大きな岩と土のかたまり 第三回
新神戸から三宮あたりまで伸びている異人館通り。それほど道幅の広くない坂道が連な
る街並みに、前近代的な建物が点在しています。どんな街並みだろうと街は街ですから、
そこにはいろんな人々が住んでいていろんな悲喜こもごもの思いを持っていていろんな事
件といろんな人と人との繋がりを見せてくれるのです。
これは、異人館通りを訪れたいろんな人たちのお話です。あるいはいろんな魔法使いた
ちのお話です。
平成12年6月11日日曜日。ぱらついていた小雨もあがって、梅雨を忘れさせるよう
な明るい涼しげな夕暮れ、異人館通りをひとりのゴーレムが歩いていました。ゴーレムは
ポポス=クレイ・I・リビングストンという名前で呼ばれていましたけれど、長いのでポ
ポス・クレイと呼ばれていました。それがとてもとても昔の魔法使いの名前だということ
を覚えている人はもう誰もいません。もちろんゴーレムも覚えていません。
涼しげな異人館通りの夕暮れ時。今年は100年に一回、魔法世界アークランドからこ
の世界に留学生が訪れる年。留学先に選ばれたここ神戸では、普段の日常に魔法使いのた
まごたちが多くとけ込むようになりました。ポポスもそんな魔法使いのたまごですけれど、
でももしかしたら異人館通りから見える夕陽がとても悲しかったからここに来たのかもし
れません。ポポスはよくこの異人館通りを訪れますが、夕暮れのこの時間は沈んでいく夕
陽をじっと見ています。
ただじっと見ています。
そんなゴーレムの後をついて歩く人もいたりしますが、何故だか印象に強かったのは魔
法使い然としたひとりの少女でした。黒髪を短くして眼鏡をかけた姿は少年のように見え
なくもありませんが、マントの下に見える繊細な身体の線は彼女が年頃の女の子であるこ
とを証明していたでしょう。黒目がちな少女の瞳は大きな岩と土のかたまりのポポスより
も、その足下にいる小さな岩と土のかたまりに向けられているようにも見えました。
「す、すみません…そこのゴーレムさん」
意を決したように話しかける少女は鳶田純と名乗りました。アークランドの貧しい開拓
村に生まれ、農耕用にと幼いころからゴーレムを作るべく魔法の修行に勤しんできた女の
子です。何年も修行を重ねてきて、未だ一体のゴーレムを生み出すことも出来ないでいる
彼女の瞳には、小さなゴーレムを連れている大きなゴーレムというのは特別気になる存在
に映ったことでしょう。
「あ、あの…」
「…」
純の言葉にポポスはじっと純の目を見つめますが、その瞳が何を語っているのか、彼女
にはあまりよくわかりませんでした。それでもこのゴーレムの後を付いていけば、自分に
足りないものが何かわかるかもしれない。そう考えたのか純は大きな岩と土のかたまりの
後をついて歩いていきました。
◇
ポポスは夕陽の沈む方角へ異人館通りを歩いています。その後をついて眼鏡をかけた小
柄な少女がてくてくと歩いていました。日はずいぶんと傾いてきましたけれど、夏も近づ
いた夕陽はそれでもまだ沈まずに神戸の街を赤く染め上げています。雨上がりのせいか、
この時期には珍しく涼しげで澄んだ空気が心地よく感じられました。
「まいどおおきに〜、あら?ポポスはんやないの」
すれ違いさま、大きな岩と土のかたまりに話しかけたのは和服を着て腰に徳利を下げた
ふくよかな印象の少女、太貫小鈴でした。宅配の仕事をしているのか、伝票の付いたいく
つかの荷物を抱えて走り回っていたところです。忙しいせいかポポスの後ろにいる純には
ほとんど気付かず、話しかけています。
「頼まれとったモン届けといたで。良さそな所に置いといたから見といてえな」
それだけ伝えると忙しそうに走り去ってしまいました。その様子を見た純は不思議な違
和感を覚えましたが、それが何であるのかは気付くことができませんでした。ポポスは小
鈴を見送るように、その後ろ姿が小さくなるまでじっと見つめていました。やがて小柄な
宅配屋さんの姿が見えなくなると、ポポスはまた歩き出します。慌てたように純はその後
を追いかけるのでした。
「よぉポポスじゃねーか、元気か?」
頭上からかかる声。分かれ道の上り坂、上から声をかけてきたのは印象的な民族衣装を
着て、髪の毛を結った少年でした。少年−聖雲空は大きな岩と土のかたまりの頭上に興味
深そうな視線を向けています。
「なぁポポス?頭に何か生えてるぞ」
ここ数日の陽気のせいでしょうか。ポポスの大きな岩と土のかたまりの頭には小さな草
が一本生えていました。名も知らない草は可憐な花も何もつけてはいませんでしたが、そ
の緑色はポポスの土の肌に映えてとても元気に見えました。見上げるように視線を上げる
ポポスに対して、空は素直な笑みを浮かべました。
「いい色した草だな。夏にはもうちょっと伸びるかな」
それを聞いたポポスは嬉しそうな瞳を空に向けました。空ももう一度笑みを返すと、軽
く手を上げて坂道の上に帰って行きます。その様子を見ていた純はやはり不思議な違和感
を覚えるのでした。やがて空の姿が見えなくなると、夕陽の沈み始めた異人館通りを折り
返すようにポポスは歩き出しました。慌てて純はその後を追います。大きな岩と土のかた
