アンの愛情(新潮文庫)

 ルーシイ・モード・モンゴメリ著 村岡花子訳
表紙  赤毛のアンのシリーズ三作目で原題はアン・オブ・ザ・アイランド、プリンス・エドワード島のアンというべき作品です。アヴォンリー小学校に教師として赴任していたアンですが、グリン・ゲイブルスも落ち着いてかねてからの野心である文学士を目指すべくレドモンド大学への就学を決意しました。旧友のギルバートやチャーリー・スローン、クィーン学園からの親友プリシラ・グラントらと共にノヴァスコシア州のキングスポートへと渡る、彼女たちによる大学生活の四年間が物語の舞台となります。
 邦題にある通り、今作品ではロマンスの要素が強くこれまでアンを取り巻いてきた家族の愛情や友人の愛情を押しのけて登場しようとする、恋愛や結婚といった言葉とそれに戸惑う主人公アンの姿が描かれています。これまでの作品ではアン・シャーリーと彼女にまつわる人たちの印象が強かった面がありますが、今作品では作中にアンの占める場所がより大きくなっており、彼女の楽しさにも未熟さにもさんざん振り回されることになるでしょう。

 もう少女とはいえない、女性となったアンの周囲には軽薄にも思える恋愛の話がたびたび耳に入るようになりますが、昔からのアヴォンリーの生活と変わらぬ愛情を重んじるアンにはわずらわしいものでしかありません。最大の親友ギルバートまでそうした恋愛らしきものを覗かせる様子に彼女は辟易することもありましたが、プリシラと二人でレドモンドでの生活を始めたアンは新しい友人のフィリパ・ゴードンやクィーン時代の友人で二年次から就学するステラ・メイナード、ジェムシーナ伯母さんらと共に「パティの家」で楽しい共同生活を送ることになりました。
 ですがアンの思いとは別に、何もかも変わらない世界などというものはありえません。腹心の友であるダイアナの婚約が物語の始まりであったことがそれを示しているように、訪れたり去っていくロマンスの数々や友人の死、変化するアヴォンリーの姿はその時々にアンに言いようのない感傷を抱かせました。アン自身が受けた思わぬプロポーズにうんざりした彼女は、ギルバートからの求愛も同様に拒絶してしまい、誰もが変わらぬ友情を保とうとしてくれないことに失望します。レドモンドでの生活は楽しく、学問にも社交にも励んでいたアンはアヴォンリーの小さな変化にもまた違和感を覚えるようになっていました。

 ある雨の日に、そのアンが出会ったのがロイヤル・ガードナーという青年で美しく詩的な容貌に黒い瞳をした彼との出会いはアンを魅了します。資産家の息子で性格も良い好青年、むろん彼とて完全無欠の人物ではなく、多少ユーモアを解さないきらいはありましたが理想の王子にそれ以上何を望むことがあるでしょうか。新しい親密な友人に夢中になるアンですが、少女時代からの変わらぬ夢を求め続けていた彼女が少しずつ変わっていく世界の中で、それでもまるで変わることがない愛情が人々や自分の中にあることに気がつくことはできずにいました。すべてを失って手遅れになると思われたその時になって、彼女は後悔の中で遂に「アンの愛情」を見つけるのです。

 おそらく読み進めながらも主人公アンのやきもきするもどかしさに振り回されることになるでしょう。彼女が執筆して挫折した小説「アビリルのあがない」のように、幼い彼女らしさに苦笑してあるいは呆れることも多い筈です。彼女に注がれる愛情の多さと温かさは赤毛のアンの当時から変わることがなく、アン自身の少女らしい気高さと野心がそれを助けていることは彼女自らが得る奨学金やミス・ジョセフィン・バーリーから贈られた遺産で学資を賄うことができたエピソードなどにも見ることができます。そしてそんなアンの欠点と、美点の双方を描き出してくれる存在が今作品のキーパーソンとなるフィリパ・ゴードン、通称フィルでしょう。
 フィリパはボーリングブロークの名家に生まれた愛嬌のある美人で頭も良く、しかも心から素直で正直なせいで他人はもちろん自分の美点をも堂々と認めることができるという一風変わった娘でした。友情を大事にする彼女は社交界の花形であり、アンやプリシラを連れて奔放に遊びまわる彼女は人には軽薄に思われていますが決してそうではないことをフィリパ自身が知っていて、彼女自らそれを公言することさえできます。このフィリパが素直な心のままにアンをクィーン・アンと崇める姿に、何が偽りで何が変わらぬものであるかを教えてもらうことができるでしょう。ギルバートを拒絶したアンをフィリパはなじりますが、ロイを謝絶した時には怒りながらもアンをなぐさめようとします。

 アン・シャーリーと彼女を取り巻く人々の愛情が描かれている、紛れも無いアン・シリーズの作品ですが、アン自身の愛情と成長が描かれている点でそれまでの二作品とは異なる印象を与えてくれる作品です。とはいえアンを中心にした情景がより多く描かれていることもあり、かえって彼女を取り巻く人々の様子、特にこの時期のギルバート・ブライスの物語が読みたくなったのは正直なところでしょうか。理想と野心を持ちながらアンに心を惹かれ続け、挫折して身を削りながら最後に希望に出会う、フィリパ・ゴードンの言葉ではありませんが「ギルバートのいない世界」はアンには考えられないものでしょうし、それはもちろんギルバートにとっても同じなのだと思います。
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