クオス王国史


1.クオス前史 〜パンドラ移住からクオス建国まで〜

クオス歴前20000年以前

 南方にある南エウロシア大陸より移住した民族がパンドラ大陸の原住民として漂着する。当時、南方からパンドラ東部に流れていた暖流の存在が確認されており、大陸間の地層も現在より接近していたと考えられている。南エウロシア大陸の古文明で、近海漁業を行っていた人々が漂着し定住したとの説が有力。古代地層よりわずかな人骨や貝塚、木器や骨器の断片が発掘されているが、現生バスキア人種や言語との共通性については証明されていない。

クオス歴前5000年前後

 パンドラ北東部に古代バスキア文明(第一文明)の存在が確認されている。天文、化学、医学および一部の工学が奇形的に発展した文明とされる。現世バスキア人種の祖であり、南エウロシア漂着民を起源としており、中背の骨格や黒や茶系の毛髪、肌の色等に類似性が認められる。
 当時、気候や近隣の海流が不安定であり、その影響か船舶、漁業は未成熟で閉鎖的な文明社会を形成していたとされているが、北エウロシア大陸を含み散在的に存在する遺構の中に、同文明との関連性を窺わせる特徴が確認されている。古代バスキア文字の解読も未だ進んでおらず、当時の文明については不明な点が多いが、古代バスキアでは潮力を利用した採掘と工業加工を行っていた痕跡がある。
 狭域の都市内部で階級差があったと推定されており、採掘都市部と、隣接する山地での牧畜及び小規模な農業を営む集落に分かれていた。最も古い車輪、地下水を汲み上げるためのポンプ、星の運行を計測するための天文台の存在が確認されている。奇形的だが、当時としては異常なまでに高いレベルの文明であった事が推測される。

クオス歴前1000年前後

 この時期、西方にある北エウロシア大陸からパンドラに移り住んできた移住民の痕跡が確認されている。エウロシア系と呼ばれており、クオス人を含むサルビニア系の祖先にあたる。背が高く、筋肉質で骨格が頑丈。肌の色は白く金から茶系の毛髪をしており、大陸では農耕と牧畜を主とした質素な生活を送っていたと推測される。当時から周辺の海流は不規則で、遠洋航海技術も未発達のためエウロシア北東部から諸島経由でパンドラ西部に上陸したとされているが、移住が大規模であったために一時期、特に寒冷であった時期に極点付近の氷土を移動した説もある。

クオス歴前700年前後

 移住したエウロシア系民族と、旧来の原住民族が衝突して原住民族が大陸南部に撤退(後のイトリエル人に転化)。これによってパンドラ民族は北方サルビニア系移民と南方ギリア系住民に大別される。どちらもエウロシア系の言語でサルビニアは「新しい者」、ギリアは「まとまらぬ者」に由来する。古代バスキア文明および民族は既に衰退しており、この時期の記録には確認されていない。サルビニア系、ギリア系とも文面としては大きく後退しており、当時の武装は石、棍棒、粗末な剣と槍を装備。盾や鎧はなく原始的な抗争が行われていた。
 ギリア系住民は部族単位での狩猟や農耕、牧畜を主とした生活を送っており、当時イギ族、ハン族ほか六つの部族に分かれていた。独立した司祭階級による、自然信仰を主とした宗教が存在しており、後のギリア教の母体となる。
 サルビニア系移民は自分達の正当性を誇示するため、創世神話と自分達の起源を結び付けた伝承を創出する。エウロシア大陸に伝わる古代二元信教を基盤とした伝承で、闇なる世界から解放される光の従僕としての思想が主体。元来は自然に対する文明の発展を暗闇を照らす光として対置する考えであったとされているが、農業を中心とした定住策が行われていくにあたり光が陽光の恵みへと変質、これが後の教義や法令や神権、祭儀の基盤となりサルビニア教やクオス教の母体となる。

クオス歴前200年前後

 サルビニア系移民の末裔による、古カステリア文明(第二文明)が全盛期を迎える。拡散傾向が強く、交易と商業を中心として教育や娯楽も発展した。壷絵の図柄に男性に交じって闘牛を観覧している女性の存在が確認されており、娯楽競技の存在や女性の社会的地位の高さが窺える。後のクオスにも伝えられる公会堂、競技場の起源。
 一方で美術品や工芸品については洗練されたものが発見されておらず、実用主義とされる。交易範囲を広げるために、拡大や拡散を好む傾向があった。商人文化の特色として農村文化への選民意識が強かったとされ、後にサルビニアやクオスの独立と対立を生み出す要因となる。古カステリア文明は後にクオスに滅ぼされた時、多くの記録や事跡が消失しているために詳細の文化は不明な点が多い。この頃、質朴な農村としてのクオス市の存在が確認されている。

クオス歴前20年

 サルビニア市が独立してサルビニア国を設立、後のトラッドノア帝国とサルビニア教の基礎を作る。初代王サラムス。商人系が主体であった古カステリア文明の中で、拡大に伴う戦争により農地が荒廃するのを嫌った農民系の都市が独立してサルビニア直系をうたう。質朴で従順な農民は戦時には献身的な兵士となったため、国力では劣るが強力な軍団を持つに至る。貴族階級を中心にした王制を敷く。


2.クオス第一王政時代 〜農民王から商人王まで〜

クオス歴1年

 クオス国設立。サルビニア国と両立する形で同盟を成立。古カステリアに対抗する為に二つの市が協力したものと思われる。初代王はクオシテス・マクシムス、「民衆と民衆の一員としての王」として無階級絶対民主政治を施行する。小さい都市国家で、王が民衆の一員として農地を耕す一方で衆議を開催、王の提案に対して衆議が決定権を持ち、貴族院が勧告を行う。王は民衆の一員であると同時に、民衆に奉仕する代表者ともされている。
 伝承では兄王サラムスと弟王クオシテスが両国を同時に建国した事になっているが、実際には両者の血縁は無く、建国にも20年の間が開いている。サルビニアに続いてクオスが独立する際に多大の援助を受けたとされ、両国の関係が兄弟に例えられる。サルビニアと同様に農業文化であり、王も民衆と同じ貫頭衣を着ていた。短髪で短い髭をたくわえ、享楽的な古カステリア文明の中で質実剛健を旨とし娯楽を嫌う性向にあった。氏族や家族の関係を強く重視する社会であり、男性の地位が高く、女性と子供は家父長の従属物とされる。経済的に劣る両国は団結するが、古カステリア諸都市には軽視されていたとされる。

クオス歴8年

 クオス王クオシテス・マクシムス没。第二代クオス王として神官出身のアルニマが血統に依らず、貴族院の指名によって選出される。アルニマは「声を聞く者」の意で、本名は不明。カステリア協定が成立し、カステリア諸都市間でクオスやサルビニアを含む対等性が主張される。実際にはアル・ロラン市を中心とするカステリア主導の軍勢にクオスやサルビニアの農民兵が利用され動員される状態は変わらず、確執が深まるが同時に兵力を多く供与した両国の発言権が増大する。
 都市国家としてのクオスの国力が増加するに伴い、アルニマ王による官僚制度が始まり王と貴族院(長老会議)、民会の体制が整備される。貴族院は終身でクオス建国時の有力家門が中心だが、民会から選出された官僚群が任期を終えることによって、貴族院に入り王は貴族院によって指名される。また、戦時においては貴族院を中心に構成された軍団を王が率いる。王は政策の立案を行うが、承認は民会が行い貴族院は勧告の権限を持つ。
 クオス軍が整備され、貴族院に席を持つ氏族ごとに百人隊を選出して軍団を編成する。装備は銅製の剣、盾、兜、胸あておよび投げ槍をひと揃え。軍装は兵士が自費で負担するが、通常は貴族階級の者が出征する兵士全員の装備を用意した。同時期、富裕なカステリア諸都市の軍装は鉄製が主流だった。貴族院に入る条件として一定期間以上の兵役が求められ、長期にわたり兵士とその軍装を供与できる地主層が主体となる。実態としては既得の有力家門が貴族院を占有する例が多く、固定化した貴族階級が生まれることになる。

