大きな岩と土のかたまり 第八回


 異人館通りに一軒の古道具屋がありました。異国情緒漂うその町の雰囲気に根付いてい
るそのお店には、たいそう変わった品物が揃えてある事でも知られていましたけれど、今
年は魔法世界からお客さまたちが良く訪れる、更に一風変わったお店としても良く知られ
ているのでした。もちろん、異国情緒漂うその町の雰囲気に根付いているその古道具屋が、
そういったお客たちがこなくてもきっと魔法のお店であったであろうことは、誰しもが疑
いを抱かなかったでしょうけれど。
 秋も終わりに近づいた、しのつく雨のその季節の一日。その日は小さな宴が開かれまし
た。妖精と精霊と子どもたちの心が舞う、魔法の宴の調べ…。

 平成12年10月31日火曜日。その日はあいにくと快晴には至らずに、寧ろ秋の長雨
を思わせるしのつく雫が空からしたたりおちる一日ではあったのですけれど、日本は神戸、
ここ異人館通りの異国情緒漂う街並みには、それもまた一枚の絵をおさめる額縁の意匠で
あるかのように風景にとけ込んでいました。
 その日は異人館通りにある古道具屋が主催する、ハロウィンパーティのある日でした。
日本にとっては異国の祭りであるハロウィンを、更に異国の人達が祝おうというのですか
ら奇態な話ではあるのかもしれません。ですけど、祭りや宴が本来持っている魔法の力と
いうものを、寧ろ魔法世界の人たちの方が良くは知っていたのかもしれませんけれど。年
頃の多くの魔法使いのたまごたちが、この日は自分のたいせつな人を誘って古道具屋を訪
れようとしていました。

 ピエロ。道化師のような衣装を着たその人形は、名前をモユル・インフィクスと呼ばれ
ていました。人間の女の子か、或いは男の子によく似た外見と大きさを持つ金属の人形。
その所詮人形に名前がどの程度必要なものであるのかということには誰も気付いてはいま
せんでしたけれど、その人形は自我を持った魔法の人形ではありました。ただし、その自
我というものがどういったものであるのかということを、その人形自身は一度たりとも考
えたことはなかったのです。
 道化師の服を着て、人間の女の子じみた外見を持つそのモユルの感覚では、やっぱり道
化師がいなければパーティははじまりませんでした。ここで仮に彼女と称するそれは、多
くの芸を披露して観客を笑わせるために、異国の宴が催されるその古道具屋に足を踏み入
れていました。もともと、その古道具屋にモユルという名の人形が、たびたび訪れていた
ということもあるにはありました。いつもと変わらず、いつもと全く変わらず陽気に扉を
開けた彼女の瞳にまず入ったのは、数人の先客の姿でした。

「あれぇモユルじゃない、ずいぶん早いのね?」

 古ぼけたカウンターの奥にしつらえた、作りつけの厨房に早くから陣取っていたのは小
柄で眼鏡をかけた朽木ちなみでした。ちなみは料理好きな猫の獣人でしたけど、その足下
に黒猫がすりよっているのは、きっと小鍋から漂う匂いのせいではあったでしょう。もち
ろん、そういった匂いを金属の人形であるモユルが嗅ぐことができるのかどうかは分かり
ませんけれど。
 振り向いて話しながらもてきぱきと手を動かしているちなみを手伝っていたのは楯取皇
牙という少年でした。もともと女性とのつきあいが苦手な少年は、最初からパーティの裏
方として働いた後はひたすら食欲を満たすことを目的にここに来ていたのかもしれません。
ですけど、手伝う以上は役に立つべく、ひたすら厨房の主となっているちなみに従って走
り回っていました。一度ちなみの足下にいる黒猫の尻尾をふんずけて、頬にひっかき傷を
作ってはいました。

「あ、モユルあんまりこっち近づくと危ないよ」
「食器とかこれから使うんだから持ってくなよ」

 道化師の衣装を着ていたモユルは忙しそうなちなみと皇牙を手伝おうかと声をかけまし
たが、すげなく断られてしまいました。モユルは道化師ですから食器を棒に乗せて廻した
りとか、砂糖の瓶の中身をそっくり塩に入れ替えてしまうことなら他の誰にも負けない自
信があったのに。もちろん、だからこそちなみも皇牙もそれぞれのことばで彼女を追い払
ったのですけれど、そのことにモユルはきっと気付いてはいませんでした。気付いていた
とすれば、それはちなみたちと一緒に厨房の準備を行っていたカール・シュタイフであっ
たでしょう。カールはテディベアのぬいぐるみでしたけど、モユルと同じ自我を持った魔
法の人形ではありました。もっとも、その自我はモユルのそれに比べて、いえ、ちなみや
皇牙を含む多くのまだ幼い子たちに比べて遥かに成熟した大人のものであったでしょうけ
れど。

(他人を笑わせる道化師、か…)

