あしながおじさん(新潮文庫)

 ジーン・ウェブスター著 松本恵子訳
表紙  ジョン・グリア孤児院で育てられていた少女ジルーシャ・アボット、安直な自分の名前が気に入らずにジュディと名乗る彼女は窮屈でせわしない孤児院の生活の中で、学業や年少の子供たちの世話にふりまわされながらも快活さとユーモアを忘れずに暮らしていました。彼女が自分の暮らしをおもしろおかしく記した作文「憂うつな水曜日」は堅苦しいリペット院長には好かれなかったようですが、それを目に止めた人物がいます。
 ある日、院長室に呼び出されたジュディはジョン・グリア孤児院の評議員をしている一人の紳士が彼女を大学に行かせたいと申し出ているという話を聞きました。思いもしなかった人生の転機に少女はとまどいますが、よりとまどったのは紳士が出した条件です。それはジョン・スミス氏を名乗る紳士に宛てて月に一回手紙を書くこと、ただし、こちらからは返信は送らず秘書を通した連絡しかしないこと。

 本名すら分からない、紳士の姿をジュディは一度だけすれちがった影を見たきりで、自動車のライトに長く伸びていた影だけが強く心に残っていた少女は親切なスミス氏のことを「足ながおじさん」と呼んで、四年間の大学生活を記したたくさんの手紙を綴ります。

 紹介するのも今更というような作品ですが、物語はジュディが足ながおじさんに宛てて綴る書簡集のかたちをとってなされています。同級の友人サリーやジュリアたちと学業にはげみながらもバスケットボールや夜会のパーティ、絹の靴下やアイスクリーム、今まで読んだこともなかった物語や小説に囲まれた暮らしがごく親しみ深い筆致で書かれていて、読んでいると自分を匿名のジョン・スミス氏になった思いにさせてくれるでしょう。ジュディの楽しい文体やなんともいえない挿し絵を見て思わず顔をほころばせながら、時に悩んだり反発し成長していく少女の様子が手紙を通して目に映ります。
 自分が孤児であることを隠しつつ、まるで知らなかった普通の大学生の暮らしや常識にとまどう彼女は「足ながおじ様」への手紙に本音を漏らしながら、どうしようもない不満をぶつけては翌日にあわてて後悔した手紙を送る。ジュリアの親戚だという変わり者の青年ジャーヴィスと出会い、農場やサリーの家に招待されて家族らしい暮らしに触れて、学業に励みながら作家としての道を目指す。やがて成長した彼女は一人立つことを願うようになりますが、自分が孤児であることに感じている引け目を捨てることができませんでした。あるとき、とうとう足ながおじさんと出会うことになった彼女は病に臥せていた彼の姿を見て生まれて初めての想いを綴った手紙を書くことになるのです。

 安易で単純なシンデレラ・ストーリーを思わせながらも、当時のアメリカの大学生の文化や生活を描写して孤児院の問題点に鋭く切り込んでいる点で価値があると評されることもある作品ですが、これには必ずしも賛同できません。これはジュディの書簡を読む人こそが匿名のジョン・スミス氏であり、スミス氏として少女に惹かれていく、そのままの物語ではないでしょうか。読者が作中の人物に声をかけることができないように、スミス氏からジュディに言葉が送られることはありません。時にやきもきしたり、苦笑したり、感心させられながら彼女をただ見守っていることにあたたかさを感じさせてくれるでしょう。ジュディが最後に足ながおじ様に宛てて書くことになった手紙、それを読むときの思いは匿名のジョン・スミス氏の思いそのもので、もう彼女からの手紙を読むことはない、そう思うとほんの少しの寂しさとそれを圧倒する祝福を思わせてくれました。
 書簡だからこそ語られている本音や、逆に描かれていない姿まで字面通りには受け取れない彼女の暮らしや思いまでを脳裏に浮かばせてくれる点で稀有とまで言える筆致と構成をしているんだろうと思いますが、そうした難しい理屈よりもただジュディ・アボットを見守ってもらいたい作品です。

 わりとどうでもいい付記ですが、ジュディにジュリアにジャーヴィスと、Jで始まる名前が多いので最初は覚えるのにずいぶん苦労してしまったことを告白しておきましょう。
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