地底旅行(創元SF文庫)

 ジュール・ヴェルヌ著 窪田般彌訳
表紙  ドイツにあるハンブルクで鉱物学を学んでいるアクセルは、ある日、彼の叔父であり師でもあるリデンブロック教授に呼び出されると、叔父が手に入れたという古書に挟まれていた、奇妙なルーン文字が書かれている羊皮紙のメモを見せられます。メモは本の持ち主が書き残したものらしく、暗号で書かれているそのメモを読み解こうと教授は寝食も忘れて解読に没頭しますが、それはつまり彼と同居するアクセルにも食事が許されなくなるという意味でした。辟易するアクセルですが、偶然暗号を読み解くことができた彼は内容に愕然とするとそれを叔父に知らせることをためらいます。十六世紀の錬金術師アルネ・サクヌッセンムが残していたそのメモには、

「大胆な旅人よ、七月一日以前にスカルタリスの影がやさしく落ちるスネッフェルスのヨクルの噴火口におりよ。そうすれば、地球の中心に到達できよう。これはわたしが実践ずみのことである」

 と書かれていて、叔父の性格からすれば、彼がこの突拍子もない言葉を証明するために地球の中心を目指さないわけがないのです。それでもいよいよ空腹に耐えかねたアクセルがメモを解くカギを叔父に白状すると、喜び勇んだリデンブロックは即日旅の支度を整えて、アクセルを引きずって海の向こうにあるアイスランドへと旅立ちました。現地で雇った猟師のハンスを案内人に、三人はサクヌッセンムの足跡を追ってスネッフェルスの火口へと足を踏み入れると南東に向けてひたすら伸びている洞窟を地底深くへと下ります。水が尽きかけたり、道を間違えてはぐれたりしながら、気がつくとアクセルの目の前に広がっていたのは地下世界の巨大な空洞を満たしている「海」でした。

 あらすじはおよそこんな感じですが、火山の噴火口から続いている長大な洞窟と極光のような放電で照らされた地底の海、今なお生きていた古生代の巨大生物などとんでもない舞台が描かれているにもかかわらず、このお話はまぎれもなく見事な冒険小説であり見事なサイエンス・フィクションでもあるという点に驚かされてしまいます。単調なはずの洞窟をひたすら進み、あるいは見渡す限り水平線が広がるだけの水面を筏で滑って行く彼らの冒険はアクセルの視点で描かれていて、それは飽きるどころか常にスリルと驚きが消えることはなく読んでいて引き込まれずにいられません。地底深く潜れば温度や圧力が耐え難いものになるのではないかという懸念をあえて無視しながら、科学的な考察は忘れずに、一見常識人で懐疑派のアクセルがこれらの危険を語りながらも「まだはっきりと定義できないなんらかの事情のために、この法則が自然現象の影響を受けて変化することがあるかも知れないということは認めたいと思う」として彼の疑念や恐怖や驚きを読者は共有させられます。

 そして突拍子もなく思える人物像を魅力的に描けるのはジュール・ヴェルヌの真骨頂で、ドイツ人の具現化という野心と決断に欠けることがないリデンブロック教授と、寡黙で忠実なアイスランド人の猟師ハンスたちに同行する主人公のアクセルは、物語の語り手であると同時にいかにも人間らしい不安や弱さを見せることで同行者の魅力を引き出す役割を兼ねています。超人じみた意志を持つ教授がアクセルのためには優しげな顔を見せて、様々な危険をハンスが乗り越えることで彼らの偉大さがアクセルの目を通じて描かれます。ときおり滑舌が悪くなり聴衆に笑われたというリデンブロック教授が、アクセルの目の前にある古生代の骨の山の上で大演説をぶるシーンの迫力は巨大生物の格闘にも引けをとらないといえば言い過ぎでしょうか。
 主人公としてのアクセルが、未熟で弱い姿を見せながらも叔父の計画に従い成長していくというテーマに言及されることもありますが、婚約者のグラウベンが明言した通り彼もリデンブロックの甥としていざとなれば勇敢で大胆な姿を見せる人物であり、いくつかの場面で「アクセルの中のリデンブロックらしさ」が見られます。ですが、個人的には彼の成長はこの地底旅行を通じて最後まで残される羅針盤の謎を叔父の目の前で解決してみせることで、この最後のエピソードの痛快さですべての苦労が吹き飛ばされる思いになりました。

 あまりにも読みやすい描写にやや破天荒すぎる展開がむしろ楽しく、児童文学として扱われがちですが丁寧な科学的交渉に支えられたサイエンス・フィクションの先駆けであり、魅力的すぎる登場人物に支えられたまさしくジュール・ヴェルヌらしい作品です。
 そしてここからは蛇足ですが、あくまでも個人的な感想としては地底世界で彼らが見つける生物は巨大植物古代魚までで、それ以外の動物たちは化石や痕跡をにおわせるだけのほうがさらに神秘的だったかもしれないなどと考えてしまいました。リデンブロック教授が「骨」を発見したときが物語のクライマックスで、大型生物との遭遇よりもむしろ強烈な印象を残したからこそ、彼らが到達できなかった洞窟の更に先に骨の持ち主たちがまだ生息している可能性を見せてくれたほうがより好奇心を刺激されたかもしれないとは重ねて個人的な感想です。そして教授が帰還した後、洞窟の再調査は行われたのだろうかという想像をただちに抱いたことも正直に告白しておきますが、もしも地底旅行の続きがあるならばそれはアクセル・リデンブロックが主導するのでしょう!
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