夏合宿
☆SideA.速波水生の夏
〜夏合宿。みんなとすごす夏。あの人とすごす夏。私の思い、届くかな〜
速波水生15歳。聖林檎楽園学園…もとい聖ルーメス学園の一年生。一般に恋愛に関する成長については女の子の方が早いそうですが、水生もすっかり恋に恋するお年頃のようです。
聖ルーメス学園場末のお茶会サークル五月倶楽部。もうすぐその夏合宿が始まります。平成9年8月7日から9日までの3日間。先日水生はちょっと背伸びして新しい洋服と、新しい水着を買いました。
◇
夏合宿当日、8月7日木曜日。いつもよりずいぶん早く目の覚めた水生。バッグを持って家を出て、多魔市の街並みをてくてく歩いていくと、ちょうど家を出てきた田中薫と会いました。
「あ。薫さん、おはようございます」
「おはようございます水生さん」
ペットの二羽のうさぎに見送られて、家を出てきた薫。無邪気な顔であいさつを交わすと、水生とのんびり二人並んで待ち合わせの駅に向かいます。
「今日いい天気で良かったですね、薫さん」
「水生さん昨日良く眠れました?」
「あはは、実はあんまり…なんだかうきうきしちゃって」
とりとめのない会話。さっきまで合宿の事を考えて期待と不安でどきどきしていた水生ですが、なんだか急に落ちついて安心してきたみたいでした。
(薫さんと一緒にいると何だか落ちついていられるのかな?)
なにげなくそんな事を考えながら。二人はてくてくと待ち合わせの駅に向かっていました。
◇
いざ鎌倉。今年の夏合宿の舞台は古都鎌倉です。日も昇ってきた頃、鎌倉駅を降りた五月倶楽部御一行。記念すべき第一声は伊吹舞−マイ・ホーリックス−の口から発せられました。
「さァーやってきました古都きゃば倉デース!!」
「舞さん、きゃば倉じゃなくて鎌倉です!!」
お約束にすぎるお約束にどうにかつっこんだのは北翔風香。まっすぐのびている鶴岡八幡宮を前にして、前途遼遠が思いやられます。つきそいの顧問役、深山幸志郎が言いました。
「それじゃあどうしようか?遅れてくる連中もいる事だし、八幡宮まで行って待ってるか」
駅で待っていようか、と言わないあたりがビミョーなところかもしれません。今年教師一年生になったばかりのOB様です。風香が言いました。
「遅れてくるのは東郷さんと真琴さん、それから待っていてもらった部長と志麻さんの四人ですね」
貧乏くじを引いた伊吹神楽部長と「せっかくだから私も一緒に待っていてあげるわ」と言って残った秋野志麻。普通なら冷やかしの声とかも出るのかもしれませんが…志麻の本命が遅れてくる真琴の方にあるのは周知の事実です。
「あれじゃあカーマイン先輩と並んでヘンタイ扱いされるのも無理ないよな」
ぽつりと呟いたカイル・グリングラスの言葉にすばやく反応したのは当のカーマイン・ロッドでした。
「ちょっと待てカイル。だれが変態だと言うのだ」
「え?先輩もしかして自覚なかったの?」
あまりに意外という表情のカイル。険悪になりかける雰囲気に助け船を出すかのように、明石カンナが間に入りました。
「そうだよねえ。似た者同士のカイルに言われたんじゃあカーマイン先輩も頭にくるよねえ」
カンナさんそれは火に油をそそいでると言います。
◇
鶴岡八幡宮で遅刻組とも合流、記念写真。
「そういえば史穂さん。今日はベルセンスさんは来てないんですね」
「え?ええ…そうねえ」
風香の問いにやや歯切れ悪くこたえるのは野村史穂。彼女のパートナー、ベルセンスは何故か今回の夏合宿を欠席しています。史穂の後ろを大仏のお面をかぶった男がてくてくと横切りました。思わず話しかける風香。
「ちょ、ちょっと…あなた、ベルセンスさん?」
「え?いやですねえ。わたしはただの通りすがりの謎の大仏男ですよ」
謎の大仏男はずるずると史穂に引きずられていきました。
◇
そういう訳で鎌倉と言ったらやっぱり大仏さま。
「オーあれが噂の使徒ダイブツエルでースね」
「舞…頼むから文化財にそーゆうつまんない冗談をかますのはやめてくれ」
合流早々舞のお守り役に戻った神楽が言います。
「でも肉眼で確認できるホドのATフィールドを…」
「展開してる訳ねーだろ!」
私あのお話ちょっと見ただけなんですけどね。離れた所から飛鳥洋の相変わらずの叫び声が聞こえてきます。
「きっききき貴様井良かおる!こんな所で酒を飲むとは何を考えておる!」
「何言ってるんだ。こういう所だから風情があっていいんじゃないか」
「未成年が酒を飲むなどそれ以前に言語道断だ!成敗してくれる!!」
飛鳥の振り回す竹刀をひらひらとかわして酒を飲み続ける井良。彼のパートナーのヤオフェンが呟きます。
「かおるくん前より身が軽くなったねえ…」
「うむ。この私がいろいろ伝授したからな。飛鳥の竹刀を避ける事くらいたやすい事だ」
やはり遅刻組の東郷真澄が言いました。これ以上やっかいな人を増やしてどうしようと言うんでしょう?