 モユルにはモユルにしかできないことがあります。誰だってその人にしかできないこと
はきっとありますから、彼女は自分が役に立てない厨房で芸を披露するよりも、これから
始まるのを待っているパーティの為に、いろいろな芸の準備を仕込むことに決めました。

 だって、それこそが彼女のできることだったのですから。

                  ◇

 異人館通りを少しだけ外れた脇にある、小さなペットショップには、無愛想で目つきの
悪い明智大介が、たいせつなたくさんの動物たちに囲まれて店番をしていました。もとも
とパーティに出ているよりも動物たちの背にブラシでもかけているほうが彼にとってはと
ても有意義な時間でしたから、何も動物たちを置いてまで宴の場所に行く必要はなかった
のかもしれません。

「なあ、本当にパーティ行かないのん?」

 裾の短い和服を着た、ふくよかな少女。いつもよりめかし込んだ太貫小鈴は明智大介が
今日のハロウィンパーティに行かないことを知っていましたが、もしかしたらと思ってそ
の少し前の時間にここを訪れていました。大介の返答は小鈴にとっては予想通りのものだ
ったので、ちょっとだけ残念そうな顔をした彼女は続けて言いました。

「ほんならウチがお土産もらってきたるわ」
「あーいう所の飯は味付けが濃いから別にいいぞ」

 もちろん小鈴は大介へのお土産のつもりで言ったのですけれど、大介の基準が動物たち
にあることを小鈴は知っていましたから、ニンゲン用の味付けが彼等には濃すぎることは
承知の上でした。小鈴はちょっと何か言おうとした後に表情を直してから、ちなみに頼ん
で薄味の料理を作ってもらうことを告げると、たいせつな動物たちに囲まれている大介を
後にして、ペットショップを出ると異人館通りの古道具屋に向かって走り出しました。

「…誰かのためってのがいっちゃん大事やと思うよ」

 小鈴は、誰かのために走っているのでしょうか。

                  ◇

 パーティはもう始まっていました。それは賑やかな夕食会といった赴きの強い宴ではあ
りましたけれど、こういった宴でたいせつなのは人と人との繋がりであって必ずしも男女
が結ばれることではありませんから、それはそれで一向に構わないことではありました。
道化師の衣装を着た金属の人形は、既にあちこちで芸を行っては辺りを騒がせているよう
でした。
 しばらく前に到着していたらしい大きな岩と土のかたまりのポポスは、くるくると厨房
で忙しく動き回っているちなみと皇牙を手伝って、給仕をしていました。大きな岩と土の
かたまりのポポスは本名をポポス=クレイ・I・リビングストンといいましたけれど長い
のでみんなポポスと呼んでいましたし、大きな岩と土のかたまりのポポスは食事も食べな
ければ踊りもうまくはありませんから、料理を運んだり食器をかたづけたりするのにのし
のしと歩き回っていました。それでも、ときどきは踊りに誘われたりすることもあったり
はしました。

「ポポスくん、一緒に踊りませんか?」

 小柄で金髪にリボンをつけた少女は名前をカチュア・ガートランドといいました。カチ
ュアはやっぱり猫の獣人で、先程までは同族のちなみが作った料理をたいらげる事に熱中
していましたが、目に止まった大きな岩と土のかたまりがひたすら働いているのを見て、
せっかくですので踊りに誘ったのかもしれません。そのきっかけに大きな意味があるのか
どうかは分かりませんが、きっかけなどというものはきっとそういうものなのだと思いま
す。
 のたのたと動く大きな岩と土のかたまりのまわりを回るかのように、リボンのついた金
髪を揺らしながら、くるくると少女がまわっていました。ポポスもこういう踊りは始めて
でしたでしょうから、なにしろぎこちない姿には見えましたけれど。

 控え室にと用意されていた隣りの部屋から、普段は決して着ないようなドレスを着て鳶
田純が現れたのは、カチュアがポポスの前でくるくると踊っていた曲が丁度二曲目を終え
た頃の事です。格別豪華という訳でもない白いドレスに、眼鏡を外していた彼女は大人ら
しいというよりも、より女性らしくて普段の気の強い少女とはずいぶんと違う人のように
見えました。

「さあ、ポポくん踊ろ?」

 白いドレスを着た彼女に付き従うように、その足下から小さなポポがのたのたと現れま
した。ポポはポポスに似た小さな岩と土のかたまりでしたけれど、充分に美しい純の膝ま
でもない小さなポポが純と踊るのはとても難しくて、それでも心から手を伸ばしてくれる
純に付いていくように、頼りない動きで懸命に踊ろうとするポポはとても滑稽で、とても
微笑ましくて、そしてとても悲しげに見えました。
 自分が大切な人を導くことができないということが、この小さな岩と土のかたまりにと
ってどれだけ悲しいことであったのでしょうか。小さなポポは、このときほど自分が小さ
な岩と土のかたまりでしかないことを悲しんだことはありませんでした。そして、そのこ
とが分かるからこそ純はポポに届かない手を伸ばそうとしてくれて、それがいっそうポポ
にとっては悲しかったのです。

