送り雛は瑠璃色の(社会思想社・教養文庫)

 思緒雄二著
gb  日本風のゲームブックとして描かれる、それぞれが連なった三本の作品。湖の底に沈んだ人形師の村を訪れた少年が出会う怪談めいた物語「顔のない村」、古来から続く送り雛の風習と時代を越えた哀しい物語を描く表題作「送り雛は瑠璃色の」、その後日談となる夢占いの部屋へと誘う「夢草枕、歌枕」が収録されています。ファイティング・ファンタジーを皮切りにして輸入され、後に国内でも数多くが執筆されたゲームブックですが、純粋な日本の作品を描くことと既存のルールを脱却することを試みた意欲作であり、古い日本の伝承や和歌を主題にした世界観に評価と好みは分かれますが現在でも根強いファンを持っている作品です。
 システム面では独特のパラグラフ構成が特徴的で、特定のパラグラフから自分が移動できる場所がずらりと並んでいる、それぞれを選んでは事件や情報に出会うともとのパラグラフに戻って時間を進めるという方式を取っています。一定の時間が過ぎることによって遭遇する事件が変わったり、強制的にどこかに向かわされるといった展開は既存のゲームブックに慣れた人には戸惑うかもしれません。

 主人公が記憶を失い、見も知らぬ村の誰もいない家で目を覚ます場面から始まる「顔のない村」は身近に起こった奇怪な体験談を主題にしたという怪談話ですが、自分が怪談の登場人物になってその恐ろしさを味わうことができる、ゲームならではの擬似体験が魅力です。伝え聞く怖さではなく、身に迫る怖さがあり恐ろしい結末もあればそれを逃れることもできる、結末を自分で選ぶことができる臨場感はゲームブックならではのものでしょう。
 表題作となっている「送り雛は瑠璃色の」は先の物語の主人公であった少年、式部瞬が出会う夏休みの出来事で、町に伝わる伝承や古い和歌を調べながら送り雛の風習とそれにまつわる事件に巻き込まれていくことになります。パラメータは霊力点という数字がただ一つ存在するきりで、サイコロを振る必要もなくいわゆるゲーム的なフラグも存在せず、にも関わらずゲームとしての難しさも備えたシステムは面白い試みかと。「夢草枕、歌枕」はゲームブックの体裁を取ってはいますが選択肢そのものをゲームにするのではなく、サイコロを振って得られる和歌による占い遊びをゲームとしてみようという作品で、ゲームブックのシステムを使った遊び、とした方が良いかもしれません。

 正直なところ、ゲームブックとしてはどれも意欲的な手法を試みている一方で、それが十全に活かされているかといえば疑問符を投げかけたくなる点が多々あります。コンピュータのアドベンチャーゲームを遊んだことのある人にはなじみがあるかもしれませんが、物語が分岐しながら終幕に向かって流れていく既存のゲームブックのスタイルに対して本作品の、移動可能な選択肢を自分で選ぶというシステムはどちらかといえば推理系のゲームで持ちいられている手法になるでしょうか。
 そのため必然的に物語性やストーリー性を表現するには前者の方が適していて、場面場面での怪談を体感することが目的となっている「顔のない村」はともかく、特に「送り雛は瑠璃色の」には必ずしもこの方式が合っているとは思えません。物語を解くために役に立つ情報が方々に隠されていて、それらを調査することは確かに面白いですが一方で物語世界そのものに踏み込むための友人との会話や出来事、古い伝承の姿を知らずとも選択次第では攻略が可能になっているのです。極端なところ主人公が調査の時間をすべて家で寝ることに費やしていたとしても選択肢次第でゲームを攻略することが可能で、しかもその場合は物語の深い部分に疑問が残ったままになってしまうでしょう。いっそ時間を進めるか否かは自分で好きなように選べるとしたほうが、必要な情報や事件を逃さないようにしながら調査のための霊力点を温存するというゲームにできたかもしれません。その点では「顔のない村」のほうがゲームシステムと物語のバランスが取れているのではないかと思います。

 ですがこの作品の魅力はやはり「送り雛は瑠璃色の」によるものですし、物語としてだけではなく批判の余地があってなおゲームブックとして考えられたシステムにもなっています。ふつう、ゲームブックは入手できる道具や物語の中で満たされる条件によって謎を解いていきますが、この作品では伝承や物語、登場人物の関係や和歌の意味を読み解いていくことでそれらがどのような意味を持っていたかを知ることそのものが目的となっているのです。物語をすべて終えると友人のカズから十個の質問を与えられることになりますが、これを答えることができるかどうか、物語を読み解くことができたかどうかがこの「ゲーム」の本当の目的になっています。三つある結末はすべて真のエンディングであり、どれを選ぶかは好みの問題でしかありません。カズの質問に答えられるようになるまで後日談には進まず何度でもやり直すのがいいでしょうが、そのためにも時間の経過を任意にして遊んだほうがこの作品そのものを楽しめるのではないでしょうか。
 一つだけ、この構成でこの物語で難を挙げるとすれば瞬が遥に送る返歌について、三つの歌を自分で選んでどの歌ならどの方角に術を飛ばす、とした方が美しかったのではないでしょうか。もちろんそんな些細な指摘を置いても無類の物語の美しさを感じさせてくれる作品で、型代としての人形、九十九に宿る魂の切なさと哀しさを思わせながらも青くさい人間らしさ、愛しさを感じさせてくれる名作です。ゲームブックというものが、パラグラフを選択することではない「遊び」であることに気がつくことができればこの作品の本当の魅力を知ることができるでしょう。
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