ムーミン谷の十一月(講談社文庫)
ヤンソン著 鈴木徹郎訳
有名なムーミンのシリーズの中でも後期に書かれている、作中にムーミン一家がまったく出てこないという一風変わった印象があるお話ですが、登場するヒトたちの人間くささが魅力的に描かれているという点ではシリーズ随一で個人的には一番好みの作品です。舞台は冬を前にしたムーミン谷で、知り合いたちが次々とムーミン屋敷を訪れますが、あいにく一家はどこかに出かけていて誰の姿もありません。ちょうど「ムーミンパパ海へいく」で出かけている最中のようなのですが屋敷を訪れたヒトたちには知るよしもなく、彼らは彼らの中にあるムーミン一家の姿を思い出しながらぎこちない共同生活を送ることになります。
作品のポイントになっているのが、話題にだけ登場して最後まで姿を見せることがないムーミン一家が理想化された存在になっていることで、それはスナフキンが覚えているムーミントロールの姿だったり、ヘムレンさんやフィリフィヨンカの頭の中にあるムーミンパパやムーミンママだったり、ホムサ・トフトに至っては彼のお話の中でまだ会ったことがないムーミンママの姿を探しています。そして彼らはがらんとしたムーミン屋敷にいるヒトたちが、そういう理想から遠い存在であることにいらだちを隠せません。
理想に遠い彼らは誰も彼もちょっとずつ性格に問題があって、曲を探しているスナフキンはいつものように自由気ままだし、怖くて掃除ができなくなったフィリフィヨンカはらしくもなくムーミンママのように振る舞おうとして、毎日の暮らしに飽きていたヘムレンさんはムーミンパパが喜びそうなことを試みてばかり。ホムサ・トフトは本の中で大きくなっていくちびちび虫がどうしようもなくなってきますし、もう百歳になるスクルッタおじさんはいろんなことを思い出させようとするみんながきらいでたまらず、妹のミイに会いにきたミムラは好き勝手にしています。これで彼らの生活がうまくいかないのは当たり前なのですが、みんな好き勝手にしているように見えてみんな楽しく暮らしていたムーミン一家のようにできないことで彼らはたびたびぶつかります。そしてもちろん誰もムーミン一家のようにはできないのですが、そのうち彼らがそれぞれのきっかけで自分らしくふるまうようになると、ぎこちない暮らしはなんとなくうまくいくようになっていきます。ミムラだけは最初から最後までミムラらしくありましたけどね。
そうして彼らは自分たちの問題を彼らなりに解決していきますが、おもしろいのはそれが必ずしもすごい方法だとか見事な考えによるものではなくて、ことによっては「それでいいの?」と思えるようなものばかりだということです。ヨットの上でふるえていたヘムレンさんは自分がふるえていたことをスナフキンには気づかれなかったんだぜと得意そうでしたし、スクルッタおじさんは鏡の中のご先祖さまを怒らせちまいましたが、こんなときには春まで眠るんだと冬ごもりをすることができました。ミムラはスナフキンの曲でステップを踏むことができましたし、フィリフィヨンカが飾り付けたパーティはわやくちゃになってしまいましたが彼女はムーミン屋敷のおおそうじをすることができました。たぶんどれも完璧な解答にはほど遠いのですが、少なくとも彼らはそれで満足したからムーミン谷を離れることができたのだと思います。
うがった見方をすれば、本作はムーミン谷のお話が書かれていく中で、ムーミン一家がまるで聖人君子のように奉られていくことに作者が「そうではありませんよ」と答えたのだろうかと思えてしまいます。どことなくぎこちなくて、けっしてうまくいったようには見えないのだけれど、けっきょく彼らはムーミン屋敷で気ままに好き勝手にふるまって楽しく過ごすことができました。別にムーミン一家でなくてもそのような暮らしはできるのだし、もちろんムーミン一家だって同じように暮らしていただけなのですよ、と。別に特別でもなくて欠点もある「完璧でないみなさん」がムーミン屋敷で暮らすことができるならそれはすばらしいことのはずですよね。
スナフキンの目の前で看板を作ろうとする、空気の読めないヘムレンさんは最後までヘムレンさんのままで、使っていない彼のヨットはけっきょく売っぱらわれてしまうのでしょう。百歳のスクルッタおじさんは百歳のスクルッタおじさんのまま冬ごもりをしてしまいますが、起きたときにブランデーの瓶があることに気が付いてちょっとだけ気分がよくなるかもしれません。スナフキンやミムラはいつものままで、フィリフィヨンカは以前のように掃除ができるようになって、ホムサ・トフトは相変わらず彼のお話を考えています。お話に登場する全員が困ったヒトたちですが、彼らは十一月のムーミン屋敷で暮らすことで成長したり改心したりせずに困ったヒトたちのままなのです!
お話を探しているホムサ・トフトがとてもムーミン谷の住人らしいですが、個人的にお気に入りはフィリフィヨンカで、ムーミンママのように振る舞おうとした彼女がけっきょくフィリフィヨンカらしくすることでパーティを開くことができたことがお話の流れに沿っていることはもちろんですが、パーティでわがままな住人をあしらってみせる彼女の姿がムーミンママとは違う「頼もしいフィリフィヨンカ」でとても魅力的なママの姿を見せてくれます。そんなフィリフィヨンカが口笛を吹きながらパーティの準備をしたり、スナフキンが忘れていったハーモニカを吹いたりして、冬がすぎて春が訪れるころにはきっと彼女の家にはちょっとだけ音楽が増えたのかなと思わせずにはいられません。
そんなものでよろしいなら、彼らは少しだけよいものを手に入れることができました、そんなお話です。
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