ラインの虜囚(講談社文庫)
田中芳樹著
田中芳樹が「ミステリーランド」という児童向けのレーベルに寄稿したというお話で、作者らしい空想歴史小説でありながらも内容は史実を舞台にした子供から大人まで楽しめる冒険活劇になっている作品です。
舞台は1830年のフランス、ナポレオン没後にシャルル十世の治世を経てルイ=フィリップが統治するパリが舞台。カナダから祖父に会うために大西洋を越えてきた少女コリンヌは、亡き父と不仲だったブリクール伯爵に目通りを願います。祖父の爵位も財産も継ぐつもりはないコリンヌですが、父の名誉は守りたいと自分を孫として認めさせようとしますが、伯爵はその条件として彼女をライン河畔にある「双角獣(ツヴァイホルン)の塔」に向かわせます。その古い塔にはワーテルローの戦いで敗れた後、セントヘレナ島で死んだはずのナポレオン・ボナパルトがまだ生きていて今でも幽閉されているというのです。
50日後、12月25日の降誕祭までにことの真偽を確かめることができれば、彼女を孫だと認めようという祖父の言葉に、コリンヌはパリを旅立ちます。彼女に協力してくれることになったのは偽名の老剣士モントラシェと陸に上がった海賊ジャン・ラフィット、それに自称天才作家アレクサンドル・デュマの三人。個性的ですが頼もしい大人たちに助けられて、コリンヌはライン河を目指します。
天才作家デュマは「三銃士」や「モンテ・クリスト伯」で知られる文豪アレクサンドル・デュマその人で、放蕩者で女たらしの快男児という若き日のデュマ本人として登場します。伊達男の海賊ラフィットはメキシコ湾をさんざ荒らしまわると「紳士海賊」と呼ばれた大海賊ジャン・ラフィットというこれも実在の人物、剣の達人モントラシェはコナン・ドイルの作品に登場する、ナポレオン旗下の軽騎兵第十旅団で活躍したという名剣士ジェラールがその正体という顔ぶれです。
彼らの旅に立ちはだかるのは「暁の四人組(パトロン・ミネット)」と呼ばれる悪漢たちで、派手な冒険活劇というべき旅路を経ていよいよライン河畔にたどり着くと、兵士たちに守られている塔に侵入を試みます。双角獣に幽閉されているのは本当にナポレオンなのか、それともまったくの別人なのでしょうか?
十九世紀のフランスを舞台にして歴史上の人物や古典的名作の登場人物たちが活躍する冒険譚という形式は、多くの本を読んで多くの本を書いた作者の十八番といった風情です。デュマの作品が好きな人であれば「三銃士」を思い出すかもしれず、ドイルの作品を読んだことがなければ「勇将ジェラールの回想」を紐解いてみたくなるかもしれません。お話自体はひねりもなくまっとうな冒険活劇で、コリンヌは主人公らしく勇敢で賢明だし、三人の同行者は豪快で気分がよい連中、そして彼らの行く手を阻もうとする悪漢たちは不気味で個性的、官憲や兵士は如何にもかたくるしく融通が利きそうにない障害として登場します。
王道といえるお話が魅力的な登場人物と膨大な史料で支えられていて、手に汗握る展開に引き込まれながら、安心して読むことができるのはさすがというしかありません。ナポレオン後の社会や時代背景を描きつつ、コリンヌと仲間たちが「既存の枠から外れた自由な人たち」であるのも共感を抱かせてくれます。お話のどんでん返しも如何にもといった感じで、ミステリといった風情ではありませんが充分に驚かしてもらえる展開が待ち構えています。
難しいことを考えずにコリンヌと愉快な大人たちの冒険を楽しみながら、興味を持てばデュマやドイルの古典に手を伸ばしてみたくなるという点で、子供が本を読んでさらに本を読みたくなるきっかけとしては傑作と読んでいい作品かもしれません。この手の活劇では主人公のコリンヌが少年でありそうなところを、少年めいた少女にしているのも自然で好もしく思ってしまいました。エピソードでは戦い方を教えて欲しいと頼むコリンヌに剣を渡すと「これでマドモアゼルは、自分を殺す権利を相手にあたえたわけだ」というモントラシェの姿がやはり印象的ですが、全体としてモントラシェが恰好よくてデュマが愉快な三枚目にすぎるので、ラフィットのエピソードをもうひと推しだけ補完して欲しかったところでしょうか。
田中芳樹といえば「銀河英雄伝説」や「創竜伝」などが有名かもしれませんが、個人的にはかなり推したくなる作品です。
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