アンの幸福(新潮文庫)

 ルーシイ・モード・モンゴメリ著 村岡花子訳
表紙  赤毛のアンのシリーズ四作目となる作品で、原題はアン・オブ・ウインディ・ウイローズ、柳風荘のアンとなっています。ちなみにモンゴメリ自身が書いた順番としてはアンの友達などアヴォンリーの他の作品を含めたシリーズ九作目であり、アンの愛情が1915年、アンの夢の家が1917年に発表されてから20年近くが過ぎて書かれています。

 文学士としてレドモンド大学を卒業したアン・シャーリーはギルバート・ブライスと婚約し、医学部で研究を続けるギルバートと離れると誘いを受けていたサマーサイド中学の校長として赴任します。かのレイチェル・リンド夫人に付き添われてサマーサイドに下宿先を探すアンですが、名士のプリングル家が彼らの一族の人を校長にしたかったこともあってアンをこころよく思っておらず、なかなか当てを見つけることができません。難儀したアンが聞いた話がウインディ・ウイローズの未亡人たちが部屋を貸してくれるかもしれないというもので、その魅惑的な響きと訪れた家の快さにたちまち魅了されたアンは未亡人たちに気に入られるとこの家の「塔の部屋」に暮らすことになりました。ケイトおばさんとチャティおばさん、気のいいレベッカ・デューに猫のダスティ・ミラーが住んでいるウインディ・ウイローズでアン・シャーリーは野心と希望にあふれた三年間を過ごします。
 物語の中心はアンからギルバートに宛てた書簡を中心に綴られており、彼女らしい彼女の心情が数々の手紙に語られます。ウインディ・ウイローズの人々や古臭くも磨きあげられた家具の一つ一つ、塔の部屋を吹き抜ける風や季節ごとに彩りを変える風景、アン・シャーリーが愛する情景が丁寧に綴られている描写はいかにもアンらしく、これに校長としての野心と苦労や、明日への希望とギルバートへの愛情が遠慮のない筆致で書かれる様子には時に笑い時に苦笑させられることでしょう。ひっかかるペンではラブレターは書けないとして、ペン先がなめらかな時は心からのラブレターを綴る、アンらしいアンの姿は変わることがありません。

 特にこの時期、作者のモンゴメリはアン・シリーズを続けることを嫌っていたと言われています。いかにもアンらしく、しかも大人になったアンは物語の中で成長や大きな変化をすることがありませんから作者の述懐は当然かもしれません。そのためこの作品は赤毛のアンのような彼女を中心とする群像劇というよりも、同じ群像劇でもアン・シャーリーの野心と希望に触れたサマーサイドの人々の群像劇といった感じになっています。現在と近い将来への希望にあふれているアンを好む人もいればうらやむ人も、時にはうわべだけで崇拝してしまう人も現れては小さな事件や騒動の種となりますが、アンがギルバートへの手紙に記したように人に必要とされることは素晴らしく、人生に何が待ち受けていても踊りながら立ち向かおうという彼女らしさは様々な感化をサマーサイドにもたらします。

 サマーサイドの生活では新しい下宿先の生活を楽しみながらもプリングル一族に振り回されて、思わぬ出来事で彼らの降伏と和解を勝ち取るまでの数ヶ月を過ごすことになりますが、その後はふくれ屋のサイラス・テイラーの娘の相談を助けたり、気難しいギブソン夫人に尽くす娘のポーリーンに一日の休暇を与えようとしたり、ネルソン家の結婚式で嫁き遅れた姉と喧嘩した恋人のあいだを取り持とうとしたり、意気地のないドヴィーにジャーヴィスとの駆け落ちをすすめたりといつものアンらしいおせっかいぶりを発揮します。
 猫の伯母さんの毒舌や未亡人姉妹のいとこアーネスティンの心配症、墓の下の人たちの話題が好きなミス・バレンタイン・コータローや、サマーサイドいちの名家の最後の一人で呪われた自分の家系を話し続けるミネルバ・トムギャロンなどアンをすら振りまわす人々の姿も登場しますが、彼女たちの個性に苦笑しながらどこか愛嬌を感じずにいられないのはそれが幸福なアンのフィルターを通して見せられるからかもしれません。ギブソン夫人が言っていた、アンのような人が多くいればサマーサイドはもっと過ごしやすくなるだろうという言葉には、形を変えた愛情もまた愛情なのだと考えさせられる思いになります。時に苦笑して、時に反発したくなることもままあるでしょうが。

 作中で重要な位置を占める人物が小さなエリザベスとキャサリン・ブルックの二人で、厳格だが愛情に欠ける家で育てられているエリザベスや、不幸な生い立ちのせいで人生から他人を締め出してしまったキャサリンがアンと知り合い、アンに誘われてグリン・ゲイブルスを訪れるようになる様子にはアン・シャーリーに代わって、アン・シャーリーに感化されて訪れる大きな変化を感じさせてくれるでしょう。個人的に惜しいと思うのはもう一人、サマーサイドの生徒で当初アンに敵対しながらやがて彼女と親しい仲に変わっていくジェン・プリングルについて作中であまり言及されていないのはもったいなく感じるでしょうか。サマーサイドで三年間を過ごすアンに感化される人々の姿として、一年目がジェン・プリングルで二年目がキャサリン、最後がエリザベスという流れでも良かったのではないかと考えてしまいます。
 そして「アンの愛情」におけるフィリパ・ゴードンのように、アンに親しい人々の中でも特に今作品でのキーパーソンとなるのがレベッカ・デューの存在でしょう。未亡人姉妹の親戚筋にあたり、ウインディ・ウイローズの家事全般を取り仕切っている気のいい中年女性です。レイチェル・リンド夫人やジェムシーナ伯母さんのように、家を取り仕切る年配の婦人が登場するのがこのシリーズの魅力ですが、よく働き信仰心が厚く、素朴で遠慮がないが鋭い批評眼も持っている、常識に恵まれたレベッカ・デューの存在がアンをいっそうアン・シャーリーらしく見せてくれます。エピソードの最初にレベッカ・デューの名前が挙がり、最後もまたレベッカ・デューで終わる彼女の存在こそウインディ・ウイローズのアンという作品そのものではないでしょうか。

 こんな寒い夜には誰もがぬくぬくと過ごしていて欲しいと言った、そんな温かさを感じさせてくれる作品です。
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