クリスマス・カロル(新潮文庫)

 ディケンズ著 村岡花子訳
表紙  イギリスの文豪ディケンズによる、クリスマスを題材にした世界的な名作ですが、新潮版の邦訳は村岡花子訳による人々の描写がいかにも美しく楽しげな作品です。先に指摘してしまうと最初の説明で人物関係の説明がわかりづらいところがあって、特にボブ・クラチットがスクルージ氏の書記である記載が省かれているので戸惑うことがあるかもしれません。お話自体は適度に短いので一回読んで感動したら二回目を読めばふつうに理解できてもっと感動できると思いますし、感動したらいっそ三回読んでも四回読んでもよいでしょう。

 主人公のスクルージはけちんぼどころか守銭奴という表現がそのままあてはまる貪欲ながりがり爺で、彼の心の中の冷たさが、年老いたその顔つきを凍らせ、尖った鼻を痺れさせ、頬を皺くちゃにし、歩きかたをぎごちなくさせ、眼を血走らせ、薄い唇を蒼くしたとまで描かれていて、貧しい人々への寄付を頼まれれば「死にたい奴らは死なせたらいいさ。そうして余計な人口を減らすんだな」と放言するような性格をしています。それこそ彼が夢の中で出会う、体の弱い障害児のティム坊やが天使のように美しい心をしているのに比べれば、スクルージこそよほど障害のある異常者にしか見えない描写が容赦ありません。
 その年、クリスマスを前に人々が浮かれている中で、一人不機嫌でいたスクルージの部屋を訪れたのは七年前に亡くなっていた彼の商売仲間マーレイの亡霊でした。煙を吹き立たせて、あごが地面に落ちるほど外れたりする、おそろしいけれどどこかコミカルな亡霊は、生前はスクルージと同じようにあこぎな商売をしていたせいで全身に罪の鎖を巻きつけると、スクルージには自分と同じ轍を踏まないようにと諭します。それから真夜中が訪れるたびに三人のクリスマスの幽霊が現れて、過去と現在と未来のクリスマスを見せられたスクルージは心を改めました。

 スクルージは過去の幽霊にまだスクルージが幼かったころ、奉公に出て働き始めたころ、そして彼がお金に取りつかれて恋人を失ったころの姿を見せられます。現在の幽霊にはまさに今このとき、スクルージの甥のフレッドや書記のボブ・クラチットがどのようなクリスマスを送ろうとしているかを見せられて、未来の幽霊はなにも言わずに、すべてに見捨てられてクリスマスの夜にさびしく死んだ一人の男のところにスクルージを案内します。みじめな記憶を掘り起こされて泣いていたスクルージは未来を見てやっぱり泣いてすがりますが、それはこの未来が現実なら誰も救われないことを哀しんでのものでした。
 世界的な名作として伝えられているだけあって、決して長くないお話の中で人々の心情や関係が見事な描写で描かれていて、先述した通りスクルージが外見まで異常に見える姿で描かれていることや、ティム坊やが天使のように美しい心をしていることもそうですが、ティムの父親でもあるボブ・クラチットが素朴ないい人として、甥のフレッドが確かに「心からの笑いにめぐまれた人」としか思えない人物として、亡霊になったマーレイが生前はスクルージとさぞ親しい友人だったのだろうと思わせる人物として描かれているのに感心させられます。見ようによれば極端に見える彼らの性格が、むしろ説得力を持たせているのはディケンズの人物描写と構成の妙というものでしょう。

 個人的な感想では、極端に見えるほど、異常なほどの守銭奴であるスクルージですが幼いころ仲間はずれにされて一人ぼっちだった彼が変わった理由が「特にない」ことが容赦がなく、世の中は貧乏にはつらく当たり、それでいて富を求めることを世間は非常にきびしく攻撃することに対して文句を言うだけで、若いころには夢を持っていたスクルージは別にやむにやまれぬ事情で心変わりしたわけではありません。やむにやまれぬ事情はないのですから人は誰でもスクルージのようになるかもしれませんし、それを誰のせいにもできませんし、ですが自分でそれを変えることもできるというのはまったく言い訳の余地がないのです。
 現在のクリスマスを見せられたころには心を改めていたスクルージが、未来を見せられると絶望していく様を見てはたしてこのお話でハッピーエンドになるのだろうかと思いながら読んでいましたが、最後の章でそれらがすべて大団円に向けて流れていく描写もいっそ豪快なほど気分がよく、批判的に見れば都合よく見えそうな結末なのにやはり必然にしか思えないのは単にディケンズの筆致がそれだけすぐれているからだとしか思えません。尋常な書き手であれば、己の罪を心から悔いた老人が、絶望して横たわると人が自分の轍を踏まぬようにと祈りを捧げて終わりそうなものが、短い章だけですべてまとめあげてしまうのに脱帽させられました。まさに表題のごとく、クリスマスの聖歌に代わって読み上げられても不思議はない物語です。最初に邦訳された岩波版は古くて読みやすいとはいえない文体が個人的にはたいへん好みなのですが、美しい台詞まわしを読みたいならやはり村岡花子訳の新潮版をおすすめすることにします。

「神よ、私たちをおめぐみください、みんな一人一人を!」
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