ミノス王の宮廷(社会思想社・教養文庫)

 ジョン・バターフィールド/デビッド・ホニグマン/フィリップ・パーカー共著 喜多元子訳
ff1  ギリシア神話アドベンチャーゲームのシリーズ第二弾。主人公は架空の英雄アルテウスで、父アイゲウスの使者としてクレタを訪れると彼の兄テセウスが志半ばで倒れた迷宮に挑み、半牛半人の怪物ミノタウロスを退治して兄の仇を討たなければなりません。クレタではギリシアの神々の力や助言は充分には届かず、貴方であるアルテウスを助ける手はそう多くないでしょう。陰謀策謀の蠢くクレタの宮廷で、アルテウスは立ち回りながら彼の協力者と得がたい情報を探すことになります。

 前作「アルテウスの復讐」から引き続いて挑むことも、本作品から始めることも可能になっているのはシリーズ続編として珍しくありませんが、特徴的なのが六人の神々を選ぶことによって自分が前作でどのような冒険を行っていたかが詳細に決められていることでしょうか。例えば前作で出会う、川を渡れずに難儀している老婆を助けたか川に投げ込もうとしたかが予め決められていて、それらの事件に対応して神々との友好関係や敵対関係、武器や防具まで与えられて冒険が始まります。いわゆる「真の道」を通過した状態での冒険とはならないために、難易度は上がりますがより多彩な条件が用意されることになるのは面白いところでしょうか。
 これら神々との関係や戦いごとに負傷や重傷と推移していく戦闘システム、名誉点と恥辱点の存在にヒントをつかむ行為など、特徴的なシステムもそのままになっていますが今作品では専用に持久点と情報点という数値が用意されています。持久点はアルテウスが挑むことになる命を賭したパンクラティオンの競技で耐久力として扱われる数値であり、情報点はアテネに持ち帰ることで有益となるクレタの情報を手に入れることができたかどうかを表し、本作をクリアした時点で名誉点として換算されることになります。名誉点は消費することで戦いを有利に導くことができるので、戦闘自体は少ない本作品での活用を制限するために用意されているのでしょう。

 一方で、こうした追加ルールがあることから分かるようにシリーズ特有のシステムが本作品では充分に活かされておらず、例えば攻略ルート次第とはいえ今回避けられない戦いはミノスの息子であるクレムトンとミノタウロスとの一戦のみ、その一方が特殊ルールなので通常ルールによる戦いはミノタウロス戦だけとなっています。これは戦いの勝利によって名誉点を得る機会が減ることを意味しており、しかも情報点の存在が更に名誉点を獲得する機会を奪っているのでうかつな行動が命取りになりかねません。実は前作で充分な装備と名誉点を持っているなら、ミノス王の宮廷には目もくれず迷宮にもぐりこんでミノタウロスと戦う手もあるのです。
 ですがクレタ島の冒険での最大の特徴であり、魅力ともなっているのがその宮廷でのやり取りであり、驚くほど多彩で複雑に入り組んだパラグラフ構成でしょう。基本的には通過すべき箇所が決まっていて、それぞれの分岐が攻略におよぼす影響も大きくないためにゲームとしての奥深さには欠けているかもしれませんが、それにも関わらず自由度はかなり高く宮廷劇らしい多様な展開と交錯する思惑が実に楽しく描かれています。クレタの地ではギリシアの神々の力も充分には及ばず、宮廷人を相手のやり取りが大イノシシやアマゾンの女武者にも勝る緊張感を見せてくれるでしょう。

