大きな岩と土のかたまり 第二回


 にゃあ。
 にゃあ。
 にゃあああ。

 もともとは倉庫だか車庫だったらしい、プレハブの小屋を改装して作られた建物の前、
短い下草の生えたこの辺ではちょっと広めの庭。いつものように細かくちぎられたにぼし
を食べた黒猫は、満足げな顔をすると下草のはえた日当たりのいい場所でごろおりと横に
なりました。にぼしのちょっと残ったお皿を持ち上げたのは、大きな岩と土のかたまりで
できたゴーレムでした。ゴーレムの名前はポポス・クレイというんですが、別にゴーレム
でもかまいません。
 西暦2000年5月13日土曜日のこと。100年に一回の機会、魔法世界アークラン
ドからやってきた留学生たちも、一ヶ月を越す生活ですっかりここ日本は神戸の生活に慣
れてきたところです。日本は神戸、異邦人通りに近い一軒のプレハブ小屋に住んでいるゴ
ーレムのポポスもまた、アークランドから来た留学生の一人でした。留学生のいちゴーレ
ムでした。

「んだ極えもん、こんな所にいたのか」

 土曜日の朝。左目に傷のある、ちょっと目つきの悪い細身で中背の青年、カイト・ヴェ
イデンバウムはポポスが住んでいるプレハブ小屋の前に現れると、気もちよさそうに寝て
いる黒猫の側にかがみこんで、首すじをひょいとつまんで持ち上げました。

 にゃっ、にゃにゃっ。

 当然のように抗議の声をあげる黒猫ですが、どうやら飼い主らしいカイトはあまり気に
する様子はありません。プレパブ小屋の奥から大きな岩と土のかたまりが出てくるのを見
て、顔をむけると気さくに話しかけます。今年は魔法世界、アークランドからいろいろな
種族の人たちが神戸にやってきて、獣人もゴーレムも魔法のほうきも珍しくはなくなって
いますから、大きな岩と土のかたまりがあらわれても誰も今さらおどろいたりはしません。
それに、何といってもカイトもアークランドの出身でしたから。

「オマエがうちの極えもんに餌をやっといてくれたのかい?礼を言っとくぜ」

 ゴーレムはカイトをじっと見ています。

「な、なんだよ…」

 ゴーレムはカイトをじっと見ています。

「え、えーと…」

 ゴーレムはカイトをじっと見ています。

「あ、ああ、そうか…悪かったよ」

 カイトは首すじをつまんでいた黒猫を持ちかえると、抱えるように持ちなおしました。
黒猫は満足げにくてんと頭を下ろすと、そのまま気もちよさそうにまた眠ってしまいまし
た。

「ああそうだ、オレはカイトって言うんだけど、オマエは名前何て言うんだ?」

 左目に傷のある、ちょっと目つきの悪い細身で中背の青年は、大きな岩と土のかたまり
に話しかけました。ゴーレムは名前を聞かれましたけど、ポポス=クレイ・I・リビング
ストンという名前しか知りませんでしたので、ゴーレムはポポス=クレイ・I・リビング
ストンと答えました。それがとてもとても昔の一人の魔法使いの名前だという事をゴーレ
ムは知りませんし、もちろんカイトも知りませんでした。でもポポス=クレイ・I・リビ
ングストンという名前はとても長いので、ゴーレムはポポス・クレイと呼ばれることにな
りました。

「んじゃポポス、悪ぃがオレはこれで帰るからよ。今日こそはコイツを風呂に入れてやら
ないといけないんでな」

 その声に反応したかのように黒猫は青年の腕から逃げ出そうとしますが、きちんと抱き
かかえた極えもんをカイトは離しませんでした。ポポスはいったんプレパブ小屋の奥に入
ると、にぼしの入った袋をもって出てきましたが、カイトと極えもんはもう帰った後でし
た。ポポスは自分の手元にあるにぼしと、足下にあるにぼしがちょっと残ったお皿に視線
を落とすと、かたづけるために小屋の中にもどろうとしました。だってかたづけないとに
ぼしが痛んでしまいますから。

「ちょっと待って、そこのゴーレムさん」

 ポポスを呼び止めたのは背の低い、眼鏡をかけた女の子でした。背中に大きなフライパ
ンを背負った少女は朽木ちなみと名乗りました。

「たとえ猫の餌といえ、残すような料理は感心しないわ。あたしの瞳が明るい所だと細く
なって暗い所だと丸くなるうちは、たとえ人だろうと猫だろうとそんな事許さないんだか
らっ」

 ひょいぱくり。ちなみはお皿の上に残っていたにぼしをつまむと、自分の口にほおりこ
みます。じつのところ彼女もアークランド出身の猫人でしたから、にぼしはとても好きだ
ったりします。

