いつか猫になる日まで(集英社文庫)

 新井素子著
表紙  あとがきで親切に説明されていますが、新井素子の二冊目の本で六つ目の作品というけっこう初期に書かれた本になります。主人公のもくずこと海野桃子たち練馬在住の若い男女六人が、石神井公園でUFOを見つけると宇宙戦争に巻き込まれるというお話ですが、作者自身が「目一杯明るい脳天気なお話」と言った通り莫迦莫迦しくも壮大な活劇譚が描かれています。地球人が知らないところで行われていた、まるでスポーツかゲームのような宇宙戦争に出くわしたもくずたちはこの迷惑な戦争の存在を知ると戦争そのものを終わらせてやろうと介入することを決めてしまいます。特異な精神構造を持っているという六人、一人は統率、一人は情報、一人は技術、一人は生命、一人は攻撃、そして最後の一人は切り札という彼らはそんな奇妙な夢を見せられるとそこに集められていました。

 先に書いてしまうと登場人物の背景も文章の構成も描写もSF的な考証もとんでもなく粗が目立ってお世辞にもよくできたお話とはいえません。例えばそれぞれの登場人物の背景が唐突に語られることが多く、あさみがもくずを慕う理由やもくずのコーヒーカップの話が何の伏線もなく登場するとか、もくずの失恋話が物語には不要にしか思えないこととか、あるいは木村といちこの関係や殿瀬と姫の関係がほとんど語られていないとか描かれないままの部分も気になります。六つの方向性を持つ六人が戦争を解決する展開も、たぶん統率と情報と技術の三人いればなんとかなりそうですし実際には「ヴィス」の能力に頼った上でトラブル満載の解決をしているのですからあまり論理的でもありません。
 描写では特に終盤の戦闘場面でばらばらに動きまわる登場人物たちの視点が変わるあたりで、それまでもくずの一人称で書かれていたお話に唐突に木村やヴィスの一人称が混じるのは正直読みづらく感じます。そしてSF考証はつじつまの悪魔が耳から血を流しそうなほどで、これも戦闘場面を中心にして質量とか慣性とか最初から考える気がないでしょう!とばかりの展開が目白押し。宇宙空間でペンキを塗りたくり、UFOのアメリカンクラッカーという絵面そのものが破天荒すぎて楽しいのは確かですがあまりにも物理法則が宇宙人のものだからという理由で済まされているような気がします。

 なのですが、これらの「とんでもなく目立つ粗」がこの作品にとってはささいなことでしかないどころか、むしろこの作品の異常な迫力と感情に引き込まれる要因になっていることに気付かされると、お話を読むのに構成とか考証とか頭でっかちに考えることがどれほどくだらないことか思い知らされる気分になるのです。序章から終章まで、そしてあとがきまで読めばこの世界は「彼」が創造した舞台に「彼女」が六人を用意して、あとは放置しただけというお話なのですから、作者もこのお話を登場人物の六人に任せたらあとはただ放置しています。つまり登場人物がすべて生きているという前提が存在しなければこの作品は絶対に書くことができない、これをごく当たり前にやっているのが新井素子の真骨頂でこの作品はとんでもなく新井素子的な、登場人物に物語の一切が任されている作品なのです。好き勝手に動き回る登場人物に文句を言う作者、この関係が分からない人にはたぶんこの作品の何がすごいのかさっぱり理解できないことでしょう。
 例えばそれぞれの登場人物の背景が唐突に語られることなんて当然です。誰だって自分の過去の深い事情を理由もなくぺらぺらと語ったりはしませんから。六つの方向性を持った六人の能力が完璧に活かされていないのも当然です。六人は「彼女」がそれを用意しただけであとはただ放置されていたのですから。戦闘場面の描写で一人称が変わる理由は?これも理由は明白です。もくずの一人称語りの作品の中で、ここだけは俺に話させてくれと他の登場人物が自己主張したからです。では戦闘場面のSF考証はどうなのか、これも単純、水原誠がヒーローだからすべてはうまく行ってしまうのです!そんな莫迦なと思うかもしれませんが断言しても構いません。これだけ生きている登場人物たちが異常なほどの迫力と感情に満ちているのも当然で、そして、そこまで気が付いたときに最後の一人が切り札であることを知ると、私的な感想ですが背筋がうすら寒くなるほどの戦慄を覚えました。はたして自分がものを書くときに、あるいは読むときに彼らは生きているだろうかと。

 もう一度書いておきますが、分からない人にはたぶんこの作品の何がすごいのかさっぱり理解できません。ただ、理解できる人にはこの作品がどれほどとんでもない作品で、しかも新井素子にとってこれがごく当たり前であることに衝撃を受けずにはいられないと思います。少なくとも当時の私が「私よりも遥かに強いだろう我が意を得た」思いで大きな影響を受けた作品の一つであることを認めます。あえて蛇足を付け加えるのであれば、あとがきにある「あなたに読んでもらいたくて」の一節すら影響を受けていることを表明して。
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