クオス歴30年

 アルニマ王没、第三代クオス王キルスス選出。血統に依らず、貴族院によって指名される。この時期カステリア諸都市に対するクオス人、サルビニア人の不満が増大し、戦乱により農民が徴集され、農地が荒廃する状勢に反発が集まり、対カステリア強硬派であったキルススへの支持が高まる。

クオス歴31年

 カステリア協定が破棄され、キルススが周辺の軍事制圧を開始する(カステリア戦役)。アル・ロラン市陥落(血と炎の六日間)。伝承では双方が多くの犠牲を出して、代表者同士の決闘によりクオス、サルビニア連合が勝利したとされるが実態は強力な軍団を持つ両国に周辺諸都市は対抗できなかった。軍装ではカステリアが優れていたが、動員兵数や軍の規律でクオス、サルビニアが圧倒する。各都市の協調が無い中で抵抗したアル・ロラン市はわずか六日間で陥落、徹底的に破壊された後で炎で焼かれ、現在では瓦礫すら残っておらず遺構の特定も不可能となっている。

クオス歴34年

 カステリア戦役の中でキルススが陣没。貴族院によりメルクリウスが第四代クオス王に選出。キルススの軍事政策を引き継ぎ、カステリア諸都市への侵攻に明け暮れる。

クオス歴36年

 メルクリウス没。第五代クオス王にタルスススス(建王)が任命される。もともとはアル・ロランの出身であり、カステリア諸都市群の小都市を治めていたが、一族ごとクオスに移民する。農耕中心のクオスで建築や道路の整備、広場の建設などをカステリア様式で行い、都市国家としてのクオスの基盤を築く。特に大下水溝と灌漑工事によってクオスの農業生産力が飛躍的に増大し、民会の支持を得て貴族院から王に選出。民会よりの王と貴族院の間に対立が起こる。
 カステリア風に髭をそり、内政、外交、改革事業ともカステリア流に行うタルススススはそれまで儀礼用だった装束で常に着飾るようになり、王としての威厳を重視した。タルスススス自身だけでなく妻のタルクイニアも優れた知識人であった。

クオス歴44年

 タルスススス二世が父王を暗殺して自ら第六代クオス王に就く(征服王)。貴族院の示唆によるとされているが、初のクオス王暗殺にして初の貴族院による指名を受けずに就任したクオス王となる。前王派であった貴族が粛清の対象となり、民衆に対しても弾圧が横行する恐怖政治が展開され、同時に軍国主義的な権力が強化される。
 父王の政策を引き継いだ建築事業が続けられ、周辺諸都市への領土拡大と合わせてクオス、サルビニア同盟が急速に発展する。軍事侵攻による領土の急速な拡大を先進的な商業政策が支え、この時期、クオスもサルビニアも複数の都市を抱える領土国家へと変質を遂げる。また、クオスの経済力の向上に伴い軍団の装備も充実して鉄製が主体に変わる。
 それまで王と貴族と民衆に分けられていた身分制に、動産を含んだ所有財産の量による新しい階級制度を設けて百人隊内の地位と投票の重さに影響を与えるように改革。それまで貴族階級は土地所有者によって占められていたが、土地以外の財産を持つ商人階級の影響力が増大し、新たな資格を得て貴族院に参加するようになる。

クオス歴54年

 タルスススス二世のもとに、カステリア協定に属していた諸都市の全てがクオスおよびサルビニアに統合され、古カステリア文明は事実上滅亡する(合同宣言)。カステリアに関する文献や資料についてはその殆どが破棄されており、現在ではその痕跡をたどることは難しいが、建築様式や陶芸品への彩色方法など、クオス文化にはその影響が多く残されたとされている。
 長期に及ぶ統治と、古カステリア的なものの排斥が進んでいく中で王に対する反感が強まっていく。


3.クオス第一共和政時代 〜王政復古、対サルビニア戦争まで〜

クオス歴55年

 貴族院のクーデターによりタルスススス二世が失脚して亡命。コンススが任期一年の摂政となりクオス共和制が始まるが、反動によって建築計画の途絶、娯楽の廃止、嗜好品の撤廃等が行われてクオスに不況をもたらす。商業文化が忌避され、流通、軍事活動が停滞。共和制と呼ばれるが内実は貴族院による独裁に近く、土地資産が重視されて商人群の排斥が行われる。商人階級の中でも資産を土地に変えた者達と、土地所有の貴族階級によって貴族院が占められることになり、総票数の98%を占める。この頃から、南のギリア民族がクオスやサルビニア領土への不定期な侵入を開始するようになる。

クオス歴56年

 任期一年によりコンスス解任、ポルセヌスが摂政に任命されるが特筆すべき事跡は無し。

クオス歴57年

 任期一年によりポルセヌス解任、ススクスが摂政に就任すると南のギリア民族に対して消極的講和を結び、民衆の不満が高まる。

クオス歴58年

 任期一年によりススクスが解任され、パラクルススが就任する。パラクルススは当時勢力の増大していたサルビニア主導の連盟に従属してクオスの領土を割譲する。度重なる不況と低姿勢外交に対する不満に民衆が蜂起し、民会の権限強化を求めて大規模なストライキを実施(聖山移動)。クオス暦60年まで対立が続く。

クオス歴59年

 任期一年によりパラクルスス解任、パトレスが摂政に任命されるが民会との対立の中で再びギリア民族に対して貢納金を献上。対立の激化により任期途中でパトレスが解任、メニリウス・イグリキアが摂政に就任する。イグリキアは尊称で「剛毅な者」の意味。

クオス歴60年

 メニリウス・イグリキアが民会の要求を受け入れ、民会の票数増と護民官の任命を認める(聖山勝利)。合わせて民衆の借金帳消しや奴隷解放を行い、解放者として民衆の支持を得る。メニリウス・イグリキアは任期一年の摂政職を72年まで歴任し、王制下で効果を上げていた建築や商業に関する政策が再開される(王政復古)。

クオス歴61年

 クオスがコーア自治市からギリア民族侵入への援助要請を受け、これを実質属領化する。これによりサルビニアがクオスへの警戒心を強める。

クオス歴62年

 クオス、南方より侵入したギリア民族との紛争を開始。クオス貴族将校コンスタヌスが裏切ってギリア民族を一時指揮するが、クオスはコンスタヌスに翻意を要求。ギリア民族はコンスタヌスを殺害するが指揮官を失って崩壊する。紛争は66年まで続きそのほとんどを撃退、領土がクオスよりも南方に位置するサルビニアはこの時期ギリアとの関連が強く、南方に軍団を向けるクオスへの警戒も強まってクオス、サルビニア間の軋轢が強まる。
 2年前の聖山勝利を祝って着工されていた宥和の神殿が完成、幾度かの改築が行われるが、後にクオス教の本神殿となる。

