譴責処分を受けました。おとなしく聞いていれば何もことは起こらなかったのでしょうが、異生を斬る識の存在そのものに対して批判をしたために、とりはそのまま残って『反省』させられることになりました。口論の発端は既にだれもおぼえていません。

「…ごめん、あかねさん。わたしの言ってるのは単なる口だけの理想論だけど、それでも識が暗鬼を、異生を無条件で斬るのはまちがってるとわたしは思う。わたしも異生を斬ったことがあるけど、人間が異生に殺される理由がないなら異生にだって人間に殺される理由なんてないんだよ。そしてわたしは多くの犠牲を出した異生を助けようと思ってしまった…識として、わたしの行動はまちがってるのかもしれない。でも、だからといってわたしは識であることをやめたくはない。識の人間全てが、識の定めた考えに従わないといけないなんて、それこそまちがってるよ」
「…とりちゃん…」

 異生にもいい子はいるじゃないか。異生が異生であることを斬る理由にする、とりが感じた最大の矛盾がそこにありました。矛盾に目を背け、お互いが黙っていれば起きる筈のない波風。あかねはとりをなだめながら、不器用な主張をする彼女を批判する気持ちにはなれないでいました。彼女のような考え方をする人間は、たぶん識の中には必要なんだと思う。はっきり言ってめんどうでうっとうしくてそんなことどうでもいいじゃないか、と言われても仕方のないようなこと。それでも。

「だめだな、わたし…一眼流剣者としては雑念が多すぎるね」
「そうだね…」

 こんな時、同門の仲間であることが、かえってあかねの口を塞いでしまいます。


 異生を、斬らないで。
 いしょうを、きらないで。


 ぱんっ。

 何も言わず、樫森羅紗の掌が風見とりの頬を打ちました。乾いた音があたりに響きます。

「…目が覚めたか?」
「…う、うん。ありがと…らさりん」

 赤くなった頬に軽く手を当てて。とりは不思議と満足そうな顔を浮かべています。楠門本家の別棟、とりが反省させられていた部屋で。事情を聞いてやって来た羅紗はとりに会うと、何も言わずに平手打ちを与えました。たぶん、今の彼女に一番必要なことだと信じて。
 自分を叱ってくれるやさしさ。とりの主張や行動が間違っているかどうかはどうでもよくて、迷宮の奥へ進もうとする心を止めるにはこれが一番良い方法でしょう。そう思ったとしても、他人を叱る優しさと強さとを持った人はそうはいないものです。

「全く。悩むのもいいが時と場所を考えた方がいいぞ」
「そうだね、あかねさんや夕くんにも迷惑かけちゃった」

 この後、騒動を起こしたことを誤りに行ったとりは結局一週間程の謹慎処分を受けることになりますが、疲れた身体と精神を休めるためにはちょうどいい時間を得ることができたことでしょう。




☆風と鳥と空

 あの時、ようやく気付くことができた。痛みよりも優しさに包まれた頬を撫でながら、わたしは理解したんだ。わたしは、らさりんが、樫森羅紗さんが好きなんだって。
 そして、一緒に理解した。わたしは、このことを藤木夕くんに伝えないといけない。他の誰でもない、夕くん自身のために。万が一にでも、あの子がわたしと同じまちがいをしたらいけないから。わたしが大好きな少数の人たちに、わたしは幸せになってほしいと思うから。

 伝えよう。想いではない、わたしの思いを。


 それは、風見とりが謹慎処分を解かれてからしばらくぶりの戦いでした。騒動が落ちついたとはいえ、暗鬼や異生がこの世から消えてなくなった訳ではありません。何も知らない人々を守るために、暗鬼を滅ぼすために、今日もどこかで識は戦い続けているのです。疑問を持つ者も、そうでない者も。
 今回、とりは後衛でサポート役にまわされていました。謹慎の内容を思えばある意味当然の対応だと思いますが、今の自分が暗鬼を斬れるかどうか、とりには奇妙な確信がありました。

(たぶん、斬ることができる)

 異生を斬ることに疑問を覚えてなお、異生を斬ることができる。その矛盾を知った者こそが、異生を斬る資格を持っているのかもしれません。いずれ、自分が斬られる時を覚悟するために。

 その異生は草憑きでした。すでに本体と同化した草憑きは、浄術で滅ぼしても本体自身も耐えられずに死ぬことになります。このあたりでは珍しくもない、一匹の野良猫に憑いた異生。まだ小さな子犬の死体をくわえた『それ』は、友好的ではない視線を目の前の識に向けると、身を翻して逃げ出そうとしました。目の前の識、藤木夕は一刀で−一刀にも見える数十の刀捌きで−異生を葬り去りました。かすり傷一つ負う者もなく、息一つ切らす者もなく、簡単に解決した事件。かつて野良猫だった『それ』に歩み寄った夕は、思わず呼吸を止めることになります。

