第十三回



☆聖なる夜

 速波水生と天野健一。幼なじみの二人が結ばれたのは、聖なる夜のできごとでした。

 それは田中薫の淡い心に小さな傷をつくりましたけれど、
 きっと時間と心だけが、それを癒してくれるのでしょう。

 小さな傷あとは残っても、傷はやがて消えてしまうものですから。


☆せいふくもの

 平成9年12月某日。聖林檎楽園学園もとい聖ルーメス学園。よく晴れた冬の朝、駅から学園への道をてくてく歩くのは井良かおるでした。てくてくてく。コートのポケットから小さな瓶を取り出すと、栓を開けて瓶をかたむける井良。当人曰く「命の水」アルコール度数たっぷりの清涼飲料水です。
 よく晴れた冬の日の朝。通学時間のわりに、あたりはとても静か。通学時間のわりに…井良の視線の先、校舎に見える時計の針は既に11時を過ぎています。飲んだくれての重役出勤。
 のたのたとやる気なさそうに歩く井良。その後ろからてててと足音が聞こえてきます。井良が身をかわすように身体をひねると、そのわきを一人の少女が通り抜けました。線の細い、きれいな長髪が風にゆれます。

「なんだシーファリー。こんな時間に何してんだ?」

 えらそうに他人の事が言えるかどうかはともかく、井良の言葉に少女は振り向きました。

「え?ええその…お早う、先輩」

 端正な顔に、ひきつった笑みを浮かべる少女。その両手には何やら奇妙な棒が握られていました。背中に背負った大きな機械からつながった2本の棒の先から、ばちばちと妖しげな光がはじけています。五月倶楽部兼化学部所属シーファリー・ミックス。彼女が何を考えているのか…たぶんだれにもわかりません。たぶん。

「まあいいか。それより早く行かないと遅刻するぜ」
「そうね、早く行きましょう」

 もちろんもうとっくに遅刻になる時間なんですが、井良はあわてた風もなくシーファリーに背を向けると、のんびりと歩き出します。朝早くからほどよい感じでアルコールがまわっているんでしょうか。その後に続くように、シーファリーが小走りで駆け寄ります。両手に握った2本の棒から、ばちばちと妖しげな光。

 悲鳴。


「シーファリーくん今日欠席したんだって?担任の先生から聞いたぞ」

 その日の午後、聖ルーメス学園化学部の部室にて。シーファリーと同じく五月倶楽部兼化学部所属の顧問、深山幸志郎先生が話していました。あいかわらず用途のよくわからない、大きな機械を背中に背負ってシーファリーが振り向きます。

「すいません先生。ちょっと実験に熱中しちゃってて…」

 申し分けなさそうに言うシーファリーの両手には、ばちばちと妖しげに光る2本の棒がまだ握られていました。何の実験なのかは問い返さず、軽くあきれたように幸志郎。

「…しょうがないな。どうも君は物事に熱中すると、まわりが見えなくなる傾向があるからね。少し気をつけたほうがいいよ」
「はい。先生すみませんでした」

 まだ教師一年目で、昨年までは学生だった幸志郎。その分生徒の心がわかる寛容さと、その寛容さが甘くなりすぎるきらいがあるんですが、このあたりは本人の性格も影響している事でしょう。

「それじゃあ僕は五月倶楽部の部室の方に行くから。後できちんと担任の先生に誤っておくんだぞ」
「はい。私も後で五月倶楽部の方に行きます」

 シーファリーに手を振って、部室を出て行こうとする幸志郎。扉に向かう幸志郎の背中に、シーファリーが小走りで駆け寄ります。両手に握った2本の棒から、ばちばちと妖しげな光。

 悲鳴。


 よく晴れた冬の一日。真横からさしこんでくる透き通った日差し。聖ルーメス学園五月倶楽部の部室から、ジュージューとフライパンの奏でる音が聞こえてきます。ポンポンと器用にホットケーキを返しているのはシュリ・エトレ。エプロン姿の背中ごしに、元気な声が聞こえてきます。

「せんぱーい、おやつまーだー?」
「はいはい。今できるから待ってなさいね」

 子どもをあやすような口調でシュリ。その後ろでカンカンと食器を叩く音が聞こえてきます。おなかのすいた子どものリズムを奏でているのは、明石カンナとシャルロッテ・パストル。できたてのケーキをお皿に乗せて、ややあきれ顔でシュリがやってきます。

「まったく子供みたいな事してないで。はい、ケーキできたわよ」
「わーい、待ってましたーっ」
「さっすがおかーさん感謝してまーす」
「誰がおかーさんよっ」

 ぽこんっ。フライ返しでシャルロッテの頭を軽く叩くシュリ。すっかり待ちくたびれた二人の女の子は、がつがつと激しくケーキを食べはじめました。

「…もう少しおとなしく食べられないの?」
「らってお昼派手に遊びすぎちゃって。もーお腹すいてお腹すいて」
「あーっ。シャル取りすぎ、半分こでしょお」
「また作ってあげるからケンカしないの」

 五月倶楽部入部以来、手のかかる弟妹が急に増えた感のあるシュリ。本人もそれを喜んでいるあたり、北翔風香さんと並んで「五月倶楽部のおかーさん」的存在になっているようです。

「?私がどうかしたんですか」

 あらら。その風香さんがやってきました。シュリが入部するまで五月倶楽部のお茶菓子担当は風香がほとんど一人でやっていたせいもあって、最近はお互い好きな時におやつ作りができるようです。食べる方にしてみれば作り手が一人より二人の方がレパートリーが増える訳だし、家庭的なシュリの料理とやや趣味的な風香の料理を選べるのだから万々歳でしょうか?まだ口の中にケーキをほおばりながらカンナが言います。

