アンの夢の家(新潮文庫)

 ルーシイ・モード・モンゴメリ著 村岡花子訳
表紙  赤毛のアンのシリーズ第五作、原題ではアンズ・ハウス・オブ・ドリームスでそのままアンの夢の家と訳すことのできる作品です。物語としてはアンの幸福に続くアン・ブライス夫人の新婚時代、彼女が25歳から27歳までを過ごした時期の作品ですが執筆順としてはアンの愛情に続いて書かれた作品で、その後は主題が彼女の子供たちに移る二編に20年ほどを経て続編が書かれていることもあり、当初はモンゴメリの中ではこの作品を第四作として、シリーズ最終作とするつもりでいたのかもしれません。そのため、当然ですがアンの幸福で登場するレベッカ・デューなどの人物はこの作品では登場しないことになります。

 物語はアンとギルバートの結婚式を控えたグリン・ゲイブルスから始まります。サマーサイド中学校で校長として三年間を過ごしたアンはギルバートとの婚約期間を終えると、彼女が育ったグリン・ゲイブルス初めての花嫁として隣人や友人に囲まれたささやかな式を挙げました。マリラやリンド夫人に双子たち、親友のダイアナ・ライトやこの日のために訪れてくれたジェーンやラベンダー夫人にポール、フィリパといった旧友たちに祝福されて、二人はアヴォンリーを離れたフォア・ウィンズ港にあるグレン・セントメアリ村で新しい生活を送ることになります。
 グレン村ではギルバートの叔父であるデイブ老医師が引退することになっており、開業するギルバートは小さな家を借りますが古い伝統と家具、木々と小川に囲われたその家をすっかり気に入ったアンはそこを彼女たちの「夢の家」と名付けます。式を終えて汽車に乗り、馬車に揺られて新居へと向かう二人は港や灯台が見える村の風景をすっかり気に入りますが、街道を過ぎる途上でアンは一人の美しい女性の姿を見咎めます。面識のある筈もない、彼女は何故かアンの姿に怒りを込めた視線を向けているように感じられました。

 夢の家での生活はいかにもアンらしい愛情と想像力にあふれたもので、岬の灯台守であるジム・ボイド船長や男ぎらいを公言するミス・コーネリア・ブライアントらに囲われた愉快な日々を過ごします。「ヨセフを知る一族」と称するアンの同類との交流は楽しいものでしたが、一番の隣人である小川の上流にある家に暮らしているレスリー・ムアの存在を知るとアンは驚きました。意に沿わぬ人生を強要され、記憶障害の夫ディック・ムアの世話をしながら貧しい生活を送っているレスリーこそアンに怒りを見せていたあの女性だったのです。

 物語の導入で、以前の作品で登場した人物や事物の姿が描かれてそれがアンの夢の家にも暖かさと彩りを与えてくれます。マリラやリンド夫人が贈る品々や、パティの家からフィリパが持参したゴグとマゴグが新しい家の炉辺に居場所を与えられる様子には頬を緩ませずにはいられません。ですが二人の新しい生活はフォア・ウィンズを舞台にしてジム船長やミス・コーネリア、そしてレスリーたちを中心に語られていくことになります。主人公であるアンが幸福に満ちた存在であることはともすれば物語の輪郭を曖昧にしてしまいかねませんが、アンに感化されていくレスリーとの交流や濃密な人生を長く過ごしてきたジム船長とアンの交流は単純な喜ばしさだけはなく時に苦味や寂しさも感じさせてくれるでしょう。だからこそ彼らとの楽しい日々は貴重であり、ミス・コーネリアや家政婦のスーザンの言動に元気付けられ、ギルバートの愛情をより深く感じることもできるのだと思います。もちろんアン自身もただ幸福なだけではなく、彼女にさえ痛みを伴う絶望が訪れることはありました。
 シリーズを通して女性や女性から見た家庭の視点が中心になるために、老いた人や中年女性、子供の描写が秀逸な一方で男性の印象が薄いとは赤毛のアン以来言われていることですが、この作品ではギルバートの存在が相応に描かれているのが楽しいところでしょうか。誠実で新進の医術を扱うギルバート医師はすぐにグレン村で受け入れられると、忙しい身となるのでアンの生活にいつでも登場する訳ではありませんが、心からアンを称える姿やジム船長やミス・コーネリアと冗談を交わす姿、深刻な決断をアンに持ちかける様子まで二人の家を支える姿を見せてくれます。クイーン・アン、樹木の精たるアンと昔から変わらないアンへの崇拝ぶりを見せながら若い家長として振舞おうともしている、夢の家の生活がしっかりと支えられている印象を与えるのは作者のバランス感覚でしょうか。新婚夫婦の幸福な姿を見せてくれながらも、悪い意味での危うさを感じさせないのは見事ではないかと思います。

 余談ですがシリーズを通して作中でたびたび語られる政治問題、マシュウが保守党なので自分も保守党になると宣言したアンはともかくギルバートが保守党というのはちょっと意外でした。学生時代からのギルバートの行動力や医師としての人々の信頼ぶりを見るに、グレン村でも演説に引っ張りだこであったというのも頷ける話ですが、スーザンの言でなくとも一歩間違えれば政治家なり革命家なりになっていたかもしれませんね。

 物語の主軸は二つありますが、レスリーを縛り付けるディック・ムアの記憶障害は当時取り上げられた実際の医学でのエピソードが参考になっているそうです。手術により患者が治癒される可能性を見出した医学の可能性と素晴らしさはギルバートが若い折りにアンに語った彼の抱負そのものですが、同時に手術の成功がレスリーの境遇をより不幸なものにするのではないかという恐怖はそれでも事実を受け入れて欲しいという、人の強さと弱さに対する思いを見せているのではないでしょうか。ギルバートの主張は正しかったし、アンの拒絶は確かに間違えてはいましたが、それはアンの感情を否定するものではなく乗り越えるのであればギルバートやジム船長のようにすべてを承知した上での決断が必要になるのだと思います。
 もう一つのエピソードがジム船長の生活手帳で、想像力が最高の姿で綴られる経緯にアンは力を貸すことになりますが、物書きとしてのアンの力量が結局それなりのもの以上ではないというのはちょっと面白いところです。そのために登場するのがオーエン・フォードですが、若いポール・アービングがもっと人生経験を積めば生活手帳を執筆することができるかもしれないと考えるアンの語りには執筆への作者の考えが秘められているのかもしれません。生活手帳に魂を与えているのは、老いたジム船長の力強い人生そのものなのですから。

 かつての暮らしに見送られて新しい生活へと向かい、幸福の中で新しい喜びと悲しみまでを知り小さな家はやがて広がって夢の家の生活は終わりを告げる。輝かしい日々を振り返る寂しさを捨てることなく、新しく向かおうとする家には新しい暖かさが満ちていることだろう。夢の家はまさしく短い幸福な夢の時代ですが、目を覚ませば現実的であっても快い朝を迎える。物語がアンの生活から小さな夢の家の舞台とそれを囲う人々の存在にまで結びついて、一つの流れを見せてくれる構成は見事としか言いようがありません。シリーズを通して「虹の谷のアン」とこの「アンの夢の家」は特に推したい作品です。炉火を前にしてジム船長が二人の女性と彼女たちの未来を祝福する、信仰心すら抱かせる描写の美しさはシリーズでも随一の場面ではないかと思います。

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