 そんな折り、モユルはポポの姿を派手な水玉色に変えてしまいました。

 道化師の衣装を着たモユルという名の金属の人形は、純とポポがとても悲しげなことに
はすぐに気が付きましたから、自分の芸を披露して二人を笑わせてあげないといけないと
思いました。何といっても彼女は道化師なのですから、観客の笑顔は何よりも道化師に必
要なのです。ですから、乾いた音が響いて、モユルの頬に純の手のひらが打ちつけられた
理由を、その金属の人形はすぐには理解することができませんでした。
 自分が笑顔を求めた相手の、黒目がちな大きな瞳に涙がたまっているのを見て、その金
属の人形は自分が何かまちがえたことをしたのだということを知ることはできましたけれ
ど、自分が何をまちがえたのかは知ることができませんでした。何も分からぬまま、先程
まではモユルだった金属の人形は、ポポの姿をもとに戻すと古ぼけたカウンターの奥に姿
を消してしまいました。古ぼけたカウンターの奥、作りつけの厨房でそれを待っていたの
は、テディベアのぬいぐるみのカールでした。金属の人形は、カールに目を向けると自分
の悲しみを呟きました。

「ボクも、所詮は金属のかたまりでございます…」

 道化師の衣装を着た金属の人形は、一人の少女と一人のゴーレムの笑顔を見ることはで
きませんでした。観客を笑わせることの出来ない道化師は道化師ではありませんから、そ
れはただの金属でできた人形でしかありませんでした。とても悲しい金属の人形に、それ
を見ていたカールがかけたことばはごく短いものでした。

「…ピエロってのは涙を流しているもんじゃなかったのかい?」

 本来、ピエロのメイクの目の下には涙の雫があります。滑稽で愚かな道化師は、皆の目
の前で失敗する事で観客を笑わせるための存在でした。そして失敗を続けて、いずれ成功
した芸が観客のより大きな笑顔を誘うのです。悲しいことを知っているピエロこそが、本
当に心から観客を笑わせることができるのですから。
 悲しいことを知るということ。悲しいことを知らない心は楽しいことを知らないという
こと、そしてもっと大切なのは、自分の悲しいことを知ることよりも、誰かの悲しいこと
を知るということなのです。道化師の衣装を着た金属の人形は、懐から一筋の染料を取り
出すと、目の下に小さな一雫を書き入れました。それがモユルの涙の雫ではなくて純とポ
ポの涙の雫であるということに気が付いたとき、道化師の衣装を着た金属の人形は、モユ
ルという名前を取り戻すことができたような気がしました。

 音楽に流されて、白いドレスを着た純はポポの前にかがみ込んでいました。優しげに伸
ばした腕も、小さなポポに届くには短かすぎるのです。そしてそれ以上に、懸命に伸ばし
たポポの腕が優しい純の手に届くには短かすぎたのです。
 二人の前に申し訳なさそうに現れた、道化師の衣装を着た金属の人形が手にしていたの
は、一本のごく当たり前のステッキでした。少しだけ攻撃的な瞳を向ける純に向かって、
モユルの手を離れたステッキは生き物のように飛び跳ねると、小さなポポの目の前で宙に
浮きました。それは魔法というよりは簡単な手品なのですが、ポポが手を差し上げると、
ステッキの先が持ち上がって純の目の前に届いたのです。とまどいながら、そのステッキ
の先を軽く握った純は、それがポポの腕に合わせて動いているのを感じとることができま
した。モユルの心をはじめて知った純は、道化師の衣装を着た彼女に目を向けると照れ笑
いのような顔になりました。

「…ありがと…」

 それは道化師の衣装を着たモユルがはじめて見た、心からの笑顔だったのかもしれませ
ん。それから流れる音楽にのって踊る、白いドレスを着た少女と小さな岩と土のかたまり
とを繋ぐ一本のステッキが、その日の宴での一番の魔法でした。秋も終わりに近づいた、
しのつく雨のその季節の一日。妖精と精霊と子どもたちの心が舞う、魔法の宴の調べ…。

                  ◇

 太貫小鈴が帰ってきたときもまだ、異人館通りを少しだけ外れた脇にある小さなペット
ショップでは、無愛想で目つきの悪い明智大介が、たいせつなたくさんの動物たちに囲ま
れて店番をしていました。扉の鳴る音を聞いて顔を向けた大介に、ほのかに赤らんだ顔を
した小鈴は心を紡ぎ出すように呟きました。

「あは、ええもん見てもうた…」

 たいせつな人と人との繋がりが目で見えた夜。魔法の宴の余韻に満たされていた小鈴の
目には、大介が、たいせつなたくさんの動物たちに囲まれた大介の心が、ほんの少しでも
きっと自分と繋がっているということに、不思議なあたたかさを感じていました。

 塩抜きをしてある魚や薫製と、そのあたたかさが小鈴が大介に持ってきたお土産でした。

                                    おしまい



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