山羊座の腕輪 ブリタニアのルシウスの物語(原書房)
ローズマリー・サトクリフ著 山本史郎訳
もとは作者がBBCのラジオ番組のために書いた、スコットランドをテーマにした台本を書き直して一冊の本にしたという作品です。西暦61年から383年まで、古代ローマのブリテン島を舞台にして山羊座の紋章が刻まれた腕輪と、それを受け継いでいく代々のルシウスを描く六つの物語です。
ボアディケアの乱で陥落したロンディニウムを奇跡的に逃れた少年ルシウス、後に軍団に入った彼は百人隊長として勲功を立てると山羊座の紋章が入った腕輪を受け取りますが、それが父がワインの壺を封印するのに使った絵柄に似ているといって腕輪は家に伝えられていくことになりました。
時は流れて有名なハドリアヌスの長城、建築されるハドリアンズ・ウォールで歩哨をしていたルシウス・カルプルニウスは建築技師フロンティアヌスと出会い彼の思いに接します。三つ目の物語に登場するルシウスは南仏ガリアからブリテンに帰るときに腕輪を受け継ぎ、長城の騎兵隊長になりますがダキア人で構成される第七騎兵隊の忠誠をなかなか得ることができずに苦労の日々を送ることになりました。長城は隣接する旧来の部族や人々との交流を当然のこととして行い、ウォタティニ族で青銅細工師の家に暮らすストルアンはルキアヌス・カルプルニウスというローマ軍団兵に出会います。ルキアヌスに薦められたストルアンはやがて兵隊になりますが、職人の手を持っていると言われたルキアヌスは深い傷を負うと細工師の娘と結ばれます。
ブリテン島へのピクト人やサクソン人の侵入が激しくなる時代、山羊座の腕輪は辺境の狼と呼ばれる原住部族の哨戒部隊に所属していたルシウスに伝えられています。海の狼と呼ばれるサクソン人の船を見つけたルシウスはこれをローマ軍団に報告すると、襲撃して船を追い払い首領が被っていた狼のマントを手に入れました。ルシウスの部族では昔から、一人前の男は自分で狩った狼のマントを被る習慣がありました。
六つ目の、最後の物語はマクシムスがブリテンで皇帝を僭称したことに端を発します。ブリテンを離れ西ローマに進軍する皇帝は長城にわずかに残る兵を引き上げて海峡を渡りました。少年ルキアヌス、ルシアンの父もまたマクシムスに率いられてローマに渡りますが、事ならず倒れると肩身の腕輪は少年のもとに届けられて、彼らは母の出自である部族に身を寄せます。それはすでにローマではないブリテンの部族であり、かくてローマを象徴する鷲は南へ飛び去りました。
古代ローマ、ブリテン島を舞台に歴史や時代背景を忠実に写す描写は作者の十八番でしょう。六つの物語に登場する、腕輪を伝える人々は全員がルシウスまたはルキアヌスの名を持っていますが、ルキアヌスはルシウスの子という意味であり時代を超えて変わることがありません。ですが移り行く時代の中でローマ人であったルキウスはブリテン人の娘と結ばれたり、ブリテンの部族そのものとなっていきます。彼らはローマが去るまで、誰の血を引こうとも自分たちはローマ人だと考えていました。それはブリテン島における人々の意識と重なっており、時代時代のルシウスによって映されるローマ人の姿はブリテンに同化して根付いていくことになります。
こうした群像劇としてのブリテンとローマの関わりが全編を貫きながら、六つの物語のそれぞれには人の繋がりや運命的な境遇が描かれ、時に勇敢に、時に温かみを感じながらもどこか寂しさを抱かせるのは戦に彩られながら最後にはこの地を去ることになるローマの姿を知っているからかもしれません。ですが、山羊座の腕輪はブリテンの一部となってこの島に帰り、この島に残り続けているのです。
作者自身の言葉によればこの物語には歴史的な事件はそれほど描かれていません、とありますが、それにも関わらずどこか寂しげに流れる歴史を感じさせてくれる作品です。
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