年代記(岩波文庫)

 タキトゥス著 國原吉之助訳
表紙  五賢帝時代の政治家にして古代ローマ最高の歴史家といわれるタキトゥスの代表作で、帝政ローマ二代目の皇帝ティベリウスから第五代皇帝ネロに至る歴史を記した作品です。原文では十八巻まであったものの、セイヤヌスの失脚からカリグラの統治、クラウディウスの統治前半に至る部分と皇帝ネロの自殺に至る部分が欠損していますが、それでも作品としての価値は衰えていません。
 タキトゥス自らが記しているように、共和政ローマが崩壊してアウグストゥスによって打ち立てられた平和な時代のローマが舞台となっているため、戦乱に関わる記述が少なくいわゆる血沸き肉踊る描写よりも、首都の情勢を中心にした告発や議会の様子がより克明に描かれています。これは作者の主眼が平和なローマで深まる退廃や堕落に対する批判に置かれていたためで、全編に皇帝の暴虐と元老院の阿諛追従を嘆く筆致が綴られていてこれを読むだけではローマがどれほど堕落していたか、あるいは首都がどれほど退廃していたかと思わせてしまうことでしょう。

 タキトゥスには古代の風潮としては驚くほど正確で公正な叙述を努めようとした面があり、暴君と批判する人物でも評価すべき点を否定せず、ローマ人でありながらローマに敵対する人々の立場で事物を受け止める視点も忘れていません。統治には王と貴族と民衆の三つによる支配がありうるとして、アウグストゥスの帝政を認めながらも軍事独裁の本質を容赦なく突いていたり、現代では称揚されることの多いグラックス兄弟が扇動者として国政を混乱させていた面を指摘し、ユダヤやキリストの閉鎖的な信仰を忌まわしいとして弾劾するなど当時ならではの鋭さを感じさせます。
 一方で、実際にはタキトゥス自身の好悪の念で偏った描写が行われている例も多く、ティベリウスへの極端な憎悪とゲルマニクスへの極端な偏愛を見ているだけでも苦笑をせずにはいられません。ティベリウスが共和政の復帰を望んだ言葉は口先だけと決めつけながらも、人に好かれたゲルマニクスならば共和政を復帰させたかもしれないと嘆いています。逆に皇帝ネロ時代のように、ネロとアグリッピーナの双方を批判している場合の方がより公正な視点が見えるのはタキトゥスらしいというべきでしょうか。

 肝心の内容は当時のローマらしく豊富に存在した史料をもとに、元老院日報や公開された碑文、過去の歴史記述や巷間の噂まで熱心に収集した上で、タキトゥスらしい迫力ある筆致で当時のローマの姿を描いています。先述した皇帝たちの暴虐と元老院の阿諛追従にあふれるローマでも称賛に足る事績が残されている様に、平和の中で起こる退廃とその中でも優れた徳が生まれる事実を人々に伝えようという意図があるのでしょう。時折、叙述の年代が意図的に伏せられたり入れ替えられることもありますが、あくまで正確な史料に基づこうとするタキトゥスの姿勢には嘘がありません。

 その記述を額面どおりに受け取るのであれば残酷な皇帝ティベリウスや国母リウィアが高潔な英雄ゲルマニクスを蔑ろにしながら実子ドゥルーススを優遇したように見えますし、女人と解放奴隷の言いなりであった皇帝クラウディウスの脆弱さや、皇帝ネロの無思慮と放埓さが強く印象に残ってしまいます。ですが公正を試みるタキトゥスの記述のおかげで、冷酷でも統治には厳格だったティベリウスや勇敢で実直でも優れた司令官とは言いがたいゲルマニクス、公私の別なく皇帝の職務に真摯であり続けたクラウディウスや、他人の影響を受けやすい面を除けば思ったより賢明な統治をしている青年ネロの姿など、もう一つの側面にも気づかされずにはいられません。
 元老院を省みないティベリウスに対して当の元老院ではアフリカの騒乱を収める総督すら選出することができず、クラウディウスの統治が解放奴隷に支配されていた様子に眉をひそめながらも秘書官を活用せざるを得なかった様子、ネロを皇帝に推そうとするアグリッピーナの元老院への態度を見ても国政を担う主権者としての元老院には自分たちの立場への意識や自覚はあまり感じられません。在りし日の共和政を思わせる、元老院の権威を尊重する皇帝の姿をタキトゥスは尊重してこれを蔑ろにするティベリウスのような人物を嫌っていますが、それは同時に皇帝に卑屈に臣従する元老院への批判を思わせ、彼らが度を越した栄誉を皇帝に贈ろうとする様子がことさらに描かれています。

 史料の正確さと公正であろうとうする姿勢により古代ローマ最高の歴史家と評され、カエサルやキケローに並ぶ名文家としても名高いタキトゥスですが、この年代記は例えばカエサルの「ガリア戦記」やキケローの「カティリーナ弾劾」などに比べても正直読みづらい作品となっています。理由はいろいろあるでしょうが、ティベリウスの章であれば皇帝の姿ではなく、ティベリウスの時代のローマの世相を描いているのでどうしても当時のローマの様子や人物への予備知識が必要になってしまう点があるのではないでしょうか。皇帝にまつわる世評を連ねたスヴェトニウスの方が読みやすく、皇帝の時代を描き出したタキトゥスの方が読みにくいのは当時のローマ人ならぬ身には無理もないところだと思いますが、だからこそ予備知識さえあれば生々しいローマの姿を眼前に見せられる思いになることでしょう。
 あちこちに登場する注釈をほとんど見ずに読み進めることができて、少なくともユリウス=クラウディウス朝の系図と人物の関係を抑えている人であればタキトゥスの名調子を楽しみながら読み進めることができると思います。敷居の高さは否めませんが、好きな人であれば古代ローマでももっとも信頼できる史料の一つに接してみても良いのではないでしょうか。

 当時のローマと、タキトゥスという人物を知れば知るほど読み進む妙味が増す作品です。
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