鼠と竜のゲーム(ハヤカワ文庫SF)

 コードウェイナー・スミス著 伊藤典夫・浅倉久志訳
gif  鮮烈な作品を残しながらも寡作のまま亡くなったコードウェイナー・スミスの短編集。全作品を通じて特異なのが「人類補完機構」をはじめとして登場する組織や技術がごく当然に存在するものとして扱われる文体で、例えばこの世界の独自技術である平面航法が何であるかを読者が知っているかのように語られる手法でしょうか。もちろん読み進めていくうちに説明が登場することもありますが、科学考証をした上で登場させているのだから不都合はあるまい、とでもいうくらい不充分でも気にせず描写されていていっそ読者が脳内で補完しないといけませんが、くどくどと説明されるよりも読みやすいので個人的にはよいのではないかと思います。

 概説と感想ですが各作品は作中世界の時代順に並んでいて、最初の「スキャナーに生きがいはない」はこの世界の特異な背景にのっけから引き込まれる作品。読み始めた早々に「マーテルは怒っていた。血液を調節して怒りを引かせようともしなかった」と描写されるスキャナーの存在が強烈に描かれています。人類が宇宙に飛び出すようになってまだ間もない時代、空のむこうで危険な作業に従事するために脳からあらゆる感覚器官を切り離された誇り高い半機械人間スキャナーのお話です。彼らの活躍で人類は宇宙に赴くことができましたが、ついに新しい航法技術が発明されたことで彼らが不要になることが分かると、動揺したスキャナーたちは発見者アダム・ストーン博士の殺害を決議してしまいます。愚かな決定を批判したマーテルは危機を知らせに向かいますが、殺害を命令されたのは彼の友人でもあるパリジアンスキーでした。
 作中では人間であることを捨てたはずのスキャナーの人間味がとにかく描かれていて、主人公のマーテルがスキャナーであるが故に苦悩していることもそうですが、博士の殺害を決議する仲間たちの迷妄ぶりもよほど人間くさく、どれほど技術があるとはいえ彼らの存在を許容したこの世界そのものに疑問を持たされてしまいます。物語はスキャナー同士の戦いから決着へと向かいますが、おそらくパリジアンスキーはこの結末を望んでいたのではないでしょうか、というのが感想。

 つづく「星の海に魂の帆をかけた女」は本書でも珠玉の一作で、SF作家はロマンティストでなければなれないのだろうと思わせてくれる作品です。航宙技術が進んで恒星間移民が始められるようになり、人々はコールドスリープした状態で運ばれると四十年ほどの旅の末に星と星を渡るようになりますが、ただ一人、パイロットだけはコクピットに縛り付けられると船の帆を扱い続けなければなりません。「理由はただ君が若いからだ」と言われても志願した主人公ヘレン・アメリカが人生の四十年を捨ててまで宇宙船に乗り組んだきっかけは彼女が地球でもっとも有名な女性だったためでしたが、彼女にそれを決意させたのは宇宙と時間を超えて彼女が愛したグレイ=ノー=モアに会いに行くためでした。
 私見と偏見を承知で断言すれば、この短編集でもっとも魅力的な女性をあげなさいと言われれば二人がレイディ・メイとドロレス・オーを、残る全員がヘレン・アメリカを選ぶでしょう!というほどヘレンの一途さに引き込まれてしまいます。スキャナーやヘイバーマンが不要になってもこれだけの犠牲に平然として人類を宇宙に赴かせるこの世界でも、そんなことは構わずに惹かれあう二人の関係がたまらなく魅力的です。故障した帆を直すために船外に銃を撃つときのヘレンが見たものは、退廃したモラルの中でも人間が変わらず、どれだけ科学が進んでも人の思いがそれを超える可能性をこの作品は語ろうとしているのではないでしょうか。作中に登場する技術に詳しい説明がないのと同じようにヘレンが船を救うことができた理由も誰にもわかりません。ただグレイ=ノー=モアが最後にヘレンに語った言葉だけがまぎれもない真実なのだと思わせます。

