天翔る少女(創元SF文庫)

 R・A・ハインライン著 赤尾秀子訳
表紙  ハインラインのジュブナイルというくくりで知られているらしい、未熟な少年少女の未熟さも容赦なく描いているハインラインらしいSFです。人類が地球で発祥したことすら忘れられた宇宙時代。人類初の女性の宇宙船船長を夢見ている、火星育ちの少女ポディことポドケイン・フリーズは、念願の地球旅行が取りやめになったことで落胆していました。上院議員のトムおじさんのはからいで、弟クラークと二人で豪華客船トライコーン号に乗せてもらえることになったポディですが、おじさんの旅行には大っぴらにはできない理由が隠されていて、彼らは恐ろしい事件に巻き込まれてしまいます。

 あらすじを見れば宇宙船乗りを「夢見る」主人公の少女が現実に立ち向かうお話のように見えて、その通りでもあるんですが、なにしろポディは普通の女の子、あるいは金持ちの世間知らずの娘でしかないので、夢を実現するためにさしたる努力をしているわけでもありません。同船する弟クラークは冷徹な天才少年で、賛否あるという結末を見ても将来は彼が宇宙船乗りになるらしく、たぶんいまどきのお話ならクラークが主人公になっていたことでしょう。
 その結末ですが、このお話はハッピーエンドではないしポディの夢はたぶん叶うこともありません。なので女の子の夢が叶わないなんて許せない、という人はまずこの作品は読まない方がいいと思います。大人にも厳しすぎる現実を少年少女にぶつけて挫折させることのどこがジュブナイルなんだ、と思ってしまえば、あまりといえばあまりの結末に失望した落胆した幻滅したという感想が出ても不思議はありません。

 なのですが、結末に賛否があることだけ聞いてから自分で読んだ感想としては、この展開とこの結末って言うほどひどいものだろうか、むしろいいお話だよなというものでした。
 ポディは未熟な上に浅はかで、基本的にお人よしで、常識を破ってでも難事を解決してみせる知恵や力があるわけでもありません。宇宙船乗りの夢に対してもさしたる展望もなく、船内を見せてもらったりカジノやパーティに誘われたりしているのも、彼女が無害な子供でトムおじさんの客人で特別扱いされているからというだけです。ただ彼女はとてもお人よしなので、磁気嵐で皆が避難している中、赤ん坊たちが泣き叫んでいたら放っておけずに世話を手伝ったりもしてしまいます。とにかくポディは徹頭徹尾ごく普通のよい娘さんでしかありません。

 ポディに比べて弟のクラークはIQ160の天才少年で、冷徹で冷酷なところもありますが、ありあまる才能を姉を侮辱したご婦人方へのいたずらに使うような子供らしいやんちゃぶりも備えています。ですがお話がポディの目を介した描写であることを差し引いても、読んでいて人間味を感じるのはポディに対してであり、クラークに対してそれを感じるのは事件の顛末に「挫折して後悔をした」彼の姿にようやく人間らしさを見せられます。トムおじさんは彼のことを手遅れだと評しましたが、この事件とポディの存在がなければ彼は確かに手遅れになっていたことでしょう。
 一方で、物語の最後までごく普通の娘でしかなかったポディは事件の解決には何一つ貢献していませんし、おそらく多くの夢も未来も断たれてしまいますが、彼女だけが本来なら磁気嵐や事件のときに失われていただろう赤ん坊の命を助けています。これは女は赤ん坊を守るべきだという主張ではなくて、そもそも赤ん坊を見捨てるなんてできるわけがないでしょうという、ごく普通の感覚を持っているのがポディだけだという意味でもあるのです。仮に彼女を登場させずにこの物語を書いてみても、磁気嵐は無事に去って事件は無事に解決しますが、間違いなくいくつかの命は失われて、しかもそれに対する感想は仕方がないというだけで、読者の印象にすら残ることはないでしょう。そしてそれが「ハッピーエンドだったこの物語」になるはずです。

 けっきょく、宇宙船乗りを夢見たポディはあこがれの地球旅行で地球にすら到着することはありませんでした。ですが彼女があこがれた宇宙船の船長も、将来は宇宙船乗りになるだろう天才少年も、未熟なポディだけが持っているものを決して忘れてほしくありません。後味はけっしてよくはありませんが、よい結末だった。やはりこれはよい作品なのだと思います。
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