モンスター誕生(社会思想社)
スティーブ・ジャクソン著 安田均訳
貴方は知性も理性も持っていない、おそろしい一匹のモンスターとして目を覚まします。この世界はアランシア東部、逆風平原とトロール牙峠の周辺、悪名高き魔女の村ドリーや鉱山の町コーブンの近隣にあり、そこは妖術師ザラダン・マーの支配する闇の領域です。ザラダンは悪魔の三人とも呼ばれる火吹き山のザゴールや黒い塔のバルサス・ダイヤと共に黒魔術を学んだ者であり、彼らの師であるヴォルゲラ・ダークストームを殺して自らの望みを叶えることだけを考えていました。
忌々しい魔女の村ドリーは追放された魔女ロミーナが追求したマランハの秘術により、人間や他の生き物を怪物に作り変える実験を生業にしていました。ザラダン・マーを育てたのはこのドリーに暮らしている三姉妹と呼ばれる魔女であり、ザラダンもまたマランハの秘術を追求します。コーブンの地下に己の居城を築こうとしたザラダンは偶然金の鉱脈を掘り当てると邪悪なヴァラスカ・ルーや魔術師ハニカスらを雇い入れますが、ハニカスが語る「スティトル・ウォードの煙」の伝説がザラダンの注意を引きました。クモの森の奥深くに隠されたエルフの村スティトル・ウォード、そこにはエルフの女王が神々に授かる煙が保管されており、現在の女王は言葉と理性、そしてエルフ魔術の三柱から三つの煙を授かっているといいます。
ザラダンが求めたのはエルフの魔術であり、黒魔術とエルフの魔術を手に入れれば彼は無敵になるでしょうが巧妙に隠されたスティトル・ウォードを見つけ出すことは困難でした。その間もザラダンは新しく雇い入れたサグラフに軍団の訓練所を作らせたり、無能なハニカスの代わりにハーフ・エルフのゾンビーであるダラマスに金鉱を任せます。やがてサグラフの訓練所が大きくなると一人の兵士がダーガ・ウィーズルタングという若いエルフに出会います。ザラダンは一人のサイ男に変身してダーガに近づくとこの若いエルフを支配してしまい、遂にスティトル・ウォードから三つの煙を盗み出すことに成功しました。
煙を手に入れたザラダンの耳に入ったのがクモの森を訪れた帆船、ガレーキープの存在です。驚くべきことにこの船は空を飛んでおり、これを奪取すればザラダンは空からエルフの村を探すことができるでしょう。訓練所で鍛え上げられた軍団がガレーキープに襲い掛かり、船はザラダンのものとなりました。もはやザラダンがスティトル・ウォードと煙の秘密を発見するのは、時間の問題でしかありません。
こうした背景も、歴史も、魔女の恐ろしさも妖術師ザラダン・マーの生い立ちや彼の計画も、ただのモンスターでしかない貴方にとってはほとんど関係のないことでしょう。何しろ貴方は本能のままに動く怪物で、自分がなぜ狭苦しい通路で目を覚ましたのすらまるで理解してはいないのです。ですがそんなモンスターである貴方がやがて自分に用意された運命に疑問を覚えたとき、予想もしていなかった道が目の前に現れれることになるでしょう。
かの「ソーサリー!」を生み出した英国のスティーブ・ジャクソンによる最高傑作と豪語する一冊だけあって、ゲームブックとしてはほとんど反則的な作品になっています。まずはイアン・ミラーの芸術的な表紙に目を奪われますが、主人公となる貴方は理性も知性もないモンスターとして冒険の旅に挑まなければなりません。本能のままに動き、自分の意思で選択肢を選ぶことすらできない貴方は通路をどちらに向かうかさえサイコロの目に従わなければなりませんし、出会ったホビットやドワーフを助けようとしたつもりで食欲のままに食べてしまうことさえあるのです!
相手の話す言葉は理解できず、自分で右や左を選ぶことすらできないモンスターですが、本能のままに歩き回っているとやがてスティトル・ウォードの力である理性の煙や言葉の煙を見つけます。やがてこの場所がザラダン・マーの地下研究所であることをモンスターは知ることになりますが、思いもよらぬ冒険は恐るべきザラダン・マーと彼のガレーキープに深く関わることになっていきます。
展開としてはザラダンの地下研究所を抜けてゾンビーのダラマスを倒すまでの前半部と、地上を旅してガレーキープを目指す後半部に分かれています。計算され尽くした構成の妙と難易度の高さは尋常なものではなく、二十ページにも渡って描かれる背景が複雑な物語を語る一方で思わぬヒントが秘められていたり、容赦のない罠や戦闘が各所に設けられているせいでどこで道を誤ったのかも分からないまま死に至ることもたびたびでしょう。即死級の仕掛けや死ぬまで無限に続く戦い、迷い込んだだけで死が確定する一画など果たして本当に正しい道が存在するのだろうかという疑念にすら晒されるかもしれません。
ですがどれほど難しい罠や仕掛けであったとしても、それらのすべてが充分な理由があって設けられているので罠を解くにも罠にかかるにも必ず理由があります。異常な難しさにも関わらず不条理な謎は用意されていないことがこの作品の真骨頂であり、作者のスティーブ・ジャクソンがゲームブックを超えて「魔術師タンタロンの12の難題」を生み出した理由も分かるように思えます。
この作品で貴方が生き残るために必要となる重要なカギといえば、それはすべてであるとしか言いようがありません。なにげなく手に入れた持ち物に隠された謎や会話で得られる情報、背景にある手がかりやわずかな寄り道のせいで出会うべき事件を逃してしまうなど、様々な出来事が複雑に絡み合っていてそれが一つでも欠ければモンスターに待っているのはおぞましい結末のみとなるでしょう。研究所でダラマスを倒した貴方が衛兵に合図を聞かれ、教えてもらっている筈もない合図をどう答えるかという場面など、ちょっとした選択肢にもそれを答える理由と描写が用意されていることには感心するしかありません。
その他、旅の中で恐ろしいのが魔女の村ドリーの存在でマランハの研究の地であり、魔女が怪物を売り払うこの村はかのポート・ブラックサンドや旧大陸のカーレに勝るほどの混沌と無秩序に支配された場所となっていて、凶暴なモンスターである貴方でさえも足を踏み入れれば無事には済まないでしょう。ブラックサンドに気をつけろ!とは常套句ですがドリーには近寄ることすら避けるべきとは思います。
複雑な構成と緻密な描写、まさかと思わせる物語と常軌を逸した難易度を誇る作品であり、たとえ手も足も出ず解くことすら出来なかったとしてもスティーブ・ジャクソンの最高傑作をうたうにふさわしいかと思います。ゲームとしては難易度が高すぎるという人は同氏の「サイボーグを倒せ」を推すかもしれませんが、それだけに謎を解いた際の達成感には並ぶものがありません。たとえどれほどのモンスターが途上で倒れることになっても、是非とも自力で攻略を試みて欲しい作品です。
一切のアドバイスはありません。そんなものがあっても何の役にも立たないでしょうから。
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