「風香先輩。どこ行ってたの?」
「ええ…ちょっとね」
「もしかして…薫のとこ?」
「…ええ。今日も休んでるみたいだったから」
「しょうがないよ。すぐ立ち直るだろーし、しばらくほっといてあげようよ」
「そうね。けっきょく今日も会えなかったし」

 五月倶楽部会計の田中薫くんが、速波水生さんに失恋したのはつい先日の事。それからしばらく薫は部に顔を出していません。薫と同じクラスといえばパートナーのカイル・グリングラスくらいで、授業が終わると消えるように帰ってしまっているようです。心配そうに風香がつぶやきます。

「でも本当に大丈夫かしら。薫くんすごくショックだったみたいだし」
「…まーね。でもあたしはカイルの方が心配だけどね」

 カンナの言葉に意外そうな顔をする風香。

「薫はあれで強いとこあるからほんと大丈夫だと思うよ。でもカイルなんかは薫につられて落ち込んじゃうと、立ち直るのつらいんじゃないかなあ。まあ薫が一緒にいるから逆に大丈夫だと思うけどね」
「あ。そんならカンナが行って慰めてあげればいいじゃない☆」

 場の雰囲気をなごませようと、茶化すように言うシャルロッテ。

「そーだねっ。アタシのオンナノミリョクを持ってすればカイルくらいどーにでもなるから」
「まあ、戻ってきたらいつもどおりに出迎えてあげましょ。その時は私もとくべつおいしいケーキ焼いてあげるから」

 シュリの一言。ごく短い冬がすぎて、すぐに暖かい春がやってくるはずなんです。

 でもその前にひと騒動が待っているんです。


「ふっふっふっふ…はっはっはっは…あーっはっはっはっはっ!」

 突然部室に響きわたる笑い声。勢い良く扉が開いて、白衣姿にあやしげな機械を背負ったシーファリーが現れました。あっけにとられるカンナたち。

「ちょっとシーファリー…何してんの?」
「うふふ、みなさんお困りのようですわね。そこで私がいーいものを造ってきましたわ」

 あやしげな口調のシーファリー。『実験』に熱中した彼女が何をしでかすかわからない事は、他の部員たちは充分承知しています。

「さあ出でよっ改造人間一号&二号!」
「いっ、井良先輩!?」
「きゃー、先生っ!」

 シーファリーの後ろから現れたのは、巨大なくまのぬいぐるみに身を包んだ井良かおると、同じく巨大なぺんぎんのぬいぐるみに身を包んだ深山幸志郎でした。二人そろってうがーっと両腕を上げます。

「な、なんなんだ一体!?」
「おーい風香くん。何とかしてくれー」

 なさけない声をあげる井良&幸志郎。どうやら二人とも身体の自由がきかないようです。あきれ顔で叫ぶシャルロッテ。

「お、おいシーファリー!いったい何のつもりだよ!」
「あーら決まってますわ。こいつを使って水生に薫に健一…今回の騒動の元凶たちをぶっ倒しに行くんですのよぉ」
「ちょっとシーファリーさん、冗談はやめなさい!」
「冗談なんかじゃ…あら?」

 シュリの言葉にこたえつつ、何かの気配に扉の側に振り向くシーファリー。そこに立つシルエットは、巨大なパンダのぬいぐるみ…もといターパン人のヤオフェンでした。うがーっと両腕を上げるヤオフェンに、ひきつった顔でシーファリー。

「あ、あら…誰かと思えばプロトタイプじゃない。いったい何の…」

 シーファリーが言い終わる前に、ヤオフェンが迫ってきました。

 悲鳴。


「…だってぇ。水生は泣くほど落ち込んでるし、薫にはぜんぜん会えないし。私だって何とかしなきゃって思うじゃない」

 五月倶楽部の部室。みんなに囲まれる中で、ようやく落ちついたシーファリーが話していました。怒った顔でシャルロッテが言います。

「だーから。それと改造人間とどーいう関係があるの!?」
「わかんないわよぉ。私だって気がついたらこーなってたんだもん」

 すまなそうに言うシーファリー。頭をかきながらカンナが言います。

「まったく…カイルだけじゃなくてここにも心配な奴がいるって忘れてたよ」
「だからって井良さんと深山先生にあれだけ迷惑をかけて…ちゃんと反省してるんですか!」

 やっぱり怒った顔で風香。二人の名前のサイズが違うのは気にしないでください。

「ふええ。反省してます、ごめんなさーい」
「ま、まあまあ風香くん。シーファリーくんも反省してるみたいだし。それに友人の事を気にしての事なんだから、もう許してあげてもいいんじゃないかな」
「まあ…先生がそう言うなら」

 寛大すぎるくらい寛大な幸志郎。けっきょく風香もうなづきます。

「とにかく…もうこんな事しないで下さいね」
「はーい」

 こうしてとりあえず一件落着。シュリと風香が調理場へ戻り、中断されていたおやつの再開に向かいます。ただひとつだけ残った謎が。それを口にしたのは井良でした。

「そーいえばさあ。フェンの奴なんであんなに怒ってたんだ?」

 その言葉にびくりと身をふるわせるシーファリー。はずみで彼女の懐から何かがごとりと落ちました。

 バリカンでした。

おしまい


☆幕間

「もし…もしもね、あたしに言う事があるなら、2ヶ月以内に言うように★」

 明石カンナが、写真の勉強のためヨーロッパに留学することをカイル・グリングラスに伝えたのは、その数日後のことでした。


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