ささら さや(幻冬舎文庫)
加納朋子著
町中を歩いている若い夫婦と、昔ながらの大きな乳母車。そんなごくありきたりの日常が唐突に突っ込んできた真っ赤な乗用車によって遮られてしまいます。突然、夫を失ってしまった頼りないサヤは生後間もないユウスケと二人取り残されてしまうと、喪中の悲しみの中で亡くなった夫の親族から赤ん坊を養子に引き取りたいという申し出を聞かされました。逃げ出すようにして、かつて伯母が暮らしていた佐々良という小さな町に引っ越してきたサヤとユウスケは昔ながらの温かみのある町並みと隣人たち、それと彼女が本当に困ったときにだけ現れてくれる、亡くなった夫の幽霊に支えられて新しい生活をはじめていくことになりました。
作者得意の連作短編形式による、日常の小さなミステリーと温かみのある人々の姿に彩られたお話です。佐々良という小さな町(モデルは埼玉県秩父市)に引っ越してきたサヤは近所に住む三人のお婆さんたち、細身で気難しい久代さんに恰幅がよくて豪快なお夏さん、小柄で知りたがりの珠代さんたちに圧倒されながらユウスケを育てていきますが、何しろ頼りないサヤはごくささいな事件にも度々うろたえてしまいます。一夜を借りた宿での幽霊騒ぎや、伯母宛てに送られたという空っぽの小包など、それ自体は小さな事件ですが彼女の佐々良での生活に本当に必要だと思ったとき、亡くなった夫の幽霊は彼の姿が見えるほんのひとにぎりの人の身体を借りてサヤの前に現れます。どこからか聞こえてくる、ささら、さやという言葉とともに。
サヤにとっては夫が自分たちを助けてくれることが何よりも支えになっている一方で、今の状態がほんの一時的な執行猶予期間に過ぎないと感じている夫にはいつまでも彼女がこのままでいいとは思っていません。そのサヤ自身もあと何回夫に会うことができるだろうかと思いながらも少しずつ成長して、ユウスケのために強くなっていきます。大仰な謎解きのあるお話ではなく、謎解きで味付けをされた物語という構成はいかにも作者らしいですね。
亡くなった夫が愛する妻を助けるために幽霊になって戻ってくる、というとスピルバーグ監督の映画「オールウェイズ」を思い出してしまいますが主人公はあくまでサヤさんです。あきれられるほどの人の好さを発揮しながら、それでいて心の底に強さを秘めている彼女は最初は手を貸されて、やがては言葉だけでも、そしていずれは彼女自身の力で自分とユウスケを助けられるようになっていきます。なんでもできてかっこよくて優しいどころか、自分が死んでもサヤの心配しかしていないような無敵の旦那さんを見ればこの人だったら死んでも帰ってきておかしくないだろうと冗談っぽく考えてしまいますが、サヤさんはその彼が慕っていた女性でもある訳です。
このあたり頼りない姿にも強くなっていく姿にもそれぞれ彼女らしい魅力を見せてくれるサヤの描写には作者の上手さを感じてしまいます。このあたり女性の感想であればまた違うのかもしれませんが、自分をだました不動産屋のおじさんを笑って許してしまう人の好さにそれでいいのかよと苦笑しつつ、ユウスケを助けるために一人で病院に駆け込む姿に勇ましさを感じつつ、まあサヤさんだしなあと思ってしまうあたり彼女の旦那もそんなところに惹かれたんだろうと思わせてもくれるのです。
同じ佐々良の町を舞台にして、ドラマにもなった「てるてるあした」の方が有名だと思いますが、本作品にはより佐々良の町と人々の心地よさや温かさを感じさせてくれる楽しさがあると思います。全八編の中で一つを選ぶなら「空っぽの箱」が好きですが、「トワイライト・パッセンジャー」の最後の場面にはついつい涙腺が緩んでしまいます。
ちまみに重ねて書きますが亡くなった旦那さんはかなりできすぎの旦那さんだと思いますが、男性としてこういう男性はいないと言うつもりはありません。むしろバイバイ、また会おうと笑って言えるような人になりたいものです。
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