クオス歴68年

 クオス・サルビニア第一次戦争。同盟破棄と宣戦布告が行われるが、実際の戦端は開かれずサルビニア側からの講和提案により即時終結。確執の主因となっていた、割譲された領土の返還のみで双方合意する。

クオス歴69年

 クオス・サルビニア第二次戦争。強硬派でギリア系の将軍であるイシギがサルビニア軍を指揮、息子であるクィギが別働隊の遠征軍を指揮する。サルビニアはギリアから傭兵団を雇い入れ、特に騎兵を中心とした精鋭を統御すると同時に、クアガ兵団と呼ばれる大型獣兵団を導入。イシギの本隊がクオス領土へ進攻する間に、東方の砂漠越えを敢行したクィギがクオス本国の直接攻撃を図る。騎兵の機動性とクアガ兵団の突進力を活かした包囲戦術にクオスの歩兵団は全く対応できず、小競り合いを含む七度の戦闘すべてでサルビニア軍が完勝する。なお、パンドラ島のクアガは絶滅しているが、北エウロシア大陸には近縁の草食獣が現存している。
 クオスでは貴族院に任命された司令官ハビニウスが、防御戦術でクィギを食い止めるが戦果が上がらずに更迭される。クィギはクオス軍に連戦連勝するがクオス周辺諸都市の離反や協力を得られず、補給に限界がある中で勢いが弱まる。イシギもクオス本国からの遠征軍によって足止めされ、クィギは孤立した状態に。司令官に再任命されたハビニウスが、更に徹底した防御戦術でようやくクィギを後退させる。この頃、クオス・サルビニア戦争の影響によって貴族院に政策への暫定承認権が与えられる。

クオス歴71年

 イシギとクィギの撤退によりクオス・サルビニア第二次戦争終結。敗走の混乱の中でイシギは部下の手で刺殺され、クィギはギリア領内に亡命するがサルビニアからの追跡を受けて自害する。サルビニアの敗北による講和条件のうち、人質として大量の知識人がクオスに流入する。

クオス歴72年

 メニリウス・イグリキアが引退、アビウスが摂政に就任する。クオス・サルビニア第三次戦争が勃発、クオス側からの挑発によって開戦するがギリアの後援を失ったサルビニアは大規模な戦闘も行えないまま敗退。クオスがサルビニアの解体を宣言し、これに伴ってアルカンシェル自治都市がサルビニアからの独立を宣言する。初代王はアル=バレスト、治金術と哲学を元にした学問に力を注ぐ。
 この時期、戦争の終結と賠償金の受け取りによってクオス内に貧富の格差が広がる。アビウスがクオスに十明法を設立、貴族院に法制と裁判、暦の開示を求める。民会からの要望を受けての開示となるが、アビウス自身は貴族派であって設立された十明法も革新的なものではなく、貴族院と民会の対立が再燃する。この頃、風俗が乱れる中で清廉さを旨とした後のクオス教が注目される。

クオス歴73年

 貴族院と民会の対立の中で、護民官テーセウス・ノビシア(高貴な者)によってアビウスが解任させられる。テーセウスは貴族院に与えられていた暫定承認権の廃止を求めるが暗殺。弟のガウスが後任の護民官として改革案を提示するが、過激化した民会を押さえることができずに失脚する。民会は青年貴族ガビニウスを強引に摂政に就任させると、メニリウス・イグリキアに倣うとしてすべての借金帳消し等の政策を行うが、財源を得ることができず大規模な金権政治を展開。罰金による減刑や地位の売買等が公然と認められて国内が大混乱に陥る。


4.クオス第ニ共和政時代 〜カイセルの台頭とトラッドノア帝国の建国〜

クオス歴74年

 民会の穏健派と貴族会とに請われて、アビウスが帰任。アビウス・リベリア(解放者)として四年任期を認められた初代執政官に就任する(クオス第二共和制)。追放されたガビニウスはサルビニアへの亡命を図る途中で死去し、政策はすべて廃止される。任期の延長に伴う政策の連続性の確保によって多少の政治的な問題が改善され、また任期の終了した執政官は総督職を得て兵権を持つことが許されることも決まる。

クオス歴78年

 任期満了によりアビウス・リベリアが解任、二代目執政官としてピーリウスが就任する。アビウスと同様の貴族派であり、民衆への締め付けも続くが安定した統治を行う。アビウスはサルビニア方面総督として着任、国境の統治と防衛の責任者となる。

クオス歴79年

 サルビニア領内のファグ市が独立を宣言、ファグオ国となる。初代王はギルド出身のカンタ・ニ。旧ファグ市は鉱山地帯に近く、商業や経済よりも工業を優先した都市であったため、ファグオ国も工業生産力を活かした交易によって周辺国との関係を維持する。

クオス歴80年(帝国暦1年)

 サルビニア国が内乱により滅亡、トラッドノア帝国が興りテオドル=エストリル将軍が終身独裁官として初代皇帝への就任と帝国暦1年を宣言する。軍部による独裁政権であり、旧サルビニア諸都市を強権で押さえつけることによって発展する。内実は各都市への統制力が弱く、分化したサルビニア系の文化や宗教も温存されたことで結果として帝国としての体制が確立する。サルビニア教がそのままトラッドノアの宗教となる。

クオス歴82年(帝国暦3年)

 ピーリウスが解任、三代目執政官としてカイセルが就任する。本名カストリエルス・カイセル・カストリウス、軍政においてクオス史上最高の人物と賞賛される。護民官権限の縮小を謳い、貴族派を印象付けるが合わせて貴族院の所有していた暫定承認権を廃止。それまで貴族に占有されていた土地の解放政策と農業推進政策、軍団への登用と公共事業の推進による雇用政策を柱にして民会の支持を取り付けると同時に軍政改革を行い、執政官と総督が所持していた兵権を民会が承認する司令官に帰属させ、自ら司令官に就任する。
 民会による政策承認権と司令官としての兵権を手に入れたカイセルは、トラッドノア建国に伴う周辺の混乱を収める名目で軍団を動員しての周辺制圧を実施すると同時に、統治そのものは開明的な寛容政策と建築整備を推進することによって、服属した都市群への自治権や旧支配者層の継続を認めさせながらクオスの支配圏として統合することに成功。侵攻路とその後の統治政策を行うための街道網と防衛拠点の整備を行い、十明法以来改定が続いていた法文の整備(カイセル法)、交易と防衛力の増大を図りそれまで未確定であった各都市の併合や国境の確立、治安強化を実現してパンドラ北部一帯にクオス領土を確定させる。

クオス歴85年(帝国暦6年)

 カイセルの遠征中に貴族院がアウトゥルスを擁立、内乱が勃発するがカイセルは帰還するとこれを撃退する(アウトゥルスの百日天下)。クオス南東部の砂漠地帯に隣接するエウロスの平原で両派の率いる軍団が対峙するがカイセルが完勝。貴族派のピーリウスは戦死、アウトゥルスやアビウスは自死。アウトゥルスは執政官に89日間就任するが公式には認められず、事実上貴族院の権威と権力は失墜する。

