アンをめぐる人々(新潮文庫)

 村岡花子訳
表紙  原題では続アヴォンリー年代記と称される、アンの友達と同様にアヴォンリーの人々を題材とした短編集です。国内では赤毛のアンのシリーズとして扱われていますが、当時、モンゴメリとの契約がすでに終了していたページ社が作者に無断で保管していた、アンの友達のときの没原稿を編集した上に一部を改竄までして強行出版したという少々いわくつきの作品。アンの名前は出さないという作者との契約条件があったために、表紙には赤毛の少女を載せたりと、訴訟問題にまで発展してモンゴメリ自身はこの作品を自分の作品として認めていません。訳者もこの点はおそらく承知していたのでしょうが、解説文では曖昧な説明しか付記していない様子を見ると、それでもモンゴメリ原案ではあるこの作品を葬るのは惜しいと考えたのでしょう。

 もとはアンの友達の没原稿であったという全十五作品の作品群では、いかにもアヴォンリーらしい素朴な人々の姿が描かれています。プリンス・エドワード島の情景と人々の愛情が主眼に置かれている描写の妙は相変わらずですが、どこか物語の構成に物足りなさを感じる作品が混じっているのは先入観のせいでしょうか。
 口からでまかせで空想したロマンスが実現してしまった「偶然の一致」や、裕福なモンロー家の一族が集う中で、一人風采の上がらない兄ロバートこそが兄弟にとって真の成功者だと讃えられる「失敗した男」、いつまでも教会で告解をせずにいる長老に人々や家族が奇異な目を向ける「ディビット・ベルの悩み」など、エピソードとしては面白い一方でどこかあっさりと終わってしまい、どこか物足りなさを感じなくもありません。ダイアナの友人で山彦荘にミス・ラベンダーを訪れた「私」が年輩の婦人からトランクを遺贈される「茶色の手紙」などはどうしても出版社のあざとさを感じてしまい、素直に読むことができないのは正直なところです。

 モンゴメリ原案作品ならではの素朴で魅力的な登場人物たちは健在ですが、中年や老年、あるいは子供の描写が特に魅力的な作者を思えば意外なことに、今作品で強く印象に残るのは「平原の美女タニス」に登場する気高く愛情深い混血の美女タニスと、「没我の精神」で最後まで身を削りながら弟に尽くす不具の姉ユーニスの二人でしょうか。モンゴメリ作品の登場人物は深い愛情と幅広い想像力だけではなく、揺るがない誇り高さや気高さを見せてくれる点にも魅力を感じてしまいます。その意味では「珍しくもない男」に登場するマークも、結婚式の当日に花嫁を連れ去られる気の毒な三枚目を演じておきながら、愛する人のためにそれを平然と受け入れる気高さを見せてくれますが作品の構成ではやはり物足りなさを感じてしまうのはもったいないところですね。
 アンの友達に収録されている「隔離された家」のような秀作を選ぶとなるとちょっとためらってしまうというのが正直な評価ですが、先の「平原の美女タニス」と「没我の精神」を除けばいかにもモンゴメリらしい年代も世代も感じさせない愛情に溢れる「父の娘」がお気に入りでしょうか。幼い頃に別居して海岸近くでひっそりと暮らしている父に何とかして花嫁姿を見せようとする娘レイチェルのお話ですが、愛憎入り交じる、ではなく互いに愛情で繋がっている関係は如何にもモンゴメリらしさを覚えます。気軽な作品であれば、やはりアヴォンリーお馴染みの楽しい婦人が登場する「ジェーンの母性愛」が実に楽しいかと。仲の悪い姉妹が親戚の残した赤子を奪い合う様子が陰気でも不快でもなくむしろ滑稽な様子で綴られており、後後まで村の人々が口の端に上らせては笑っているだろう様子が浮かび上がってくる作品です。

 続アヴォンリー年代記という表題を思えば、アンの友達に比べてどうしても粗を感じさせてしまう作品ですが、作者の思いは別にしても無視をして葬るには惜しいと思わせるものがあるのも確かな作品です。あえて叶わぬ望みであれば、この原稿をモンゴメリ女史に渡して本当の「続アヴォンリー年代記」を書いてもらいたかったと思わせる作品です。
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