ガリア戦記(岩波文庫)

 ガイウス・ユリウス・カエサル著 近山金次訳
表紙  ラテン語のテキストとしては現代でも教科書に載るほどの文章であり、キケローのカティリーナ弾劾やタキトゥスのゲルマーニアと並んで傑作と評される、かのジュリアス・シーザーことガイウス・ユリウス・カエサルが自ら記したガリア戦役の報告書です。偉大なる政治家にして後の帝国ローマの礎を築いた改革者であり、蛮人が横行する古代ヨーロッパ地方にローマの文明を根付かせた人物であり、多くの兵士を率いて敵に勝ち続けた将軍であって、そして名文筆家でもあった天才カエサルの才腕を二千年を経た現代になってなおまざまざと見せつけてくれる作品。

 時代は紀元前が終わる前の共和制末期のローマ、ポエニ戦役やギリシアの衰退によって地中海世界を統べる大国となっていたローマでは支配地域の拡大にともなう元老院政治の非効率化や硬直性が社会問題となり、グラックス兄弟による改革も挫折するとイタリア半島全域におよんだ内乱が起こってマリウスやスラ、ポンペイウスといった求心力と手腕を持つ軍事指導者が登場するようになっていました。本作品では元老院政治を打倒すべく、民衆派の雄として台頭をはじめていた当時のカエサルが軍事上の功績を得るために、今のライン河西域からブリタニア南岸までいたる広大なガリア地方を制覇していく様子が描かれています。
 ガリアとローマの双方を脅かす、ライン東岸のゲルマン人に対抗するには分裂して互いに争うばかりのガリア人を平定して定住させる必要がある、大義名分のもとに行われた爽快で圧倒的な戦闘とそれを綴る直截的で迫力ある文章は当時のローマ市民たちを熱狂させて、元老院議員たちは苦虫を噛み潰しました。政治的にはライバルでありながらカエサルの友人でもあり、自らも名文家であったキケローはこのガリア戦記を読んで「あまりの見事さに君は歴史家の仕事を奪ってしまったぞ」と讃してします。

 自らをカエサルという三人称で記したように、徹底した客観性を保持しながらローマが見たガリア地方やそこに暮らしている人々の文化、ゲルマンやブリタニアの風習からそれらの政治的宗教的な状況までが、政治家であり軍人でもあるカエサルならではの生々しい視点で描かれます。「ガリアの人々は三つに分かれる。一つは貴族と騎士で軍事力を独占している。二つは司祭たちで宗教と教育を独占している。そして三つは民衆で、彼らは飢えと恐怖を独占している」とはカエサルがガリアを制覇する大義名分を記しながらも、冷徹なほどの調査と情報に裏打ちされた事実でもありました。
 批判的な元老院議員からは、個人的な野心のためにガリアを制圧したカエサルは逮捕してガリア人なりゲルマン人なりに突き出してしまうべきだとまで言われることになりますが、当時でも後代になっても彼のガリア征討が歴史に与えた功績を否定することはできません。実際にカエサルによる制覇によって、古来よりゲルマン人の侵攻やガリア人自身によるローマ侵入に悩まされていたこの地方は平定し、その後数百年もの安定と発展の時代へと突入することになるのです。しかも、カエサルはガリアを平定するべく無思慮にゲルマン人を追い払ったのでもなく、ライン河を渡ってすでに居住していたゲルマン人はそのままに、領土や防衛線を設定してこれ以上の侵攻を認めぬとしていました。

 元老院への報告と同時に、自ら編集して刊行させた本書は当時の元老院議員やローマ市民、属州民たちに向けられたもので、ガリア征討の報告書でありながらも読む者の心を沸き立たせる勇ましい戦記であり、事実に即した内容は現在に至る発掘調査でもその信頼性が証明されている第一級の歴史史料とされています。全編は八年間の戦役を伝える八巻から構成されており、ゲルマンの雄アリオヴィストゥスとの戦いからはじまる二度のライン渡河の様子や、ドーヴァー海峡を渡り大西洋を越えてのブリタニア遠征の決行、ヴェルキンゲトリクスによるガリア地方の大同団結を受けて有名なアレシアの戦いが決着する七年目までの戦記と、後年になってヒルティウスが書き足した戦後処理の八年目が付記されています。
 戦場では常に最前線にあって兵士たちの間を駆け回り、橋や陣営地の建設では自らも設計者として取り組み、勝利に奢ることはなく敗戦にも媚びることはなく最高司令官としての責務を厳格に果たす。それでいて兵士を戦友と呼び彼らには父として慕われ、凱旋式では「ハゲの女たらしのお帰りだ」と揶揄されながら豪快に笑っていたカエサルの文章を先のキケローは「典雅にして光彩陸離、荘重清高ですらある」と評してもいます。そして二千年を経ても失われない見事な文体がたとえ存在しなかったとしても、この人が兵士たちに心の底から慕われていたであろう、その理由の一端を知ることができるでしょう。ガリアで行われた戦いの歴史を知る以上に、ユリウス・カエサルを知って欲しい作品です。
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