「…!」

 死体の側の木の影、葉陰に隠れるようにして二匹の子猫がうずくまっていました。自分の殺した野良猫の子、かつては野良猫の子だったもの。一方の子猫がもう一方を喰い殺し、信じられない程の跳躍力で襲いかかってくるようなことがなければ、さすがの夕も茫然自失することはなかったでしょうけれど。あるいは、彼がしばらく前までのような、戦う為の完璧な機械であったなら。
 羅紗の方陣が障壁を張り、とりの槍先が異生を貫くまで、ごく短い筈の時間が夕にはとても長く感じられました。


 そこは、古い古い木々に囲まれた林の中にある公園でした。藤木夕が風見とりに呼ばれたのは、それから少ししてからのことです。

「大切な話があるから」

 それは単なる性格のせいなのかもしれませんが、とりは夕に対しても年上の女性ではなく対等の友人として接していたように思います。嘘をつかない人の前で嘘をつく気にはなれない。彼女の前では、夕は韜晦して心をごまかすことがあまりありませんでした。

「何ですか、お話って」
「うん…わたしね、らさりんの…羅紗さんのことが好きなんだ」

 ある種の先入観からでしょうか、思わず引いてしまう夕。いたずら好きな子供のような笑みを浮かべて、とりが話します。

「もちろん変な意味じゃなくてね。でも、夕くんとわたしの想いはたぶん一緒だと思うよ」
「え…?」

 意表をつかれたような顔をして、夕はかすかに顎を上げます。その夕に顔を近づけるように、とりは話し続けました。

「らさりんって凄く優しい人だからね、この人はわたしを助けて、わたしの足りない所を補ってくれる。わたしはたぶんそう思ったんだ。でもね、この一年くらいわたしはらさりんに何かしてあげたかなって思うと、ぜんぜん思いつかないの」
「…」
「らさりんだけじゃない。あかねさんにも、みんなにも…そして、わたしが殺した異生たちにもわたしは何かしてあげたことがあるのかなって」
「…そんな事を考えるのって、たぶん風見さんくらいですよ」
「そうかもね。で…夕くん」

 更に夕に顔を近づけるとり。

「夕くんはらさりんのこと好き?」
「…好きですよ」

 照れた顔で夕。

「うん。君が他の人を好きになれるっていうのは凄く大事なことよ。でも君はちゃんとらさりんのために彼女のことを好きになってるか、自信がある?」
「え?」
「自分の心を助けてくれるから、彼女を好きなのは当然だけど君はらさりんのことを助けてあげられるの?それができないなら、夕くんの想いはわたしの想いと一緒だよ」
「…」
「自分のためだけでなくて、自分と彼女のために彼女を好きになってね」
「…努力してみます」

 その後、とりの浮かべた笑みは夕の心に深く残っていました。


 たいくつな午後。


 幾人かの親しい友人を呼んで、とりがしばらく会えなくなることを告げたのは、3月を少し数えてからのことでした。

「えーっ。急にどうしたのとりちゃん?」
「ごめん。ちょっとやりたい事があって」

 京都にある、楠門本家に通じる古い古いお寺の書庫。そこには何百年もの間、代々の識が綴ってきた異生の記録が眠っています。そこに入って異生の生態について本格的に調べること。門外不出の書庫ですから、一度入ったらしばらく出ることは許されていません。

「3月末の卒業と同時にお寺に入ろうと思うんだ。だから、しばらく会えなくなるから」
「…淋しいなあ」
「ありがと。でも長くても1年か2年で帰ってくるよ。そのあと大学にも行きたいしね」
「そしたら紅葉やらさりんと同級生になっちゃうよ」
「あはは。それもいいなあ」

 またすぐに会えるから、それまでのほんの短い別れ。そのあとで、前よりもみんなを助けられる自分になっていることを願って。自分の大切な人たちを守ることができる自分になるために。

「じゅあ、お別れ会はらさりんの誕生日と一緒だね」
「ごめんね」

 とりあえず謝ってしまう自分。それも最後にしたいな。


 風見とりさんは、行ってしまった。

 今年か、来年か。12月には帰ってくると言っていた。それが僕の誕生月だという事に、僕はすぐに気付く事ができた。それより、充分満足がいくまで識と異生の歴史を調べてきたほうがいいと伝えた。風見さん自身の願いのために。
 この一年、風見さんの識としての格は下の中から下の上へ、一つ上がっただけに過ぎない。混乱期にある数多くの事件の中、三つや四つの格が上がった人の方が多かったというのに。

 たぶん、彼女はこれからもずっと下格でいるんじゃないかと思う。
 僕は、それでいいと思う。

おしまい

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