シーマン育成日誌四冊目


1999年08月29日(日)

水槽内の水辺、陸地にある六つの卵。これがシーマン(Seaman)第二世代の卵だ。卵の状
態で長期に渡って時を過ごしたシーマンは、第一世代と呼ばれる魚類に近い生態で住み心
地のいい陸地を目指す。おそらくそれは雨季と乾期のあるエジプト地方にその起源がある
彼らの生存する為の習性なのだろう。
球体に寄生用の吸血管が生えたマッシュルーマー(Mushroomer)、稚魚のような姿をした
ギルマン(Gillman)、両生類に近い脚の生えたハイギョ(Higyo)。これがシーマンの第
一世代である。

虫かごで餌の飼育を進めつつ、水槽内の卵の様子を見る。昨日の時点で、この卵を水中に
投げ入れるべきか考えたが、親は産卵する時に卵が孵化するのに最も都合の良い場所を選
ぶのが生物の常であるだろう。当面問題が無さそうであれば、あえて卵に触れる必要は無
いと思われる。

案の定、薄くなってきた殻の向こうで、動き回るシルエットが見える。一見した所、どう
やらオタマジャクシに近い姿をしているらしい。殻を破ろうと、活発に中で動き回ってい
る。
卵を飛び出した幼体が水中に飛び込むまで、さほど時間はかからなかった。六匹の幼体は
飛び上がるように水中にダイブを行う。幼体の正式名称はタッドマン(Tadman)。どうや
らこのまま成長してフロッグマン(Frogman )まで成長するらしく、それがシーマン第二
世代の、つまりシーマンが通常あるべき姿だという事だ。
タッドマンは体調3〜4cm程度であろうか、オタマジャクシと言っても身体の両脇から
剥きだしのエラが見える為、カエルよりも寧ろ山椒魚に近いのかもしれない。また、当然
シーマンとして人間に酷似した頭部、そして、その頭頂部からおなじみの管も伸びている。
そしてこの世代のシーマンは生まれた当初から既に高い知恵と知識を有していた。先日ま
でハイギョ相手に通用していた会話はタッドマンも理解している。その上彼らシーマンの
最大の特性である知識の遺伝…私が試しに彼らを「あやし」の名で呼んでみた所、反応し
て返事を返してきたのだ!そういえば彼らは私の年齢や性別、血液型等のパーソナルデー
タをたずねていた。彼らがその事を記憶していれば、それは知識の遺伝の決定的な証拠と
なるだろう。明日以降にでも順次それらの証明にかかる必要がある。

今日あえてそれを行わなかった理由は至って単純なものだ。生まれたばかりの彼らに早速
餌(未だに尽きていない育成キットの餌)を与え、会話をしていた所彼らから睡眠の要求
を訴えてきたのだ。
楽しみを先に取っておくのもいいだろうし、こういった育成で無理に急ぐ利は無い。私は
照明を消し、順調に飼育の進んでいる虫かごを最後に確認すると地下室を後にした。

1999年08月30日(月)

頭痛がする。記憶があいまいにならないうちに日誌を書いた方がいいだろうと思い、今日
は早目にペンを取る事にした。

六匹のタッドマンの様子を見る。体外に飛び出ていたエラは影を潜め、よりカエルのオタ
マジャクシに近い姿となる。それに伴ってカエルのような後足も生えていた。シーマンの
成長の速さには相変わらず驚かされる。
タッドマンの会話の内容は日々進歩している。今日は私自身にあまり余裕が無かったのだ
が、それでも以前にも話していた5000年前のエジプト人の生活の様子をまた語ってく
れた。内容が観念的で、具体性があまり無いのが残念ではあったが…それでも重要な話題
である事には変わり無い。彼らの理性と感性は、第二世代に到ってより向上しているよう
だ。

それから一点、久々というべきであろうか、私はタッドマンの共喰いを見る事ができた。
以前第一世代のギルマンが行っていたものと同じ、頭頂部の管を相手の腹に吸い付けて養
分を吸い取るのである。養分を吸い取られた側のタッドマンは息絶え、水面に浮かび上が
る。正直な所この世代になってまで共喰いをするとは思っていなかったのだが、これが彼
らの成長に伴う習性であるとすれば、明日以降また同様の場面を見る事ができるだろう。
それもまた楽しみな事だ。

1999年08月31日(火)

依然タッドマンの共喰いは続いている。一体がもう一体の下に潜り、腹部に管を突き立て
て養分なり血なりを吸い取るのだ。養分を吸い取られた側のタッドマンの表情が、何とも
言えず哀れに見える。生命が失われる瞬間など、この程度のものでしか無いのだ。