クオス歴94年(帝国暦15年)

 執政官を三代歴任したカイセルが引退する。飛躍的に拡大したクオスの国力と領土を継ぐ者として、カイセルは後任の執政官に当時21歳であった甥のカストリウス・ティリウスを指名する。

クオス歴95年(帝国暦16年)

 護民官のペレスとカイセルの副官であったアウトゥルトスを含む三者の間で対立が激化し、内乱が起こるがティリウスが勝者となり、カイセル・カストリウス・ティリウスを名乗る。ティリウスは民会を縮小し、貴族院から選抜した枢密院を組織することによって貴族派の支持を得て他の二者を打倒する。実際には後の「皇帝と三議会」の制度化と呼ばれており、貴族院を分化することによって実質的な執政官の権限拡大を行う。ティリウスの強権の元で建築や街道、港湾整備といった社会資本の充実とクオスの経済、産業、軍事、文化の発展が進み、カイセルとティリウスの統治により以後250年以上に渡ってクオスの基盤が整えられることになる。

クオス歴100年(帝国暦21年)

 クオス100年祭(神聖祭)が開催される。倫理政策の推進を考えたティリウスが国教として、それまでの宗教を整理したクオス教を設立、自ら最高神祇官に就任する。デウスと称するクオス神格の下に既存神のヒエラルキーが体系化される。クオス神格は実質ティリウスの統治権と一体化しており、その下で宗教間の対立を押さえることが目的とされている。
 火災により消失した宥和の神殿を改築して建てられた、クオス神殿が落成されて建築様式におけるクオス様式が確立、以降の神殿や建築物に影響を与える。宗教色の強い祭典となり、同時に旧サルビニアやギリア系の宗教など、他宗教に対する非寛容の精神が生まれて後の侵攻政策の母体となる。

クオス歴110年(帝国暦31年)

 統治期間16年を経てティリウスが37歳で引退を宣言するが、貴族院に懇請させて終身執政官となる。ティリウスの真意については諸説あるが、これまで公的には執政官と最高神祇官を兼ねるのみであった権力集中が公認されて独裁への道を進む事になる。

クオス歴111年(帝国暦32年)

 カイセル・カストリウス・ティリウスが執政官と最高神祇官を兼任したまま最高司令官に就任、事実上の王政が開始する。


5.クオス第二王政前期 〜平和宣言まで〜

クオス歴112年(帝国暦33年)

 カイセルが王の称号となり、ティリウス・カイセルとしてクオス王への就任を宣言。クオス第二王政、またはクオス帝政とも呼ばれる。

クオス歴114年(帝国暦35年)

 クオス王ティリウスとトラッドノア皇帝カール・ギュンターとの間に交渉、クオスとトラッドノアの講和が成立する。軍事不可侵条約の色彩が強く、トラッドノアが東征及び南征を行う為の下準備としてクオスからの不干渉を求めたもの。この後、トラッドノアによる周辺諸国への侵攻が開始される。

クオス歴115年(帝国暦36年)

 クオスとトラッドノア間の講和に対抗して南のギリア民族が団結、イトリエル国を興す。初代王主モンホ。イトリエル文化と呼ばれる、独自の生活様式を形成し、都市社会と自然崇拝を融合したギリア教が正式に国教になる。

クオス歴116年(帝国暦37年)

 トラッドノア将軍ハルベルトによる東征(ハルベルト戦役)。アルカンシェルに侵攻を行い、アルカンシェルが降伏、トラッドノアの属領となる。ファグオは好意的中立を宣言し、帝国の従属国家となる。

クオス歴120年(帝国暦41年)

 ハルベルト戦役の中で、ファグオ経由で孤月国が発見される。前1000年以上前に、パンドラ原住民から東の孤島に流れた部族の末裔とされ、人種は南エウロシア系に近いが中背で黒や茶系の毛髪、肌の色素は薄い。近海漁業と狭い農地での穀物生産を産業の中心としており、建築では石垣を土台とした木造建築に独自の様式を持つ。また、文化的には形式を重視する孤月式礼節を重んじるが、古代宗教にあった訓戒の束縛力が弱まったものと考えられており孤月国では柁教と呼ばれている。その他には権威のある宗教は存在しない。パンドラ大陸からは海峡を挟んでトラッドノアが侵攻の意志を見せなかったこともあり、両国の交歓は平和裡に行われて将軍ムラキが外交官としてトラッドノア帝都エストリルを訪問。

クオス歴136年(帝国暦77年)

 クオス王ティリウス没、甥のニス(暴王)が王位を継ぐがクオス史上は王位を任命されず。ニスと王母ティリシアによる弾圧政治が始まる。王母ティリシアにより王位継承の対抗者が全て処刑され、137年にはニスによりティリシアも処刑される。新設された国家保安隊が弾圧と虐殺を行い、首都では市民の六割が殺害されたとも言われる。

クオス歴139年(帝国暦80年)

 ティリウスの遠縁に当たるアンニウス(解放王)がニスを打倒し、第二代クオス王となる。国家保安隊が解体されて親衛隊となり、ニス時代の弊害を一掃する。王位に着いた後のアンニウスの治世は平凡なもので、ティリウス当時の治世に戻しただけであり独自の政策は殆ど打ち出していない。例外的に、貴族の婚姻を推奨したアンニウス法が施行されている。

クオス歴168年(帝国暦109年)

 アンニウス没。甥であるドルスス・マクシムスが第三代クオス王となる。武張った性向が強く、ギリア民族の侵攻に対して幾度か積極的な攻勢に出る。警戒心を強めたトラッドノアとの間に軋轢が生じ、双方の関係が冷却化する。

クオス歴193年(帝国暦134年)

 ドルスス・マクシムス没。実子であるマルクス・マクシムスが第四代クオス王となる。マルクスは前王に比べて軍事を嫌い、親トラッドノア派の傾向と享楽的な趣向が強く、クオス神殿を中心にした独自の音楽や芸術の発展に寄与。ファグオとの工業貿易や、イトリエルや孤月との資源交易も活発化してクオスの経済力を向上させる。

クオス歴200年(帝国暦141年)

 クオス200年祭(大陸祭)が開催される。交易の発達に伴い、国際色豊かな祭りとなる。文化的には発展による退廃の傾向も見られるが、剣闘や演劇、詩文が活性化して王マルクス・マクシムスによる「クオスの平和」が宣言される(平和宣言)。

クオス歴215年(帝国暦156年)

 東方交易の発展とクオス東部の領土拡張に伴い、バスキア国が再発見される。古代バスキア文明の痕跡を残すが、文明レベルは衰退。古バスキア民族の末裔とされ、民族としての特質はパンドラ内の他民族と大きく異なっている。人口は五万人程度、出産率も低かった。
 三大首脳ノイマン、ウォズニ、ハンコックによる、ギルドを中心とした議会による社会主義体制が運営。日常会話に用いられている平バスキア語、発掘文献に見られ公用文書にも用いられている古バスキア語の二つの独自言語を持つ。牧畜を行い農地は脆弱だが、鉱業や採掘業が発展。軽火器の技術が発見される。
 パンドラ大陸の言語としてはクオス及びトラッドノアは北方エウロシア移民の系列になるサルビニア語が用いられており、イトリエルでは南方ギリア系住民が用いていたギリア語が使われている。孤月は独自の孤月語を話し、これ以外に古カステリア語が存在していたが内容はサルビニア語に近いとされる。


