夜明けの風(ほるぷ出版)
ローズマリー・サトクリフ著 灰島かり訳
ローズマリー・サトクリフを代表するローマン・ブリテンシリーズですが、時代は紀元六世紀、王アルトスが死んで百年が過ぎて一度は立て直されたブリテンが遂にサクソン人に支配される時代、滅びた世界を舞台にした物語になります。
主人公の少年オウェインは父と兄に従い、金髪王キンダイランが率いる軍勢の一員として戦いへと赴きます。未だ幼く、短剣しか与えられなかった少年が戦場に引き出されている事情からも分かるとおり、サクソン人の王ツェアウリンの軍勢は圧倒的でアクエ・スリスでの戦いは激しくはありましたがブリトン人はこの戦で壊滅、気がつけばオウェインは傷つき汚れた姿で戦場に倒れていました。
立ち上がるとすべてが終わった戦場の中心に向かう少年は倒れている王や親衛隊、そして父や兄の骸を見つけます。兄の手から家に伝わるイルカの指輪を抜き取った少年は生き残っていた軍用犬にドッグ、犬、と呼びかけると共に歩き出し、敗残の人々が集まりサクソンに対抗する地を求めるべく、少年の故郷でもあるウィロコニウムの町を目指します。町を逃げる人々の流れに行き当たりながら、とうとう倒れてしまうと親切な老夫婦に助けられた少年は再び旅立ち、遂にウィロコニウムにたどり着きます。ですがそこにあったのは戦火に襲われて滅びた町の廃墟であり、オウェインは改めて彼の世界がどうしようもなく滅び去ったことを知らされました。
かつてはローマの街道でつながれていた世界も今では日々の食事すら狩りを行って手に入れなければならない、そんな廃墟をさまよっていた少年は人の気配を見つけると町に取り残されていた物乞いの少女レジナと出会います。ネズミのわく穀倉から麦の残骸を集め、野ウサギを狩って細々と食いつなぐ二人ですがいつまでもそのままでいられる訳もなく、海峡を越えてガリアに渡ろうと南へと向かいました。その無謀な試みも途中で潰えて、衰弱して熱を出したレジナが倒れるとオウェインはブリトン人としての最後の誇りを捨てることを決意します。それは遠くに見えるサクソンの農場に入り、奴隷となることで少女の命を救ってもらうことでした。身も知らぬ物乞いの少女のために自由を売り渡したオウェインは、近くの木の根本にイルカの指輪を埋めるとサクソンの奴隷としての人生を受け入れます。
滅び行く世界を生きる少年と犬、そしてイルカの指輪といういかにもサトクリフらしい要素を主軸とする作品ですが、主人公の少年オウェインの数奇な境遇には不思議な魅力を感じさせずにはいられません。児童文学らしく、自分の道を自ら選ぶことのできる強さをこのオウェインにも見せてもらうことができますが、少年が選ぶ道は頑なに苦難を追うかのようなものばかりで、手に入れることができた安逸な暮らしを捨てて自ら奴隷となり、それを抜ける機会が訪れてなお彼を引き取ったベオルンウルフの頼みに従い、サクソンの集落に留まり続けることになります。老夫婦の家に引き取られることも、避難する人々につき従うことも、奴隷の身から解放されて早々にブリトンの集落に帰ることもオウェインにはできた筈でした。
ですが、もどかしくも思える少年の選択が彼にとっては迷いながらも当然の選択であったことも事実だろうと思わせます。死んだ父や兄のためにウィロコニウムに帰る道を選び、物乞いの少女のために奴隷の身分に落ちる。自らを引き取ったサクソン人を身を挺して救い、その家を守ることも厭わない。オウェインは自分をアクエ・スリスを生き残ったブリトン人の戦士だと考えており、卑屈になることもなければサクソン人に同化することもありません。その彼がサクソンの人々と暮らし、やがて少年は青年となって戦いに赴くとブリトンとサクソンが協力しようとする世界があることを知らされるのです。
物語の流れは方々でオウェイン自身の心に残る、重要な言葉として語られていてサクソンの農場で出会うウィドレスおじさんの「ある日、小さな風が吹くかもしれないという希望が若者のときにはある」という言葉や、ブリトン人の使節エイノン・ヘンが言う「まだ夜明けではないかもしれない、だがわしは夜明けの風が吹きはじめたと思う」という言葉を経て少年は世界が終わった事実が同時に、新しい世界が始まったことでもあることに気づかされていきます。
古い王は倒れて犬が死に、その子が生まれて少しずつ世界もオウェインの境遇も変わっていく。ようやく世界の終わりを受け入れることができるようになったオウェインは、自分が残してきたものを拾い集めて、そして彼らの新しい世界に向かう。少年の冒険は多くの困難に立ち向かい、やがて冒険を終えれば家に帰りますが帰るべき家が失われてしまった世界にも新しい家は存在して、最後にオウェインが向かおうとする世界は彼が一度も足を踏み入れたことがない場所にも関わらず、彼らは家に帰るんだという思いを強くさせてくれます。
オウェインを中心にして彼が出会う魅力的な人々とエピソードが訪れては流れ去っていきますが、不思議な存在感を感じさせるのが神の馬テイトリと、ベオルンウルフの家に対抗してきたバディール・セドリクソンでしょうか。皮肉で挑発的どころか充分に敵対的で、間違っても好人物とは言えないバディールですがその誇り高さとテイトリに抱く感情だけはおそらくオウェインと等しかったのではないかと思えます。
多くの事件や登場人物は実在するエピソードに沿って描かれており、後のカンタベリー大司教が布教のためにブリテンを訪れる場面などはブリトン人もサクソン人も含めた新しい時代の流れを感じさせます。文中に最低限の註もあり訳文も読みやすいですが、個人的にはドッグの名前だけはそのまま「犬」として欲しかったところでしょうか。
何かのため、誰かのために自分で苦難を抱え込んでいく主人公オウェインの姿は決して犠牲的でも献身的でもありません。むしろ少年らしい誇らしさに溢れた言動は、あるいは彼の幼さであるかもしれませんがだからこそ彼の未来に風が吹いて夜明けが訪れる姿を思うことができるのではないでしょうか。いみじくも、若者にあるという希望を求める者には若者らしい、幼くも思える誇らしさが必要ではないかと思わせてくれる作品です。
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