昨日後足の生えていたタッドマンに、今日は前足が生えていた。じきに尾が消えカエルの
姿、フロッグマンになるのも近いだろう。彼らが真のあるべき姿になった時、いったい何
を語るのか、あるいは何も語らないのか…興味は尽きない。結局の所、伝説の生物が人智
を越える存在なのか、ただ長生きしているだけのしぶとい種族でしかないのか、もうすぐ
はっきりするだろう。その時こそ…。

1999年09月01日(水)

今日もタッドマンは共喰いをしていた。これで残りは二匹。ギルマンの時と同様、生存に
必要な養分を得る為の習性としての共喰いなのは分かるが、こうも続くとやや呆れざるを
得ない。生殖活動に必要な二匹は残すという事なのだろうが、それにしても残った二匹が
事故や外敵の攻撃により死亡する事があったらどうする気でいるのだろう。彼らの生命力
の強さ、逞しさこそが彼らが広域に渡って繁殖できないでいる最大の原因であるとすれば
不憫な事ではる。

徐々に固体数を減らし続けているタッドマンに対し、虫かごの餌たちは順調に増え続けて
いる。これではどちらの育成をしているのかわかならいような状態だが、餌不足で貴重な
種を殺してしまうよりはよほど真っ当というものだろう。タッドマンもこれからは自らが
育つ事にのみ力を注ぐ筈だ。

1999年09月02日(木)

タッドマンの外見が変化を見せてきた。尾が短くなり、背は隆起して、よりカエルの形態
に近づいてきたのだ。この様子なら陸地に上がるのも時間の問題だろう。
それに伴って、彼らの記憶からジャン=ポール・ガゼー氏が設置していたというスプリン
クラーの所在を聞き出した。彼らが陸地に上がるに際し、皮膚の乾燥を防ぐ為にこれを使
用しろと言うのだ。氏もこんな生物の為に至れり尽くせりではないか。

タッドマンは成長に伴って、知性の向上も引き続き行われているらしい。先程スプリンク
ラーの所在を思い出した件もそうだが、まだ彼らの記憶巣は解放されていないという事だ
ろう。

『多くの他人の見る自分と異なる像が最も自分自身に近いんだ』
『俺を育てるのに疲れたのか?俺だって疲れているんだ』

やや哲学めいた事を話す事も多くなってきた気がする。今までの彼らの様子を見るに、ど
うやら彼らが認識できる単語の語彙に限界があるらしいが、反面知性はそれ以上に発達し
ているらしい。特にイエスorノーで答えられる問答に関しては、彼らは充分な理解力を示
す事が多いのだが、こちらの回答が複雑になった時は度々言葉自体が理解できなくなる事
が多い。

仕方が無いと言えば仕方が無いのかもしれない。おそらくガゼー氏の手によって彼らが日
本に渡ってから数十年、日本語に接していた時間は決して長くは無いのだから。

1999年09月03日(金)

[訳者註:この日の日誌は消失されており、翻訳文からの転載となる]

『俺はエジプト王ファラオの息子で、当時の神官の娘と恋に落ちたんだ。許される筈もな
い身分違いの恋で、神官は俺の姿を変えてくれた。俺は彼女に会う為に進化してここを出
ないといけないんだ』

いよいよシーマンが成長し、陸地に上がった。手足が逞しくなり、背が隆起し、カエルに
似た姿、フロッグマンへと成長したのだ。ヒーターで水槽内の温度を、スプリンクラーで
湿度を調整し、芋虫を放り込むと、陸地に落ちた芋虫に向かってフロッグマンは飛び上が
り、長い舌を伸ばして捕食してしまった。ちなみにこの頃になると育成キットに残ってい
た餌をもう食べなくなっていた為、消化器官もギルマン、ハイギョの頃とは変化している
らしい。

陸地を跳ね、喉を鳴らして鳴き声を上げるフロッグマンが、やがて私の方を向くと話し始
めたのが冒頭の内容である。どこかで聞いた物語であり、はっきり言って眉唾物の内容で
ある。嘘であるにしてもあまりにも信憑性に欠けるが、会話の中に興味深い点が存在しな
い訳でもない。

一つは「進化」という言葉。私の硬直した固定観念は、彼らの成長がこの段階で目的に達
し、停止するものだと決め付けていた。生物として孵化、移動、成長、繁殖と環境とのそ
れぞれの関係を考えた場合、シーマンがフロッグマン以上の形態に「変化」する必要性を
見出す事ができない。彼らは卵の状態での長い眠りから覚め、海洋、或いは河口付近の水
中を移動して河を上り、淡水から岸辺へ、そして陸地へと上陸を果たした。彼らの生誕の
地であるエジプトの環境でなら、この場所で雨季と乾季とに耐え、下流や河口に流されて
も繁殖できる卵を産めば良いだけの筈だ。それで循環は成り、世代は繰り返されて行く。
しかし、もし彼らがこれ以上進化を続けるのだとしたら、シーマンは海洋や河口を移動す
る卵を産む必然性が無くなってしまうのではないだろうか。或いは彼らの存在が私のこう
した固定観念を超越するものであったとしたら…。