6.クオス第二王政後期 〜四英雄戦争から帝国戦争まで〜

クオス歴223年(帝国暦164年)

 魔導師ヴィーアの乱勃発、クオス、トラッドノア帝国内の宗教対立から反乱起こる(四英雄戦争)。クオス教に対立したサルビニア系宗教勢力による反乱だが、トラッドノア示唆説も存在する。ヴィーアは反乱の代表者となった司教の名前であり、伝承上の人物を名乗ったもの。騒乱の中でマルクスが急逝し、アンニウスの孫でクオス教の巫女を務めていたニーナが第五代クオス王にして神聖女王となる。カイセル時代に整備された法制度が非常時を理由に非公開とされ、女王と神殿を中心にした挙国一致体制が敷かれる。
 マルクス時代からの側近であった四将軍によりヴィーアの乱が平定され、四将が四英雄として称号を受ける。四英雄戦争の影響により、クオスとトラッドノアの関係が急速に悪化。また、この時期から軍部独裁のトラッドノア内で旧サルビニア系の王家とクオス内部による非公然の接触が開始されたと言われている。

クオス歴225年(帝国暦166年)

 イルバードの遭遇戦。クオスとトラッドノアの間に軍事的緊張が高まる中で、小規模ながら遭遇戦が勃発。戦闘自体はクオス側の完勝に終わる。戦闘の早期集結と外交により、この時点での大規模な戦争は回避されるが両国の関係は完全に凍結される。

クオス歴229年(帝国暦170年)

 トラッドノア帝国アレクサンデル・バルギルボル将軍によるパンドラ全土への宣戦布告(帝国戦争)。閉塞した外交状況や経済状況の短期的な打破を目的としたとされているが、クオス側からの示唆による説やヴィーアの乱に続くクオス教とサルビニア教の宗教対立が背景にあったとする説も挙げられている。南方イトリエル領への侵攻が開始され、クオス側国境周辺にあるコーア砦でも騒乱が発生。クオス側は外交政策で対抗し、外交官ウイリアム・ルスカがバスキアを訪問、クオスとバスキア間の軍事協定が一旦締結されるが、バスキア側から破棄される。また、サルビニア王家の一人であるイザーク・マクシムス・ハイラント卿がトラッドノアからクオスに非公式に亡命。孤月とイトリエル間でも同盟が締結され、対トラッドノア戦線が構築される。
 クオス将軍のクリフ・ロネイアが追放、暗殺される(クオス内粛正の1)。バスキア軽火器を最初に実戦投入した人物であり、コーア砦の指揮官として対トラッドノア最前線を防衛。軍部代表の四英雄の支持を受けて政治的地盤を確保し、特に平民出身の兵士から絶大な支持を得ていた。戦時政策としてニーナ女王下で非公開とされたままの法制度と裁判の再開示を求める(十明法の再要求)。当初、公式発表ではトラッドノアへの亡命とされていたが、後に暗殺に関わった兵士からの証言により遺体が発見される。

クオス歴230年(帝国暦171年)

 新バスキア自由経済主義共和自治領(ネオバスキア)設立。初代自治領主はバスキアからクオスへの亡命者である、商工ギルド出身のバーネル・ガルフ。後のルスカ書簡より、バスキア社会体制のクオス内での試験的実現であるとされる。背景にはクオスとバスキア間の軍事協定が破棄と、トラッドノアとバスキア間での不戦条約が締結された経緯があり北方戦線の囲い込みに失敗したクオスが事態の打破を図ったものとされる。バスキアは協定破棄による賠償金や援助金の返還を義務づけられ、ネオバスキアへの人口流出と合わせて以後の衰退に繋がる。
 アルカンシェルにて鉱山長エルドラドの反乱が発生、鎮圧される。アルカンシェル内の改革派、過激派でネオバスキアとの交易ルートを開拓した人物であり、クオスとの非公式な協力関係があったとされている。
 クオス、孤月、イトリエルによる侵攻を前にして三国会談が行われる(勝者の分割統治)。各国首脳によるトラッドノア帝都エストリル攻略の時期の調整と、戦後処理について確認。会談の中でトラッドノア北部をクオス、中央と南部をイトリエル、東部を孤月に割譲されることが決定する。南方から孤月、イトリエル連合軍が侵攻を開始、南方面最前線の帝国領ユーベル砦を陥落。クオスでは大将軍ラデューが指揮するクオス軍が侵攻を行い、別働隊としてウイリアム・ルスカの船団が西方航路から水上を移動する電撃作戦で北部最前線のオワセ砦を陥落させる。ウイリアム・ルスカはネオバスキア設立の立役者でもあり、後のバスキア通産連合体の先鞭となる汎国家体制を構想してファグオから孤月、ネオバスキア、クオスからオワセに至る沿岸航路の実現を志した人物。クィギの包囲戦術を応用した、射撃攻囲戦術の始祖としても知られる。

クオス歴231年(帝国暦172年)

 トラッドノア帝都エストリル陥落(帝国戦争の終結)。魂血の方陣、またはヴィーアの再臨と呼ばれる動乱が起こり、混乱を利用してトラッドノア首脳部がアルカンシェルに亡命する。動乱の中心は魔導師ヴィーアを名乗る人物による大規模なテロ活動であり、生化学兵器の使用が行われてトラッドノア民衆に大規模な被害が発生。エストリル陥落に伴いトラッドノアの滅亡と帝国歴の廃止が宣言される(三国宣言)。ハイラント卿によるサルビニア暫定政府がクオス内に設立。
 トラッドノアと不戦条約を結んでいたバスキア国が解体、三首脳が追放されてバスキア政府として孤月の管理下に置かれる。また、クオス及びイトリエルからの援軍を得て孤月によるアルカンシェル侵攻が開始。


7.大女王時代 〜勝者の分割統治後〜

新大陸歴1年(クオス歴232年)

 アルカンシェル滅亡、同年を新大陸歴1年と改元してクオス王国暦が凍結される。アルカンシェルは私掠船とゲリラ戦術によって抵抗するが、三国連合によって殲滅されると領主リン=シアら戦争犯罪人三百余人が処刑される。孤月がアルカンシェルの跡地にエルドラド鉱山を設立、同地の人民を鉱山奴隷としてイトリエルはトラッドノア跡地を農場化し、同地の人民を農奴とする。安価な奴隷の投入により両国に無産階級が増大する原因となる。この時期、ネオバスキアとファグオ間の交易が正式に開始。
 クオス法が非公開のまま、クオス教の経典として「七戒」が公表される。クオス神聖女王ニーナにデウシア(大女王)の称号が贈られ、以後、個人名や官職名を廃した大女王の呼び名で統一される。

新大陸歴3年

 ネオバスキアとファグオの有効の徴として、ファグオから新造船「真昼の星」号が贈呈される。ファグオ国の工業技術が本格的にネオバスキアに導入される第一歩であり、帆船だがスクリューが実験導入された最初の船となる。
 旅芸人のイーリス一座が大陸自由民連合を設立する。帝国戦争中、各国を移動していた自由民の一団であり、国家対立の影響で増大しつつあった関税を引き下げるために、各国の商人組合が後押しして結社的な性格を持つ組織が設立する。

