みっどないと・てぃーぱてぃー第六幕
☆Act.0
幕が降りる。ミュージカル「ピーター・パン」の終幕。松本いずみの初めての舞台。
怒号。罵声。悲鳴。
闇の中、立ちすくむ。始めての舞台。恐怖が、形になっていずみに投げつけられる。物が飛び交う。罵声が、心を貫く。額に痛み。流れる血。
「ごめん…あたし…」
いずみの声が、怒号にかき消される。その姿も、押し寄せる恐怖の下に埋もれていく。
全てが、闇に堕ちる。
◇
「うわああああああああああああっ!」
悲鳴を上げて、ベッドから身体を起こす。見慣れた寮の天井。
「やだ…また、あの夢だよ…」
最近になって、毎日のように同じ夢を見る。両頬をつたう涙は、まだ止まらない。布団に顔を埋めるいずみ。
「怖い…怖いよお…助けて…」
いずみのつぶやきが夜に消えて行く。今日も、また。
☆Act.1
平成11年3月。聖林檎楽園学園…もとい聖ルーメス学園。
一年程前、演劇部を襲った事件。Xと呼ばれる謎の少年に物語の中から召還された「偉人」という人物たち。その中に、物語に登場するピーター・パンにうりふたつの少女がいました。純粋で、奔放で、わがままで、残酷な永遠の少年。召還された「偉人」は、ピーター・パンの心と力を持つ少女でした。彼女は無邪気な残酷さで、当時演劇部の部長であった小松美佐子を殺害します。
「嫌いだから殺してなにがいけないの?」
「自由気ままに好きな事ができるってすばらしい事だと思わないかい?」
ピーター・パンは、小松美佐子の恋人だった青年に「消滅」させられました。それから、まだ三月と経ってはいません。
学園の年度末、3月の一日。演劇部主催のミュージカル「ピーター・パン」が開催されます。事件に関連して開催が疑問視された舞台でしたが、舞台の成功の為だけに尽力したごく少数の部員がいました。松本いずみも、その一人。
◇
いずみが演劇部に入部したのは事件の少し前の事。きっかけはごく単純でおせっかいな正義感でした。当時「偉人」の取り締まりで部員から孤立しかけていた小松美佐子を手伝う為。もともと演劇に全くの素人であった彼女は、演劇部に入部しました。
生徒に人気のあった「偉人」、トム・ソーヤの取り締まりに協力し、ピーター・パンのミュージカル出演には真っ先に反対し、ありていに言えば、いずみは演劇部の多くの部員から嫌われていました。陰口や孤立に耐える事ができたのは、いずみ自身の強さと、パートナーの田中えりかを始めとする数少ない仲間たちの存在があったからでしょう。
ミュージカル「ピーター・パン」。一連の事件の後、開催に向けて最も力を尽くしたのはいずみでした。彼女は「小松先輩の仇討ち」には何一つ手を貸していません。当時の事件解決にも全く貢献していません。ただ、ミュージカル開催の準備を黙々と続けていました。そして、人知れずピーター・パン役の演技の練習をしていました。
演劇部の人間として、開催の予定された舞台に力を尽くす事。演劇部部長であった小松美佐子先輩の死に報いるには、残酷なほど皮肉な舞台「ピーター・パン」を無事成功させる事。それは身勝手な思いこみかもしれない。しかし、いずみには他の方法は思い浮かびませんでした。
誰もいない舞台で、ひとり練習を続けるいずみ。やがて人が、仲間が集まり、大道具小道具、衣装に舞台装置に音響装置、シナリオや脚本が整い、舞台の正式開催が決定しました。ピーター・パン役は松本いずみ。
ミュージカル「ピーター・パン」。
開催まで、あと少し。
☆Act.2
「おはようございまーす。あ、いずみさん元気?」
「あ、おはよ聖良」
ミュージカル開催を控えた一日。聖林檎楽園学園もとい聖ルーメス学園演劇部部室。明るく入ってきた白雪聖良に比べ、元気のない返事を返すいずみ。怪訝な表情になって聖良が話しかけます。
「…どうしたの?最近いずみさん元気ないけど」
「え?そ、そうかな、そんな事…ないよ」
明らかに様子のおかしいいずみに、聖良もあえてそれ以上は追求しようとしません。
(初舞台も近いし…緊張してるんだろうな)
無理に初舞台を強調するような事を言っても、かえって緊張させるだけだろうな。聖良は素人だったいずみに演技指導をしたんですが、稽古や練習で身に付いた実力と、実際に舞台に上がるための自信とはまた別のものです。
聖良はいずみをそっとしておいてあげる事にしました。それは最後には自分で克服しなければいけない事だから。
「こんちはー、いずみくん元気ぃ?」
「あ、翡翠。うん、元気だよ」
元気良く部室に入ってきたのは宝珠翡翠。あいかわらずどこか元気のないいずみの返事を聞いて、ちょっと怪訝な顔になります。
