失われた世界(創元SF文庫)

 アーサー・コナン・ドイル著 龍口直太郎訳
表紙  原題はザ・ロスト・ワールド。すでに古典的な扱いすらされている作品で、一連のシャーロック・ホームズ作品でも知られているドイルによるSF冒険小説です。児童向けに邦訳出版されていたり、映画「ジュラシック・パーク」など多くの作品に影響を与えたことでも知られており、そのことがこの時代と年代を超えたこの作品の魅力を物語ってもいるでしょう。

 ドイルの作品群ではGECことジョージ・エドワード・チャレンジャー教授のシリーズのひとつとされていますが、主人公は新聞記者の青年エドワード・マローン。彼が求愛する女性のために、彼女にふさわしい栄光を手に入れようと訪れたのは奇人で知られるチャレンジャー教授の屋敷でした。
 傲慢なほどに圧倒的な迫力の教授が語る驚くべき説、はるか古生代に絶滅したとされている生物たちが今でも生き残っているという主張に賛同したマローンは、かつてメイプル・ホワイトが発見したという失われた世界を目指して南米アマゾンへの探検隊に参加しました。同行者は有名な冒険家のロクストン卿と批判的なサマリー教授、そしてチャレンジャー教授自身に率いられた四人は失われたメイプル・ホワイト台地を探します。

 物語はマローンが書き送る手記の形式をとり、困難な探検行の中で綴られていく冒険の不安や緊張感、驚くべき発見に対する興奮や絶望的な状況など生々しいほどの臨場感が描かれています。チャレンジャー教授が唱える説に共鳴しながらも、知識も確信もある訳ではないマローンの視点がいかにも冒険小説らしい勇気ある行動の楽しさを感じさせてくれてたまりません。
 同行する仲間たちの個性も際立っていて、豪快で傍若無人ですがいざとなれば奇跡を思わせる発想や行動を見せるチャレンジャーに、批判的な常識を持ち合わせながら学問には公正なサマリー、冒険に必要なあらゆる技術を持ち合わせているロクストン卿の騒々しい楽しさとしたたかな頼もしさは絶妙でしょう。

 サイエンス・フィクションとして当時の知識に沿った古生物の姿と生態を描き、それらが生き残る可能性としてのメイプル・ホワイト台地を描く考証には想像力を刺激されるだけではなく不思議な迫力と説得力があります。この作品が出版されて後、舞台となる南米ギアナ高地にいくつもの探検隊が向かったという事実も、チャレンジャー教授がまるでヘイエルダールのように人々を魅了した事実を示していると思います。

 火山性の隆起により平原から切り離されたメイプル・ホワイト台地には、古生代から生き残っていた巨大生物だけではなく独自の集落を形成する凶暴な猿人たち、更に地上から隔絶されたことで原始的な文明を営まざるを得なかった人々まで登場して、探検隊の一行は歴史的な新発見に驚きながらも思わぬ危険と抗争に巻き込まれていくことになります。
 現地人の協力を得て行われる探検行の困難と楽しさ、未踏破の地にわずかな手がかりを発見する興奮、困難極まる地形への挑戦、未知の生物と出会う驚愕、そして異種族とのファースト・コンタクトまで今では定番とも思える魅力がこれでもかというほどに詰め込まれています。

 無事にロンドンへと帰還した教授たち一行が報告会を行う中で、まるで信用しない人々に見せ付けるために運んできた大きな箱とその後の凱旋行進までの顛末はいかにも楽しいですが、物語のクライマックスを感じさせるのはむしろマローンが高く上った木の頂上からメイプル・ホワイト台地を見渡した場面ではないでしょうか。帰還した喜びや賞賛を浴びる栄光ではなく、この瞬間のためにエドワード・マローンは失われた世界を目指す旅に同行したのではないかと思わせます。物語の最後にマローンが握り締めたのが誰の手であったかを見れば、彼が望んでいたものが何であったかを知ることができるのではないでしょうか。
 当時の古生物学やその他の知識を用いて描かれている、動植物や地形や気候にいたるまでの描写は見事としか言いようがありませんが、同時に数千万年から数億年を隔てた時代の隔絶をメイプル・ホワイト台地という地形の隔絶によって表現している筆致には脱帽します。この隔絶した「壁」の存在こそ多くの読者や探検家を魅了するものの正体かもしれず、チャレンジャー教授一行の魅力ではなく、マローンの英雄的な行為に物語へと引き込む原動力を感じさせてくれる作品です。
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