まりの影と小さな岩と土のかたまりの影、それから小柄でマントを羽織った少女の人影が
目の前に長く長く伸びていました。
◇
異人館通りを折り返してしばらく歩いた先、神戸の街並みを抜けるとそこにポポスの家
があります。もとは車庫だか倉庫だかを改装して作られたプレハブ小屋。夏には暑くなり
そうに思えますが、丈の短い下草の生えたやや広い庭はとても風通しが良くて、もう一月
二月もすればむせかえるような草いきれと土の匂いにつつまれた生活を送ることができる
ことでしょう。文化と文明に浸りきった人々には理解できないのかもしれませんが、それ
は確かに生き物にとって心地よい匂いであるのです。
「あ。やっと帰ってきたあ」
家に入ろうとしたポポスを待ちかまえていたのは、純より更に多少小柄かもしれない眼
鏡をかけた少女、朽木ちなみでした。大きなフライパンを背に、手には何やら食べ物の乗
った小皿を持っています。どうやらキャットフードか何かのようですが、それにしてはず
いぶんいろいろな材料がトッピングされているようにも見えます。
「今日も極えもんのご飯作ってきたのよ。塩抜きした鮭フレークに乾燥させたなめこをま
ぶして、きざんだ林檎の皮をトッピングしてそれから…」
じっと視線を向けながら、ポポスはちなみの言葉を聞いています。
「え?小鈴さんの荷物なら玄関に置いてあったよ。あたしは極えもんの相手してたし、そ
ろそろ帰んないといけないからあんまり気にしてなかったけど」
「ちょ、ちょっとすみません」
ちなみの言葉に、それまでポポスの後ろでずっと様子を見ていた純がたまらずに話しか
けます。自己紹介をすると、それまで感じていた違和感をちなみに問いかけました。
「あの…ちなみ、さん。このゴーレムと話が出来るんですか?」
「え?うーん…でもポポスの考えてる事ってじっと目を見てればわかるからなあ」
「このゴーレム、ポポスさんっていうんですよね?今日お見かけした他のみなさんも普通
に話してましたし、何かゴーレム使役のコツみたいなものがあるんでしょうか」
純のことばにちなみの顔が曇ります。
「あのさあ。使役ってポポスのことそーゆー風に呼ぶのは好きじゃないな」
「え?」
「ポポスはあたしの大事な友達なのよ。岩と土でできててもゴーレムだって自分で考えて
自分で動くんだから、あたしたちと何にも違わないんだから。そんなモノみたいに呼ばな
いで」
ちなみのことばに意外そうな顔をする純。考えてみれば、彼女がゴーレムを作り出そう
と考えた動機は農耕作業用としてのものでしたから、あるいは心のどこかでゴーレムを単
なる便利な道具として見ていたのかもしれません。何かを作り出そうとする時に、作り出
される何かの心を知ろうとしなければそれは良い結果がもたらされなくても仕方のないこ
とでしょう。ましてそれが『いきもの』であるならば。
「あ、ごめん…なさい」
「あたしも言い過ぎちゃったかな。でも純さん、自分でゴーレムを作りたいんだったらゴ
ーレムの心くらい知ってた方がいいんじゃない?」
あらためて、純はポポスに顔を向けると瞳をじっと見つめました。ポポスも純の瞳をじ
っと見つめています。
「ポポスさん、私は鳶田純って言います。改めてよろしくお願いします」
ポポスは純をじっと見ています。
「あの…ポポスさん?」
ポポスは純をじっと見ています。
「…」
ポポスは純をじっと見ています。
「…だめだな、私。やっぱり良くわかんないや」
軽く拳をこめかみに当てて、ちょっと落ち込んだ顔をする純をちなみが気遣います。心
が通じるっていうのは理屈で考えてやるものじゃないし、きっとすぐに通じるようになる
よと言うちなみのことばはありがたかったのですが、未だ一体のゴーレムを作ることもで
きていない純にとってそれはとてもショックなことでした。もしかして、自分にはゴーレ
ムを作ることなんて夢のまた夢なんだろうか…。
ふさぎ込んだ純を慰めるように、小さな岩と土のかたまりが足下によってきます。小さ
な腕を伸ばして純の足をとんとんと叩くと、小さな瞳をじっと純の顔に向けました。見つ
め返すように視線を向けながら、純がつぶやきます。
「ありがと…ポポくん。やさしいんだね」
「ちょ、ちょちょちょっと待って純さん」
驚いた顔をしてちなみ。その意味が分からずに、不思議そうな顔をする純。
「え?どうしたの」
「どうしたのって純さん、ポポの名前知ってたの?今呼んでたでしょ」
「あ…!」
心が通じるというのは理屈で考えることじゃありません。何かとっても簡単で、でもと
っても難しいたったひとつのことに気が付くこと。どんな物事でもまずはそれから始まる
のです。小さな岩と土のかたまりの前に屈みこんだ純は真摯な目でポポの瞳を見つめると、
心の底から礼を言いました。そのことばは、何よりその心はポポに深く強く伝わっていた
ことでしょう。
「ありがと、ポポくん」
プレハブ小屋の方からご飯をねだる極えもんの鳴き声が聞こえてきました。ちなみはご
飯の乗った小皿を持って慌てて駆け出し、ポポスもその後をついて歩き出します。
ポポはじっと純の瞳を見つめていました。
おしまい
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