「だいじょーぶ?もーすぐ初舞台なんだし頑張ってね」
「う、うん。わかってるよ」
「んーとね。緊張するなら観客をカボチャプリンだと思って演技するのがいいって尊が言ってたよ」
「カボチャ…プリン?」
「うん。駅前のレストランのがおいしいんだってさ。今度食べに行こーね」
「あはは。そうね、舞台が終わったら一緒に行こうね」
何やら話題が混じっている翡翠に思わず笑みを浮かべるいずみ。その人なりに、みんないずみの事を心配してくれているみたいです。
◇
子どもはみんな−ひとりだけはべつですが−大きくなります。おとぎの国からきた、けっして大人になりたがらない、永遠の子ども。ピーター・パンは、ウエンディーとジョンとマイケルの三人を連れて、星の輝く夜空へと飛んでいきました。
◇
舞台で汗を流すいずみ。何度も何度も、今まで稽古をしてきました。聖良の見るかぎり、いずみの演技はなかなかのもので、少なくとも素人のぎこちないそれではありませんでした。
でも。何かが気になります。何か不思議な違和感が、どうしても消えません。
(おかしいな…いずみさん、ずいぶん上手くなったのに)
聖良の目には、舞台に立っている少女が、どうしてもピーター・パンには見えません。そこには必死になって稽古をしている松本いずみがいるだけなのです。
「ねえ。いずみさん、変ですよ」
「え?」
声をかけたのは聖良ではなく、舞台の隅にちょこんと座って見ていたケイ・スノウフィールドでした。大きなカエルのぬいぐるみを抱えたまま、じっと舞台を見つめています。ちょっとためらいつつも、ケイはいずみに言いました。
「いずみさん…頑張ってるのわかるんだけど、それだけしか見えてこないんです。こないだまではちゃんとピーター・パンに見えてたのに…何かあったんですか?」
「あ、ごめん…ケイ」
「い、いえ。私こそ変な事言って…ごめんなさい」
気まずい雰囲気。とりあえず休憩にして、いずみは部室の外に出ていきました。悪いこと言ったかなと気にしているケイに、田中えりかが話しかけます。
「ケイ、そんな気にしないでいいよ。あたしもケイの言ってること分かったもん」
「えりかさん…でも、ちょっと言いすぎたかも…」
「だーいじょーぶよ。気にしない気にしない」
それだけ言うと、何気ない様子で部室を出るえりか。その後ろ姿を見て、清白大樹がケイの隣りに座ると言いました。
「いずみさんの様子見に行ったんだね」
「そうね…やっぱり、パートナーっていいな」
ちょっとうらやましそうな口調に、大樹が話しかけます。
「ケーちゃん。俺が落ち込んでたらやっぱりなぐさめてくれるかい?」
「だめ」
「そんなあ」
「そんな簡単に落ち込んだりしちゃだめだよ、タイキは元気なのが取り柄なんだからね」
見すかされているような視線に、大樹は降参しました。
◇
妖精のティンカー・ベル。海賊のジェイムズ・フック船長。インディアンのタイガー・リリー。時計を飲み込んだワニ。おとぎの国は、冒険に満ちあふれていました。でも、一番冒険に満ちていたのは、いたずら好きで、無鉄砲で、けれども魅力的なピーター・パンの頭の中だったでしょう。
◇
部室の裏庭。汗をかいたトレーニングウェア姿のまま、ひざを抱えるように腰かけるいずみ。後を追ったえりかが話しかけようとしたところに、長身長髪の美青年、カルマ・アークライエスが通りがかりました。えりかは思わず身を隠します。
「なにやってんだ、いずみ」
「…何よおカルマ。今頃部室に行くの?」
「せっかくいずみの下手な演技でも見てやろうかと思ったんだけどな。今のうちに恥かく練習しといた方がいいだろ?」
「へたで…へたくそで、悪かったな!」
むきになった声のいずみに、とまどうカルマ。いつものようにからかったつもりが、今日は様子が違います。
「おい、いずみ…どうしたんだ?冗談だよ」
「どーせ、どーせあたしなんか素人でへたくそでみんなに迷惑かけて自己満足で舞台なんか立ったって先輩に何してあげられる訳でもないし…あたしみたいな嫌われ者が…うわあああああああああんっ!」
いきなりカルマに抱きつくと、大声で泣き出すいずみ。困った顔で、しばらくいずみを抱いていたカルマですが、落ちつくのを待って、涙を拭いてあげました。
「どうだ?少しは落ちついたか?」
「…うん。ごめんカルマ」
大声で泣いたせいか、おだやかな声でいずみ。初舞台がミュージカルの主役で、複雑な背景や人間関係までプレッシャーになるとあって、さすがに落ち込んでいたようです。