 もぐもぐもぐ。
 もぐもぐもぐ。
 もぐもぐもぐ、ごっくん。

「…意外といけるわね」

 食べやすいように細かくちぎっただけのにぼしがおいしいなら、それはにぼしを売って
くれたお店のおじさんがいいにぼしを選んでくれたのか、それとも大きな岩と土のかたま
りのゴーレムのポポスが小さな岩と土のかたまりのポポに頼んでちぎったにぼしが、ほん
とうにきちんとちぎられていたからかもしれません。

「だとしたら単に量が多かっただけなのか…いやいや、そんな事ないわっ。あの大きさの
猫がこのくらいのお皿のにぼしを残すわけなんてないものっ。ならどっかで食事をした後
だったとか…でも…えーい、とにかく今度あたしがすっごいにぼしを作って持ってきたげ
るから、顔を洗って待っててねっ!」

 一息にまくしたてると、ちなみはだかだかだかと走り去ってしまいました。しばらく消
えていく後ろ姿をじっと見ていたポポスですが、やがて後ろ姿がくるりと振り返ると、だ
かだかだかとこちらに向かって走ってきました。

「ひとつ忘れてたわ、ごちそうさまでしたっ。そんじゃね!」

 また振り返ると、ちなみはだかだかだかと走り去り、異邦人通りの方に今度こそ消えて
いきました。土曜日の午前の日差しをあびて、ポポスは思い出したようにシーツを干すた
めにプレハブ小屋の奥に消えていきました。

                                   ◇

 翌日のことです。朝早く起きたポポスはきちんと並べられた棚からにぼしの袋を取り出
すと、細かくちぎるためにポポに渡そうとしました。

「ちょっと待って、ゴーレムさんっ」

 ポポスを呼び止めたのは、昨日の女の子でした。だかだかだかと走ってくると、ポポス
の前に大きなフライパンを突き出します。どうやらこのフライパン、彼女には手放せない
持ち物かなにかのようです。

「昨日の約束よ、すっごいにぼしを作ってきたんだから驚きなさいっ」

 ポポスはちなみをじっと見ています。

「な、何よ…」

 ポポスはちなみをじっと見ています。

「えーと…」

 ポポスはちなみをじっと見ています。

「え、ええと…そうね、そんなに驚いてくれるとあたしとしても嬉しいわ」

 思い出したかのように、ちなみは小さなかばんに入れてきた容器を取り出します。その
中にはちょっとつやつやしたにぼしが入っていました。それを見て唾をごくんとひとのみ
すると、自信ありげにポポスの目の前につきだします。

「にぼしでとっただし汁を煮詰めて別のにぼしに塗って乾かした、名付けてクッキー風に
ぼしスペシャル!欠点は倍以上の量のにぼしを使うことなんだけどね」

 ポポスの後ろから小さなゴーレムのポポがあらわれると、ちなみの前に両手を差し出し
ます。

「あら?細かくちぎってくれるの、ありがと」

 ポポはちなみからにぼしの容器を受け取ると、小屋の奥のほうに消えていきました。数
分もすると、小さくちぎられたにぼしはお皿にきちんと盛られていました。

                                   ◇

「どーしてよお、どーして全部食べてくれないのお?」

 日曜日の朝。すっかり春になった明るい日差しが差し込んでいる、一軒のプレハブ小屋
前の短い下草の生えた庭。いつものように細かくちぎられたにぼしを食べた黒猫は、満足
げな顔をすると下草のはえた日当たりのいい場所でごろおりと横になりました。にぼしの
ちょっと残ったお皿を持ち上げて、ちなみが悲鳴に近い声を上げます。

「なんか失敗したのかなあ(ひょいぱくりっ)…味はいいのに、いったい何をまちがえた
のかしらん」

 首をかしげるちなみ。昨日とほとんど同じ時間、左目に傷のあるちょっと目つきの悪い
細身で中背の青年、カイト・ヴェイデンバウムがあらわれると、身をかがめるようにちな
みに話しかけてきました。

「よお、今日も極えもんに餌をやっといてくれたのかい?ありがとよ」

 声をかけるカイトが視界に入らないかのように首をかしげて悩んでいるちなみ。その手
にあるお皿にのったにぼしを見て、

「何だ?極えもん、まぁた餌残してんのか」
「え?」

 カイトの言葉に顔を向けるちなみ。

「いや、こいつ意地汚くてさ。うまいモン食うと必ず残してとっとくんだよ」
「…そ、そんなあ」

 にゃあ。極えもんの声が休日の陽の光の中で響きます。そんな様子を見て、ポポスはと
ても嬉しそうな顔をしていたに違いありません。

 ポポスの家に同じ人が続けておとずれたのは、これがはじめてのことでしたから。


                                    おしまい



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