みっどないと・てぃーぱてぃー第二幕
「あ゛〜あ゛〜あ゛あ゛あ゛〜」
「はい、もう一回」
「あ゛〜あ゛〜あ゛あ゛あ゛〜」
「はーいオーケー。良くできましたー」
平成10年10月末日のある日のこと。聖林檎楽園学園…もとい聖ルーメス学園演劇部の部室にて。教室ほどの広さの部屋の中、元気に発声練習をしているのは松本いずみ。白雪聖良の指導を受けて、一所懸命に声を張り上げています。でも演劇や声楽では本当は声を張り上げるのはよくないんですよね。のどを開いて音は口の中で響かせる。声はおなかから出すのが基本です。
「あえいうえおあおかけきくけこかこさせしすせそさそたてちつてとたと」
「はい、もっと速く」
「なねにぬねのなのはへひふへほはほまめみむめもまもやえいゆえよやよ」
「もっとはっきり発音して」
「アエイウエオアオカケキクケコカコサセシス…あたた、舌噛んだ」
苦労しているみたいです。もともと演劇には興味のなかったいずみ。入部したのもいろいろな事情があっての事なんですが、生来莫迦がつくほど真面目なせいか、それとも本当にもともと演劇が好きだったのか、素人ながら真面目に取り組んでいるようです。それで、面倒見のいい聖良が、いずみにつきあっていろいろ教えています。どれだけ成果があがっているかはわかりませんが。
「文化祭の発表が近づいてますからね。いずみさんもそれまでに発声だけは完璧にして下さいね」
「はいっ。…聖良も忙しいのにごめんね」
「私なら別に構いませんよ。それより続き続き」
「はーい」
ちなみに演目は『歌劇王様の耳はロバの耳』。いずみの役目はバックコーラスだけなんですが、歌劇だけにコーラスがこけたら失敗は目に見えています。重要でない役割なんかどこにもありませんよね。
「王様の耳ー王様の耳はロバの耳ー」
「ああー王様の耳はロバの耳などと口がさけても言ってはいけないのだあああ」
変な演目なのは気にしないでください。
◇
「へー。でもいずみくんけっこう上手くなってるじゃない」
「あら翡翠。本当にそう思う?」
いずみと聖良の練習を見学しながら。部室の隅の壁際に腰掛けて、宝珠翡翠と田中えりかが話していました。美人ながらどこか子供っぽい印象のある翡翠。きっと暇なんでしょう、手にはどこからか持ってきたチョコバナナが握られています。もぐもぐとバナナをかじりながら、えりかに向かって言いました。
「だってこないだより声がよく聞こえてるもん。いいと思うよ」
「まーあれでいずみ頑張ってるみたいだしねえ」
「いーなー、翡翠も何か楽しいことしたいなー」
抱えこんだひざに軽くあごを乗せて、退屈そうにつぶやきます。いつでもどこでもどんな時でも、暇をもてあましている人というのはいるものですね。
自分の居場所を見つけること。
自分のやりたいことを見つけること。
たったそれだけの、とても簡単でとても難しいことができないでいる人たち。小さなきっかけ。小さなできごと。何かを見つけるだけで、変わることができるんです。それはとても簡単で、とても難しいことだけれど。
そんな翡翠を見て、えりかは演劇部に誘ってみようとはなぜか思いませんでした。たとえば松本いずみは演劇部に自分の居場所を見つけようとしているけれど、宝珠翡翠が同じことをする理由も必要もないから。それは、彼女が自分で決めることでしょう。えりかがまだ、いずみの手伝いという以上に演劇部に居場所を見つけていないのが一番の原因なのかもしれません。
もっとも、翡翠もえりかもそんなことで悩むような可愛げのある性格はしていないと思います。そんなに弱くてオンナノコはやっていられませんね。
◇
「あら、翡翠また来てんの?」
「あー美鈴くーん。元気だったー?」
部室の扉を開けて。入ってきたのはカラス天狗の八環美鈴。カラスの羽のような光る黒髪の美人は舞台でもかなり人気があるようでした。翡翠とえりかに視線を向けて、明るい調子で話しかけます。