「まあ、いろいろあると思うけどさ…いずみはいずみらしいままがいいと思うぞ」
「…そうだね。カルマありがと」
いつもより透明な笑顔になると、いずみはもう一度カルマに抱きつきました。
「お、おいいずみ」
「ごめんねカルマ。あとで聖良に謝っとくから」
「いや…それはやめてくれ」
これ以上変な誤解をされたら面倒だ。あわてた顔のカルマに、いずみはいつもの笑顔に戻ると、あらためてお礼を言って部室に戻っていきました。
「やれやれ。手のかかる奴だな」
苦笑したカルマの顔はほんのちょっとだけ赤らんでいました。
ほんのちょっとだけですけど。
☆Act.3
いよいよ舞台当日。聖林檎楽園学園もとい聖ルーメス学園。あの後、どうやら復活したらしいいずみは無事最後の通し稽古を終え、あとは本番に備えるだけとなりました。
「ふーん。けっこう大きい会場でやるんだね」
「俺様はあんまりこういうの見ないんだがな」
「ヒデアキ今日はつきあうって言ったでしょ。さっさと入ろ」
「へいへい」
そう言って会場に来たのはパトリシア・エインデベルと銀城英明の二人。パトリシアがたまたま拾ったパンフレットに、先日町でぶつかった女の子が主演していたのを見て興味がわいたようです。
総勢で千人は越えていそうな会場。まだ照明のついている客席には、聖良やカルマたちの姿も見えます。
「大丈夫かなあ、いずみさん…」
「今えりかが様子見に行ってるよ。もうすぐ戻ってくるだろ」
音響や舞台装置の準備は既に始まっています。ミュージカル「ピーター・パン」もうすぐ開演です。
◇
「…えりか、怖いよぉ…」
舞台裏で、情けない声を上げて震えているいずみ。多少ふっきれたとはいえ、やっぱり初舞台の緊張感は相当なものなんでしょう。
「しっかりしなよ、いずみらしくない」
苦笑いしながら、いずみの背中をばん!と叩くえりか。
死んだ小松美佐子先輩に、その恋人の青年に捧げる劇。でも、いずみのまわりには共演するみんながいて、舞台を手伝ってくれたみんながいて、そして、えりかがいる。あたしを、元気づけてくれる。意を決し、きゅっと唇を噛むと立ち上がるいずみ。
誰かのために。みんなのために。あなたのために。
あたしは、今からピーター・パンになる。
◇
ピーター・パン。
純粋で、無邪気で、わがままで、残酷で、けれども魅力的な永遠の少年。
「ティンカー・ベル。ぼくの影法師をどこへしまったかわかったかい?」
「風にのる方法を教えてあげるよ。そうすればぼくらは遠くへ行けるんだ」
「この子たちにも、ウェンディーの家を建てる手伝いをさせるんだ」
「さあ、海賊どもをぶんなぐるんだ!」
「きみはずいぶん変な人だな」
「ウェンディーを助け出そう。縛られて、海賊の船の上にいるウェンディーを!」
おとぎの国の冒険。フック船長にさらわれたウェンディーたちを助けに行こうとするピーター・パン。
「みなさん。妖精を信じますか?ティンカー・ベルを死なさないでください!」
フック船長の入れた毒の薬を身代わりに飲んだティンカー・ベル。妖精を救うには、子どもが妖精を信じる事。舞台を見る人たちに、ピーター・パンは問いかけます。
「今度こそ、フックか、ぼくかだ」
いよいよ海賊船に乗り込むピーター・パン。チクタクとワニの時計の音をまねして、フックがおびえている隙に海賊船にしのびこみ、ウェンディーたちを助け出すと海賊たちを次々と倒していきました。
「ピーター・パン、いったいお前はどこの何者だ?」
「知らないよ。ぼくは卵からとび出したばかりの小鳥さ」
フック船長との一騎打ち。目のまわるほどすばやい動きで剣をつきたてるピーター・パンと、押しの一手で得意のひとつきを狙うフック。やがて、鉄のかぎづめをかいくぐったピーター・パンが、フックの肋骨に剣をつきたてます。
フック船長は、最後に船べりに立つとピーター・パンに蹴り落とされました。剣でなく足を使ったピーター・パンの行儀の悪さを笑いながら、フックは海面にいたワニの口の中に落ちていきました。
◇
舞台に立っていたのは確かにピーター・パンでした。聖良も、カルマも、翡翠も、尊も、大樹も、ケイも、パトリシアも、英明でさえも。松本いずみの演技ではなく、ピーター・パンの冒険に魅入っていました。
純粋で、無邪気で、わがままで、残酷で、けれども魅力的な永遠の少年。
◇
そして、家に帰るウェンディーたち。ピーター・パンは先回りして、ウェンディーたちのために開け放たれていたままの子ども部屋の窓を全部閉めて、鍵をかけてしまいます。