 更に時代が進んだ「鼠と竜のゲーム」は登場する設定や人物が楽しく、表題作にふさわしい一方でSF作家は猫好きでなければなれないのだろうかと思わせてくれる作品です。いわゆるワープ航法にあたる平面航法を発見した人類は空間を跳躍して光年の距離を移動することができるようになりましたが、同時に竜と呼ばれる存在に接触すると漕ぎ出した人々が全滅する惨事にも出会うようになります。竜は強烈な光に弱いがピンライターと呼ばれる戦闘員の力だけでは竜に襲われる前に爆弾を打ち込むことができない、そこで登場したのがテレパスで同調してミリセコンド単位の速度で竜=鼠を撃退してみせる「あらゆる夢想を越えてすばやく、無駄がなく、かしこく、信じがたいほどしとやかで、美しく、言葉はいらず、何一つ代償を求めない」パートナーの存在でした。
 前二作のように人間味の失われた世界でも不変な人間らしさ、のようなものには縁が薄い作品ですが、どのような世界でも不変な猫好きというものが存分に語られている作品です。その意味では読者が猫好きであるほど登場人物には共感を、読者が猫好きでなければ楽しい異様さを感じさせてくれるのかもしれません。そして意外と見逃せないのが爽快でスピード感のある戦闘描写で、映像化されたらさぞ恰好よい作品になろうと思いますがそれはそれでパートナーの美しさを映像で伝えきれるものか!と文句を言われそうな気もします。

 そして「燃える脳」は個人的な感想では「星の海に魂の帆をかけた女」がなければこれをあげたかもしれない作品。引き続き平面航法で宇宙を飛び交う時代、今度はピンライターではなく彼らを従えて船の航行に責任を持つゴー・キャプテンを主軸に語られます。宇宙一魅力的な女性ドロレス・オーが選んだキャプテンの最後の航宙となる事件の話ですが、彼女が宇宙一魅力的なことをキャプテンが認めていることと、年老いた老婆の姿になった彼女もごく当然にそれを信じていることに彼らの愛情の深さを見せつけられずにはいられません。ありえないミスで船と乗員のすべてが危機に陥ることになった場面でも、老いたキャプテンは平然として彼がすべきことを行い、同乗しているドロレス・オーもそれに意を挟むことすらせず自らを燃やし尽くしたキャプテンを迎える姿にはすさまじいとといった陳腐な表現ではなく「愛情とはこういうものです」と彼らがごく自然に振る舞う姿を見せられます。
 あえて惜しむらくというなら、相変わらず人間の犠牲に鈍感なこの世界がキャプテンにかけられている責任と犠牲のわりに描き足りないような気がすることですが、あるいは本作にとってこの二人以外の存在など取るに足りないというそれだけのことかもしれません。

 ロマンティックな作品が二編あるなら猫好きの作品も二編あるべきだと思わせてくれる「スズダル中佐の犯罪と栄光」。ピンライターが猫を使っていたことを思えばこの作品に猫が登場することも決して無理やりではないのかもしれませんが、やはりそれでも猫なのかと思わせるほど猫がものすごい使われ方をする作品です。時代は更に進み、人類補完機構が銀河の果てまで宇宙船を飛ばすようになると船を任されたスズダル中佐は寿命の長い亀人に貝殻船の管理を任せて、自分はコールドスリープして定期的に起こされるという方法で送り出されます。目を覚ました中佐は漂着したカプセルを発見すると惑星アラコシアへと舵を切りますが、そこは地球から植民した末に雌性が絶滅したけもののような「男とおんな男」が住むおそろしい星でした。故郷である地球に復讐するために貝殻船に取りつこうとするアラコシア人たちに対して、スズダル中佐がとった方法は決して許されないもので、地球の危機を救った彼はすべてを失うことになります。
 と、あらすじを書くと凄惨な内容に見えてしまいますが内容はむしろコミカルにすら思わせる作品で、それでいてアラコシア人と猫族のその後を思うと中佐のしたことを認めるわけにはいかずこの結末になるのも仕方ないだろうと思わせます。人類補完機構の判決は過酷なものではあるのですが、名前さえ奪われた彼が本当にシェイヨルに送られたのかどうかは誰も知らないというのが感想です。