新大陸歴8年

 ウイリアム・ルスカが暗殺される(クオス内粛正の2)。汎国家体制の設立を図ったこと、クオスによる無差別攻撃戦略に対する反意を表明したことが原因とされているが、クオスとネオバスキア間の調整役であった人物が倒れたことによって、以降クオスの閉鎖性が急速に強まる要因となる。

新大陸歴9年

 クオス保護法が制定。貴族の婚姻に緩やかな制限が設けられ、それまで不明瞭だった貴族と臣民の婚姻も認められる。また、クオス保護法の下位にクオス臣民法が記載され、非公開のままとなっているクオス法に替わって裁判や税制、生活規範が示される。臣民法の中でクオス臣民への減税や優遇策が行われるが、他国民や他民族と入籍した場合にはこれらの優遇策は相続されないと決まる。
 人口調査法が制定、大女王が終身監察官として、貴族や臣民の生活や資産を査定する権限を与えられる。これに合わせて新大陸暦11年まで、クオス全土を対象とした国勢調査が実施される。
 安全保障法が制定、反社会活動に対する取り締まりが厳格になり国内の治安が強化される。集会や思想活動の届出と認可が義務付けられ、結社や組合がすべて登録制となる。

新大陸歴28年

 ミハエル・ビドエニッチの乱が勃発。旧バスキアの主戦派であり反クオス派であったエルス・ビドエニッチとの関係が取りざたされており、本人説も有り。イトリエル内の旧トラッドノア領を中心にして大規模な反乱軍が蜂起し、反クオスを掲げてクオス領オワセ及びコーアへ進軍、壊滅的な被害を及ぼす。クオスから流出した無差別攻撃兵器の使用により各地で多量の死者が発生したとされ、この動乱によりクオスとイトリエルの仲が険悪化する。

新大陸歴29年

 クオス、ファグオ、イトリエルによる無差別攻撃兵器開発禁止条約が締結されるが、孤月は調印せず。条約の内容が新規開発に関する実験の制約のみであり、孤月の開発が遅れていた事が原因。
 大型軍船「光輝なる神聖をもたらす女王号(グローリー・サンクチュアリ)」が進水。

新大陸歴30年

 クオス、西方沿岸海域海上通行税を規定する。クオス本国の保守派勢力が、政治力によってネオバスキアの財力吸収を図ったものであり、大陸自由民連合や各国の商人群からの不満が続出する。後32年に、オワセ市より代表してクオスの海上通行税への抗議文書が提出される。

新大陸歴31年

 女王法が制定。正式には例外的立法司法適用法といい、遡及事項を含む立法や司法及びその執行を即断して実施できる権限を持つ審問官を一時的に任命することができる権利が大女王に認められる。

新大陸歴33年

 クオス西方沿岸海域海上通行税が廃止され、代案として低額の西方沿岸航路安全保障税を設立するがクオス西方沿岸に海賊が横行し、後35年から安全保障税が順次増額される。

新大陸歴40年

 大女王(クオス神聖女王兼最高神祇官兼終身執政官兼最高裁判官兼最高立法司法官兼終身監察官兼安全保障長官兼最高司令官兼最高軍事顧問)デウシア没。


8.クオス第三王政(クオス神権制)時代 〜神意遠征軍から疫病流行、狂乱祭まで〜

新大陸歴43年

 大女王慰霊祭が終了し、王太子マクシミアヌスがデウス・クオシテス・カイセル・カストリウス・マクシミアヌスとして第五代クオス王(神聖王)となる。実際には六代目の王になるが、大女王の第五代クオス王は取り消されているためにマクシミアヌスが襲名。マクシミアヌスはマクシムスの一族の意、公式にはデウシアは未婚であるため、マクシミアヌスとデウシアの血縁については諸説あるが不明となっている。後のクオス第三王制、クオス神権制とも呼ばれる。
 親衛隊長ブルクスによるクオス本国内の大粛正が開始される。枢密院と民会が廃止され、王と神殿が実権を握り貴族院も規模を縮小される。クオス本国では全ての産業が事実上停止して、金融と税収によってのみ運営される。マクシミアヌス下での建築はその殆どが宗教建造物に限定されるが、例外的にクオシテス公会堂と呼ばれる円形競技場が落成される。宗教劇や剣闘士競技、公開処刑等が頻繁に催され、民衆への祝儀金なども贈られるがこの時期から国力の拡大が頭打ちになる。奴隷と犯罪者による剣闘士競技が流行して、剣闘士バルディウスが活躍、クオス栄誉将軍まで出世。

新大陸歴44年

 迷宮変事。ハイラント卿の遺児カール・イザーク・ハイラントがクオス宮殿で地下遺構に迷い込み行方不明となる。幼いカールや同行していた乳母の消息も不明なため隔離説と忙殺説の双方が存在し、マクシミアヌスとカール、大女王デウシアとの血縁関係が指摘されている。

新大陸歴45年

 マクシミアヌス宣言(神意遠征軍の発動)。クオス教を絶対とし、サルビニア教とギリア教が邪教とされる。邪教からの解放を大義名分とした解放軍、護民軍が宣言されるが、サルビニア及びギリア教を中心とするイトリエル領地への侵攻が目的とされる。マクシミアヌス宣言に呼応した民衆遠征軍が自然発生し、進軍するが壊滅する。神意遠征軍の発動に触発された民衆の暴走によるもので、オワセを渡った地点にある嘆きの谷でイトリエル軍の攻囲に会って全滅する。
 この頃クオスとバスキア(ネオバスキア)民族間の対立が表面化する。交易と商業によって実力をつけていたバスキア民族に対する、クオス統治者階級の警戒心が原因。

新大陸歴46年

 第一次神意遠征軍が発動する。イトリエルを目的地にして民衆、騎士、貴族、神殿軍がユニウス司教を指揮官にして無秩序な侵攻を開始するが、イトリエル領ユーベルで撃退される。遠征軍の侵攻自体は失敗に終わるが、現地民衆に多大の犠牲者が出たことによってクオスとイトリエル間の紛争が決定的なものになる。

新大陸歴47年

 孤月によりバスキア政府が解体され、正式にクオス領バスキア市になる。

新大陸歴49年

 パンドラ中部から北西部にかけて疫病が流行し、約5万人が犠牲となる。交易の活発化と神意遠征軍の影響によって、南部のクマネズミが北部に流入した為とされるが、マクシミアヌス治下でクオスの衛生管理が不充分になったことにより被害が拡大。ネオバスキアでの被害は少なく、バスキア民族による陰謀説がクオス内に浮上する。

クオス歴281年(新大陸歴50年)

 マクシミアヌスによりクオス王国暦が復活する。

クオス歴282年(新大陸歴51年)

 ネオバスキアの虐殺。再びマクシミアヌス宣言が行われて第二次神意遠征軍が発動、軍の一部が出征前にネオバスキアに乱入し、異教徒として住民を虐殺する。遠征軍自体は司教ユニウス・ポラ(聖なる者)が率いる騎士、貴族、神殿軍を中心にして多数の民衆が帯同するがユーベルにて再度敗退。軍勢としての無秩序さと統率の不足が敗因とされる。バスキア人迫害に対する孤月からの抗議文が提出されるが、クオスはこれを無視。

クオス歴283年(新大陸歴52年)