「これでウェンディーが帰ってきても、おかあさんが鍵をかけて締め出したと思うだろう。そうすればぼくと一緒におとぎの国に帰るさ。大人なんて、おかあさんなんて、きっと嫌なやつなんだから!」
無邪気によろこんでいるピーター・パンの目に、家の中でピアノをひいている女の人の姿がうつりました。その女の人、ウェンディーのおかあさんのひいている曲は「帰っておいで、ウェンディー、ウェンディー、ウェンディー」といっているようにピーター・パンには聞こえました。
「お気の毒さま。ウェンディーは帰ってきませんよ。だって窓には鍵がかかってるんだから」
やがてピアノの音がやみ、女の人はピアノに頭をもたせかけたまま、目に二つぶの涙を浮かべていました。その様子を見てピーター・パンは、ちょっとすねたような顔になると、泣きそうなのをこらえてぜんぶの窓を開けました。
「行こう、ティンカー・ベル。おかあさんなんてくだらないものは、ぼくはいらないさ」
そう言って飛んでいくピーター・パン。ウェンディーたちが家に帰り、おかあさんたちと再会したのはそのすぐ後の事でした。
◇
「ピーター・パンってこんな話だったんだな」
「そうね…なんか、思ってたよりピーター・パンってずっと嫌な所があるっていうか」
英明の言葉にパトリシアが言います。舞台の上に立つピーター・パンは、原作に忠実に、子どもの純粋さも残酷さも備えた少年でした。
舞台は、まだ、続いています。
◇
それから何年もたって。ウェンディーが大人になって、娘のジェインがかつてのウェンディーと同じくらいの年になった頃、またピーター・パンはあらわれて、ジェインをおとぎの国に連れていきました。大人になったウェンディーは、もう空を飛んでおとぎの国へ行くことはできませんでした。
今ではそのジェインも大人になり、マーガレットという娘がいます。そして、毎年春の大掃除の時期になると、ピーター・パンがマーガレットを迎えに来て、おとぎの国へ連れていきます。マーガレットが大人になれば、また、女の子が生まれるでしょう。すると、その子がまたピーター・パンに連れられておとぎの国に行くのです。
このようにして、順ぐりに続いていくのです。子どもたちがほがらかで、むじゃきで、むてっぽうであるかぎり、いつまでも。いつまでも。
◇
◇
◇
そして、最後に舞台が変わります。おとぎの国から女の子が帰ってきて、おかあさんとおとうさんに抱きしめられる光景。その光景を、窓辺でじっと覗き込んでいるピーター・パン。ミュージカルの最後は、いずみのナレーションで締めくくられました。
「…その少年は、他の子どもの知らないような、すばらしい喜びをたくさん知っています。でも、たった一つ、今この窓の内側にある喜びだけは、永遠に、知ることができないのです…」
☆Act.4
「お疲れさまでした。いずみさん、すごく良かったよ」
「…ありがとー、聖良。みんな…」
舞台が終わって。感極まって泣き出しているいずみを聖良が優しく抱きかかえています。集まっているのはいずみの大切な『仲間』たち。
「で、どうだった?観客の拍手を浴びた感想は」
「…うん…よくわかんないけど気持ちよかった。何だか演劇っていいな」
笑顔を見せるいずみに、せっかくだからと合流していたパトリシアが聞きます。
「ところでさあ。最後のシーンだけど…」
「うん。あれだけ台本変えてもらったんだ。大人になったウェンディーの章を入れるのと、最後のナレーションだけどうしても入れたかったから…」
「あーん。いずみくん良かったよお。ヒスイも泣いちゃったもん」
仲間たちに囲まれて。打ち上げのお茶会のために、会場を去ろうとするいずみたち。一歩遅れて、聖良がカルマにささやくように話しかけました。
「…舞台成功して良かったね。いずみさんも元気になったし」
「ああ。まったく世話のやける奴だよ」
「ところでカルマ。部室の裏でいずみさんと抱き合ってた件だけど…」
いきなりの聖良のことばにあわてるカルマ。
「せ、聖良。いや、あれはその…」
「うん、わかってる。今回は大目に見てあげるよ」
吹き出すように笑う聖良のことばに、カルマは安心した顔を浮かべます。どうして聖良はカルマがいずみに抱きつかれた事を知っていたのか。どうしてその事をカルマに話したのか。どうして「大目に見てあげる」なのか…きっとカルマは気づかなかったでしょう。男性の持っている、永遠の少年の心。
いつまでも男の子は冒険を追い続け、
いつでも女の子は見すかしているのかもしれません。
おしまい
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