 ここまでロマンティックな、あるいは楽しげな話が続きましたが時代が進んで「黄金の船が─おお!おお!おお!」から後の話は人類の頽廃ぶりがますます色濃くなり、作品の印象も大きく変わりますが面白いかどうかといえば作品としては面白い一方で好みは分かれるかもしれません。悪辣な独裁者ラウムソッグが地球侵略を試みると、武力だけではなく陰謀や賄賂も駆使する彼らの手で人類補完機構の人々も籠絡されますが、それ以上に悪辣な補完機構が独裁者を滅ぼすために「黄金の船」を飛ばすというお話です。説明するだけでネタバレになりそうなので割愛しますが、人類のためなら人類など意にも介さない補完機構らしさが存分に発揮されていて、このような地球に侵略を試みるラウムソッグが愚かなのだとしか思えません。そして補完機構の面々は彼らがたっぷり受け取った賄賂を懐に収めた上で、黄金の船によって地球は救われたのです。
 何も知らないとか白痴とかいうのも地球を救う人選の条件に入っていたのだろうと思うと補完機構の頽廃ぶりが。

 そして「ママ・ヒットンのかわゆいキットンたち」は長寿の薬サンタクララを産出することで宇宙の富を支配したノーストリリアを狙う盗賊ベンジャコミン・ボザートと惑星ヴィオラ・シデレアが、ママ・ヒットンのかわゆいキットンたちと呼ばれる防衛システムによって破滅させられるまでのお話です。悪党がもっとたちの悪い者によって退治させられる展開や、その不穏さでも個人的には黄金の船が勝りますが、ベンジャコミンが防衛システムの謎を追いかけていく筋立てはこちらの方が楽しかったかと。ママ・ヒットンが最初に述懐する「おいで、泥棒。ここへ来て、死ね。待たせるのはよくないよ」という台詞そのままの展開と、最後の一文でまた一枚コピーされるカードの容赦なさが秀逸です。

 最後は「アルファ・ラルファ大通り」ですが、個人的にはこれこそ本集の中で最も頽廃的で最もおぞましい話です。世界が完璧に完成されてしまってすべての人類が何らの危険もなく寿命すら超越した時代、人々はルネサンス的な自由と<人間の再発見>を求めると主人公の男女も気軽に病院に入ると新しくフランス人になったポールとヴィルジニーの二人として、何時間かの睡眠学習でおぼえた古代フランス語やポピュラー・ソングを口ずさみながら町を歩きます。かつて<信仰者>として古いコンピュータ、アバ・ディンゴを訪ねたことがあるというヴィルジニーは、補完機構が定めたままポールと結ばれることに疑問を持つと、神という言葉は与えられても、わたしたち、意味を知らないのねという彼女の言葉にマクトという怪しげな男が現れます。
 これまで並んでいたお話ではコードウェイナー・スミスが生み出した世界はそれまでどれだけ技術が発展して、人類補完機構がどれだけ頽廃していても人間はあくまでも人間であり続けていました。ところが完成されたこの世界に暮らしている二人の主人公はポールもヴィルジニーも人間を演じさせられているだけに見えて、そんな自分たちに疑問を持つところにかろうじて人間らしさが垣間見える程度です。彼らが出会う猫人のク・メルがこの世界ではよほど「人間」らしく、不自然な登場人物たちの中で彼女だけがいきいきとして描かれています。世界の行き着いた先とそこに残されていた人間らしさが描かれているという点ではコードウェイナー・スミスらしいのですが、正直な感想としては世界のおぞましさが先に立ってしまってお話としては残念な結末に思わされてしまいます。それはお話が残念なのではなく、主人公のポールが不自然な存在のまま救われてしまう結末が残念で、いっそポールもヴィルジニーも何も気づかないままいなくなった後にそれを惜しむク・メルの姿で終わるような、人間が新しい人間に引き継がれるような終わり方をしても美しかったんじゃないかとはあくまで個人的な感想です。

 長々と書いてしまいましたが独特の世界の中で普遍的な人間らしさが語られている、独特の雰囲気に引き込まれる短編集ですが無難に読むのであれば「スキャナーに生きがいはない」から「燃える脳」まで読めば安心して楽しめる作品集であり、頽廃した世界にも疲れない人であればその後を読むのもおすすめです。ですが「星の海に魂の帆をかけた女」の一編だけでもこの本を手にする価値はある、個人的にはそう断言することにしましょう。
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