 第一次孤月クオス戦争勃発。海戦でクオスが勝利し、孤月から賠償金を受ける。ネオバスキアの虐殺への非難として、神意遠征軍の敗退を受けて孤月が宣戦するが北方海戦で敗退。陸戦能力に比して海軍の戦力では依然クオスは大陸最強であった(神聖無敵艦隊)。船舶の機動性、装甲、積載量、射撃兵器の充実等は全てネオバスキアからの産物。

クオス歴286年(新大陸歴55年)

 第二次孤月クオス戦争勃発、再びクオスが勝利し、孤月からバスキア市の割譲を受ける。第一次戦争の報復と称し、疲弊した孤月に対してクオスが宣戦、第一次栄光海域海戦にて神聖無敵艦隊が勝利を収める。バスキア市での弾圧が始まり、ネオバスキアとクオスの対立が激化、船乗りや商人を中心に多くの住民が国外に流出する(バスキア離散)。

クオス歴291年(新大陸歴60年)

 「真昼の星」号船長ユンツ・カールソンが新大陸(北エウロシア大陸)を発見する。大渦島を通って北部極点通過を断行し、北エウロシア北岸に上陸。原住部族との交流が行われて北エウロシアの玄関口として発展する。北エウロシア自体は一部の工業や科学技術にこそ優れるものの、資源が乏しく部族の規模も小さかったために交流も限定的で、発展も段階的に行われる。ユンツ・カールソンはネオバスキア近郊出身のバスキア民族であり、バスキア離散に伴い出奔した人物。

クオス歴292年(新大陸歴61年)

 第三次孤月クオス戦争でネオバスキアと結んだ孤月が勝利し、バスキア市を取り戻す。ネオバスキアの船舶技術や経済力が孤月に流出し、海軍の優位性が失われたクオス軍の威勢が衰える。第二次栄光海域海戦にて神聖無敵艦隊が完敗、グローリー・サンクチュアリ号が撃沈される。壊滅的な損害を受けたクオスの海軍力が急速に衰退。孤月領として取り戻されたバスキア市と、中立都市として独立したネオバスキアの復興が開始される。

クオス歴293年(新大陸歴62年)

 マクシミアヌスが暗殺。元イトリエル方面総督のアレクサンデル・カイセル・マクシムスが第六代クオス王になる。王になる前の名前はガイウス・アキレウス。アレクサンデル治下で軍部、神殿、貴族院が対立して風俗の退廃、官僚と神官の経済界への癒着が進み、更なる国力の低下をもたらす。
 戦争による軍事特需と掠奪による奴隷や物資の確保を目的として第三次神意遠征軍が発動、王弟カール大公の指揮によってイトリエル領ユーベルが陥落し住民が虐殺される。遠征軍はユーベル陥落後に分裂し、周辺で掠奪を繰り返した後で自然消滅する。

クオス歴295年(新大陸歴64年)

 パンドラ島全域に疫病が流行(第二期大流行)。被災地を移しながら約2年間継続的に発生し、合計で40万人以上が死亡。交易の拡大と神意遠征軍等による大移動が原因とされる。

クオス歴300年(新大陸歴69年)

 クオス300年祭(狂乱祭)が開催される。退廃と狂乱により、クオス市民だけで2万人以上の死者が出たとされる。公会堂で異教徒に拷問を与えて棄教を迫る、改宗劇と呼ばれる娯楽が人気を博する。


9.クオス暗黒時代 〜クオス歴301年から316年までの継承者争い〜

クオス歴301年(新大陸歴70年)

 アレクサンデル・カイセル・マクシムス暗殺され、親衛隊長のマキヌスが第七代クオス王となる。

クオス歴302年(新大陸歴71年)

 クオス貴族層が司教バルディヌスを王に推挙するが、マキヌスが攻め込んでこれを殺害する。公式に王位の任命はされず。この頃から軍部や親衛隊に対抗する為に、貴族院が神殿勢力と野合するようになる。

クオス歴303年(新大陸歴72年)

 貴族階級のシムニスが王に推挙され、マキウスが討伐を図るが部下に暗殺される。シムニスが第八代クオス王になるが、バルディヌス殺害を非難して親衛隊の処罰を求めた為に親衛隊に暗殺される。
 親衛隊が第九代クオス王としてニムクリヌスを擁立、二ヶ月後に軍部に暗殺される。
 軍部が第十代クオス王にパラケルススを擁立。クオス内部で親衛隊と軍部、貴族階級と神殿勢力を含めた対立が激化する。

クオス歴304年(新大陸歴73年)

 パラケルススを戦場で打倒したディミウス将軍が第十一代クオス王になる。軍部の推挙した王が軍人に取って代わられ、事実上の軍事独裁政権と化す。

クオス歴306年(新大陸歴75年)

 国内の支持を得るためにディミウスがイトリエルに侵攻するが、反撃に遭い戦死(治世二年は当時の最長)。この後、313年までイトリエル遠征が断続的に続く。軍事独裁政権にも関わらず軍部内の統率、戦略戦術構想は既に失われており、弱体化が著しかった。

クオス歴307年(新大陸歴76年)

 後任のガウス将軍が第十二代クオス王となるが部下に暗殺される。
 後任のアウリミニアヌス将軍が第十三代クオス王となるが部下に暗殺される。

クオス歴308年(新大陸歴77年)

 後任のヴィリアヌス将軍が第十四代クオス王となるがイトリエルに敗れて捕虜となる。
 後任のガニウス将軍が第十五代クオス王となる。

クオス歴311年(新大陸歴80年)

 孤月がイトリエルに侵攻(東方戦役)、一旦はイトリエルに橋頭堡を築くが、ファグオの協力が得られずに撤退。孤月とイトリエル間の関係が悪化する。ガニウスはイトリエルの戦乱に乗じて兵を出そうとするが、出征直前に部下に暗殺される。
 パンドラ島全域に疫病が流行(第三期大流行)。戦乱による被害と合わせて20万以上の犠牲者が出るが、詳細な記録は不明。

クオス歴312年(新大陸歴81年)

 後任の第十六代クオス王マクシミアヌス二世がイトリエルに侵攻して勝利するが、帰還中伝染病で死亡。当時流行が継続していた疫病によるものとされる。

クオス歴313年(新大陸歴82年)

 後任の第十七代クオス王ドミテウス(論述王)がイトリエルに侵攻して勝利、軍部の支持を獲得してクオスに帰還すると防備への専念を宣言する。ドミテウスは機動性柔軟性多層性縦深陣という戦法を確立しようとしたが、実践は一度のみだった。自ら著述して残されている内容ではV字陣の前面に多層式の斜形陣を左右交互に重ね、機動させる戦法とされているが、運用面に難があって実現性に欠ける。

クオス歴314年(新大陸歴83年)

 絶対君主制を説いたドミテウスは民衆に殺され、貴族院がデミタヌスを第十八代クオス王にする。

クオス歴315年(新大陸歴84年)

 即位時七十二歳の高齢だった為デミタヌスは半年で死亡、プロプクスが第十九代クオス王になる。


10.クオス末期 〜教皇の登場とバスキア通産連合体の設立まで〜

クオス歴316年(新大陸歴85年)

