アンの想い出の日々(新潮文庫)

 ルーシイ・モード・モンゴメリ著 村岡美枝訳
gif  まさか邦訳出版されるとは思わなかった未発表原稿による赤毛のアンシリーズ最終巻。作者のモンゴメリが亡くなった当日に出版社に持ち込まれたままになっていた原稿を復元したという作品です。

 構成は「アンの友達」と同じくグレン村周辺のうわさ話を中心にした短編集の体裁をしていますが、幕間に炉辺荘の夕暮れと称するブライス家の語りと詩が挿入されています。上巻は虹の谷の子供たちがまだ幼かった当時の炉辺荘が舞台で、ブライス夫人が昔に書いた詩を家族に読み上げてギルバート医師やスーザン、子供たちが思い思いに口を開いたり心に思ったりする様子が描かれます。詩の内容がいかにもアンらしく、時に夢見がちで美しいものに目がなく、家庭への愛情にあふれていてそれぞれ彼女が書いた年代を窺わせるところにモンゴメリの描写の妙を見せられます。ギルバートのアンへの崇拝ぶりや、スーザンの実にスーザンらしいコメントもなじみのあるブライス家の楽しさを感じさせてくれるでしょう。
 下巻、第二部になると一転して時が進み、ウォルターが命を落とした大戦以降の炉辺荘が舞台になり、傷心を隠せずにいるブライス夫人やジェムとフェイスの夫婦、リラ・フォードなど「リラ」のその後、アンの子供どころか孫まで登場していることに驚かされるでしょう。炉辺荘の空気はかつてのように無条件に朗らかなものではなく、ブライス夫人の言葉には消えることのない影があってギルバートやスーザンが元気づけようとしていますが、ウォルターを失った哀しみだけではなく当時の情勢を思えば戦争そのものへの懐疑的な思いがあったのかもしれません。「リラ」では勇敢な戦いと尊い犠牲が語られていた一方で、周知のとおり戦後処理の失敗が第二次世界大戦の原因につながったことを思えば、勇敢ではあったけれど何かを間違えたのではないか、という思いが彼らにも(モンゴメリにも)あったのではないでしょうか。それは単なる反戦思想というよりも、私たちはウォルターの死を無駄にしていないだろうかという恐怖のようなものに思えます。

 と、炉辺荘の語らいをはさみつつ主体となっている短編の数々ですが、小さなエピソードの楽しさはモンゴメリの真骨頂を思わせる一方で、事件よりも内面の描写を重視している感があるのはモンゴメリが終世悩んでいた文学としての完成度を高めたかったのでしょう。個人的にそれは成功しているとも失敗しているともいえて、よりにもよって最初に登場する「フィールド家の幽霊」があまりインパクトが強く他の作品がかすんでしまうのは理不尽に残念です。若い神父の下宿先で起こった幽霊騒動の顛末ですが、ミステリではなく病床のアリスを中心にした人物描写に圧倒させられてしまいました。あまり活き活きしたアリスの告白と、それをおおらかに受け入れてみせるヘンリー・キルデアの姿に引きつけられますが、相手が聖人君子でなくとも理想の人物でなくとも愛情は愛情である、という当たり前のことを強く感じさせてくれるのはモンゴメリならではかと。つまるところ相手のイヤなところもひっくるめて受け入れてこその愛情なのですね。
 あとは「ペネロペの育児理論」がたいへんアンシリーズらしいお話で、愛らしいくそがきさまに振りまわされる大人の楽しさが存分に見られるのと「あるつまらない女の一生」もモンゴメリらしく誇り高い女性の姿が語られます。それぞれの短編ではブライス家の人々への言及がたびたび行われて、あるいはちょっとしたゲスト的に登場することもありますが彼らへの基本的な視線がすごくいい人たちで理想的な家庭なんだろうけどいちいち引き合いに出さないでよ、という感じなのが意外と受け入れやすいです。理想的な家庭、に対する周囲の感覚ってそんなものではないかなと。

 そんなわけで上巻は「フィールド家の幽霊」の印象が、下巻第二部は短編よりもウォルター・ブライスが残した詩の存在が強くなっていますが、ウォルターの詩はアンのそれに比べるとはるかに情感があって完成度が高く、書き分けられているのが見事と思う一方でアンがちょっと気の毒かも。「笛吹き」の全文ではじまりウォルターの戦場での詩で終わる構成を見ても、主人公というか主軸はやっぱりウォルター・ブライスなんだろうと思います。
 とはいえ全体で見ると短編集と炉辺荘でのやりとりが互いに関連づいているとはいえず、別々の作品という印象はぬぐえません。「友達」に代表される短編ものが好きで、かつ詩を読むのも好きな人であればふつうにおすすめできますが、あとは例外的に「虹の谷」が好きな人であれば彼らのその後の姿や笛吹きをはじめとするウォルターの詩作が載っているというだけで所望すべき作品です。

 余談ですが息子を失ったブライス夫人への一番の処方は、子供たちが自立した後に(もちろん双子の)養子を迎えるのがよいのではないかと思ってしまいました。あとは子供の頃のジェムがフェイス・メレディスだけではなくメアリ・ヴァンスにもキスをしたことがあるというのは子供たちだけの内緒にしておいてください!
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