ちなみに知ってる人は知ってると思いますが、大仏さまや観音さまの像って中身は空洞なんですよね。ご多分に漏れず鎌倉の大仏さまも中に入る事ができるんです。薫たちと一緒に大仏像の中に入りながら水生が言いました。
「うわ…思ったより暗いんですね」
「ほんと。でもこーゆーとこって何がある訳でもないけどとりあえず入りたくなっちゃうのよね」
水生の隣でカンナが言いました。後ろから薫も入ってきます。
「でもほんとまっくらですね」
「そうですね薫さん」
「やっぱり鎌倉の大仏さまだけになかぁまっくらなんですね」
「…」
「あの…鎌倉の大仏さまだけに…」
後ろからカイルの手がそっと薫の口をふさぎました。
◇
ひととおり鎌倉観光。
そういえば合宿の名目はどこに行ったんでしょう?誰もそんな事気にしていませんね。夜になって一行も宿に入り、ひと休みの後また外へ。五月倶楽部夏合宿恒例肝だめしの時間です。
「あの…あの…本当にきもだめしやるんですか?」
「だいじょーぶだってみいちゃん。あたしがとっておきの脅かし方を披露してあげるから♪」
今回の夏合宿で水生が唯一心の底から嫌だった肝だめし。そんな水生に返ってきた言葉は『問答無用』でした。脅かし役のカンナも無責任に水生の恐怖心を煽っています。
早々と出番の回ってきた水生は二番目のペア。隣にいるのは薫です。
「か、薫さん…何にも出たりしませんよね…」
「で、でも水生さん肝だめしなんだからまさか本物のおばけなんて…」
「きゃあああっ!いない、いないんです!本物なんていないんですっ!」
妄想いっぱいの自分を何とか押さえようとする水生。隣の薫もあたりの雰囲気に怯えきってるのにまったく気づいていません。見送る人たちの不安は五分もたたないうちに現実のものになりました。
「きゃあああっ!!」
「わああああっ!!」
暗闇にひびく水生と薫の声。半泣きで薫に抱きついている水生と、その水生を連れておどおどしながらも先に進む薫。脅かす側からすれば理想的なカモですね。
「あぁぁぁん…もう嫌…助けて薫さぁん…」
「水生さん…きっともう少しですから…」
水生の方はもう半泣きどころじゃなくなっているみたいです。なんとかなだめている分、まだ薫のほうが冷静なのかもしれません。そんな二人の耳に先の方からカンナの声が届いてきました。
「(よーし、みいちゃんたちもうすぐくるみたいだね…)」
その声にちょっと安心する二人。仕掛けが見えれば恐怖心もずいぶんおさまるものです。二人が気をゆるめたところで、聞こえてくるカンナの口調がとつぜん変わりました。
「(早くしないと二人とも来ちゃうなって…ちょ、ちょっと何いったい!きゃあああっ!)」
最後の叫び声はもうはっきりと聞こえてきました。声のした方にあわてて走る二人の目に、茂みの向こうで倒れ伏しているカンナの姿が映りました。地面には真っ赤な血だまり。
「カンナさんっ!」
「カンナさーん!」
駆け寄ろうとして立ち止まる水生と薫。何かが茂みの中からカンナの足をつかんで引きずり込もうとしています。
ずりっ…ずりっ…
地面に血の跡を残し、うつ伏せのままずるずると引きずられるカンナの身体。突然茂みから躍り出た生き物がカンナの身体に跳びかかり。
飛び散る、鮮血。
「きゃあああああああああっ!!!!」
「わああああああああああっ!!!!」
そして暗転。ブラックアウト。
◇
「…ちょっとやりすぎたんじゃない?」
「うーん。つい調子に乗っちゃったね」
気を失った二人を介抱しているカンナとベガ・ムーンスケイプ先生。ベガ先生の召還獣とカンナの迫真の演技だったんですが、ちょっと迫真すぎたようです。困ったような顔をしているカンナとベガ先生の後ろを、怪しげなお化けのお面をかぶった男がてくてくと横切りました。思わず振り返る二人。
「やあ。わたしはただの通りすがりのお化けです」
どこからともなく史穂が現れて通りすがりのお化けをずるずると引きずっていきました。
◇
翌日。夏合宿二日目です。
夏と言えば海。鎌倉の海。海と言えば…。
「き、貴様井良かおる!また懲りずに酒など飲みおって!」
「何を言ってるんだ。海と言ったら酒を飲まずにどうする」
「えーい訳のわからん事を言いおって!成敗してくれるわっ!!」
飛鳥の振り回す竹刀をひらひらとかわして酒を飲む井良。満足げな表情で真澄が言います。
「うむ。彼の動きもなかなか堂に入ってきたようだ。これで後は『ワシがその蘇ぢゃよ』と言えば完璧だなっ」
「『酔八仙拳』ですか?今時誰も知りませんよ」
つっこむヤオフェン。でも何でヤオフェンさんはそんなこと知ってるんですか?