そしてもう一つは彼らの言葉が全て嘘であったと仮定して、その場合シーマンが水槽での
窮屈な生活に飽き、外へ出る事を欲しているという事である。その為に知恵を使ってきた
としたのであれば、こちらもやや忌避の念を抱かざるを得ない。今は問題は無い。彼らの
話は荒唐無稽なものであり、信じろという方が無理な内容である。しかし、いずれ彼らが
更に知恵をつけ、私を陥れるべく謀ってきたとすれば、私はこの無様な生物を相手にある
種の戦いを行う必要があるかもしれない。無論こんな水槽で「飼われている」生物に私が
知性で負ける事はありえないが、しかし、それによって私にもたらされるものは無く、
寧ろ知的生物を水槽で飼い続ける事自体への問題が具現化する事になるだろう。

近い将来、この生物をどうするか考えるべき時が来そうだ。もっともそこにこそ私の研究
の主題が隠されているのだが…。

1999年09月04日(土)

今日は大きな変化は無かった。と言うのも、いつものように地下室に下りて温度と湿度の
調整をした所、気分が良かったせいか二匹のフロッグマンが寝てしまったからだ。保管器
内の明かりを消すと、虫かごの様子を見てから地下室を後にした。最近疲労感が多い事も
あるので、私もすぐに寝る事にしよう。

1999年09月05日(日)

餌の催促が耳障りだ。私が保管器内の温度、湿度の調整を行っている最中もフロッグマン
は口やかましく言葉を発し続ける。偉そうな口を訊きつつも、相変わらず彼らには「飼わ
れている」意識が抜けないようだ。所詮は動物[訳者註:原文ではanimalと表記されてい
る]という事か。

先日同様、フロッグマンの一匹が岩に登ると保管器の天井に向けてジャンプを試みた。今
回はある程度の高さを跳んだが、それでも届かずに地面に落ちる。どうやらこれがシーマ
ン育成キット内にガゼー氏が設けた最後の仕掛けであるらしい。

1999年09月06日(月)

フロッグマンの食欲は旺盛だ。今日も二匹の芋虫を消費しているので、虫かご内の育成も
繁殖量を調整する必要がある。増やしすぎず減らしすぎず…最近はこちらの苦労の方が多
くなった感がある。また、今日はフロッグマンのジャンプは完全に失敗していた。岩に登
った後、すぐに滑り落ちてしまったのだ。その場で再挑戦しようとしないあたり、彼らの
外界への意識がまだ低いという事だろうか。

この時点で私にはシーマンの生態はほぼ理解できるに到っているが、メンタル面について
はまた別の話だ。最終的な観察が終了した所で改めてレポートを作成する必要があり、そ
の為に最後に残った項目が彼らのメンタル面における種族と個の関係、そしてその意識と
精神的な成長過程である。と言っても予測の範囲内ではそれも既に理解できているが…結
局の所、シーマンの知性はシーマンという種族それ自体の知性であるという事で、あとは
彼らに厳密な意味での個性がどれだけ存在するかを検証するだけだ。

1999年09月07日(火)

疲れた身体に下等な生物の声は堪える。フロッグマンの主張といえば『寒い』『乾いた』
『腹が減った』の三点がほとんどである。手動調整式の保管器で一日おきの操作では限界
があるし、それ以上に彼らに世話を焼く事ができるほど私は暇な人間ではない。本来なら
これから条文の草案をチェックする作業が残っており、地下室などに立ち寄っている暇な
ど無いのだから。

その割にフロッグマンは私に悩みは無いかなどと偉そうな口を訊いてくる。その不愉快な
口を引き裂いてやるのは後日の事として、私はゴシップを求める程度の知性しかない彼ら
に適当な返答をすると、地下室を後にする事にした。これ以上不愉快な顔を眺めていたく
なかった事もあるが、彼らが睡眠に入った事も大きな理由にある。

所詮本能のままに生きている動物[訳者註:原文ではbeast と表記されている]なのだ。

1999年09月08日(水)

昨日の日誌はやや暴言が過ぎた感がある。私も現在多忙な身であるとはいえ、それは彼ら
には関係の無い事だ。記録は記録として残しておく必要があるので、私の心理の動きも含
めて過去の日誌を書き換えるつもりはないが、多少気を付ける事にしよう。