 軍備の縮小を説いた為に、部下によってプロプクス暗殺。マクシミアヌス王の血縁を名乗る人物が登場してマクシミアヌス三世を称し、第二十代クオス王になる(友邦王、最後の賢帝)。公的な名前はジャン・クオシテス・カイセル・マクシミアヌスであり、デウスは名乗らず最高神祇官に就任。バスキア民族や孤月、オワセを中心とした商人群や新大陸側の支持を得て権限を強化する。
 マクシミアヌス法を制定、それまでのクオス法を凍結して大女王以前に開示されていたカイセル法を基にした新法を制定し、総称してマクシミアヌス法と呼ばれる。破綻していた所有動産と不動産の明確化と再配分を行い、軍部と貴族院の懐柔に成功するが神殿勢力は抵抗。

クオス歴317年(新大陸歴86年)

 反対勢力の多いクオス首都を離れてオワセに遷都、ネオクオスと改名する(後のマクシミアポリス)。遷都に合わせて海上交易を中心にした産業の推進と港湾設備及び商業施設の建築、関税の減額等を行い革新的な政策を進める。海上警備を目的とした「疾風の騎士団」を創設、快速船を主体とした船舶技術の再導入と軍部の再配備を行う。
 ネオバスキアで発見された230年のウイリアム・ルスカとバーネル・ガルフの書簡(ルスカ書簡)の中で、ネオバスキアを中心とした通産連合体の構想に着目してネオクオスを中心にした交易活動が展開され、バスキア通産連合体の母体となる(マクシミア機構)。
 クオス首都にはクオス大神殿が残され、政治的には衰退するが神殿勢力が経済力を保持しつつ教皇が当地での権限を強化、後の王と教皇の聖俗対立の原因になる。

クオス歴318年(新大陸歴87年)

 神聖クオス宣言。マクシミアヌス三世が七戒の再承認とクオス首都の宗教的独立性を宣言し、クオス大神殿をクオス教の総本山として再認定する。神殿勢力への懐柔策とも見られるが、実際には旧クオスから政教分離を図ることが目的にあったとされる。以後、形式的にも存在していたクオス大神殿における政治的な権限はすべて消失する。

クオス歴319年(新大陸歴88年)

 ネオクオスにマクシミアヌス競技場を落成、戦車競争競技を導入する。新大陸から導入した二輪戦車を活用し、公営賭博として解禁することによって軍部と商人階級の支持を得て開催する。それまでクオス首都で人気のあった改宗劇に替えて、民衆支持の獲得と宗教色の排除を狙ったものとされている。仮竣工だったマクシミアヌス競技場の建設はその後も続けられ、完工はクオス暦325年。
 ネオクオス周辺の干拓工事に成功し、マクシミアヌス港を開港する。大陸最大規模の港であると同時に、西方海域に出るための河川をマクシミアヌス運河として浚渫、整備した。開港を祝って「疾風の騎士団」による快速船競争を開催、艦船の高速化を促す端緒となる。干拓事業によりネオクオス周辺の土地が使用可能になり、急速な開発が進む。

クオス歴321年(新大陸歴90年)

 イトリエル大火災が起こり、二年間で領土の森林三分の二が焼失する。原因は自然災害とされるが、クオス及びイトリエル領内でバスキア民族の陰謀説が浮上する。マクシミアヌス三世自身による即時のイトリエル訪問と、バスキア商人の協力を得た復興支援によって陰謀説を排すると同時に両国の関係が改善、紛争の停止と両国間の講和条約が成立する(武器無き講和、321講和)。

クオス歴323年(新大陸歴92年)

 マクシミアヌス三世就任直後から順次着工されていた、複数の街道が正式に竣工。中でもマクシミアヌス運河に併設するポートシア(港)街道、国境を越えてイトリエルに接続するアミーシティア(友邦)街道、旧クオスに向かうマクシミア街道、ネオバスキア方面に向かうガルーシア(鶏)街道などが有名。

クオス歴331年(新大陸歴100年)

 大陸100年祭(新暦祭)がネオクオスで開催される。文化、商業改革を象徴する祭典としてイトリエルや孤月を始めとする各国が来訪、北エウロシアからの使節も訪れて高く評価される。この時期から正式に北エウロシア大陸との大陸間国交が開始される。

クオス歴337年(新大陸歴106年)

 統治二十年でマクシミアヌス三世が引退、息子のマクシミアヌス四世が第二十一代クオス王となる。

クオス歴339年(新大陸歴108年)

 クオス内部で継承戦争が起こるが、最終的にマクシミアヌス四世が残る。開明的とは言えないが前王の政策を引き継ぎ、失政の少ない無難な統治を行う。

クオス歴345年(新大陸歴114年)

 マクシミアヌス四世が暗殺され、王位継承者が消滅する。前年にマクシミアヌス三世が死去しており、求心力が失われた状態でクオスの神殿勢力、軍部と親衛隊、マクシミアヌス支持派の対立が深まり分裂する。貴族院を味方に付けていた教皇クレモンテが実権を握ると318年の神聖クオス宣言が神殿によって再承認され、神殿勢力の実権掌握に伴い首都が聖クオス市に戻される。ネオクオスはマクシミアポリスと改称。

クオス歴351年(新大陸歴120年)

 内乱により崩壊したイトリエルと旧トラッドノア帝国領土がイトリエル連邦公国(北イトリエル)と正統イトリエル王国(南イトリエル)に分裂する。

クオス歴352年(新大陸歴121年)

 教皇クレモンテにより第四次神意遠征軍が発動(大陸最悪の虐殺)。無作為な出征と攻略、破壊と虐殺がパンドラ北部で横行したがイトリエル領には至らず、クオス国内の諸都市群を蹂躙しただけで終わりクオスの統制力が事実上消滅する。当時すでにマクシミアポリスが半ば独立した存在になっており、聖クオス市以上の勢力を得ていたため虐殺は北部のみで横行。これ以後のクオスは聖クオス市と一部周辺を除いて、マクシミアポリスを中心とした各都市の自治によって治められる。

クオス歴360年(新大陸歴129年)

 孤月領内でエルドラド鉱山の反乱が激化し、孤月ファグオ戦争が始まる。本格的な海戦となり火薬と砲弾が大量投入される。パンドラ旧勢力の殆どが分裂、戦乱に巻き込まれて収拾に長い時日を要する。

クオス歴400年前後(新大陸歴169年前後)

 新大陸との交易を強化したネオバスキア〜バスキア〜ファグオ連合体が非公式に成立する。大陸自由民連合を起源とする「回転する薔薇団」を中核とした結社的な色彩が濃い。

クオス歴430年(新大陸歴199年)

 上記連合とマクシミア機構が引き継がれてバスキア通産連合体が設立、パンドラ島北西部にある大渦島を中心に聖クオス市を通らない商業経路が完成する。東方のファグオから発して北東部バスキア、北部ネオバスキアから大渦島、西岸を巡り川上を内地に入ってマクシミアポリスへと続く水上航路が確立。更に北エウロシア大陸への交易も開始されて一大経済圏を為す。沿岸部を主体にしたバスキア通産連合体の設立により、宗教権威によってのみ成り立っていたクオス神殿の実効支配力が完全に消滅、内地にある北イトリエル及び南イトリエルも衰退し、孤月はファグオと和解して連合体への参加を表明する。
 聖クオス市の神殿勢力による統治権はこのクオス暦430年(新大陸暦199年)に消失、支配する民衆や土地を有する国家としてのクオスは消滅したが、神殿自体にクオスの名は残り続けたのである。

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