◇
夏と言えば海。海と言えば速波水生の舞台。
ビーチバレーにすいか割り。遠泳潜水泳ぎの競争。ぷかぷかと波の上にただよって。浜辺でずるずると史穂に引きずられていく謎のすいか男。でも。何故だか水生は薫とだけは一緒に遊びませんでした。
昨日の肝だめしの後、水生は薫とまともに話してもいません。昨日の醜態が何だか気まずくて、恥ずかしくて、つい話しそびれてしまうんです。
(やだな。嫌われちゃったりしてないだろうな…)
泳いでいる時にふと見せた水生の表情。それを見ていたのはパートナーのシーファリー・ミックスでした。
◇
「え?薫さん達と県立美術館行かないかって?」
「そーよ。カイルに誘われたんだけど、どう?」
午後の自由行動。最初水生はシーファリーと沖の方に出て泳ぐつもりだったんですが、当のシーファリーから誘われたので県立美術館に行く事にしました。あんまり友だちと気まずいのも何だし、薫さんに軽く謝っておいた方がいいかな、と思った事もあります。
「え?水生さん達と県立美術館行こうって?」
「そーだよ。シーファリー達も行きたいって言ってたからいいだろ?」
一方薫とカイル。こちらは最初から県立美術館に行く予定だったので、何だか水生さんと気まずかったから、もしかして謝っといた方がいいのかな、と薫は思っていました。
二人ともけっこう性格が似てるのかもしれません。
◇
午後の県立美術館。水生と薫は一枚の絵の前にじっと止まっていました。
「何だかすてきな絵ですね…」
「そうですね…何だか懐かしいっていうか」
知ってますか?
別に魔法世界でなくても、絵には魔法がかかっているんですよ。
「あの…薫さん。昨日はごめんなさい、何だかご迷惑かけちゃって」
「そんな…ぼくの方こそ…」
「あ、えーと。そうですよね。二人で倒れちゃうなんて、何やってるんでしょうね。あはは」
「…あはは、は…」
ちょっと気まずい沈黙。今度は薫の方から話しかけます。
「えと…この絵、いい絵ですよね」
「そうですね…」
「水生さん、絵って好きなんですか?」
「はい。見るのはけっこう」
「じゃあ今度一緒に横浜の美術館にでも行きませんか?」
「え!?あの…美術館って…二人で?」
「あっいやその別にそんなつもりじゃなくてだから水生さんと一緒に行けたらいいなーってああいえ別に変な意味じゃなくて」
どきどきどき
自分の言葉に動揺している薫。それがどういう感情なのか、たぶん薫よりも水生の方がよく理解していたでしょう。
(薫さんと一緒にいると何だか落ちついていられたのに…)
どきどきどき
その時水生も同じ気もちを味わっていたから。
二人とも、魔法にかかったかのように…。
◇
「ふーん。薫でもああいう事があるんだなあ」
「水生は良くあることだけどね。なーにカイル、妬いてんの?」
少し離れた所で。真っ赤になっている二人を見守っていたカイルとシーファリー。気をきかせたつもりでその場を離れながら、カイルが言いました。
「莫迦だなあ、そんな訳ないだろ。シーファリーの笑顔を見れば他人に嫉妬してる暇なんてないさ」
「…あんたが『多情』だってすっかり忘れる所だったわよ…」
こいつはたまにこーいう事を言うから恐いのよね。
たぶん、一番複雑な思いをしていたのはシーファリーでした。
おしまい〜SideBへ続く〜
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