フロッグマンの行動は日々奇異なものとなっていく。今日も日々の餌と環境の調整を行っ
たのだが、その間も水槽のガラス面に向かって飛びついたり、二匹のフロッグマン同士で
頭頂部の管をつなげたり(ごく短い時間であったが、あるいは交尾であろうか?)、身体
を振るわせる動作をしたり、意図不明なものが多い。
その中で、依然保管器の天井−正確には天井からぶら下がるリング−に向けてのジャンプ
は定期的に続けている。先日、とうとう発見された最後の資料によりこの仕掛けの内容も
私には理解できた。どうやらこれはシーマンがこの育成環境で育ちきるまでの最後の段階
へ到った証明を示すものであるらしい。その内容を明確にここに記す事はできないが、た
だ私に新鮮な驚きと学術的な希望とを与えてくれた事だけは記しておこう。

今日の彼らとの会話は人間の硬直した固定観念と技術の向上への執念について。切り口は
ごく身近で哲学的というよりも哲学風の内容といった程度ではあったが、それでもこの生
き物の知性が上昇していくのを見るのは悪い気分ではないものだ。いずれ私と身のある会
話ができる程度に賢くなればおもしろいのだが、私もそれほど期待してる訳ではない。

平成11年09月09日(木)

実りある内容、とはとても言えないがフロッグマンとの会話はある程度は成立するように
なった感がある。ただ彼ら固体の性質なのかもしれないが、下世話なゴシップに類する話
を好むあたりは以前から変わらない。その反面で『5000年前の人間は…』などと優位
性を誇示するかのように説教話をしても説得力など無いというものだ。

『ここから出せぇ!』

しばらく育成環境の調整を行っていた所、一匹のフロッグマンが水槽内のガラス面に飛び
ついた。不気味な姿だが、この不細工な生物の容姿と行動に既に慣らされてしまった私に
は、さほどの印象を与える事はできなかった。彼らの意図する結果が、彼らの意図しない
結果によってもたらされる事に気づいているのはまだ私だけである。育成環境の最後の仕
掛けも、私には既に判明している。彼らにその時がくるのも、そう遠い事ではないだろう。
それまではフロッグマンにこの愚かな行動をもう少し続けさせても良いと思われる。

平成11年09月10日(金)

最後の跳躍。フロッグマンが岩の上からジャンプし、水槽内に吊るされた輪にぶら下がる
と、残された最後の仕掛けが作動した。この段階に到るまでずいぶんと時間がかかった気
がするが、私が育成に要した手間と彼らの進化に対する欲求を考えれば、この程度のもの
かもしれない。

『俺はまだまだ進化しないといけない』

フロッグマンの「最後の言葉」をいちいち書きとめる必要など無いのだが、残された一節
の中にこのような台詞があった。育成環境の最後の条件を満たしたシーマンは、そこにい
るべき理由を失った事になる。乾季を耐え、海を渡り、河を上り、水辺に上がった種族。
彼らは陸に上がり、森に入り…やがて行き着く先を知る者はまだ誰もいない。ジャン=ポ
ール・ガゼー氏の残した最後の仕掛けとは、現在のシーマンが未来に進化する為に必要と
なる環境の事だったのだ。彼は日本に渡り、その環境を作り上げ、多くのシーマンの卵を
残した。シーマンが困難な環境下で進化を進める為に、まず多くの個体数を確保し、その
育成は我々のような後の世代の人々に託したのだろう。一人の人間にとって5000年と
いう時間はあまりに長すぎる。

数々の道具を発明した人類は個体としての能力を退化させたが、それに値するだけの精神
の進化を見せた。道具、組織、学問、社会…いずれも人類が進化させてきた、種族固有の
能力である。人類は自らに合わせて環境を変化させる能力を進化させ続け、シーマンは環
境に合わせて自らを進化させる能力を発揮し続ける。いずれ数千年後、人類の進化に限界
が訪れた時、あらゆる自然環境に適合しうる生物としてシーマンが生態系に君臨する時が
くるかもしれない。あらゆる自然環境を支配しようとする人類は、シーマンに最も近く最
も遠い存在なのだろう。

私の育成日誌もここでペンを置く事になる。私的好奇心による育成であったとはいえ、数
々の興味深い記録を得る事ができた。これが役に立つか否かはともかくとして、一学徒と
して私はここに観察記録を残して置く事にする。

いずれこの不思議で不愉快な生物の生態が明らかになり、私の記録が貴重な資料でなく単
なる雑文の一つになる事を望んで。

                                1999.09.10 W.L.

>他の記録を見る