「なんだか暇そうねー。えりかは衣装の準備とか終わったの?」
「だいたい終わっちゃった。今回は派手な衣装揃えるのけっこう大変だったんだけど、変なのは少ないからその分すぐ終わっちゃって」
頭の後ろで手を組んで。やっぱり退屈そうにつぶやきます。単に作業の終わった中途半端な時間を持て余しているだけのようです。軽くあきれたように美鈴が言います。
「ほんと暇そうね。まあもうすぐいい暇つぶしがくるとは思うけど」
「え?何かあるの?」
急に明るく反応する翡翠。隣のえりかの瞳に光が差し込むのと、部室の扉が開くのはほとんど同時でした。
扉を開けて。入ってきたのは我らがカルマ・アークライエス。長身長髪、やや細身の美青年。真っ先に反応したのは、それまで懸命に発声練習をしていた松本いずみでした。
「あー!カルマさっきはよくも…」
「よっ。いずみ元気にしてたか?」
何かあったんでしょうか。いずみがカルマに奇妙に敵対してるのは、一部の人間にはすっかりおなじみになっています。カルマにしてみれば、茶化しやすくすぐに反応するいずみの事をちょうどいいおもちゃのように思っているのかもしれません。
すでにどこからともなく取り出した金属バットを構えているいずみに、カルマが話しかけます。
「やれやれ。会って早々金属バット構える女の子がどこにいるんだ?」
「ふざけんなっ。あんたあたしの焼きそばパン勝手に食べただろ!」
そういえば同じクラスのいずみとカルマ。まぬけといえばあまりにまぬけな理由に、まわりの人もあっけに取られて見ています。
「おいおいいずみ、そんな事で人を疑うのは良くないな」
「直筆署名入りで『お宝は頂いた』なんてメモ残しといて何言ってんだカルマ!」
「…まったく、焼きそばパン一個くらいで大袈裟な奴だ」
「今週これで三度目だ!もーお許さないんだからっ!」
それはさすがに怒られても仕方ありませんね。挑発してるとしか思えないカルマに、いずみが向かっていきます。戦いが始まりました。
突進するいずみに召喚呪文の詠唱を行うカルマ。いつもの展開。前回の教訓を踏まえて、俊敏なフットワークを駆使して移動するいずみ。すばやく回りこむように、カルマに襲いかかります。カルマの呪文も完成。最初の一撃−ファーストブラッド−を決めた方に軍配が上がるでしょう、二人の戦いはそんな戦いでした。
「よーし、今度こそ!」
カルマの背後に回りこみ、勝利を確信するいずみ。
「フッ、甘いないずみ」
余裕を見せるカルマ。突進するいずみの身体が中に浮いたのは、次の瞬間でした。
どんがらがらがっしゃーんっ
派手に転倒するいずみ。すっ転んだ足元には小さな岩のような召喚獣。
「お嬢さん、夢ばかり見てると現実に足元をすくわれるぜ」
「く、くっそぉ…また…」
どうもカルマの方が一枚上手のようです。手をのばして優しくいずみを助けおこすと、服についたほこりを払ってあげました。
「まあ、焼きそばパンのお礼くらいなら今度させてもらうよ。またごちそうしてくれよな」
「…あんたまたあたしのお昼勝手に食べるつもりかーっ!」
ぶうんっ。軽く身をかがめたカルマの頭上を金属バットが通過していきました。部室が笑い声につつまれます。
◇
自分の居場所を見つけること。自分のやりたいことを見つけること。誰かと関係をつくりあげること。あなたが特定の何かであること。
聖林檎楽園学園…もとい聖ルーメス学園演劇部の部室にて。嵐の去った後の静けさの中。思い出したようにくすくすと、翡翠がえりかに笑いかけました。
「…文化祭終わったら遊び行く予定でもたてよっか?」
「そーだね♪」
どちらからともなく顔を見合わせて。退屈な時間なんて、そうは長くは続きません。
何かを見つけること。
それは、とても難しいけど、とても簡単なことだから。
おしまい
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