 クレタの王ミノスとラビュリントスの迷宮については知っている人もいるでしょう。王はミノア文明を築いてエーゲ海を支配した人物ですが、ポセイドンの不興を買ったために妻パシパエが牡牛に恋情を抱くように仕向けられると、半牛半人の怪物ミノタウロスを生むことになりました。その怪物を閉じ込めた迷宮、ダイダロスの建造した迷宮がラビュリントスです。ミノタウロスが王の子であることには変わりがなく、ミノスは怪物を殺すことができず敗国アテネから送られる若い男女を生贄に捧げていました。
 宮廷には王ミノスの息子クレムトンや、王の娘でありながらクレタからの逃亡を望んでテセウスに協力しようとしたアリアドネ、高圧的な衛兵隊長ポリクラテスに収穫の女神デメテルの司祭である高僧パングリオンなど、その他にも多くの人物が登場します。異国の客人であるアルテウスをあからさまに嫌う者もいれば、向こうからの接触を試みる者もいて彼らから貴重な助けや情報を得ることもできるでしょう。注意を怠れば、思わぬ陰謀に巻き込まれて名誉どころか命を失う危険があるのは今更です。ミノス自身が粗暴なクレムトンを疎んじており、彼がいなくなれば王は自分が信頼する者に王位を継がせることができるとすら考えていました。

 展開として面白いのがクレタに着いて早々に逃亡するルートで、どう考えても常軌を逸した行いですから捕まれば殺されるか牢屋に放り込まれてしまいますが、この場面以外でもことあるごとに迷宮への入り口を自分で探してミノタウロス退治に挑むことができます。ですがこの方法、アルテウスが相応の名誉点に、ヘパイストスの武具と投げ槍を持っていればこれらを迷宮に持ち込めるので決して悪い方法ではありません。特にデメテルと友好関係にない場合はすべての武具を持ち込むことが難しく、しかもパンクラティオンを避けることができるので意外に安全なルートになりえます。
 ペナルティは迷宮を進む手がかりを自力で見つけなければならないことと兄テセウスが死んだ原因を聞くことができないこと、糸玉が手に入らないことと迷宮の明かりが手に入らないこと。ですが明かりとなるランプやたいまつを手に入れるルートも耐久点等のペナルティを受けたり、装備が不十分になってしまうことを考えればアリアドネではなくタイジアの家で糸玉を手に入れたら後は迷宮を目指してもいいでしょう。逆に見つけるのが難しいルートを探すのであれば、ミノタウロスだけではなくミノス王も殺した上で、彼の玉璽をオプリスに渡す方法を探してみるのもいいかと思います。合わせてランプとテセウスの剣も手に入れてみましょう。

 クレタでは神々の加護が弱く、守り神の恩寵も薄いために誰を選んでもそれほど大きな違いはありませんが、本作品だけを見るのであれば持久点と戦闘能力の上がる戦神アレスを選ぶか、面白い場面が用意されているアポロを選んでもよいかと思います。意外にシリーズを通してみると、初心者はポセイドンかアレスのどちらかを選んだほうが無難かもしれません。
 ギリシア神話ならではの、神々の罰のすさまじさもこの作品のもう一つの魅力ですが、絶望的な状況から救うためにアルテウスが木や猫にされてしまう例もあれば、宮廷の人々でもアポロやデメテルの怒りを買って罰を受ける場面があるのは見ておきたいところでしょうか。バッドエンドであれば迷宮からの逃げ道を見つけることができないアルテウスが幻覚に呑まれてしまう場面が印象的ですが、挿絵と合わせて強烈なのはタイジアにブローチのピンで刺される場面でしょう。ゼウスに嘆願することもなく死を迎える場面がかなり多いので、ヘラを守り神に選んでもややありがたみが薄いかもしれません。

 ちなみに完全に確認はできていませんが、通常のルートでは宮廷の踊りの最中に刺客から身を避けるために恥辱点を負ってしまい、これを防ぐために前作でディオニソスとの友誼を結ぼうとすればやはり恥辱点を負ってしまうので恥辱点がゼロのままでのクリアは難しいのではないかと思います。もちろん前述の通り先んじて迷宮に入るか、または刺客に殺されてからゼウスに嘆願して生き返らせてもらえばその限りではありません。
 ミノタウロス戦を除けば難易度は決して高くないので、様々なルートでの攻略や展開を楽しんでみたい作品です。守り神である場合を除いて、攻略するとポセイドンが自動的に敵対関係になってしまうところに最終巻「冒険者の帰還」での困難を窺うことができますが、アリアドネを傍らに揚々と引き上げるアルテウスにまさかの未来が待っている、そのことをこの時点で予測できる者はほとんどいないでしょう。
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